アンコールその9:クバール・スピアン
バンテアイ・スレイを後に、ポル・ポト派居住地区に近づき標識も何もない交差点を左折。駐車場にバンが停まると後ほど立ち寄る休憩所があった。草ぶきで建物というよりバス停留所の待合所というたたずまいで、なるほど思いっきり田舎だ。土産物を手に子供たちが押し寄せてくる。目的地の「クバール・スピアン」まではここからは山道を歩くのだ。今は買い物ができないというと、後で買ってと大合唱。
子供達の声に送られて細い道を行くと、両側に並ぶ木々には所々にペンキで赤い印が付けられていた。これは地雷が未撤去だから注意せよという意味らしい。現地人ガイドによると、道から外れなければ安全だとか。それにしても気味が悪い。しかし段々と慣れてくるから不思議だ。
上り坂に差し掛かるあたりに渓流があり、小さな木製の橋がかかっている。するとその下に蝶の群れを見た。アゲハ蝶のようにみえたが濃い茶色をしている。日本の黒揚羽とは種類がだいぶ異なるらしい。残念ながらあまり詩情は感じられなかった。数が多いせいだろうか。たぶん一羽か二羽の蝶であれば、俳句でもひねりたくなったかもしれない。そう言えば詩歌は両極端だ。例えば、蕪村の「五月雨や大河の前に家二軒」なら感応できるが、これが「大きな川の前のタウンハウス100世帯」ではいただけない。なぜだろう?自然の猛威を前に寄りそうように建っている二軒は、小さく、弱いものを愛でる日本人の心に響くからだろう。
ところが、逆に多数の詩情も存在する。山村暮鳥の「風景」が好例だ。9×3=27行のうち、なんと3行を除く24行が「いちめんのなのはな」の繰り返しなのだから。音楽だと特殊な繰り返し記号を考案しないといけないな。これは何と説明すればよいのか。「圧倒する美」とでも呼ぼうか。しまった激しく脱線してしまった。これが山道だったら地雷とお友達になってしまう。元に戻ろう。
途中、あちこちに巨石が転がっており、そのうちの一つが蛙に似ていた。現地人ガイドはその岩を蛙と呼んでいた。中腹に木を組合わせた台のようなものが見えた。何だろうと思ったら、観光客を像に乗せるための台座だという。しかしここしばらくそのサービスは途絶えているとのこと。こんな山の中まで像が人を乗せて登っていたのかと驚いた。像も難儀だったことだろう。坂もあまり緩やかではなかったし。でもなぜ中止されてしまったのだろうか。たぶん地雷だろう。像も犠牲になったのかもしれない。悲しくなった。
気を取り直してさらに登ると、やがて清流が近寄ってきて爽やかに感じてきた。思い出して戴きたいのは、ここは暑いということだ。ペットボトルを大事に抱えながら汗だくで坂道を登ってきたので疲れた。でもこの渓流を見たら元気が戻ってきた。やがて水が枯れた滝の前に出た。乾季なので水量が少ないのだ。雨季には立派な水しぶきが観賞できるらしい。この辺りから岩にシヴァ神など様々な彫刻が施された一画に入る。こんな山奥にまで彫刻を残すエネルギーはすさまじいと思った。よほど宗教心が強いか、王侯貴族の権力が強かったか、あるいはその両方であろう。少し広い池があり、そこで山道は行き止まりとなっている。切り株の椅子やハンモックなど、観光客のためのグッズが作られている。そこから折り返し、少し違ったコースを通って帰途についた。
駐車場の脇の休憩所に戻ると日本式の「弁当」が私たちを待っていた。土産売りの子たちはじっと待っているが、小さい子供は時々ちょっかいをかけに来る。そのうち私の次男が先に弁当を食べ終え、子供たちの群れに入ってゆく。息子は多少英語ができるが、果たして通じているのだろうか。10分ぐらいして戻ってきた息子に聞いてみると、言語というより身振り手振りでどうにか通じたらしい。結果的には息子は何も買わなかった。それでもまとまった時間を土産売りの子供達と共有するというコミュニケーション能力は、子供のほうが高いのだろう。私だったら、もし何も買う意思がないと悟られたら離れていってしまうだろうか。
ここはまた来てみたい。そう簡単には開発が進まないだろうから、いつまでも田舎の良さを残し、渓流の美しさも楽しめる。そういう場所だ。治安面で危険だから現地人ガイドについてもらうことは必要だろうけど、できれば独力で切り開いてゆきたいところだ。(と意気込んでも、命が惜しいから実際はやらないけど。)
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