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2013年5月31日 (金)

藤沢市展

「第63回 藤沢 市展」<美術>(藤沢市民ギャラリー)に行った。

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先に行った「第一美術展」と似たことを感じた。会員(ベテランの美術家ばかりだと思われる)と公募出展者(アマチュアが多数を占めていると思われる)の格差が大きかったのだ。会場でまず最初に目を引いたのは審査員の作品だった。

しかし一般出展者の作品の中にもインパクトあるものが見つかった。作家名と作品名を列挙してみよう(作家名の五十音順):
♪梅下 幸村「萌え木」
♪小川 貴子「蒼の風」
♪田島 洋子「花は咲く」
♪広田 守「SPACE-X」

このように一般公募の作家から芸術的オーラを感じ取るというのは嬉しいものだ。藤沢市全体のアートの層の厚さを体感できるから。そしてもっと多くの作家から強い印象を残す作品が産まれてくることを期待したい。

上記のようなリストを作ろうと思っても、数が多くて大変だというぐらいの状態にまでレベルの底上げがなされたら素晴らしい。今後もウォッチしてゆきたい。

2013年5月30日 (木)

第一美術展

「第84回 第一美術展」(国立新美術館)に行った。読売新聞の招待券を使ったのだ。読売新聞さん、いつもありがとうございます。

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私の主観に照らした場合、この展覧会には次の2つの特徴があると思った:

♪1.審査員の作品レベルは、一般会員のそれを大きく上回っている。

会場には会員の作品に混じって審査員ご本人たちの作品も展示されていた。そしてそれらの作品は、会員の作品よりほぼ例外なくレベルが高かったという意味である。

学校などに例えれば、先生のレベルは生徒よりはるかに高く、組織上の上下関係がそのまま技術上の上下関係に一致している。言い換えれば下剋上が無いことになる。

数多い会員の中には審査員を凌ぐ実力者がいてもよさそうなものだが、見当たらない。こういう状態で本当に良いのだろうか?と心配になった。

♪2.もし私が審査員だったら選んだであろう作品が、ほとんどそのまま受賞作品だった。

言い換えれば、審査員の判定と私の主観とが一致したことになる。私はアートの専門家ではないので、単に感覚的に選んでいるだけだが、たまたま専門家の選別結果と同じだったというわけだ。

これは不思議だ。私は具象より抽象を愛し、具象でも構成感が強くないと好まないというかなり偏った趣味の持ち主である。その私が「これはいい」と思った作品の多くが受賞作品ということは、審査員の趣味は私と似ているのか?そんな事はないと思う。

審査員の多くがたまたま構成に重点を置く人たちだったからであろうか?もしかするとそうかもしれないが、わからない。ちなみに他の公募展ではこんな事は決してなかった。私が選んだ作品が受賞作品と一致する確率は20~40%ぐらいが普通だから。

以上のように、ちょっと不思議な感じを抱かせる展覧会であった。

2013年5月29日 (水)

田村道子 -道草のアートⅢ-

「田村道子 -道草のアートⅢ-」(ジネタ:藤沢)に行った。

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ドラセナの葉を30枚ぐらいに細く分断し、糸状にして結び合わせてゆくのが田村の制作方法だ。基本的に素材は1種類、作業方法も1種類で、その繰り返しである。こう書いてしまうと、同じ形状と大きさの輪が沢山集まってミニマルなアートを形成しているかのように聞こえるだろう。

しかし実際には、糸状にしたドラセナの葉はその太さ、色彩が1本1本微妙に異なっている。また輪を作って結ぶ際、その輪の大きさもまちまちである。このように個々の部分では色彩と形状・サイズに差異がある。言い換えれば変化に富んでいる。

しかしそれらが多数集まってできた全体像を遠くから観ると、またもや均質性が頭をもたげてくる。田村の作品はこの繰り返しで鑑賞すると面白いと思った。

出来上がった作品は、分類すれば抽象の平面作品という事になると思うが、素材の持つ自然の手触りにより、「暖かい抽象」あるいは「有機的な抽象」という特色が浮き出ている。美しい作品を観ることができて良かった。

平本公男展

「平本公男展 巴里彩描 1997」(湘南画廊)に行った。

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平本公男の個展はこれまで4回観た:
2008年11月「森の幻想~彷徨う秋」(湘南画廊:藤沢)
2009年11月「森の幻想~風の旋律」(同上)
2010年11月「森の幻想~素描・油彩」(同上)
2012年09月「心象の譜」(ギャラリーB:鎌倉)

過去に観た平本作品は、裸婦・森の風景の2種類だけだった。今回初めて街の風景画を観る機会を得てよかった。

聞いたところ、平本はパリの街角にキャンバスを据えて直接風景を描いたとのこと。それは今から十数年前の1997年のことであった。画家がパリの街角で絵を描くという事自体は珍しい事ではないと思うが、アトリエで描く場合と異なり、通行人に覗き込まれたりして落ち着かないのではないか。それとも画家は、そんな事など構わずに絵に没頭できるのであろうか。

少し霞がかかったような画面は若干、印象派風の絵に見える。しかし平本の絵にはそういう分類が似合わない個性があるように見える。例えば画面いっぱいに広がる「白」とか。

私は専門的な知識が無いので、平本がどのようにしてこの白さを出したのかわからないが、そのたたずまいは「個性の淡さ」と名付けたくなる。

2013年5月23日 (木)

美術アーカイブ:2000年(13) 彫刻アニメーション バーサミアン展

「彫刻アニメーション 夢のリアリティ-グレゴリー・バーサミアン展」(NTTインターコミュニケーション・センター<ICC>)の回想。

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バーサミアンの作品は円弧に沿って複数の彫刻を配置し、全体を回転させることによってそれらの彫刻が目の錯覚により動き出したように見えるというものが多い。パラパラ漫画を立体にしたと言えばわかりやすいと思う。

半券に採用されたのは「叫び」という作品だ。

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会場にセットされた作品の全体像は次のとおり:

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図録の解説がこの作品をよく説明している。

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代表作は「ジャグラー」。

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これも図録の解説を読むとその特色がわかる。

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バーサミアンの作品は理屈抜きに面白くて楽しい。このような喜びにひたっていられる時間が嬉しい。

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追悼:アンリ・デュティユー

作曲家のアンリ・デュティユーが亡くなられた。享年97歳。

尊敬というか、その作品に畏怖を感じた作曲家だ。私は趣味で作曲を行い、戯れに古今東西の作曲家の真似をすることがある。しかしデュティユーの場合は真似が出来ないのだ。譜面づらは一見簡素に見えるのだが・・・。こういうのを本当の個性と言うのだろうか。

恐ろしい作品と思ったのはデュティユーがまだ20代半ばに作曲したというピアノソナタ。一生に一度こんな曲を作ってみたいと思い、楽譜を購入した。しかし模倣も何もできず、ただひたすら彼の能力に圧倒されるだけでストレスになってしまった。

世界は素晴らしい芸術家を失った。

2013年5月22日 (水)

美術アーカイブ:2000年(12) 菅井 汲展

「菅井 汲 展」(東京都現代美術館)の回想。

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「パリに生きた抽象画家『一億人からはみ出した日本人になりたい』」という副題が示すように個性あふれる抽象画家だ。そして私が最も敬愛する画家の一人でもある。

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菅井作品の魅力をどう説明したら良いだろうか?例えば同じく敬愛する彫刻家コンスタンティン・ブランクーシの場合は、都会的・理知的な抽象と土俗的・有機的なセンスという真逆の要因が一つに溶け合っているところがたまらない魅力となっている。これに対して菅井の場合は、数学的抽象の中に浮かび上がる詩情とでも表現すれば良いのだろうか?

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この展覧会は図録も充実しているが、配布されたリーフレットが年代順の記述で、実によくまとまっている。今回は受け売りどころか、そのリーフレットをそのままコピーして使わせて戴こうと思った。そこに若干ながら自分なりの感想を書き加えることによって、かろうじて自分の日記の面目を保ちたいと考えた。

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さっそく始めよう。リーフレットは第Ⅰ章から第Ⅵ章までの6つの時代区分を行っている。その前にまずは前置きから:

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そして第Ⅰ章「菅井からSUGAIへ」。

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解説にある「森の番人」。呪術的な感じがすると共に、シンメトリックな構成感も心地よい。

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同じく「池」。左端に描かれた白鳥のような具体的形状と、右上に描かれた赤い三角形のような抽象的形状とがよく溶け合っている。

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チラシ裏面には同時代の「犬、魚、鳥」も紹介されている。動物の形をデフォルメしてゆき、既にこの時代に半抽象の世界にまで到達しているのがうかがえる。

解説はされていないが、「塩造る家々」は目を引く作品だった。家や石垣などがはっきり描かれ、具象絵画なのだが、どこか奇妙な印象がある。心象風景といっても過言ではない世界が構築されている。その秘密はどこにあるのだろうか?歪められた遠近法もその要因の一つなのであろうか?

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もう一つ気になる絵画があった。「風景」である。味わい深い線刻はベン・ニコルソンの作品を想わせる。また、ほのかに漂う詩情はクレーの世界も思い起こさせる。美しい作品だ。

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この時代、もう一つ注目すべきは(半)立体作品だ。「無題」(モビール)は単に木片を寄せ集めて吊るしただけのように見えるが、美しい。作家の持つセンスがそうさせているのであろうか。

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次は第Ⅱ章「筆勢と形象」。

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解説にある「鬼」。文字をそのまま絵に展開したものだが、力強い作品だ。鬼というと普通は赤鬼を連想することが多いが、この作品の場合は背景が赤く塗られている。顔は逆に白い。このあたりの自由さ・奔放さがたまらない。

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もう一つ解説にあるのは「沖」。無彩色に近い地味な色調で統一された画面は暗いながらも潜在的な力を秘めている。

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解説にはないが、「小鬼」という立体作品が絵画の「鬼」に呼応して楽しい。こちらはユーモラスな鬼だ。菅井作品の多様さが表れている。

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次は第Ⅲ章「明快さと速度」

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解説にある「ハイウェイの朝」。これは菅井作品の特色をよく表している作品だ。幾何学的抽象構成の中に雲のような有機的形状が混ざり合って画面を構成している。そしてそれらがよく調和しているのが菅井の非凡なところだと思う。

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抽象構成は立体に展開してゆく。「二つの箱」は抽象的紋様の箱がキャスター付き支柱に載っているというユニークな作品だ。子供のような自由な発想―それも菅井の魅力の一つだと思う。

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そして第Ⅳ章「記号の定立と反復」

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解説にある「フェスティバル N.P.」。円などの幾何学的形状が遠近法を施したように前後に見える。チャールズ・デムスの「私は金の中に5という数字を見た」ほどではないが、ある種の動きも感じ取れる。

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同じく解説にある「ヴァリアシオン」。限定されたモチーフを展開させてゆく手法はクラシック音楽に例えるとソナタ形式における主題労作を想起させる。

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この時代の彫刻「男」も面白い。間違えると品格を損ねかねないテーマだが、「冷たい抽象」のたたずまいで芸術品としての姿を保っている。

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第Ⅴ章「<S>の彼方へ」。

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解説にある「カドミウム・レッド」は連作となっている。これは「3-4」。菅井の頭文字「S」が大手をふるって行進している。

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「S」は彫刻作品にも表れる。その名もずばり「S」。互いに融合し、支柱に添えられた2つのSの文字が存在感を示している。

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いよいよ最後の第Ⅵ章「ポスター、詩画集 ほか」。

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この「スキー船の夢」というポスターは面白い。スキーバスではなく船である。夢の中の話かと思ったら、制作された当時本当に運航していたことがわかった。

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「びわ湖 はり丸 毎日就航」の時代だったのだ。

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また「果てしなき探究」という連作リトグラフは洒落ている。菅井の別の側面を垣間見ることができる。

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一方、巨大な抽象作品を凝縮して並べ直すとこの「トランプ」という魅力あふれる作品に変身する。変幻自在な菅井芸術がここにある。

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菅井作品の魅力は尽きることがない。いい展覧会を観た。

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2013年5月21日 (火)

美術アーカイブ:2000年(11) ハピィ氏橋作品展

「ハピィ氏橋 作品展 新宿昭和館から原宿平成館へ」(サロンイタカギャラリー)の回想。

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「殺られる前にやれ」という文字を中心としたこの案内葉書の何と目立つこと!ハピィ氏橋の作品はみなこんな感じで人々の目を奪う。驚くべきことに、ハピィ作品の登場人物はいつも同じトーンで描かれているのだ。筆捌きが安定しているからだろう。

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ハピィは大学野球でピッチャーだった。そのため彼の作品を「スポーツマンのノリ」と評した人がいた。なるほど、その通りだと思う。ハピィ作品のような絵は外国人には描けないだろう。日本という風土が生んだ個性だ。

2013年5月20日 (月)

美術アーカイブ:2000年(10) マックス・エルンスト展

「マックス・エルンスト 彫刻・絵画・写真―シュルレアリスムの宇宙」(東京ステーションギャラリー)の回想。

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展覧会のチラシには「マックス・エルンストの残した芸術上の功績の中でも、これまで彫刻作品についてはまとまった紹介はありませんでした」と書いてある。この展覧会はエルンストの彫刻作品に焦点を当てた点で特色がある。

しかし残念なことに、展示された作品は小粒のものが多かった。予算が限られていて目玉となる作品の調達が芳しくなかったと推測される。例えばエルンストの彫刻と言えば真っ先に想いだす「王妃とチェスとする王」などの主力作品の展示が無かった。

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その代わりというわけではないだろうが、「チェスとするマックス・エルンストとドロテア・タニング」という写真作品が展示されていた。

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使用しているのはエルンストが制作した駒であろう。この写真は造形作品(チェス駒)と美女の写真を同時に拝むことができるという長所がある。しかしドロテアはエルンストの妻だから妬ましいという感情が先だってしまう。どうもいけない。

やっぱりエルンストは「博物誌」などの版画でしょう、と思ったが今回の展覧会では版画作品の展示が少なかった。「博物誌」の中から一つだけ展示されていたが、あまりにも寂しい。

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有名作品ではないが、1964年に作られた版画作品「無題」が目についた。これは美しい。

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またロジェ・カイヨワ「対角線より」も抽象構成が美しい。このような作品を多数展示すればいいのに。

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絵画作品も少数だが展示されていた。代表作は無かったが「Dに捧げる3つの花」という美しい作品があった。絵葉書を保存していたので、音楽ライターのハシビロコウさんに送ることにした。

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なお半券のデザインはチラシと同じなので特にコメントは無い。

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しかし半券の裏は面白い。JALの広告が刷り込まれているからだ。東京ステーションギャラリーはJRの経営である。なるほど、輸送会社同志の広告を通じたコラボか。

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中心であるはずの彫刻作品の展示が充実してなかったという点で不満の残る展覧会だったが、美しい作品に出会うことが出来たのでよしとしよう。

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2013年5月19日 (日)

はるもきライブ

横浜山手でのサロンコンサートを終え、山手十番館のビアガーデンで生ビールと白ワイン、中華街の大新園で紹興酒というコースを歩んだが、ちょっと飲み足りなかったので藤沢の立ち飲み「はるもき」に寄った。

すっかり忘れていたのだが、この日は月一ライブの開催日だった。私が到着した時は、スタートの時間が迫っていたのだが、ここでは「はるもきタイム」なるものが存在するらしい。お客は4人だけだった。

大丈夫かなと思っていたら、一人、また一人と人数が増え、ライブらしい雰囲気が形成されてきた。そして開演。この写真には、常連なら知らない人がいない達人が登場している。

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ご存じない方のために説明すると:
♪左端:店のマスター。いつも感謝しております。
♪その右(後ろ姿):私が勝手に「ミスター・データベース」と呼ぶ音楽情報通。
♪その右(マイクの後ろ):敬愛し、尊敬するギタリスト。
♪右端:誰しもが認める本物の達人。この人間離れした達人を何と呼んだらいいのだろうか。「達人28号」?、「ベースの神」?、それとも世界一の映画「市民ケーン」?

私はこの演奏が終わったあたりで体力の限界となり、ライブの途中という後ろめたさがありながら店を出た。その時、もう一組の達人集団とハチ合わせ・・・。申し訳ないと思いながらも帰宅の途についた。後のグループの方々、聴かないで帰ってすみませんでした。

100年前のピアノ コンサート

「サロンコンサート~100年前のピアノと~」(ブラフ18番館:横浜山手)に出演した。

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前半はピアニスト「よいこ」(仮名)のソロ。ヴァーグナーとヴェルディの聴き比べが骨子であった。

後半はピアノ三重奏のユニット「トリオ・レヴリー」として「よいこ」に加え、ヴァイオリンの「じゅんちゃん」(仮名)と私が参加した。3曲のアヴェ・マリア聴き比べ(シューベルト、グノー、カッチーニ)およびモーツアルト作曲「ヴァイオリンヴィオラの為の協奏交響曲」変ホ長調 K.364 という意欲的なプログラムを組んだ。

アヴェ・マリア3曲はすべてピアノ三重奏向けの編曲版を使った。どの編曲も良く出来ていると思った。私も編曲を行うが、この3人の仕事の素晴らしさには到底及ばない。編曲者とそれぞれの特長は次の通り:
♪シューベルト:山口景子(ヴァイオリンとチェロの両方の出番を作る)
♪グノー:中山育美(高度な技術を持たなくても楽器の特性が出るような編曲)
♪カッチーニ:井関るみ(軽妙で楽しいジャズ風のアレンジ)

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モーツアルトの独奏ヴィオラパートは私がチェロの為に編曲した。ヴィオラとチェロは音域に1オクターブの隔たりがあるが、4本の弦はみな同じ音である。従って音を1オクターブ下げれば、基本的にはヴィオラと似た運指で弾くことができる。

ただしメロディーなどで低音域がサマにならない場合は1オクターブ上げるなどの調整を行った。その場合は運指が難しくなる。

もともとヴィオラの為の書かれた譜面なので、楽器性能が劣るチェロで弾くと細かい音符が辛い。あまり速く弾くと指が回らなくなる。案の定速いパッセージではスラーがかけられず、1音づつ切って弾くなどして凌いだが、ギシギシした音になってしまった。

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聴いて下さった方々、お聴き苦しい場面があったかと思います。すみませんでした。よいこさん、じゅんちゃん、お付き合いありがとうね。

2013年5月17日 (金)

坂口紀良 絵画展

「坂口紀良 絵画展」(成城さくらさくギャラリー)に行った。

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抽象画を好む私だが、坂口紀良の作品は具象でありながら楽しんで鑑賞することができた。優れた作品はスタイルがどうこうという事を超えて鑑賞者を喜ばすことができるのだろう。

私がなぜ抽象を偏愛するかという理由の一つが今回の展覧会で見えてきた。それは抽象絵画の場合、過去に得た(中途半端な)知識が邪魔せず、純粋に目の前の作品に向き合えるからだ。

一方、今回展示された坂口作品のような具象絵画の場合は、頭の中で似ている作品を探し、見つかったらそれとの比較をベースに鑑賞するという(悪い)癖が出てしまうのだ。例えば会場に入ってまず感じたのはラウル・デュフィに似ているな、という点であった。そしていくつかの作品を観ていったら、こんどはマティスの色面構成との比較を考え始めていた。

このような鑑賞の仕方は、ストレートに作品に入っていくのではないので、あまり良いとは思わない。しかし過去の記憶はどうしても出てきてしまう。もっと子供のような素直な目で作品に向き合うことは出来ないものであろうか?それが具象絵画を鑑賞する際の私の課題である。

坂口作品は、以上のような事を私に教えてくれた。

2013年5月15日 (水)

スターバックス店内ライブ

スターバックス・ルミネ藤沢店で開催された「店内ミュージックライブ」に行った。妻ジョアンナ(仮名)も一緒だった。

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先日、藤沢の「さいか屋」で開催された「AOSPメンバーによるクラシックミニコンサート」と同じメンバーで曲目もほぼ同じだったが、異なる会場で違った響きがした。今回は演奏者の背後に大きなガラス窓があり、それが反響版の役目を果たしたようであった。

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ヴァイオリン、オーボエ、コントラバス、電子ピアノというのは珍しい編成だが、いろいろな意味でいい組み合わせだと思った。旋律楽器は弦・管両方揃っているし、鍵盤楽器が和声を埋めるし、コントラバスが底辺を支えてくれるといった感じである。このメンバーは同じ編成で今後も活動を続けるようだ。応援したい。

2013年5月13日 (月)

プロムナードコンサート

第30回 プロムナードコンサート「音楽の花束」(オーシャンプロムナード湘南:藤沢市)でスタッフを担当した。演奏者は藤原歌劇団のソプラノ歌手・右近史江と彼女が率いる5名の演奏家である。そのメンバーには妻ジョアンナ(仮名)も加わっている。

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「オーシャンプロムナード湘南」は介護付き老人ホームである。老人ホームでのコンサートというと、私は今からちょうど10年前の2003年、神奈川県川崎市にある老人ホームで開催された「慰問コンサート」にチェロで出演した。

今思うと、この「慰問」という言葉には何か引っかかるものがある。高齢者はあまり動き回ることができず、寂しいだろうからコンサートを行って励ましてあげよう、という強者が弱者に対して恩着せがましく言う響きがあるのだ。

それに対して、今回のコンサートは様子がだいぶ異なっている。そもそもコンサートの基本的な企画は演奏者ではなく、老人ホーム側である。観客もホーム入居者より外来のお客様の方がむしろ多数だ。(今回の場合はおおよそ120名の観客中、入居者は40名、外来者は80名であった。)

つまり老人ホームが独自に一つのコンサートを企画し、たまたまそこに入居者も聴きに来ていたというような感じである。
(現実的には入居者優先だと思うが、コンセプト的には上記のようなことであると思う。)

内容的にも、ソプラノ、マリンバ、ヴァイオリン、ピアノが順列組合せで様々なアンサンブルを繰り広げ、多彩である。休憩時間には演奏者の一人の手作り菓子と飲み物までサービスされる。

老人ホームは放置すると地域社会で孤立しがちであると代表者が挨拶で述べておられた。今回のコンサートは、地域とのつながりを保つ良い機会であり、しかもそれが周囲の気遣いではなく、老人ホーム側から情報発信されたというところが先駆的である。

このような魅力あふれるコンサートなら、老人ホーム入居者が可愛そうだから訪問してあげよう、とは逆に、「あそこに行くと面白いコンサートが聴ける」という逆の求心力を持つというわけだ。

それが密度の高い地域交流を生む。このコンサートシリーズは意義深い企画だと思う。今後の継続発展に期待したい。

2013年5月 6日 (月)

AOSPメンバーによるクラシックミニコンサート

地元百貨店のイベントの一つ「AOSPメンバーによるクラシックミニコンサート」(さいか屋 藤沢・7階特設会場)に行った。

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AOSPとはAcademy of Symphonic Proの略で「プロ・アカデミー室内管弦楽団」のことだ。その設立の意義・目的を同楽団の音楽監督・飯田大介のサイトから拾った:
・フリー奏者へ高い演奏環境の共有と体験の場の提供
・ソリスト教育を受けた者が、より自由にオーケストラと演奏できる機会を提供し、
 若手および有能な演奏家の発掘と支援、育成を互助する環境の提供
・音大卒・相当程度の技術を習得した者が更なる向上のための環境の提供

なるほど、若手の育成に貢献しているのか。今回の演奏の「育成」されている若手中心だったが、演奏は素晴らしかった。若手と言って侮ってはいけない。目隠しテストしたら、「一流」と呼ばれるプロと変わらないと思った。

ヴァイオリンはキリっとした演奏でカッコ良かった。オーボエはフルートのように指が回って吹きこなしていた。電子ピアノは小気味いいリズムを作っていた。ダブルベースは、、まるでジャズにおけるウッドベースの達人のようだった。

同じフロアで「鉄道のりものフェスタ」が開催されており、時おり汽笛の音が邪魔をしたが、子供を喜ばせるイベント会場だったので、これは仕方ないと思う。しかしこんな達者な演奏を無料で聴けるとは、もったいない感じがした。

2013年5月 5日 (日)

美術アーカイブ:2000年(9)サム・フランシス展

「サム・フランシス展」(出光美術館)の記録。

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この展覧会を観るまで私はサム・フランシスを知らなかった。案内を見て「楽しそうな抽象画だな」と思って足を運んだのだ。美術館に並んだ作品群を観て、これはすごい画家だと感心した。

サム・フランシスは日本と濃密な関係を築いた画家だが、すっきりわかる略歴がなかなか見つからない。ネットで調べても、日本語のサイトと英語のサイトで掲載されている情報が異なり、整理するのが以外と大変なのだ。

このアーカイブを機会に、サム・フランシスの略歴をまとめてみようと思った。ただ列挙するのはつまらないので、日本との係りを優先的にしてみたい。なお年代についてはサム・フランシス財団が提供する情報と展覧会図録の2つをベースとし、適宜他の資料を参照した。

♪1923年(大正12年)0歳
サミュエル・ルイス・フランシス誕生(カリフォルニア州)。父は数学教授のサミュエル・オーガスタ・フランシス。母はピアニストでフランス語の教師キャサリン・ルイス。

♪1943年(昭和18年)20歳
米陸軍航空隊に入隊し、パイロットとなる。

♪1944年(昭和19年)21歳
墜落事故を起こす。入院中に絵を描き始める。

♪1947年(昭和22年)24歳
退院後、初めて抽象画を描き始める。ガールフレンドのベラ・ミラーと最初の結婚。

♪1948年(昭和23年)25歳
大学に復学し、美術史と絵画を専攻する。この頃既に抽象画を描き始めていた。作品「無題」。

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♪1950年(昭和25年)27歳
ベラ・ミラーと離婚。パリに行きフェルナン・レジェ美術学校に学ぶ。ミュリエル・グッドウィンと2度目の結婚。

♪1952年(昭和27年)29歳
パリで初の個展。アンリ・マティス夫人が作品を購入。ロンドンでT.S.エリオット、ハーバード・リードを知る。

♪1954年(昭和29年)31歳
カリフォルニアに戻り、今井俊満と出会う。

♪1955年(昭和30年)32歳
ニューヨーク近代美術館が作品を購入。

♪1956年(昭和31年)33歳
ニューヨーク初の個展。滝口修造に出会う。

♪1957年(昭和32年)34歳
初来日し、草月会館の壁画制作にたずさわる。詩人の大岡信、美術評論家の東野芳明を知る。画商の志水楠男と出会う。

♪1959年(昭和34年)36歳
ミュリエル・グッドウィンと離婚。東野芳明の紹介で出光佐三がサムの絵を見る。
ヨコイ・テルコと3度目の結婚。サムの最初の子供・娘カヨ誕生。作品「ホワイト・ライン」

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♪1964年(昭和39年)41歳
日本に長期滞在。京都で陶芸にたずさわり、初の立体作品を制作する。作品「無題」。

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♪1966年(昭和41年)43歳
東京湾で「スカイ・ペインティング」を実施。出光真子と4度目の結婚。サムの2人目の子供。長男オサム誕生

♪1969年(昭和44年)46歳
サムの3人目の子供・次男シンゴ誕生

♪1974年(昭和49年)51歳
作品「天国への問い」

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♪1977年(昭和52年)54歳
作品「無題」

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♪1980年(昭和55年)57歳
出光真子と離婚。サムの5人の妻の中で最も長い14年の結婚生活だった。

♪1981年(昭和56年)58歳
作品「無題」。

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♪1985年(昭和60年)62歳
英国の画家マーガレット・スミスと5度目の結婚(日本で)

♪1986年(昭和61年)63歳
サムの4人目の子供・息子オーガスタス誕生。

♪1988年(昭和63年)65歳
富山県立近代美術館で個展。同展は国内4会場を巡回。

♪1994年(平成6年)71歳
サム・フランシス死去。

♪2000年(平成12年)
出光美術館でサム・フランシス展

うーむ、波乱に富んだ人生を歩んだ画家だったんだなあ。

大久保泰明 プライベート・リサイタル

「大久保泰明 プライベート・リサイタル」(板橋区立文化会館小ホール)に行った。

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大久保泰明は首都大学の教授で、16世紀フランス語学と文学を専門としている(同大学ホームページ記載より)。今回のコンサートは大久保康明のテノールが中心だが、他に大久保藍(ソプラノ)、小池三夫(ピアノ、テノール)、梅澤直子、半田規子(ピアノ)も共演した。

興味をそそられたのはスペイン語による歌曲(3曲)だった。大久保自身は、これらの歌は土着的だという解説をしていた。ところがいざ歌うと、綺麗で洗練された歌曲のように聴こえた。これはなぜかと考えてみた。

その理由は、たぶん大久保がフランス語をよくする歌い手だからだろうと考えた。スペイン語の歌曲でも、フランス語的な歌い方を無意識的にしていたのではないか。それによってこれらの3曲が洗練されて聴こえた、というのが私の推測である。(間違っているかもしれないが)。

全体をとおして最も良いと思ったのはフォーレの「ひそやかに」。これには3つ理由がある。一つは大久保がフランス語の専門だからフランス歌曲を見事に歌うという事。もう一つは私がフォーレの作品を好んでいるからだ。

そして3番目の理由は作詞者が「あの」ヴェルレーヌだから。最も私はフランス語がわからないので、せっかくのヴェルレーヌの詩の美しさを理解できないのが残念だ。もし私がフランス語に長じていたら、今回の演奏はさらに掘り下げて味わうことができたであろう。

演奏者の方々、お疲れ様でした。

ベストセレクション 美術 2013

 「ベストセレクション 美術 2013」(東京都美術館)に行った。

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この展覧会は選ばれた27の主要美術公募団体が、それぞれの「顔」である主要作家の作品を競って展示する催しだ。従って、そこには自ずから競争意識のようなものが芽生える。各団体が競い。互いに刺激し合って芸術活動を高めていくのは良いことだと思う。

有力作家の作品となると、さすがに力がある。私は日頃抽象を好み具象には目がゆかないのだが、今回の展示中は写実画でも無視できないものが多かった。単なる風景画でも、色彩などに個性があり、独特の魅力を放っている作品が多かった。

彫刻のコーナーで異彩を放っていたのは、今回この展覧会に足を運ぶきっかけとなった岩崎幸之助の「太陰暦No.7」。幾何学的抽象だが、有機的な温かみがある。愛するブランクーシの作品に対する感想がそのままあてはまる。

 

この展覧会は毎年続けて観てゆきたい。

SICF 14

「SICF 14 (第14回 スパイラル・インディペンデント・クリエーターズ・フェスティバル)」(スパイラル:南青山)に行った。

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「様々なジャンルのクリエーター100組によるアートフェスティバル」という副題がこの展覧会の内容を端的に示している。その会場の様子は冊子の見開きページを見ればよくわかる。

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100組のクリエーターが50組づつ開催日を分けて出展しており、私は「Date A」に行った。既知の作家が参加しており、その支援者に音頭を取ってもらったのだ。以下、気になった展示について作家・ユニット名の五十音順に感想を書いてみる。

♪及川有沙(リボン構成)
同行した中年とオブジェさんが作家と作品について感想を述べたが、それが的を得ていると思ったので紹介させて戴く。

『及川有沙はたった1種類のリボンを用いて、切ったり折り曲げたりしながら抽象的な構成を作っている。それが音楽でいうところの「ミニマル・ミュージック」のようだ。そしてそこには余計な装飾が無く、ただ単にリボンのミニマル的構成だけがある。小手先で飾りを付けるのではない。この行き方は、淘汰が激しい現代アートの中にあって永く残ってゆくであろう。』(言葉使いは若干異なるかもしれませんが、内容的にはおおよそこのようなことでした。)

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♪サイトウナオコ(平面・立体)
既知の作家で、その絵の上手さはよく知っていた。今回は「ハルオ」と名付けられた子供の立体作品が多数戯れ、楽しい空間を作っていた。絵画作品が一つだけ展示されていたが、古紙に描かれ、渋い中に強い印象を受けた。

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♪SAWADA, Masaya(金属)
既知の作家。万力などの金属加工器具の10分の1のミニチュアが並べられていた。理屈抜きに楽しい。この名刺の裏の写真は一つの作品だけだが、会場にはたくさんの作品が並べられていて賑やかだった。

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♪白川和子(ガラス)
作家自身が制作した吹きガラスの球体を天井から多数吊り下げ、美しい光景が現れていた。球体には波うつような紋様があったが、これはガラス成形の過程で生じてくるものらしい。今後も続けて作品を観たい作家だ。

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♪N∩I(ヌイ)(映像+造形)
布川史織と生永麻衣のユニットで、動画をワイングラスの一群をとおして映写することにより幻想的な映像を産み出していた。

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♪藤野優里(切り絵)
電子的処理でかなりの事ができる現代にあって、ハサミで紙を切るという手作業による造形創造は貴重だと思う。そういう意味で今後も手作りの良さを継続発展していって欲しい作家だ。

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2013年5月 2日 (木)

第87回 国展

「第87回 国展」(国立新美術館)に行った。妻ジョアンナ(仮名)も一緒だった。

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<彫刻>
私たちはこの展覧会に行くと、1階の入口から入り、展示場を通り抜けて、まず最初に野外彫刻展示場から観始める。真っ先に♪岩崎幸之助の作品を観るためだ。今回はいつもの「水太鼓」ではなく「あやとりいし」というユーモラスな作品が展示されていた。天然の岩石を一部削ってはいるが、手を入れてない岩肌も目立った。自然のままの美しさを保つためであろうか。この作品は同展のポスターにも採用されていて嬉しかった。

野外展示では♪渡辺 忍の「おくりもの」が前回同様に目引いた。プレゼントを包んだ風呂敷がリアルで、石彫とは思えぬ出来栄えだった。他の作品からも常連作家の相変わらずの健在ぶりがうかがえた。

室内に戻り、♪柴山京子の「Mammalia」、♪向山武志の「伍長」などの作品を楽しんだ。♪中島香緒里の「時のかけら」に設けられた下へ向かう階段は、有元利夫の「テアトルの道」という絵画作品を想起させた。

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<絵画>
前回も楽しんだが、やはり♪可世木博親の作品が良かった。今回の「風が通り過ぎて」も構成、色彩すべて良かった。

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<版画>
前回同様、津田恵子の作品が圧巻だった。今回の「Impresiones intimas」は大好きな作曲家モンポウのピアノ曲集「内なる印象」の原題であろう。私はこの曲集の楽譜を持っている。この曲集、譜面づらは易しそうなのだが、弾いてみると以外に手こずるのだ(苦笑)。

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その他、写真や工芸の展示も楽しんだ。ただ今回は時間的制約があり、全体的に駆け足で観たので、一つ一つの作品を味わいながら鑑賞することが困難だった。それが心残りであった。

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