2013年7月20日 (土)

紀声会コンサート

第36回 紀声会コンサート(横浜みなとみらいホール 小ホール)に行った。

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妻ジョアンナ(仮名)もピアノで出演したし、声楽の専門的な事はわからないので、演奏技術に関しては何も書けない。例によって演奏以外の事で感想を書いておこう。

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運営面で課題がいくつかあった。段取りの悪さが見られたが、これは主催者側も気が付いていたし、ご愛嬌という感じだった。問題だったのは照明である。

1曲当たりの演奏時間が長い場合、例えば前半と後半で交響曲を1曲づつ演奏するようなコンサートの場合は、開演前と休憩時間にプログラムをひもとけば良い。この場合は演奏中は客席が暗くても問題はない。

それに対して今回のようなコンサートでは、演奏者の数が多く、かつ観客が初めて接する楽曲と演奏者が多いようなコンサートではステージ毎にプログラムを見たいという希望が多いはずだ。しかし客席側が暗いのでプログラムを読むことができない。これが問題なのである。

しかも今回は2度ほど場内アナウンスがあり、演奏者と曲目についての変更が告げられたが、その場合もプログラムが暗くてよく見えないため、変更内容を理解しにくいということがあった。

解決策はあるだろうか?私はいっそのこと最初から最後までステージと客席の照明をつけっ放しにすればどうかと考えた。しかしこの方法だと、演奏者の立場に立てば、観客がよく見えすぎて気が散るという問題が起こるであろう。痛し痒しである。観客にも演奏者にも納得して戴ける方法はないものであろうか?

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なお演奏について書かないつもりだったが、今回際立っていたことがあったので書いておこう。それは第1部に登場した若手と後半のベテラン勢との相対的な差がこれまでより縮まっていたのではないかという点である。

これは、若手が成長しベテラン勢が現状維持だったからであろうか?あるいは若手は現状維持でベテラン勢に衰えがあったからであろうか?

私は上記のどちらでもなく、若手もベテランも両方とも成長したが、その成長率に差があったと考える。イメージでいうと(厳密な数字ではないが)ベテランの成長率が1.1であったのに対し、若手は1.5だったので両者の差が縮まったというわけだ。

このようにして全体のレベルの底上げがなされたと思う。素晴らしいことだ。お疲れ様でした。

2013年7月 7日 (日)

マルティヌーの知らなかった側面

「山中まりえ ヴィオラリサイタル」(横浜市栄区民文化センター リリスホール)に行った。

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以前から聴いてみたいと思っていたマルティヌーのヴィオラ・ソナタ第1番を聴いた。私はマルティヌーの力強さがどこから来るのか確かめたいと思い、弦楽四重奏曲7曲のうち、第2,5,6番の小型スコアを買い込んで調べてみたことがあった。結論として、(特に速い楽章において)八分音符を上下させることによって生じる律動性がこの力を感じさせる源ではないかと思った。

今回のヴィオラ・ソナタ第1番を聴いてみたら、意外とおとなしく牧歌的に感じられた。これまで抱いていたマルティヌーのイメージから少し離れたわけだが、これは多作家であるマルティヌーの一つの顔なのだろう。

ヴィオラ奏者、ピアニスト共に一流メンバーなのに、ピアノの響きが悪く演奏としては物足りなかった。これはホールの構造のためと思われる。弦楽器はよく響くがピアノは音が割れるのである。その証拠に、プログラムに2曲含まれていた無伴奏の曲ではヴィオラが美しい音色を奏でていた。

なおプログラム最後のブラームスのソナタ(オリジナルはクラリネットとピアノ)は以前私が所属していた音楽同人SAPAのコンサートにおいて、崎川氏のクラリネットで演奏された曲だ。懐かしかった。

2013年5月19日 (日)

はるもきライブ

横浜山手でのサロンコンサートを終え、山手十番館のビアガーデンで生ビールと白ワイン、中華街の大新園で紹興酒というコースを歩んだが、ちょっと飲み足りなかったので藤沢の立ち飲み「はるもき」に寄った。

すっかり忘れていたのだが、この日は月一ライブの開催日だった。私が到着した時は、スタートの時間が迫っていたのだが、ここでは「はるもきタイム」なるものが存在するらしい。お客は4人だけだった。

大丈夫かなと思っていたら、一人、また一人と人数が増え、ライブらしい雰囲気が形成されてきた。そして開演。この写真には、常連なら知らない人がいない達人が登場している。

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ご存じない方のために説明すると:
♪左端:店のマスター。いつも感謝しております。
♪その右(後ろ姿):私が勝手に「ミスター・データベース」と呼ぶ音楽情報通。
♪その右(マイクの後ろ):敬愛し、尊敬するギタリスト。
♪右端:誰しもが認める本物の達人。この人間離れした達人を何と呼んだらいいのだろうか。「達人28号」?、「ベースの神」?、それとも世界一の映画「市民ケーン」?

私はこの演奏が終わったあたりで体力の限界となり、ライブの途中という後ろめたさがありながら店を出た。その時、もう一組の達人集団とハチ合わせ・・・。申し訳ないと思いながらも帰宅の途についた。後のグループの方々、聴かないで帰ってすみませんでした。

2013年5月15日 (水)

スターバックス店内ライブ

スターバックス・ルミネ藤沢店で開催された「店内ミュージックライブ」に行った。妻ジョアンナ(仮名)も一緒だった。

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先日、藤沢の「さいか屋」で開催された「AOSPメンバーによるクラシックミニコンサート」と同じメンバーで曲目もほぼ同じだったが、異なる会場で違った響きがした。今回は演奏者の背後に大きなガラス窓があり、それが反響版の役目を果たしたようであった。

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ヴァイオリン、オーボエ、コントラバス、電子ピアノというのは珍しい編成だが、いろいろな意味でいい組み合わせだと思った。旋律楽器は弦・管両方揃っているし、鍵盤楽器が和声を埋めるし、コントラバスが底辺を支えてくれるといった感じである。このメンバーは同じ編成で今後も活動を続けるようだ。応援したい。

2013年5月13日 (月)

プロムナードコンサート

第30回 プロムナードコンサート「音楽の花束」(オーシャンプロムナード湘南:藤沢市)でスタッフを担当した。演奏者は藤原歌劇団のソプラノ歌手・右近史江と彼女が率いる5名の演奏家である。そのメンバーには妻ジョアンナ(仮名)も加わっている。

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「オーシャンプロムナード湘南」は介護付き老人ホームである。老人ホームでのコンサートというと、私は今からちょうど10年前の2003年、神奈川県川崎市にある老人ホームで開催された「慰問コンサート」にチェロで出演した。

今思うと、この「慰問」という言葉には何か引っかかるものがある。高齢者はあまり動き回ることができず、寂しいだろうからコンサートを行って励ましてあげよう、という強者が弱者に対して恩着せがましく言う響きがあるのだ。

それに対して、今回のコンサートは様子がだいぶ異なっている。そもそもコンサートの基本的な企画は演奏者ではなく、老人ホーム側である。観客もホーム入居者より外来のお客様の方がむしろ多数だ。(今回の場合はおおよそ120名の観客中、入居者は40名、外来者は80名であった。)

つまり老人ホームが独自に一つのコンサートを企画し、たまたまそこに入居者も聴きに来ていたというような感じである。
(現実的には入居者優先だと思うが、コンセプト的には上記のようなことであると思う。)

内容的にも、ソプラノ、マリンバ、ヴァイオリン、ピアノが順列組合せで様々なアンサンブルを繰り広げ、多彩である。休憩時間には演奏者の一人の手作り菓子と飲み物までサービスされる。

老人ホームは放置すると地域社会で孤立しがちであると代表者が挨拶で述べておられた。今回のコンサートは、地域とのつながりを保つ良い機会であり、しかもそれが周囲の気遣いではなく、老人ホーム側から情報発信されたというところが先駆的である。

このような魅力あふれるコンサートなら、老人ホーム入居者が可愛そうだから訪問してあげよう、とは逆に、「あそこに行くと面白いコンサートが聴ける」という逆の求心力を持つというわけだ。

それが密度の高い地域交流を生む。このコンサートシリーズは意義深い企画だと思う。今後の継続発展に期待したい。

2013年5月 6日 (月)

AOSPメンバーによるクラシックミニコンサート

地元百貨店のイベントの一つ「AOSPメンバーによるクラシックミニコンサート」(さいか屋 藤沢・7階特設会場)に行った。

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AOSPとはAcademy of Symphonic Proの略で「プロ・アカデミー室内管弦楽団」のことだ。その設立の意義・目的を同楽団の音楽監督・飯田大介のサイトから拾った:
・フリー奏者へ高い演奏環境の共有と体験の場の提供
・ソリスト教育を受けた者が、より自由にオーケストラと演奏できる機会を提供し、
 若手および有能な演奏家の発掘と支援、育成を互助する環境の提供
・音大卒・相当程度の技術を習得した者が更なる向上のための環境の提供

なるほど、若手の育成に貢献しているのか。今回の演奏の「育成」されている若手中心だったが、演奏は素晴らしかった。若手と言って侮ってはいけない。目隠しテストしたら、「一流」と呼ばれるプロと変わらないと思った。

ヴァイオリンはキリっとした演奏でカッコ良かった。オーボエはフルートのように指が回って吹きこなしていた。電子ピアノは小気味いいリズムを作っていた。ダブルベースは、、まるでジャズにおけるウッドベースの達人のようだった。

同じフロアで「鉄道のりものフェスタ」が開催されており、時おり汽笛の音が邪魔をしたが、子供を喜ばせるイベント会場だったので、これは仕方ないと思う。しかしこんな達者な演奏を無料で聴けるとは、もったいない感じがした。

2013年3月20日 (水)

小泉百合香・榊原紀保子 デュオ・リサイタル

「Duo Recital」(横浜みなとみらいホール 小ホール)に行った。ヴァイオリンの小泉百合香とピアノの榊原紀保子の二重奏だ。

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二人は在籍した大学は異なるが、感性・音楽性において近いものがあったので共演する機会が多かったそうだ。

今回のプログラムにラフマニノフのチェロとピアノのためのソナタがあった。チェロパートをヴァイオリン用に編曲した楽譜で演奏したのである。私は非常に下手なのだがチェロとピアノをたしなみ、この曲は試しに弾いてみたことがあった。

ピアノパートはさすがにラフマニノフらしい技巧的な作りで私には全く歯が立たない。一方チェロパートはどうかと言うと、かなりの部分は音符をなぞるだけなら手が届きそうな難易度である。では弾けるのかと言うと、一部とてつもなく難しい箇所があるので、やはり手に負えない。

小泉百合香はそのチェロパートをヴァイオリンで弾いた。チェロのように太く歌い継ぐことができるのかと思っていたら、そこはさすが達人、ヴァイオリンの低弦で厚い響きを聴かせてくれた。

榊原紀保子のピアノは過去に何回か聴いたことがあり、その素晴らしいテクニックは知っていた。このレベルのプロの演奏は何も心配しないで聴いていられるのでいいのだが、逆にあまり安心して聴けるので寝てしまいそうになった(笑)。

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ラフマニノフのソナタの編曲について考えた。ヴァイオリンとチェロは、同じ弦楽器とはいえ、その響きに大きな違いがある。もともと違う楽器なのだから、必ずしもオリジナルの響きを再現しなくても良いのではないかと思った。

逆に、楽曲を異なる楽器に移し替えた際、新しい楽器の特性に合わせ、オリジナルとは異なった魅力を引き出すような編曲が良いのではないかと思った。そういう観点で一つ気が付いたことがある。

それは第1楽章の中ほど、展開部の途中でチェロが低い変ホ音をテヌートで引きずりながら奏する箇所である。この音はピアノの鳴らす和音の最低音よりさらに低く、底辺の安定を保っている。しかしこれをヴァイオリンに移し替えると2オクターブ上になり、安定感を欠いてしまう。ヴァイオリンの調弦はチェロより1オクターブ上である事に加え、C線が無いからである。

このような場合、この変ホの音を無理してヴァイオリンに弾かせるのではなく、ピアノが代わりに弾いて和音を厚くしたほうが良いのではないか。一方ヴァイオリンは変ホ音ではなく開放弦で最低音のト音を弾けば多少は厚みを感じさせることができるのではないかと思う。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の第1楽章では、第2主題で独奏ヴァイオリンがG線の解放弦でオルゲルプンクトを奏する。上記のト音はこの響きを想起させる。もっと高い変ホ音を弾くよりずっと厚みのある響きになることだろう。

この二人の息の合ったデュオは今後もまた聴いてみたい。

2013年2月12日 (火)

半券の復権12:東京海上フィル定期演奏会

「東京海上フィルハーモニックオーケストラ<TEMPO>第20回定期演奏会」(Bunkamura オーチャードホール)に行った。画廊主に誘われるという珍しいケースだった。

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演奏も上手だったのだが、プログラムも素晴らしかった。何よりも良かったのは演奏メンバの舞台配置を紹介したことだ。しかも楽器のイラスト付きなので理解しやすく、楽しい。さらにこの図は今回演奏したすべての曲ごとに別々に作られていたのだ。こんなプログラムは初めて見た。

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またメンバー紹介のページでは、今回ステージに乗る機会の無かったメンバーも含め、所属も記述することによって充実度を高めている。さらにスタッフ陣の紹介にも手厚い。裏方でがんばった人達を称える意味でも、このようにきちんとした記述は歓迎されると思う。

プログラムと同時に感心したのはチケットである。私はひところ「チラシらしさ」と「半券の復権」というシリーズで記事をよく書いていた。「半券の復権」とは、大きなチラシに対し、ただそのデザインを踏襲するのではなく、小さいスペースなりに独自のデザインを主張するような半券を紹介するシリーズだ。

ところが最近これらのシリーズはご無沙汰気味で、前回「半券の復権」を書いたのは2009年の9月に遡る。おおよそ3年半もの間、遠ざかっていたわけだ。今回東京海上フィルの半券を見て、これは「半券の復権」の記事を書かねば、と思った。その理由は・・・まずは半券そのものを見て戴きたい:

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上に紹介したプログラム表紙(モスクワの赤の広場のイラスト)と全く異なるデザインが施されている。まず第一に色調が赤と緑という補色関係だ。そしてプログラムは3番目に演奏したチャイコフスキーの祖国をイメージしている。それに対して半券はシューベルトで対抗している。

なぜシューベルトかと言うと、半券に印刷された譜面は「未完成」の第3楽章のスケッチの一部だからだ。シューベルトは総譜とピアノ用スケッチで第3楽章の楽譜の冒頭部分を遺している。この半券に印刷された譜面は、ピアノ用スケッチの途中の部分だが、デザイン的にも半券によく調和している。

プログラムが良くて、チケットが良くて、演奏も良かったから三拍子揃っている。そういえば「未完成」は第1楽章、第2楽章、途中まで書かれた第3楽章のすべてが3拍子だったなあ。

2013年1月20日 (日)

行きたかったけど行けなかったコンサート

今日は「原 善伸 ギターリサイタル」(ヤマハホール)の日だった。デビュー40周年を迎え、「ラルゴ」というCDの発売記念でも重要なコンサートだ。画家・古澤 潤の個展を通じて知り合い、親しくなった演奏家なのでぜひ行きたかった。しかし風邪をこじらせ、とうとう行けずじまいだった。

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チラシで紹介されたプログラムにA.タンスマンの名前があったので、どんな曲か聴いてみたかった。この作曲家は松平頼則の「近代和声学」で譜例が採り上げられている。また弦楽四重奏曲の小型スコアも購入していた。しかし一般にコンサートであまり取り上げられる作曲家ではなく、これまで上記以外の接点が無かった。そのために興味を抱いていたのだ。

友人が何人か聴きに行ったので、後日感想を聞くのが楽しみだ。

ともよあずさ

「New Year Concert 2013 ともよあずさ」(横浜みなとみらいホール 小ホール)に行った。

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ほとんど毎回足を運んでいるお気に入りのコンサートシリーズだ。演奏技術は申し分ないのだが、若い2人なので、これまでは演奏以外の要因について辛口の感想を抱いていた。例えば観客に向ける笑顔が少ない、というような事である。

ところが今回の演奏に接し、そのような評価を改めなければならなくなった。体全体を使った表現を含め、舞台の雰囲気を作っていたからだ。

「音が鳴る前から音楽になっている」という表現が使われることがある。私はこれまで、そのような考え方は疎んじていたのだが、今回の演奏では本当にそのような瞬間があり、驚いた。

例えば弱奏で始まる箇所があったとする。二人の演奏者は「これから小さな音で始めますよ」というように構える。するとその暗黙のメッセージが観客にも伝わる。そのような緊張感の中で演奏が始まり、徐々にクレッッシェンドしていって盛り上がる。そのような曲の作り方だ。

2人のうち片方がメロディーでもう一人が伴奏に回る場合、伴奏においても、メロディーを口ずさみながら一緒に曲を組み立てているという感じも伝わってきた。実際には声に出して歌うことはないのだが、そういう雰囲気を醸し出していたのだ。

演奏技術についてはよくわからないが、今回マリンバは技術的に高度な曲に果敢に挑戦したという感じだった。ピアノは「水の戯れ」で響いた音の美しさが素晴らしかった。

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