2012年8月29日 (水)

文学アーカイブ:大学~大学新聞への投稿

私は文章が下手だ。音楽仲間の一人J君(以前、私ではなく他のメンバーと同人雑誌を手掛けていた達人)からもっと本を読めとよく言われる。その私が書いたものを、他の(私が在籍した大学とは違う)大学の新聞クラブが拾ってくれたのだから驚きだ。

関係者に迷惑がかかるといけないので大学名は伏せるが、タイトルは「投稿:私とシュールレアリスム」であった。しかも一面に載せてくれたのだから有難い。

内容を読み返すと、興味深いことがわかってくる。文章表現は稚拙で、これはどうにも仕方がないが、一人の学生がどのようにしてシュールレアリスムの世界に入っていったかという過程がよくわかるのである。

その過程を時間軸に沿って並べてみると:
1.サルバドール・ダリ「オナシスの肖像」などの幻想絵画:シュールへ目が向いた。
2.アンドレ・ブルトン著「シュールレアリスム宣言集」:難解で挫折した。
3.ルネ・マグリット、マックス・エルンストなどの幻想絵画:しばらくの間漫然と鑑賞を続けた。
4.アンドレ・ブルトン著「ナジャ」:このお蔭でシュールというものが見えてきた。
5.マルセル・ブリヨン著「幻想芸術」やグスタフ・ルネ・ホッケ著「迷宮としての世界」などの啓蒙本:知識の幅が広がった。

上記の過程を思い返してみると、早い時期にブルトンの「宣言集」を読んでわけがわからなくなり、その状態を同じくブルトンの「ナジャ」に救済された、ということが暗示的である。シュールに関する著作に接していない人がいたら、この同じ人物が著した対極にある2つを読むことを勧めたい。少々強引だが、シュールに関する理論的バックボーンと実践面の両輪を示しているからだ。

その後自分が書いた文章が何かに掲載されるという事は非常に少ない。そうなるためにはJ君が言うように岩波文庫・新書の選ばれた100冊を熟読し、日頃から理路整然とした文章を書くように心がけることが必要であろう。これは難しい。そんな時間があったら展覧会に行ったり作曲をしたりしてしまうからだ。

2012年6月10日 (日)

ブラッドベリと「10月はたそがれの国」

少し日が経過したが、91歳の長寿を全うしたレイ・ブラッドベリについて触れておきたい。ブラッドベリを初めて知ったのは「10月はたそがれの国」(宇野利泰訳・創元推理文庫)だ。そしてこの作品は今日に至るまで、私にとってはブラッドベリの最高傑作である。

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当時この作品を愛する仲間がいた。ある日、大学の昼休みに友人に「奇想天外」という雑誌の新刊が出たと伝えた。するとその友人は「また下らないもの買いやがって」と蔑むような口調で言って返した。すぐさま私は「でもブラッドベリ特集なんだけど」と切り返した。すると友人は「買うっきゃないじゃん!」ときた。

ブラッドベリ愛好家とはそのようなものであった。邦訳は全て読んでいるのが当たり前。ちょっと英語ができるなら原書も読む勢いだった。私も「The October Country」(Ballantine Books Science Fiction)を買い求めて格闘した。しかし挫折した。凝った文体でやたらに難しい。翻訳の有難さを味わった。

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この短編集の中で「みずうみ」という衝撃的な作品がある。私はこの作品が大好きで、部分的にではあるが英語と宇野利泰の和訳を読み比べた。特にラストの一文は感動的である。

I walked back up the beach to where a strange woman named Margaret was waiting for me, smiling …

というのだが、宇野はこう訳している:

「ぼくがなぎさにもどると、そこに、見知らぬ女性が、微笑をふくんで、ぼくを待っていた。マーガレットという名ではあったが、見たこともない女性が・・・」

興ざめになるといけないので本文全体の内容は伏せるが、この衝撃的なラストの味わいを損なうことなく、しかしあくまで柔らかい文体にて、適格に訳した宇野の力量は素晴らしいと思った。

「10月はたそがれの国」には母体となった初期短編集があり、後日これも「黒いカーニバル」(伊藤典夫訳:ハヤカワ・SF・シリーズ)として邦訳された。

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この中に収められた「みずうみ」のラストはどう訳されていただろうか。伊藤の訳はこうである:

「私は浜辺にあがった。そこには、マーガレットという見知らぬ女が微笑をうかべて待っていた・・・」

宇野訳に比べ伊藤訳はより直訳に近くすっきりとしている。訳者によってこうも違うものかとあらためて感心した。

私は個人的には宇野訳のほうを好む。私は鈍感(察しが悪い)ので、伊藤訳のようにさらっと訳されると、肝心のところ(この場合は、衝撃的な転換)がわからずにボーっとしたまま読み終えてしまう可能性があるのだ(苦笑)。

しかし宇野訳なら、「何かありそうだな」という雰囲気を醸し出しているので、ブラッドベリの意図を汲んで読むことができると思ったのだ。

以上の翻訳者比較は個人的趣味に基づいたものである。宇野、伊藤という素晴らしい翻訳者の優劣を論じるものではないことをお断りしておく。

2011年6月14日 (火)

茂原淳 陶芸教室

茂原淳が講師を努める陶芸教室(アトリエ ラ・ヴィ:片瀬山)に行って皿の製作に取り組んだ。粘土との格闘の様子は以下の写真が雄弁に物語ってくれるだろう。

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作業が終わり、出来た粘土を乾かすために並べる。

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アトリエの壁面の飾りを観て心を鎮める。

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そしてアトリエのオーナーの手料理。これも以下の写真に語らせたい。

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これ以外には瓶に入った液体が多量にあったのだが、それは暗黙知だと思うので書かないし、写真もアップしない。

2011年5月11日 (水)

美術アーカイブ:小学6年生

小学6年生では絵の技術は横ばい気味である。修学旅行で日光に行った際に撮影した写真から描いた陽明門の絵は、5年生で描いた「101匹わんちゃん大行進」よりむしろ劣るかもしれない(苦笑)。

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いずれにせよ、6年生になっても様々なシーンで絵を描いた。例えば植物画だ。これらは鉛筆画をベースに軽く水彩を施したもので、父親から教わった方法だ。

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それが発展して静物画になる。これは低学年に戻り、クレヨン画である。ただし構図の考えが芽生えてきたようだ。

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そして細密画。当時は根気があったようだ。

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これも。今の私だったら、途中で面倒になり投げ出してしまうだろう。

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美術アーカイブ:小学5年生

小学5年生になって鉛筆画がまた上達した。ディズニーの「101匹わんちゃん大行進」の絵本を模写した絵が何枚か残っていたが、現在の私より上手だ。

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当時は見た通りに描くのが絵だと思っていた。また模写の場合、どれだけ同じように描けるかということが大事だと考えていた。

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そしてこれらの模写が同級生より上手だったからという理由で、自分には絵の才能があると信じていた。(それが大間違えだとわかったのはだいぶ後になってからだ)。

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そして将来インテリア・デザイナーになりたいと思っていたのもこの頃だ。

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だが、それと同時に私の生活に音楽も入り込んできた。詳しくは「音楽過去帖:小学校高学年」の記事で書くが、楽器の絵を描き始めたのもこの頃である。

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海外旅行はしたことがなかったが、あこがれていたのだろう。社会科の宿題で描いた世界地図は正確性より訪ねたいという自分の気持を反映している。

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旅客機の絵を描いたのも海外に行ってみたいという心を投影したものであろう。

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このように、小学5年生は私にとって進路を決める重要な転換期であったようだ。

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2011年5月10日 (火)

美術アーカイブ:小学4年生

小学4年生では、クレヨンで描いた絵が1枚しか保存されていなかった。絵の裏側に「箱根にドライブに行った」という説明書きがあったので、これは箱根の山道であろう。ライトを点灯させているところを見ると、夜までドライブしていたのか?我が家には車が無かったから、これは親戚の人の自家用車であろう。

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4年生になったら鉛筆画に目覚めたらしく、急に絵がうまくなった。しかし字は涙が出るほど下手だ。これは「自由帳」の最初のページで、「しゅくだい 1.きゅうべつしけんののこったもの・・・」などというメモが書き込まれている。絵は未来の特急列車の想像画だったかと思う。

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この飛行物体はサンダーバードか何かの影響だと思う。「SLN=5」とは何の記号であろうか?

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似た飛行物体が、こんどは「S=1970 NO.1」という記号を付けて描かれた。

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これは月面かどこかで作業をしているロボットであろう。月の石をかき集めているように見える。

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4年生ともなると理科の勉強も進む。これは「ボウフラの観察記録」。左下に「たいへんよくできました」というハンコをもらっているから、良く出来たのかもしれない。それとも先生が生徒全員に同じ評価をしたのか、それは誰にもわからない。

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美術アーカイブ:小学3年生

小学3年生は2年生のやり方を継承しただけで、あまり進歩が見られない。しいて言えば絵をより丁寧に描き、輪郭線や彩色がはっきりしてきたことが違いであろうか。しかし逆に考えると、より縮み志向になり自由奔放さが損なわれたようでならない。

まずは学校生活の絵。これは鉄棒で逆上がりをしているところであろう。鉄棒の支柱はこんなに赤かったであろうか?まあそういう細かい点は目をつぶろう。

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これは何の絵だろう?右端の子が持っているのは竹箒らしい。そして真ん中の子が持っているのは芝刈り機に見える。上端にあ赤いものは焼却炉のようだ。そしてその左側に2,3本立っているのは樹木の幹のように見える。

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ここはどこだろうか?校庭の隅にこんな緑の豊かな場所があったかな?それともこれは林間学校の一コマかな?謎に満ちた絵だ。

帰宅すると愛犬が出迎えてくれた、という絵に見える。しかし当時我が家では犬を飼っていなかったので、この白い犬は隣りで飼われていた犬であろう。私になついていた記憶があるから。それにしても、犬と私の大きさの比率がいい加減だな。子供の描く絵はこんなレベルだ。

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そしてこれは家の絵。でもこの豪邸は我が家ではなさそうだ。では、どこの家だろう?わからない。この時代はまだ透視図法を使えなかったらしく、消失点がいくつもある(苦笑)ようなキリコのような絵になってしまった。

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3年生になると宇宙旅行にあこがれて想像画を描くようになる。これは月面に降り立ったロケットと飛行士たちの絵であろう。なぜなら画面奥に地球が見えるから。地球がこんなに大きく見える場所は月面以外に無い。日本列島も認識できるが、比率的に大きすぎるな。実際の日本の領土があんなに広かったらいいのに・・・。

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3年生では貼り絵も作った。これは「僕です」という感じだな。

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これはクリスマスの飾りを意識して作った貼り絵だ。興味深いのは右上に貼った「だっこちゃん」。当時大流行したグッズだ。この作品は世相を反映したという理由で高く評価して欲しいな。

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2011年5月 3日 (火)

美術アーカイブ:小学2年生

2年生になると描く対象が広がり、実際に目にしたものでなくても描く場合がある。例えば、私は生まれてサーカスを観たことが一度もない。するとこの絵は想像画ということになる。メガホンを持つピエロに比べ、ぞうさんが小さすぎるところが子供の絵らしい。

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そしてジョヴァンニ少年は大売出しで賑わう街の絵で遠近法を披露する・・・というのは嘘で、この絵が透視図法を使ったように見えるのは偶然である。

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純粋抽象も忘れていない。でもこの絵は幼稚園時代に描いた抽象画に比べ、力量が落ちているように見えてならない。

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絵は社会科の学習にも役立てられる。これは「手紙の届くまで」を図解したものだ。結構よく描けていると思うのだが、飛行機がバイクより遥かに小さいあたりが気になって仕方がない。

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2年生で最高の出来だと思うのがこの写実画。ベランダのてすりが逆遠近法になっているように見えるが、まあ大目に見て欲しい。

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2011年5月 2日 (月)

美術アーカイブ:小学1年生

小学校に入学したら、お絵かきも春夏秋冬にわたり系統だって行うようになった。というのは後からこじつけた理屈だが、各季節の代表的な「作品」を並べてみよう。

春はピッカピカの1年生が登校だ。(でも生徒たちは傘を持っている。実際にはこれは梅雨どきの絵ではないか?と思ったが、春夏秋冬を網羅したいので、まあ許して戴きたい。)

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夏は運動会。子供達の躍動感がよく描けている・・・と思いたかったが、何だこの下手な絵は!

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秋は月見。しかし絵の巧拙はともかく、小学生の私は結構渋い趣味をしていたんだな。

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冬は雪合戦。これも涙が出そうに低レベルの絵だが、1年の終りを締める関係上、ここに登場してもらわないと困る。

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ところで小学校ではお絵かきの他に「絵日記」なるものも続けていた。その中に資料的価値(私にとって)があるページがあった。文中「ピアノ」という言葉が読める。

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ということは、私が小学1年生の時には既に我が家にピアノがあったのか。私は小学3年生の時にピアノが来たという記憶があるのだが、この絵日記を読んでその記憶が誤っていたことを発見した。

そしてもう一つのページでは、スケールの大きい表現が見つかった。イチゴがあり、ツバメは東に、スズメは西に飛んで行ったというくだりだ。

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これって植物と動物を他のものに置き換えたら、与謝野蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」と同じ構造をしているではないか!

美術アーカイブ:幼稚園

このところ「過去帖」の記事を多くアップしているが、これにはわけがある。最近とある事情により我が家に大量の荷物が運び込まれ、書棚や食器棚はもちろん、収納スペースも占拠され、さらには床や廊下にまで侵略されているのだ。

この悲惨な状態から脱却するためには、裕福なら倉庫を借りるなどの手段があるだろうが、私には無理だ。その結果、唯一可能な方法は物を捨ててスペースを生み出すしかない。

そこで大量に積んである昔の紙類を整理しようと思い付いた。処分する対象でまず狙ったのは展覧会のチラシや半券などだ。そのような経緯で生まれたのが「アート過去帖」だったのだ。

そして処分対象は子供時代に描いた絵にも及ぶ。なかには愛着があって手元にずっと残したい「作品」もあるが、大半は捨てても構わないものばかりだ。そこでめぼしいものを撮影し、面白いものは記事で紹介することにした。

その第1回として幼稚園時代の絵を取り上げてみた。まずは「普通の絵」。自分自身と思われる男の子が凧を揚げている絵だ。泣きたくなるぐらい下手な絵だが、凧が太陽より上まで揚がっているところに注目されたし。

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次は列車の絵。これは面白い。線が造形的である。(そうでもないか)

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次はすごいぞ。これはクレーの「まだ手探りしている天使」に似ているぞ。(似てないかなあ)

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そして抽象画2題。ジョヴァンニは幼稚園の頃から純粋抽象を目指していたのでアル、の巻。

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