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2013年2月28日 (木)

美術アーカイブ:2000年(8)ベン・シャーン

「ベン・シャーン -人びとへ、20世紀から-」(多摩美術大学 美術館)の記録。

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この展覧会は多摩美術大学美術館の開館記念で開催されたイベントだ。一般300円という安価で大好きなベン・シャーンの作品を観ることができたのは嬉しかった。

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ベン・シャーンに関しては何回も書いているが、内容はいつも同じだ。つまりベン・シャーンは社会的メッセージを強く打ち出すという癖があり、私はそれを好きになれない。しかしそれを上回る線刻と構成の美しさを持っているので気になるアーティストなのだ。

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この特性は、先日展覧会のアーカイブを書いたジョージ・グロスについても同様である。ただしどちらかというと私はベン・シャーンの方を好むが。

2013年2月26日 (火)

グループ燦の山内若菜

「グループ燦」展覧会(藤沢市民ギャラリー)に行った。お目当ては山内若菜の絵画作品だ。

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山内若菜の絵は線の構成も色彩も素晴らしい。若手画家であるのに、既に完成形に到達している感じがする。私は素人なので個々の技術(線刻、彩色など)の優劣は判断できないが、全体として個々の技術・要素の組み合わせが程よく調和しているように見える。

若手でここまでのレベルに行ってしまうと、この先はどうなるのだろう?そこに興味がある。例えばピカソはスタイルを転々と変化させていった。山内若菜も作風を転換させてゆくのか、それともこの形を続けるのか。私は現在の作品の雰囲気を好んでいるので、山内若菜がこのまま描き方を変えないで欲しいと思っている。我ながら愛好家とは勝手なものだと思う(苦笑)。

2013年2月25日 (月)

清水 玲 「まにまに」

清水 玲(りょう)の個展「まにまに」(アトリエ・キリギリス:藤沢)に行った。

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アトリエ・キリギリスは診療所だった建物を、内装をあまり変えずに再利用したギャラリーだ。蔦のからまる外壁、うす汚れた白壁、曇りガラスの外にうごめく枝葉、閉塞感あるレントゲン室、ヤカンが湯気を立てる石油ストーブ、きしむような2階への階段・・・。

これらの舞台装置により、この場所は世捨て人となった天才科学者が怪しい研究を執り行う隠れ家に見えるし、ホラー映画の舞台にもなりそうな妖気漂う空間なのだ。

しかしアトリエ・キリギリスは、独特の肌あいを持つ調度品、洒落たセンスのカードや冊子類、そして現代アート作家の展示作品などが発するオーラにより、モダンで素敵な雰囲気が形成されている。「怖さ」との境界線ギリギリのところに存在する危うい、フラジャイルな魅力を放っているとでも言おうか。

そのような個性を持つギャラリーで、これまた個性豊かなアーティスト・清水 玲が個展を行っている。柱には一部が欠落した漢字の群れが描かれている。上から順に書かれた柱(下のほうが空白)もあるし、下から順に書かれた柱(上の方が空白)もある。下を見ると床にはその欠落した部分がこぼれ落ちている。

レントゲン室には壁に同じような判読困難な文字が四角形状に並べて描かれている。壁からドアにはみ出している一群もある。周りに鏡が貼り付けられた箱がいくつか置いてあり、その鏡にも文字群が映っているので複雑な感じがする。

これらの文字の作品を観て、私は(内容的には異なるが)中島敦の短編「文字禍」を想いだした。

2階の展示室ではモニターに動画作品が映し出されている。個展のテーマにもなった「まにまに」だ。また作動中のエスカレーターに置かれた傘が振動しながら、上へも下へも移動せず一つの場所に留まっているところを映した不思議な作品もあった。

なお2階にはこの個展に合わせて「KASPER」というブックショップがオープンした。楽しい一角だ。

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面白い空間に展示された面白い作品群。楽しいので再訪したい。

2013年2月24日 (日)

藤沢宿のおひなさま(旧家で観た雛人形)

神奈川県藤沢市には1929年(昭和4年)に建てられた旧家(榎本家)の母屋と蔵を活用した「蔵まえギャラリー」という画廊がある。

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湘南藤沢文化ネットワーク設立2周年を記念して「藤沢宿の歴史と文化を活かそう!」というキャッチフレーズのもとに同ギャラリーで古い雛人形が展示されたので観に行った。

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昔の雛人形の中には衣装が地味で、庶民の普段着を模したのではないかと思われる雛人形もあった。きらびやかな美しさは無いが、シックなたたずまいは心を落ち着かせる。

今回の雛人形の展示は「旧東海道 藤沢宿まつり」を支えるバックボーンの一つとして重要な存在だったのだと思う。

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中島千波 桜版画展

「中島千波 桜版画展」(成城さくらさくギャラリー)に行った。

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桜にちなんだ名称のギャラリーで桜の版画を鑑賞するのは粋なものだ。暖かくて明るいギャラリーの室内で一足早い花見を楽しむという意味もある。

しかも1カ所に居ながらにして日本各地の有名な桜を鑑賞できるのだから、これは得難い経験だ。今回の個展では、北は青森、南は鹿児島までの広範囲にわたり著名な桜の版画が展示されていた。

私が気が付かず、ギャラリーの人に教えてもらったことがある。背景の金色のことだ。これには2種類あって、金色を版画として刷りこむ方法と、地に金箔を貼るという方法だ。金色そのものの光沢なら金箔が優れているが、背景のすっきりした感じは刷り込みの方が勝っている感じがした。それぞれの持ち味なのだろう。

長野の桜を描いた作品も展示されていたが、これは長野生まれの中島千波が里帰りして描いた絵が母体となっているのかな。

美術アーカイブ:2000年(7)浜田知明展

「浜田知明展―彫刻による風刺」(神奈川県立近代美術館[別館])は「ジョージ・グロス」の展覧会(同美術館本館)の後立ち寄った。グロス展の半券の裏がそのままこの展覧会のチケットになっていた。

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浜田知明(ちめい)の作品は風刺が効いており、題材も戦争など暗いものが多い。例えば「風景」などは戦争の悲惨さを直截的に訴えた作品だ。

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このタイプの作品を観る限り、浜田知明はいろいろな意味でジョージ・グロスと共通項があり、今回の鎌倉は「暗い風刺」シリーズとなった(苦笑)。

ただ浜田知明の場合は、グロスと比べて不思議な明るさとユーモアが感じられ、それが救いとなっている。例えば「ボタンを押す人」を観てみよう。

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権力者らしき人間が「俺は偉いんだぞ」と言わんばかりに身構え、ボタンを押すしぐさをしている。どことなくユーモラスな雰囲気が漂う。しかしこのボタンが核兵器の発射ボタンだと思うと、とたんに背筋が寒くなる。直截的ではないが、間接的に戦争の悲惨さという社会的メッセージを込めた作品である事には変わりがない。

浜田知明のこのユーモアはどこから来るのであろうか?浜田作品の中には「アレレ・・・」というユーモアそのものと言ってもいい作品がある。

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こういう作品を産み出す感覚を浜田は潜在的に持っていて、その上で戦争の爪痕を描いているので、残虐さの中にもユーモアの光明が見られるのであろうか?

一方、浜田には構成感の強い半抽象作品もある。「広場」がその例だ。

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右上に兵士のヘルメットと銃剣と思われる物が見られるが、全体として見ると構成感のある構造物として捉えることができる。

またシュール的な作品もある。「ある画家の像」がそれだ。

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器物のコンポジションを画家という人物に見立てている。

このように、浜田知明の作品は戦争の愚かさを示すものばかりではなく、多様な側面を見せている。それが救いであり、広がりであり、最終的に浜田作品の魅力を形成しているのではないだろうか。

2013年2月22日 (金)

美術アーカイブ:2000年(6)ジョージ・グロス

「20世紀最大の風刺画家 ジョージ・グロス」(神奈川県立近代美術館)の記録。

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実はジョージ・グロスは好きな画家ではない。その理由は社会的メッセージが強烈で、絵もゴヤみたいに直截的でグロテスクだからだ。上に紹介した図録の表紙「エドガー・アラン・ポーに捧ぐ」もグロテスクだが、構成感があり、私の好きなホラー小説家を題材に取っているのでグロス作品の中では受け入れやすいほうだ。

この展覧会では、小冊子も配布してくれた。ただ表紙の写真は好きになれない。「痴情殺人犯に扮するジョージ・グロスとモデルに扮する妻エーファ」という写真だ。何を意図したかわからないが、良い趣味とは思えない。

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冊子をめくると代表的な作品と解説がある。左のページの中では右上の「無題」がキリコの形而上絵画のようで面白い。

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隣りのページを見てみよう。絵は達者だと思うのだが、基本的に暗い。

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冊子裏表紙にはニューヨークの五番街でポーズを取るグロスの写真が紹介されている。こう見るとなかなか上品な紳士なのだが・・・。

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半券は冊子を開いた左ページの左上の「街路」と同じ作品が使われている。この絵はどこか国吉康雄の作品にトーンが似ている。暗い色調といい、デフォルメの具合といい、そっくりだ。

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街路で思いだしたが、あまり好まないグロスの作品の中で、最も私の好みに合ったものが展示されていた。それは街の建物や人物を重ねあわせた「断面」。線刻が心地よく、構成感も申し分ない。この絵、どこか松本竣介が描く街に似ているなあ。

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2013年2月21日 (木)

美術アーカイブ:2000年(5)デペロの未来派芸術展

「デペロの未来派芸術展―20世紀イタリア・デザインの源流」(東京都庭園美術館)の記録。チラシの表面に取り上げられた作品は「摩天楼とトンネル」。

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ニューヨークを旅した後書いた記事「米国旅行:近代美術館で観た未来派作品」ではこのデペロの展覧会と未来派の作品について感想を書いた。また「半券の復権 その1」ではこのデペロの展覧会の半券を取り上げた。絵文字で楽しさに満ち溢れていたからだ。

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半券に採用された作品を紹介しよう。左から:
「ヴァニティー・フェア」誌・表紙のデザイン
「摩天楼とトンネル」(チラシ表面と同じ)
「新未来派演劇」ポスター(チラシ裏面にも採用)
「雷鳴の作曲家」(チラシ裏面にも採用)
「踊り手たちの力学」

そしてチラシの裏はこうなっている。

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私は「半券の復権 その1」でこのチラシの裏面について次のように感想を書いた:
半券の絵文字に使われている作品が2つ程度見える。紹介されている作品のどれもみな楽しさに満ち溢れている。原色に近い派手な彩色でも嫌味を感じさせないのはさすがイタリアの感性だ。

チラシ裏面の作品を紹介しよう:
左上:「未来派デペロ」シンボル・マークのデザイン
2段目左:「新未来派演劇」ポスター
2段目中:「カンパリ・・・食前酒」広告
2段目右:マリオネットのパレード「造形バレエ」
3段目左:広告塔のデザイン
3段目中左:「雷鳴の作曲家」
3段目中右:「小鳥の運動」
3段目右:「女の子の構造」
下:「鉄槌を打つ人々」

以上のどこにも採用されていなかったが、絵葉書になった楽しい作品がある。「ヴォーグ」誌・表紙のデザイン(習作)「汽車を待って」だ。
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デペロは典型的な未来派ではないが、未来派に近いデザイナーという呼称が似合っていると思う。その活動は多くのジャンルにわたり、観ていて楽しい。

2013年2月20日 (水)

創作日記:怒りの日―9

前回の日記(-8)で第1主題の形について迷ったと書いた。結局最初に思いついた形で冒頭の部分を作り始めた。しかしたちまち壁に突き当たった。いろいろこねくり回しても、どうもしっくりいかないのである。

困った挙句、とりあえず無難な形にしておいて、後日あらためて修正することにした。現在できている冒頭部分は次のようなものである。
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最初バスパート(チェロ)が第1主題を提示し、4小節目でテノールパート(ヴィオラ)が応答する。5小節のチェロの「イ→ニ」の4度がドミナント→トニカの基本的な進行であり、素朴だが、力強い感じが出せたのではないかと思っている。「ニ」の音に若干アクセントを置くと良いかもしれない。

7小節目からアルトパート(第2ヴァイオリン)が主題を奏でるが、出だしはヴィオラと長2度の係留的なぶつかりがあり、流れてゆく感じを強調した。

全体的にバッハの「フーガの技法」に似てきてしまったが、これは仕方ないと思っている。むしろそう聴こえるなら本望だ、というぐらいに考えていないと、これから先を作れないかもしれない。

2013年2月19日 (火)

時の彷徨Ⅱ

「時の彷徨Ⅱ」(みなとみらいギャラリーA室)に行った。立体・平面の佐藤千博と書の鈴木鵬舟のコラボだ。

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♪鈴木鵬舟の作品は初めて観た。案内パンフには「初一念」が紹介されていたが、文字と絵画の中間的なたたずまいで楽しかった。

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私が好きになった作品は「いこい」だ。小さな書なのだが、月並みな表現ではあるが、そこに小宇宙の広がりを感じた。

♪佐藤千博の作品は藤沢市民ギャラリーで既に観たことがある。案内パンフには「流」が紹介されていた。曲りくねる線刻の集合体が水の流れを感じさせた。

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佐藤千博の展示作品は絵葉書になっていた。これは「記憶する水」。

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昔のコンピュータシステムでいう「DASD」みたいだなあ。(何の事かご存じない方、すみません。単なる回想です。)

これは「記憶する水(水路)」。

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この絵葉書ではよく見えないが、上部に溝が彫ってあり、水が一直線に張られている。いずれの作品も「水の記憶」というコンセプトが目を引いた。

また「水辺の空気Ⅱ」という一対の作品が展示されていた。これはすりばち状に彫られた円形の凹面に水が張られた立体が左右に2つ並んだものだ。左のすりばちの中には黒いまっすぐな短い棒が数本、様々な角度をもって散らされていた。一方右のすりばちの中には麦の穂が一つ、横に置かれていた。

私はこの一対の作品から、練馬区美術館で観たグスタフ磯江の遺作展を想いだした。特に右の部分は磯江の「薔薇と緑青Ⅰ」を想起させる。

鈴木鵬舟と佐藤千博の競作は今後も続けて観てゆきたい。

2013年2月18日 (月)

美術アーカイブ:2000年(4)ウォーホル展

アンディ・ウォーホル展(Bunkamuraザ・ミュージアム)の記録。

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半券に採用されたのは、赤字に黒が「自画像」、バナナの絵が「レコード・ジャケット『ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』」の部分だ。カラフルな半券なので「半券の復権」で取り上げたくなる。

一方、図録の表紙はモノクロームで渋い。作品は「マリリン-4つのマリリン(リヴァーサル・シリーズ)」だ。この形はいかにもウォーホル的だ。

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あまりにも有名なアーティストなのでコメントは書きにくい。購入した絵葉書「蝶」でウォーホルの絵の上手さを実感するにとどめよう。

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美術アーカイブ:2000年(3) 松本千鶴 植物画展

「松本千鶴 植物画展」(スージ・アンティック&ギャラリー:鎌倉)の記録。案内はがきに採用されたのは「オオシマザクラ」。

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私は松本千鶴の体験教室に行ったことがある。自信のある参加者は自由に描いていたが、私は初心者なのでトレーシングペーパーでお手本の植物画を上からなぞるようにして写し取るという選択肢を選んだ。しかしどんなに慎重になぞっても、お手本とは似ても似つかないものが出来てしまう。鉛筆捌きの難しさを痛感した。

松本千鶴の作品の優秀性とは何だろうか?作品の真価を味わうには本物の作品を鑑賞すべきだが、例えばこの「エビヅル」の画像を見てみよう。

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これは印刷された絵葉書をさらにスキャンした画像にすぎないのだが、線描と彩色の素晴らしさがある程度は伝わると思う。松本作品の魅力は尽きない。

2013年2月17日 (日)

美術アーカイブ:2000年(2)  シュポール/シュルファス

「ポンピドゥー・コレクションによる シュポール/シュルファスの時代 ニース~パリ 絵画の革命 1966~1979」(東京都現代美術館)は、今図録などを見ていると興味深まってくるが、当時はあまり面白いと思わなかった。

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この時代、日本では「実験工房」や「ハイ・レッド・センター」の後世代、「もの派」が台頭し「サイケ」から「パンク」に至る混沌としていた頃だ。その同時代のフランスでの潮流を見ようというのだから、面白そうだと思うのが自然でる。

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それではなぜ印象が薄かったのだろうか?それはたぶんこの一派はコンセプト性が強く、展覧会開催の頃の私はコンセプチュアル・アートを嫌っていたので、それが主因のように思える。

例えば図録の表紙は♪ルイ・カーヌの「スタンプ」であるが、

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フランス語の「tampon」が「スタンプ台」と「スタンプ」の両方の意味を持っていることを利用し、tamponをtamponに叩きつける反復作業・・・というような理屈をこねている。現在の私なら、コンセプトへの許容度が増し、ある種のジョークとして作品に添えられている程度に受け止めているが、当時はただ「つまらない」と思った。

チラシの表紙には3つの作品が紹介されていた。

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左は♪ピエール・ビュラグリオの「窓」。これはマルセル・デュシャンの「フレッシュ・ウイドゥ」にそっくりだ。ゴミ集積場から拾い「かつての使用の痕跡」などについて説明が加えられているが、デュシャンの「レディメイド」のコンセプトを翻案した程度にしか思えない。

中は♪アンドレ=ピエールアルナルの「青と赤の大きな三角」。幾何学的抽象ならジョセフ・アルバースなどがもっと昔に活躍した。今頃やってもただの亜流という感じ。「布を折り込む」という動作についてコンセプトが述べられていたが、ピンとこなかった。

右は♪ダニエル・ドゥズーズの「薄く着色した木のロール」だ。薄く切った木をホッチキスで止めて格子状の構成を作ったというが、それがどうしたという感じ。

チラシの裏面にも6つの作品が並んでいる。

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左上は♪フランソア・ルーアンの「無題」。「絵画を分解し、再び組み立てて提示する」というコンセプトが添えられている。この作品はコンセプトは気に入らないが、観て美しい。

上右は♪クリスチャン・ジャッカールの「13の道具を収めた青い箱」の内外に見えるのは道具ではなく結ばれた紐だ。結ぶという習熟性を放棄するというようなコンセプトがあるようだが、面白くない。ただし箱にいくつかのオブジェを忍ばせるのはマルセル・デュシャンの「トランクの中の箱」のように、おもちゃ箱的な楽しみを醸し出すから良いと思う。

中左は♪クロード・ヴィアラの「綱」。インドの魔法のようなたたずまいだ。このような作品はアートとは何かというテーマを考える格好の材料となる。これと同じものを工事現場に置いたら、芸術作品だと思う人はいないだろう。ところが同じ物を美術館の一角に設置すると、たちまちアートに変身する。その境界線を探るのはまた面白い。

中右は図録表紙の作品と同じ作家♪ルイ・カーヌの「切り抜かれたカンヴァス」。画布が壁面だけでなく床にまで進出している。まあしかしそれだけの事に見える。

下左は♪マルク・ドゥバドの「ナンバーⅡ」だが、モンドリアンの模倣にしか見えない。

下右♪はベルナール・パジェスの「マンホールの蓋」はマンホールの蓋と石の山を用いて二元性と対照性を表現していると言う。すなわち:
形態:マンホール「幾何学性」←→石「混沌」
素材:マンホール「鉄」←→石「石」
仕上げ:マンホール「工業生産的」←→石「自然」
といった具合である。
このコンセプトは私にとって比較的受容しやすかった。

このように行った当時は必ずしも満足した展覧会ではなかったが、図録の補遺が作られたり、

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図録とは別に解説リーフレットが作られたり、

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サービスが良く、なかなか充実した展覧会だった。そのお蔭で「シュポール/シュルファス」という運動についての理解が深まり、いまこうして回顧することもできる。学芸員の努力は大変なものであったろうと拝察する。

2013年2月14日 (木)

創作日記:怒りの日―8

4つの主題が重なり合う最後の部分が出来たので、主題がすべて出揃った。では冒頭に戻り、第1主題の呈示から作ってゆこうと思った。しかしそこで筆(実際にはキーボードを叩く指)が止まった。

最後の部分から第1主題を抽出すると次のようになる:
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ところがこの旋律は1番目と3番目の音で7度を構成し、しかもその第7音は先に述べたように「半音上げない第7音」なので何となく粗野な感じが否めない。その一方で、ある種の力強さみたいな雰囲気を醸し出すことはできるが、何となく違和感がある。

では第1主題を次のように若干変化させてみたらどうだろうか?
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この場合は第1音と第3音がオクターブを形成し、力強くもあり、幅の広さみたいな感じも出すことができる。スケールの大きさを表出するのは良いことではないだろうか。

そんな事を思いついてしまったので、またここでしばらく曲作りが停滞した。でもマイナスの停滞ではなく、より良いものを作るための醸成期間だと思えば気持も前向きに転じることができる。もうひと頑張りだ。

2013年2月13日 (水)

美術アーカイブ:2000年(1) 猪熊弦一郎展

2000年に入って真っ先に行った展覧会は「20世紀を生きたモダニスト 猪熊弦一郎展」(東京ステーションギャラリー)であった。「Guen in New York 1955-75」という副題通りニューヨークでの制作活動に重点を置いた展覧会だ。

この素晴らしい画家に関しては、私が下手なコメントを書くより図版を紹介した方が早い。まずはチラシの表面から紹介しよう。採用されたのは「水辺B」。

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次はチラシの裏面に移る。左上「海と女」。右上「猫と食堂」。その下「顔80」。中左「驚く可き風景」。中右「飛ぶ日のよろこび」。下「風景」。

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半券はチラシ表面と同じく「水辺B」。

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半券の裏は記録性を高めるために残しておこう。

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そして図録の表紙。採用されたのは「二つの岸C」。

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図録の裏面には特に作品は載せられていないが、楽しい。

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購入した絵葉書「ピンク・丸・角」。

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以上で猪熊弦一郎の様々なタイプの作品が並べられたが、まだ足りなかった。図録の中にいこう。「対話彫刻」として紹介されているが、「オブジェたち」と呼んでも差し支えあるまい。

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この画家は好きだ。なぜかという理由は関係なく、ただ好きだ。

2013年2月12日 (火)

半券の復権12:東京海上フィル定期演奏会

「東京海上フィルハーモニックオーケストラ<TEMPO>第20回定期演奏会」(Bunkamura オーチャードホール)に行った。画廊主に誘われるという珍しいケースだった。

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演奏も上手だったのだが、プログラムも素晴らしかった。何よりも良かったのは演奏メンバの舞台配置を紹介したことだ。しかも楽器のイラスト付きなので理解しやすく、楽しい。さらにこの図は今回演奏したすべての曲ごとに別々に作られていたのだ。こんなプログラムは初めて見た。

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またメンバー紹介のページでは、今回ステージに乗る機会の無かったメンバーも含め、所属も記述することによって充実度を高めている。さらにスタッフ陣の紹介にも手厚い。裏方でがんばった人達を称える意味でも、このようにきちんとした記述は歓迎されると思う。

プログラムと同時に感心したのはチケットである。私はひところ「チラシらしさ」と「半券の復権」というシリーズで記事をよく書いていた。「半券の復権」とは、大きなチラシに対し、ただそのデザインを踏襲するのではなく、小さいスペースなりに独自のデザインを主張するような半券を紹介するシリーズだ。

ところが最近これらのシリーズはご無沙汰気味で、前回「半券の復権」を書いたのは2009年の9月に遡る。おおよそ3年半もの間、遠ざかっていたわけだ。今回東京海上フィルの半券を見て、これは「半券の復権」の記事を書かねば、と思った。その理由は・・・まずは半券そのものを見て戴きたい:

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上に紹介したプログラム表紙(モスクワの赤の広場のイラスト)と全く異なるデザインが施されている。まず第一に色調が赤と緑という補色関係だ。そしてプログラムは3番目に演奏したチャイコフスキーの祖国をイメージしている。それに対して半券はシューベルトで対抗している。

なぜシューベルトかと言うと、半券に印刷された譜面は「未完成」の第3楽章のスケッチの一部だからだ。シューベルトは総譜とピアノ用スケッチで第3楽章の楽譜の冒頭部分を遺している。この半券に印刷された譜面は、ピアノ用スケッチの途中の部分だが、デザイン的にも半券によく調和している。

プログラムが良くて、チケットが良くて、演奏も良かったから三拍子揃っている。そういえば「未完成」は第1楽章、第2楽章、途中まで書かれた第3楽章のすべてが3拍子だったなあ。

2013年2月 9日 (土)

創作日記:怒りの日―7

全体構成がどうやら落ち着いたので、こんどは4つの主題を作る段階に入った。バッハの「フーガの技法」の有名な未完のフーガ(コントラプンクト19)は完成されていれば4つの主題が使われ、最後にそれらが同時に鳴るという想定がなされている。私はそれに倣って最後に4つの主題の同時再現を意図した。

4つの主題を同時に鳴らし、かつ和声的にも調和を保つためには、最初に4つの主題が重なり合ったところから作るのが近道だ。決まっているのはヴィオラのパートで「怒りの日」の第4主題を鳴らすことだけ。他はそれに調和するように作ってゆく必要がある。

私はここである事を思いついた。「怒りの日」の出典の聖歌は変拍子だった。この原型を損なわず、なおかつ4拍子に乗せてみようというアイデアである。そうやって作ったのが次の最終部分だ。

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ヴィオラが鳴らす「怒りの日」のテーマは5拍子で始まる。全体を4拍子で構成すると1拍(四分音符1つ分)余る。これを次の小節に移してしまうというのが趣旨だ。

こうする事により原型が保たれ、なおかつ4拍子が崩れず、なおかつ和声的にも調和して、さらにこの「ずれ」がある種のシンコペーションのようになり、曲に変化を与えるという仕掛けになっている。

この重なりをしばらく温めておき、しばらくして再検討してみよう。このままでよしとするか、あるいは手直しするか、あまりあわてず進めてゆこうと思っている。

樋浦久子個展

「樋浦久子個展 鉛筆・色鉛筆・コラージュ」(ギャラリー オル・テール:京橋)に行った。

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写真と見間違う作品が多かった。それらが鉛筆だけで描かれているのが驚異的だ。ガラスの靴の絵は透明感があってすがすがしかった。またコラージュは観ていて楽しくなった。

作家が在廊だったので、大きな作品にどれだけ日数がかかるかと聞いてみた。するといくつかの作品を平行して描いているので、1つの作品にかかる時間はわからないという。

1つの作品だけに取り組むと集中力を継続するのが難しいが、他の作品に移ってからまた戻ると気分転換にもなって良いらしい。なるほど、普段の生活や仕事でも、いろいろ同じような事が思い起こされる。

樋浦久子の作品を観るのはこれが2度目だ。前回は2010年の5月、銀座の純画廊で開催された「樋浦久子 鉛筆画展」だった。

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その時、作品を一つ購入した。今我が家のリビングの一角に飾っているワイングラスを描いた小品だ。画像の処理が下手で、これでは作品の良さが100%伝わらないが、実物はとても美しい。

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この作家の作品は、今後も継続して観たい。

2013年2月 6日 (水)

岩田俊彦展

「岩田俊彦展 ウルシエレクトロ」(ジネタ:藤沢)に行った。

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この展覧会に行ったのは、会場が地元であることと、漆工芸に興味を持っていたからという2つの動機があったからだ。しかしそれだけなら普段と何も変わらない。この展覧会にはもう一つ重要なポイントがあった。それは2010年の秋に行った「会津・漆の芸術祭」だ。

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私はその会期中、妻ジョアンナ(仮名)たちの酒蔵でのコンサートを応援に会津若松市に行っており、空いた時間にこの芸術祭を観てまわっていたのだ。当時の様子は拙ブログの「会津・漆の芸術祭」という記事に書いてある。

その時はコンサートというメインの目的があったのでアート鑑賞にはあまり時間を取れず、岩田俊彦の作品も観る機会が無かった。一種のニアミスだが、もし観ていたら今回の藤沢での展覧会は感無量だったろうなあ。

岩田俊彦の漆作品は楽しい。遠くから観ると伝統的な漆工芸そのままに見える作品を間近でよく見ると小さい髑髏が微笑んでいたりしている。なかなか遊び心が達者な作家らしい。

また案内葉書に採用された「イナズマガタ ジュウサンミイッタイボン」は、稲妻の形に組み合わせることができる13の小さい盆だが、この作品には奥深さがある。これは表面的にはユーモアの感覚にあふれた造形的作品だが、その一方で故・平松敬子を偲ぶという背景を有しているのである。

真摯な中にも遊び心を忘れず、観る人を楽しませてくれる作家だ。

2013年2月 1日 (金)

絵葉書の世界(15) 午前4時の宮殿

「絵葉書の世界」のシリーズは一昨年の5月に第14回目を数えたが、その後途絶えていた。この1週間、部屋の整理をしていて保管してあった絵葉書を「発掘」したので久しぶりに記事を書こうと思った。

ジャコメッティは、どちらかと言うとあまり好きなアーティストではない。細い人体表現がどうもしっくりこないのだ。ところがこの「午前4時の宮殿」は別格だ。私はなぜかこの作品だけは大好きで、他の記事でも時々引き合いに出している。

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細い木の棒を簡単な接着方法で組み立てた危うい構造だが、不思議と存在感がある。そしてそこに漂う何とも言えない詩情と奥行を感じさせる作品だ。

仮にジャコメッティが生涯でこの作品1点だけしか遺さなかったとしても、私はジャコメッティを尊敬するだろう。それぐらい素晴らしい作品だと惚れ込んでいる。以前、ニューヨークの近代美術館で実物を観たことがあり、それはそれで良かったのだが、この絵葉書だけでも私にとっては価値があるのだ。

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