2011年1月17日 (月)

新入社員に贈る一冊

2011年1月17日(月)
「新入社員に贈る一冊」(日本経団連出版編)を読んだ。私は新入社員ではないが、こういう本は誰が読んでもそれなりに得るところがあると思った。そして結果はその通りだった。

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購読の動機は、ひいきの科学ジャーナリスト・瀧澤美奈子が寄稿していると聞いたからだ。手に取って真っ先にそのページを開く。すると「どうすればいいリーダーになれるのか」という要約がなされている。なあんだ私には関係ないな(失礼!)と思ったのだが、念のために読み進んだら日常的コミュニケーションの改善という卑近な内容が含まれていた。なるほど、これなら組織の末端にいる私にも大いに参考になるな、と安心した。

目次に戻って、そもそもこの本で紹介されている書籍(50作品)中、読んだことがある本はいくつあるかと数えてみた。(1つの作品が分冊になっている場合があるので、冊数にすると50より多くなる。)すると、悲しいかなたったの2作品だった。それは柳瀬尚紀が紹介した河口俊彦著「一局の将棋一回の人生」と、外山滋比古が紹介した「寺田寅彦全集」だ。

私はジョヴァンニ・スキアリ(序盤に隙あり)なので将棋が好きだから河口俊彦の本を読んでいた。また大学は理科系で、寺田寅彦はずっと好みだった。

一方、部分的に読みかじった記憶がある本もある。本間千枝子が紹介した「ヘミングウェイ短編集」と、マーク・ピーターセンが紹介した谷崎潤一郎著「細雪」だ。この結果をみる限り、私は小説を最後まで読み通すことが出来ない性格らしい。どんなに面白い小説でも途中で飽きてしまうのだ。

話を戻すと、この本は寄稿者がそれぞれ1作品づつ書籍を紹介する形式なので、内容的には「間接的」である。つまり紹介された本を読まない限り、その構想は成就しないのだ。しかし、この本だけ読んでも充分得るところが多い。その内容については、実際にこの本を求めて読んで戴きたいので具体的には書かない。本の売れ行きを邪魔しては悪いし(笑)。

私のような「旧入社員」でも参考になるのだから、新入社員にとっては非常に価値の高い本だと思う。今回は本の宣伝をしてしまった。経団連から謝礼がこないかな?(笑)。

2008年7月16日 (水)

散歩もの

2008年7月16日(水)
久しぶりにF君と会った。酒が飲めないF君と会うという事はつまり食事をするという事でありそれはつまり私だけ酒を飲むという事でありそれはつまり最初は同等に議論しているがそのうち私だけロレツが回らなくなり思考回路が爆睡し何から何までF君の言いなりになるという事でありそれはつまりF君の講釈をそっくりそのまま小さい頭脳の隙間に流し込むという事である。ああ疲れた。

F君から「散歩もの」(久住昌之・谷口ジロー)という本をもらった。これは一見マンガでありいや劇画かもしれずいやその中間かもしれず何というかよくジャンルがわからない本なのである。

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読んでみると一見路上観察のDNAを継承しているようでありそれではハイ・レッド・センターの末裔かと思いきやそうとも言い切れない味わいがありでは建築探偵の方に近いかというといや逆に離れてしまったようでありでは藤子・A・不二雄の「笑うせぇるすまん」のように現実から突然異空間に放り出されるのかと思いきやそうではなく現実世界にとどまりつつもちょっと異質な体験をするようなものである。

私はこれまでマンガは手塚治虫と水木しげるしか読まないと公言してきたのであるがそれを知っているF君が今回このような本を私に差し出したのは私のかたくなな趣味に対する挑戦というかいや私の固い頭を柔らかくするための薬というかそのような目的であったのかと今になって思う。

この本は面白く味わいがあった。手塚治虫と水木しげる以外で面白いと思ったマンガはこれが初めてである。(というのは実はウソなのだが・・・)。

2008年5月 2日 (金)

國文学5月号

この絵をよーーーく見てください。

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そしてすぐ次の絵を見てください。

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あれ?どこか違和感がありますね。そうです。引き出しがいびつに見えるのです。

ついいつもの癖でくだらないイントロを書いてしまったが、「國文学」5月号(學燈社)<特集 翻訳を越えて>は面白い。

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いや表紙だけじゃないよ。中味もだよ。

特に「自動翻訳機はどこまで進むのか」(富士 秀)は執筆者の名前通り富士もびっくりの秀逸さだ。いま翻訳者が非常に気にしていること(自動翻訳が進むと自分たちの仕事が無くなるんじゃないか)に応え、易しく丁寧に解説している。

「翻訳という名のアート - 言葉の置き換えから創作へ」(江藤裕之)も読むと飛ぶぞう。カール・ブッセ原詩・上田敏訳「山のあなたの空遠く・・・」が、単なる翻訳ではなく事実上創作に値するということを力説している。

「カフカ以前とカフカ」(池内 紀)も、題名に魅力がある。もちろん中味もちゃんとしているが。

こういうマイナーな雑誌にも、ピカリと光る秀作が散りばめられていることを知った。編集者は大変な努力を強いられていることだろう。

2007年4月 6日 (金)

40年前の「美術手帖」

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このブログですっかりおなじみになった(?)F君から、またまた貴重な物をもらった。「美術手帖」だ。なあんだ、また雑誌か。ちょっと待って、これがただの雑誌じゃないんだよ。1966年10月版だ。ざっと40年前の刊行だ。

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そしてまたすごいのは、先日私が行けなかった「シュルレアリスム展」で一番人気だったという、ヴィクトル・ブローネルが特集で紹介されていたんだ。「誕生の球体」などが図版になっている。作品名は「卵の構成」と書かれているが、細かいところはこの際どうでもいいだろう。

執筆はあの坂崎乙郎。坂崎が幻想絵画について書くんだから、こりゃあ面白いや。期待通り味わい深い文章が書かれていた。きっとF君は私が「シュルレアリスム展」に行けなくて可愛そうだと思って一生懸命古い本を探してくれたんだろう。しかしこんな古い雑誌をよく持っていたな。感心してしまう。F君、たびたびありがとう。

2007年4月 3日 (火)

F君からもらった雑誌

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これは何でしょう?なんだ、ただの雑誌じゃないか。でも私にとってこれは「プレッシャーグッズ」なんだ。何それ?

最近よく登場してもらうF君がさりげなくくれたんだ。彼は展覧会に行くとチラシ、絵葉書の2点セットをくれることが多いし、機嫌がいい時(?)には図録まで買ってくれることもある。今回は雑誌だ。「へえ、気前がいい友達を持っていいね」と言われるが、同時にプレッシャーもあるんだよ。

タダでもらったからには、何かしなければならない。それも有意義な事をしないと彼の厚意に報いることにならない。これは結構大変だ。この雑誌には私が住む湘南地方のマイナーな美術館などが紹介されている。案の定、足を運んだことがない所ばっかりだ。これはいけない。まずはそのうちの1カ所でも訪ねてそのレポートをジョヴァンニッキに書かなきゃ。というわけで、ますます週末が忙しくなる。

2006年12月12日 (火)

漱石先生からの手紙

__58高校の恩師が本を書いた。「漱石先生からの手紙 寅彦・豊隆・三重吉」(岩波書店)だ。ほとんど発売と同時に購入し、読み始めた。全編、師匠と弟子たちの暖かい交流という通奏低音が流れ、漱石の人柄を偲ばせる。

内容を書くと艶消しになるので止めるが、一部だけ音楽に関係あるところを紹介しよう。弟子の寺田寅彦はヴァイオリンを弾き、クラシック音楽のファンだったそうだ。ある日寅彦は夏目漱石先生と上野にコンサートを聴きに行く。その最後の曲目がドヴォルジャークのピアノ五重奏曲だったというのだ。この曲は今でこそ有名だが、当時の日本では無名の作品だったのではないか。そういう曲を好んで聴いていたのは、今で言えばかなりのオタクに属するだろうと思った。

なお会場は上野の奏楽堂だと推測する。奏楽堂が落成したのは1890年だ。寅彦が熊本第五高等学校で漱石に出会ったのは1896年だから、既に奏楽堂は存在していた。また同書によると「この音楽学校の演奏会・・・」と書かれているから、東京音楽学校(今の芸大)の学生あるいは講師陣メンバーが奏楽堂で演奏したコンサートではないかと思う。演奏はどんな感じだったのだろう?現在の演奏家より技量は劣っていただろうが、寅彦が満足するだけの雰囲気のある演奏をしたのではないか。そのように考えるとイメージが広がって楽しくなる。

楽しい本ですよ。皆さんも読んでください。(先生、ちゃんと宣伝したから褒めてください!)

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