2006年4月19日 (水)

アンコールその9:クバール・スピアン

バンテアイ・スレイを後に、ポル・ポト派居住地区に近づき標識も何もない交差点を左折。駐車場にバンが停まると後ほど立ち寄る休憩所があった。草ぶきで建物というよりバス停留所の待合所というたたずまいで、なるほど思いっきり田舎だ。土産物を手に子供たちが押し寄せてくる。目的地の「クバール・スピアン」まではここからは山道を歩くのだ。今は買い物ができないというと、後で買ってと大合唱。

子供達の声に送られて細い道を行くと、両側に並ぶ木々には所々にペンキで赤い印が付けられていた。これは地雷が未撤去だから注意せよという意味らしい。現地人ガイドによると、道から外れなければ安全だとか。それにしても気味が悪い。しかし段々と慣れてくるから不思議だ。

上り坂に差し掛かるあたりに渓流があり、小さな木製の橋がかかっている。するとその下に蝶の群れを見た。アゲハ蝶のようにみえたが濃い茶色をしている。日本の黒揚羽とは種類がだいぶ異なるらしい。残念ながらあまり詩情は感じられなかった。数が多いせいだろうか。たぶん一羽か二羽の蝶であれば、俳句でもひねりたくなったかもしれない。そう言えば詩歌は両極端だ。例えば、蕪村の「五月雨や大河の前に家二軒」なら感応できるが、これが「大きな川の前のタウンハウス100世帯」ではいただけない。なぜだろう?自然の猛威を前に寄りそうように建っている二軒は、小さく、弱いものを愛でる日本人の心に響くからだろう。

ところが、逆に多数の詩情も存在する。山村暮鳥の「風景」が好例だ。9×3=27行のうち、なんと3行を除く24行が「いちめんのなのはな」の繰り返しなのだから。音楽だと特殊な繰り返し記号を考案しないといけないな。これは何と説明すればよいのか。「圧倒する美」とでも呼ぼうか。しまった激しく脱線してしまった。これが山道だったら地雷とお友達になってしまう。元に戻ろう。

途中、あちこちに巨石が転がっており、そのうちの一つが蛙に似ていた。現地人ガイドはその岩を蛙と呼んでいた。中腹に木を組合わせた台のようなものが見えた。何だろうと思ったら、観光客を像に乗せるための台座だという。しかしここしばらくそのサービスは途絶えているとのこと。こんな山の中まで像が人を乗せて登っていたのかと驚いた。像も難儀だったことだろう。坂もあまり緩やかではなかったし。でもなぜ中止されてしまったのだろうか。たぶん地雷だろう。像も犠牲になったのかもしれない。悲しくなった。

気を取り直してさらに登ると、やがて清流が近寄ってきて爽やかに感じてきた。思い出して戴きたいのは、ここは暑いということだ。ペットボトルを大事に抱えながら汗だくで坂道を登ってきたので疲れた。でもこの渓流を見たら元気が戻ってきた。やがて水が枯れた滝の前に出た。乾季なので水量が少ないのだ。雨季には立派な水しぶきが観賞できるらしい。この辺りから岩にシヴァ神など様々な彫刻が施された一画に入る。こんな山奥にまで彫刻を残すエネルギーはすさまじいと思った。よほど宗教心が強いか、王侯貴族の権力が強かったか、あるいはその両方であろう。少し広い池があり、そこで山道は行き止まりとなっている。切り株の椅子やハンモックなど、観光客のためのグッズが作られている。そこから折り返し、少し違ったコースを通って帰途についた。

駐車場の脇の休憩所に戻ると日本式の「弁当」が私たちを待っていた。土産売りの子たちはじっと待っているが、小さい子供は時々ちょっかいをかけに来る。そのうち私の次男が先に弁当を食べ終え、子供たちの群れに入ってゆく。息子は多少英語ができるが、果たして通じているのだろうか。10分ぐらいして戻ってきた息子に聞いてみると、言語というより身振り手振りでどうにか通じたらしい。結果的には息子は何も買わなかった。それでもまとまった時間を土産売りの子供達と共有するというコミュニケーション能力は、子供のほうが高いのだろう。私だったら、もし何も買う意思がないと悟られたら離れていってしまうだろうか。

ここはまた来てみたい。そう簡単には開発が進まないだろうから、いつまでも田舎の良さを残し、渓流の美しさも楽しめる。そういう場所だ。治安面で危険だから現地人ガイドについてもらうことは必要だろうけど、できれば独力で切り開いてゆきたいところだ。(と意気込んでも、命が惜しいから実際はやらないけど。)

2006年4月 6日 (木)

アンコールその8:バンテアイ・スレイ

アンコールその6「村の生活」で山の中の「クバール・スピヤン」に足を延ばしたことを書いた。その途中で立ち寄ったのが「バンテアイ・スレイ」だ。別名「女の砦」と呼ばれ「東洋のモナリザ」と称される「デバター」像が見られる美しい遺跡だ。アンドレ・マルローが盗掘を企てたというほど人を引き付ける姿だそうだ。この辺はガイドブックに情報が満載だから、あえここで書かなくてもいいかな。

_005 私はむしろ塔の造りが気に行ったのでスケッチを残した。うっ、何だこれは。上部と下部を描いた視点がずれている。さすがキュービズム信者のジョヴァンニだな。わざとずらしたんだな、というのは嘘で、描いているうちにずれちゃったんだよ。

しかしこの塔は複雑な形をしているなあ。大小様々な石と赤煉瓦が積みあげられているのだが、手前へ出っ張ったり奥へ引っ込んだりして精密な形態を構成している。それでいて全体像をぼうっと眺めると、それなりに美しい形を保っている。見事な建築だ。あいにく雨に合ってしまったんだが、赤煉瓦が水に洗われて美しく光ったのでむしろ幸運だった。乾季でも降る時は降るんだな。この遺跡は比較的小規模なので全体をくまなく見て回ることができた。最後に水をたたえた堀を巡って仕上げとしたが、なかなか魅力的なスポットだった。

2006年3月29日 (水)

アンコール番外編:クアラルンプール

今回のカンボジア旅行はクアラルンプール経由だった。夕方ホテルへ着き一泊しただけで翌朝カンボジアへ向ったので短い滞在だったが、いろいろ興味深い観察ができた。

♪原生林? 植林

?

クアラルンプールの空港を出るとすぐ高速道路に入り街の中心へと向かう。料金所を抜けたらしばらくの間は棕櫚(しゅろ)のような樹木の森の中を抜けて行った。この森が原生林なのか、それとも植樹したのかを息子と議論した。息子は木々が直線上にほぼ等間隔に並んでいるので植林だと言う。そう言えばそう見える。しかし行けども行けども深い森で、こんなに多くの樹を植えることができたのだろうかと疑問に思った。不精で調査をしていないため、この疑問は未解決のままである。

♪鳥がいない

!

不思議に思ったのは、こんなに木が多いのに鳥が一羽も姿を見せなかったことだ。鳥だけでなく、栗鼠のような小動物も見かけなかった。いったいこの棕櫚の森はどうなっているんだろう? 翌朝、再び同じコースで空港に向かった際、空港まであと5分ぐらいの所でやっと鳥が飛んでいるのを発見。4,5羽が追いかけっこをしているかのように戯れていた。それにしても、これも大きな謎を残した。

♪不動産ラッシュ

 

空港から街中までは車で1時間。時速100kmぐらい出ていたから距離は約100kmだ。これを便宜上3等分する。空港から最初の3分の1、つまり約33kmの間は棕櫚の森だ。次の3分の1の区間ではマンションの新築ラッシュだった。中心街から車で2040分の距離だから通勤にも便利だ。マレーシアの建築工法はどの建物も似ており、まず柱と床だけで上層階まで建て、その後で外壁と窓を付けてゆく。

沿道のあちらこちらで、この裸の建造物が見られた。そしてそのすぐ近くには走る車からでも良く見えるほど大きい不動産の広告板が乱立している。そしてこの地域は近くベッドタウンとして発展することだろう。同時に棕櫚の森も切り開かれ、自然破壊も進むことだろう。これが東京のような一極集中で人口増加が著しいクアラルンプールの宿命なのだろうか。

というわけで、アンコール遺跡への前哨戦のような形でクアラルンプールの空港と市街地の間の旅を楽しんだ。

2006年3月26日 (日)

アンコールその7:バイヨン寺院のレリーフ

アンコール・トムの中央にある「バイヨン寺院」はレリーフの宝庫だ。ここでは下手だけどスケッチに挑戦した。ガイド付きツアーなのでどんどん先に進むから気に入ったレリーフがあっても、そこに長時間張り付くことができない。これが下手な言い訳なんだけど・・・。ちゃんとした図像を見たい人はガイドブックか何かを見てください。たぶんここに書いたものは載っていると思います。

Hapusura まずは蓮の花の上で体をくねらせて踊る「アプサラ」。スケッチには「ハプスラ」と書いてあるけど、これはガイドさんの説明を聞き間違えたのだ。面白いからそのまま残しておいた。でもこの女性の素性はどうも曖昧で困る。ガイドはアプサラ(天女)だと言ったが、別の情報では「デバータ」とか「デヴァタ」とかいう女神だとしている。この天女(女神)は地上と神々の住む天上とを行き来することができ、天上では神々を喜ばせるために踊るとか。しかしこのスケッチは我ながら下手だな。顔なんかちょっと凄みをきかせた男に見える。美人の天女なのにね。髪の毛なんか爆発して当世風だ。

Ikenie_no_ushi 次は「生贄にされる牛」。水牛の血を飲むと戦争に勝つという迷信のため犠牲になる水牛だ。殺される運命にある牛の悲しそうな顔を描いたつもりだが、娘から「カーワイイ!」と言われてしまった。このレリーフの特徴的なことは、正面を向いていることだ。他の人物・動物像はみな横向きである。エジプトの壁画のようだ。なぜこの牛だけ正面を向いているんだろう?生贄の犠牲という点を強調し、インパクトを与えるためだろうか?確かに壁面全体を眼で追ってみると、この像だけが際立って見える。

Senshi_no_yokogao では人物像は?ということで「戦士の横顔」。なるほど横向きだ。「ヘルメット」と書いてあるが、これはガイドさんからヘルメットをかぶっていると説明を受けたからだ。うーん顔がちょっと太めになったかな。人物像は眼、耳、口に特徴がある。この下手なスケッチではとうていその差異がわからないから、興味ある人はガイドブックを見てください。なお戦士は必ず群像だ。日本の一騎打ちみたいなことは無かったらしい。集団戦ということだ。

Hospital 戦争があると負傷兵が帰還し「病院」に収容される。これも悲しくなるほど下手なスケッチだが、一応屋根と負傷者と介抱する看護師らしきものが見えると思う。看護師の頭の形は戦士にそっくりだ。もっとも戦士はヘルメットをかぶっているので、その点だけが異なるが。レリーフに現れる人物像は一般的に頭は四角ばって大きめだ。興味深いのは、レリーフが神々、大王、戦士など威信を表すものだけでなく、この病院のように風俗習慣を垣間見せる社会生活も活写していることだ。このあたりは、アンコール遺跡を建てた代々の王が人々の生活面までを含めた全体的な思想を持ち、それをレリーフに表明したと考えられる。

Kaibutsu シュールやマニエリスム好きの人寄っといで!「怪物」だよ。右に「おさえられている」と書いたけど、これは下にうずくまった人間の上に怪物が覆いかぶさっている怖い場面なんだ。怪物が蛙みたいに見えるので、この下手スケッチではそんなに怖くないと思うけど・・・。いずれにしても、こういう「きわもの」もレリーフになっているんだ。でもこの怪物はトラだという解説もあった。実物を見た限りではトラには見えなかったけどなあ。こんど行く人はじっくり見て結論を出してください。(無責任な!)

他にも「虱を取ってあげているところ」など「名場面」がレリーフに表現されている。今回は崩れたスケッチのためちゃんと観たいという欲求が残ったと思う。まずは想像をたくましくして、実物がどうなのか頭で描いてみてください。そしてガイドブックを見て正確な図像を楽しんでください。これは単なる「引き金」と考えていますので。

2006年3月23日 (木)

アンコールその6:村の生活

アンコール観光の拠点シェムリアップの街から北東に50km程度のところにクーレン山がある。この山中の渓流沿いにひっそりとたたずんでいるのが「クバール・スピヤン」遺跡だ。この地域はポル・ポト派の居住地区に隣接しており、かつ地雷撤去が完了していないので大変危険だ。この遺跡を見学するために、ドライバーと現地人ガイド付きで10人乗りのバンに乗り込み、砂利道を時速4050km程度で走行した。約1時間の行程だ。時おり乾いた赤土の砂埃を舞い上がらせながら車は進んだ。遺跡についてはいずれ報告したいが、今回はその道中に観察した民家の様子をレポートしたい。

<家屋>

郊外の村は地区により住居と生活環境が微妙に違っているのが興味深かった。殆どの家屋が草ぶきの屋根で高床式だ。湿気や虫などを防ぐためだろう。時折この地域にしては立派な住居が見られた。土地の富豪であろうか。そのような富裕階層の家屋は同じ木材を建材として使っていても、日本などで一般に見られるような建物のつくりだった。さらに先に行くと、ある地域では焼き煉瓦(れんが)を量産している関係で少し豊かそうな家庭は煉瓦積みの家を建てていた。

<広告板>

面白かったのは、壁面にコーラやたばこの広告板が打ちつけられていたことだ。そのような家庭は業者から広告料をせしめているのだろうか。またこのあたりは貧しいので、清涼飲料水などはあまり買えないだろうから、これらの広告は誰を対象にしたのだろう?我々のような観光客だろうか?その辺の疑問を残し、車は進んだ。

<電気なし>

あたりには電柱がない。従って、当然電線もない。つまり電化されてないのだ。最近テレビのコマーシャルで「オール電化の家」などと言っているが、その逆である。煮炊きには薪を燃やしている。ある民家の庭先で婦人が大きな鉄鍋で料理していた。その下では沢山の薪が燃えていた。そういえば庭先に薪の束を積んでいた地域があった。なおごく一部の家には庭に発電機らしき大きな機械が置かれていた。自家発電するのだろうか?しかし家屋を見ると、さほど金持ちそうには見えなかった。不思議だ。

<家畜>

殆どの家で家畜を飼っていた。繋がれている動物はまず見られず、放し飼いである。ある広い草原には牛が数頭のんびりと座って日光を浴び、ゆうゆうと草をはんでいた。その先の村では女の子が牛の手綱を持って引いていた。どこかへ売るのだろうか。牛の他には番犬として犬がよく飼われているようだ。そういえばカンボジアの犬は痩せている。特に顔が細い。あまり栄養状態が良いとは言えないが、まあ元気そうに活動しているから安心した。なお猫はほとんど見られない。道中一度だけツアー仲間が猫を見つけて歓声をあげていたっけ。猫は本当に少ないのか、それとも牛や犬と違って物陰に隠れているので見えないのか、そのあたりは謎である。

<道路>

我々のバンが通った道が道路のすべてである。畑に行くのも、子供が学校に行くのも、隣村へ行くのも、みなこの一本道を通る。そのためバンを飛ばしていると時々危険を感じることがある。家畜が単独で道路を歩いていることがあるのだ。どこへ遊びに行くんだろう。一応、道の端を歩いているのだが、なにせ体が大きいからぶつかるような感じがするんだ。ドライバーは慣れているらしく平気で飛ばしていたが、私はかなり冷や汗をかいた。なおカンボジアの運転手はよくクラクションを鳴らすのでうるさい。まあ危険防止を心がけていると前向きに解釈しよう。

<生活の糧>

どうも不思議に思ったのは、田畑が多くあっても大規模な集荷場所が見られず、また作物を積んだトラックも殆ど見られなかったことだ。これだけのことから推測するのは乱暴だが、どうもこの辺の農家は自給自足の部分が大きいようだ。そして通貨はどうやって得ているかと言うと、観光客への土産物販売だと思うのだ。それには子供たちが大きな役割を演じている。

以上の観察から村の農家の生活パターンを想定してみると、父親は田畑に行って自分達の食材を得るとともに、作物の一部を市場に出して若干の収入を得る。母親は田畑を手伝ったり家事をしたりする。子供たちは少し経済的に余裕があれば半日学校に行き、下校したら土産物を売り家計のたしにする。そして、書きにくいことだが、貧しいと子供たちは学校へ行けず土産物を売るのである。ちょっと悲しくなってきた。以上は私の推測で描写してみただけなので、実態とは異なる部分があると思う。だけど実際に目で見た限りでは、以上のように見えてしまうのだ。

というわけで独断と偏見に満ちたレポートは終わるけど、このままで終わらせたくない。他の人から情報を得て、私が誤った内容があれば訂正してゆきたい。それを続ければ、かなり真実に近い姿を得ることができるだろう。

2006年3月20日 (月)

アンコールその5:タ・プローム

Taprohm 今回は映画「トゥームレイダー」のロケ地「タ・プローム」だ。写真の通り巨大なスポアン(榕樹)が怪物のように建造物に覆いかぶさり威圧している。ここは日本人観光客に人気があると言う。そりゃあそうだろう。この迫力には負ける。

ところが、あまり調子に乗ってばかりはいられないんだ。「トゥームレイダー」は遺跡を容赦なく破壊する場面があり、史跡保全の立場からするとあまり良い評価は得ていないそうだ。そして日本人観光客としての自分自身を振り返ってみると、この遺跡を破壊する巨木に感動し喜んで見物するというのは、地元の人からは「トゥームレイダー」の破壊者と同類と見られているかもしれないんだ。もしそう思われていたとしたら、反論できない。しかしこの奇観の魅力にはどうしても負けてしまう。そんな自分が悔しいが、仕方がないじゃないか。開き直って、もっと素直に自分の気持を出そうかな。よし、そうしよう。「タ・プローム、すごーい!」ああすっきりした。

あまり屈折するのは健康に良くないよね。でもこういう「両面を見る」という考え方が多少なりともできるようになったのは、今回の旅行の大きな成果でもあるんだ。だから大事にしたい。その上でバランスを取って素直な感動は、またそれで大切にしたいんだ。

アンコール建造物を建てた昔のカンボジア人は、まさかこのように樹木が遺跡を侵食するという事態を想定していなかっただろう。だから創作者の立場からすると、自分たちの作品が自然の猛威によって損なわれるということになる。しかし、この植物と建築物の格闘場面を一種のオブジェとして観た場合、これはまた芸術的価値が高いと思う。

創作者の意図にないところで、別種の魅力付けがなされてしまったわけだ。すると、次に考えなければならないのは、この状態を善とするか悪とするかだ。遺跡保全の立場からすると「悪」だろうから、補修グループがスポアン(榕樹)を切り倒し遺跡の修復に努めている。しかしこれを「善」と解釈したなら、この景観はそのまま残し、これ以上侵食が進まないような方策を採るだろう。これは難しい問題だ。赤瀬川大先生はどう思われますか???

2006年3月19日 (日)

アンコールその4:子供たち

アンコール遺跡の周辺には多くの子供たちが熱心に土産物を売っていた。日本人と見るや、片言の日本語で「安いよ安いよ」、「たった1ドル」などと言いながらまとわりついてくる。1つでも買おうものなら周囲から子供たちがワァーっと押し寄せて来て、取り囲まれてしまう。小学校の高学年から中学生あたりの子が中心のようだったが、下の兄弟姉妹も一緒に行動し、一部の子供たちは見よう見まねで売り込みの真似事をしていた。ああやってノウハウが伝授されていくのかと思った。

一方、今回のツアーでは小学校を見学する機会があった。男の子も女の子も制服で、赤土の泥が付着しても気にせず校庭をころげ回って遊んでいる。子供たちの目は幸せそうに輝いている。一緒に旅行に行った娘は「カーワイー!」と叫んでいた。カンボジアは旧フランス領だが、学校では英語と日本語が主流のようであった。ちゃんと「英語クラス」、「日本語クラス」があり、専用の教室まであるのには驚いた。観光客相手のビジネスでは英語と日本語が重宝がられるのだろう。

ここで疑問が沸いてきた。土産物を売っている子供たちを見たのは平日の昼間だ。学校が開校している時間だから、あの子たちは学校に行っていないのだろうか、と。ツアーガイド(日本語が達者なカンボジア人)に聞いたら、午前だけの学校と午後だけの学校があるとのこと。なるほど、それで疑問が氷解した。小さな子供たちは学校以外の時間では必死に土産物を売り家計を助けているのだろう。

こんどは別の疑問だ。学校で英語や日本語を学んだ子供たちは、実家の農業を手伝いことを除けば、観光客相手のビジネスに従事する割合が多いのか?ある情報筋から聞いたのだが、カンボジアではツアーガイドの年収は医者を上回るとか。職業に貴賎はないのであくまで一般論だが、日本などでは、医者のほうが観光ビジネス従事者より社会的地位が高いし収入もずっと上だと思われている。カンボジアではこの「日本の」常識がくつがえされているわけだ。すると子供たちは、ツアーガイドになれば金持になり国民みんなから尊敬されるから、一生懸命日本語を勉強しよう・・・という意識を持って学校に来ているのだろうか。

この国はこれでいいんだろうか。日本のカンボジアに対するODA10年前は15千万ドルに達していた。150億円以上だ。5年前はだいぶ減ったが、それでも5千万ドル(50億円以上)に達していた。今回のツアーで見学した学校も日本のODAで建てたそうだ。でもこのODA投資で建てられた学校で日本語を学んだ子供たちが、放課後には日本人観光客に土産を売り、成長したら旅行会社に勤め、また日本人観光客からせっせとドルを稼ぐという循環は、どこかおかしいと思う

これに対して草の根的に進められた井戸堀りのプロジェクトは有益だと思った。実は見学したその学校にも1つ日本人の指導により掘られた井戸があったのだ。井戸の採掘技術を教え、生活に必要な水を得て、コミュニケーションの場としても活用でき、その後自分たちで別の井戸を掘ることができる・・・という「良」循環が形成される。こういう形の支援のほうがいいと思うんだがなあ。ただ学校も読み書きを学ばせるうえで重要だから、短絡的に批判するのは良くないとは思う。

ここで話を強引にアートに転じるけど、アンコール遺跡などを見ていると、中世カンボジアは「アート先進国」だったとつくづく感じる。タイなどとの戦争のため止む無く放棄した遺跡群は崩壊寸前だったが、当時のカンボジア人の優れたアート感覚を残してくれている。子供たちがそのことを誇りに思い、単に土産物を売るんじゃなく、その「能力」を外の世界に売り込むようにならないかと願う。旧フランス領のためフランス絵画などの影響があってもいいじゃないか。

自分たちが本当に美しいと感じたものを生み出してゆけば、それは自然と先祖のアート感覚と外来のアートの良いところを融合したものになる。純粋なカンボジア産アートでないからと疎んじる必要はないと思う。日本だって西洋絵画の影響を色濃く受けながらも模索を続けて駒井哲郎など独自の感覚が生まれたじゃないか。カンボジアの子供たちの中から優れたアーティストが育つための環境づくりを日本は支援できないか、と思った。今回はちょっとシリアスになっちゃったな。

2006年3月16日 (木)

アンコールその3:アンコールワット

Angkorwat旅行写真の取り込みの練習を続けている。こんどはアンコール・ワットの寺院だ。下に見える人物と比較すると、いかに巨大かわかるでしょ?この紙を幾重にも折りたたんだような形態が複雑で面白い。設計者は非常に優秀だったのではないか。崩落している部分が多いとはいえ、優美さを保ちつつ立派にそびえ立っている。当時の栄華をしのばせる建造物だ。

2006年3月15日 (水)

アンコールその2:四面仏

Shimenbutsuアンコール・トムの四面仏の写真を練習のためアップしてみた。画像があまり鮮明ではないのはデジカメではなく○○チョン(放送禁止用語)で撮ったプリントをスキャナで取り込むという、前近代的なことをやっているからだよ。

でも人間と比べていかに巨大かわかるよね。一生に一度見ておきたかった四面仏を間近に見ることができて本当に良かった。アルカイック・スマイルと呼んでいいかどうかわからないけど、不思議な微笑をたたえている。巨大だけど威圧感が無い。優しくて頼れる仏様だ。

2006年3月13日 (月)

アンコールその1:プリア・カン

さあカンボジア旅行の報告だ。帰国してから筆が進まなかったが、今日Yannさんから励ましの言葉をもらって急に考えが収束に向かったんだ。ようしジョヴァンニ式報告レポートを書くぞー!

というわけでその1を始めるが、最も印象に残ったのはアンコール・トムの北側にある「プリア・カン」だ。少々天邪鬼な趣味と言われそうだが、私はその塀(へい)を内側から見て感激した。長方形を少しいびつにした台形のような石が上下左右に整然と積まれて塀ができているが、それが抽象絵画のように美しく目に映えたのだ。一つ一つの石は大きさ、形、色彩、質感が微妙に異なり強い個性を持っている。その石が多数並べられると、個性の集合体としての塀全体が調和を保ち、なおかつ心地よいリズムを内包している。

だいぶ前にこれと似たものを見たことがある。ハリウッドの中心で、有名人の足型を付けたタイルがはめ込まれた舗道だ。この舗道を上から見ると、似た感じになる。もっともプリア・カンの塀の石には足型がないが。そして極めつけはその塀を建造物の通路を通して見ると、建造物が額縁の役割を果たしてあたかも美術館で抽象絵画を鑑賞しているかのような錯覚にとらわれるのだ。プリア・カン最高!

そしてこの寺院はユニークだ。アンコール遺跡群のなかで唯一、二階建ての建物がある。しかし上へ上る階段が無い。え、なぜ? 古代人は翼を持っていたのか、というのは何かの読みすぎで、現地人ガイドによるとたぶん昔は木でできた階段があって風化したのだろうということだ。なあんだ、つまらないなあ。整然と並んだ円柱に支えられたこの建物は昔訪ねたギリシャのパルテノン神殿を想起させる。規模はパルテノン神殿の方がずっと大きいが、数学的・人工的すぎてどこかよそよそしい。

それに比べて、このプリア・カンの二階建て建造物は堅牢さと優美さを併せもっており、それがたまらない魅力となっている。幾何学模様と動植物を描いたレリーフの配分が適度で、プラトン的・ディオニソス的な性格がほどよく溶け合っているとでも言えようか。


溶け合うで思い出したが、もう一つの特色は異なる宗派の結合という側面だ。プリア・カンを建立したジャヤヴァルマン七世はヒンドゥー教の祭礼と仏教勤行との融和を図ったそうだ。ただでさえいがみ合っている宗派を強引に一緒にするのだから、ずいぶん勇気がいる執政だったろう。

これはレリーフに反映されている。上には仏教代表の仏陀、下にはヒンドゥー教代表の架空動物「ガルーダ」が縦に並べられているという具合だ。幻想芸術を愛する私としては、聖なる鳥「ガルーダ」が9つの頭部を有する毒蛇神「ナーガ」を踏みつけている彫り物を見ることができて嬉しかった。すごい迫力だよ。

というわけでレポート第一弾はこれで終わり。次は何を書こうかな。昨日テレビで「トゥームレイダー」を観たから、次回はそのロケ地「タ・プローム」にしようかな。

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