創作日記の範疇では、2月20日に「怒りの日-9」を書いたまま1ケ月半以上中断してしまった。一度中断すると頭の中の思考の糸が切れるので、再開するには一種のリハビリのようなものが必要となるので大変だ。
そんな中、ジョアンナ(妻:仮名)の知り合い筋の人から歌曲を作ってみないかという話を戴いた。何事もチャレンジなので有難く3編の詩を受け取ったまでは良かったが、いざ始めてみたらメロディも何も浮かばず、全く手つかずの状態が続いた。
私は希少動物なのかもしれないが、音楽の原点において歌という発想が無い。歌詞が無ければ自分の思うままにメロディと和声を想い浮かべ、構築してゆくことができる。しかし最初に歌詞を見せられても、そこからは言葉のアクセント・抑揚に沿って上下する平板なメロディしか出て来ない。
そうやって思いついたメロディは、どこかで聞いたような独創性に欠けたものとなり、創作意欲が萎えてしまう。要するに歌詞が邪魔して音楽芸術を作れないのだ。もちろん例外もある。それは歌詞が素晴らしいとか、依頼者の協力を得て一種の共同作業みたいな形で進める場合だ。
このような事情があるので私が過去に手掛けた声楽曲は数少ない。
♪混声合唱の為の「烏賊(いか)」(窪田般弥詩):詩を読んで感動したので、私としては珍しく作った声楽曲だ。しかし演奏の機会が無いまま今日に至る。
♪バリトンの為の歌曲「春の夜」(中原中也詩):これはバリトンの友人の為に作った。
「烏賊」同様、詩を読んで素晴らしいと思ったのがきっかけだ。その友人が初演してくれた(ピアノは下手だが私自身)。彼の奥様(作曲家)のレベルと比べると低かったが仕方ない。
♪バリトンとオーケストラの為の歌曲「ノオト」(室生犀星詩):これは作曲コンクール参加作品だ、と言うとカッコ良さそうだが、要するに落選した作品だ。各部分(楽章に相当)で異なる作曲技法を展開した。例えば、伝統的な機能和声、十二音技法もどき、メシアンの音列作法、教会旋法などだ。しかしそれらが空回りしたかもしれない。作曲技法に懲りすぎた為かもしれない。
♪「保土ヶ谷三部作」(伊藤八郎詩):「保土ヶ谷音頭」「HOT保土ヶ谷鴨次郎」「そこに松があるから」の3曲で、保土ヶ谷でのアルコール人脈から生まれた。保土ヶ谷のどこかで演奏してもらえたという話を聞いたが、あいにく居合わせなかったのでわからない。
♪ソプラノの為の歌曲「木樹の緑よ」(福岡美津代詩):いちおう「委嘱作品」だが、私が未熟なために手直しが多かった。そのため初演してくれた歌手とピアニストには迷惑をかけてしまった。
こうして列挙すると多そうに見えるが、私はこれまで約100曲の作品を作っているので、大半が器楽曲ということになる。今回の歌曲三部作が完成するのはいつの事だろうか。
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