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2013年1月31日 (木)

ア・ピアチェーレ 声楽発表会

「ア・ピアチェーレ 声楽発表会 Vol.5」(藤沢リラホール)に編曲とチェロでの伴奏演奏という形で参画させてもらった。

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ア・ピアチェーレとは、オペラ歌手 早河明子が指導する声楽のグループである。発表会は今回で5回目を数える。

私とこの発表会とのお付き合いは前回(Vol.4:2010年1月)に始まり、これで2度目である。主たるピアノ伴奏は罍 真希子とジョアンナ(妻:仮名)が交代で受け持ち、何曲かはジョアンナと私の編曲によりヴァイオリン(矢追美晴)と、チェロ(私)が加わりアンサンブルの形で伴奏した。

前回も同様であったが、発表会本番におけるお弟子さん達のテンションの高さはすごい。美しいドレスに身をまとい、日常生活ではとても出来ないような声としぐさで愛などの情感を歌いあげるのだ。この迫力にたじたじとなりながら、何とか予定の伴奏を弾き終えた。

なおアナウンスの宮崎育代は美しい声で進行に華を添えてくれた。また一番弟子の戸田順子の気配りも発表会の成功に貢献していた。そして今回歌う機会は無かったお弟子さんは、サポート役をてきぱきとこなしてくれていた。適材適所という言葉はア・ピアチェーレのためにあるようなものだと思った。

コンサートで知り合った画家

出会いには様々な形がある。最近は大きな展覧会より画廊を訪ね歩くことが多くなってきた関係で、画家・彫刻家とギャラリーで知り合う機会が増えてきた。これはよくあるパターンだ。それに対し、コンサートで画家と知り合うのは珍しい。私は過去に一度そういう事があった。

2003年の6月、私は「クロスカルチャーセンター」という施設で開催されたコンサートにチェロで出演していた。その時演奏したのは、♪デ・フェスのチェロソナタ ニ長調、♪パラディースの「シチリアーナ」、そして♪モーツアルトのヴァイオリンソナタ k304ホ短調より第1楽章だった。(原曲より1オクターブ下で演奏。ピアノはいずれも妻ジョアンナ:仮名)。

終演後、声をかけてくれた人がいた。それが神崎憲子という画家だった。その時名刺代わりにともらったのが第33回 新院展で金賞を獲得した「或る街角」という作品の絵葉書だった。私はこの絵を気に入り、それ以来 神崎憲子という画家に注目するようになった。

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伊東深水門下・荒野よしえに師事したというから本格的な日本画家だと思うが、この「或る街角」を観ると洋画のようなたたずまいだ。最近は洋画と日本画の境界線が失われつつあるのだろう。

その神崎憲子が今年の4月より絵画教室を開くと聞いた。月2回のレッスン・5千円の月謝で日本画を教えるそうだ。(その他、デッサン、パステル画、水彩画も若干安い月謝で手ほどきするとのこと)。教室の場所は神奈川県川崎市中原区上小田中7丁目。問合せ先は044-400-8595。(画家本人の了承のもとに情報を開示しています。)

*私はコンサートの後も神崎憲子に数回会っており、気さくで明るいという印象を持っています。興味ある人は気軽に連絡してみて下さい。

2013年1月29日 (火)

アントニン・レーモンド 遠藤 新 展

「第12回 藤沢市30日美術館 アントニン・レーモンド 遠藤 新 展」(藤沢市民ギャラリー)の初日に行った。

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先日仲間と「旧近藤邸」を見学したが、チラシの右下に写真が掲載されている通り、今回の展覧会でも同邸宅が取り上げられていたので嬉しかった。

興味深かった点を列挙してみよう:
♪レーモンドはフランク・ロイド・ライトにあこがれて弟子になったが、「大樹の陰」からの脱出を図り独立していったという話。
♪レーモンドがヤマハのアップライトピアノのオリジナルデザインを手掛けたこと。
♪遠藤 新が心臓発作で入院した際、フランク・ロイド・ライトが見舞金を送ったという心温まる話。
♪「旧近藤邸」が結婚相談の「見合い所」として活用されたという話。

展示された写真パネルそれぞれに付けられた解説文は読んでいて面白い。様々な事情によく通じた人が執筆したのだと思う。

2013年1月28日 (月)

美術アーカイブ:1999年(6) 島田章三展

「かたちびと-島田章三展」(平塚市美術館)は楽しい展覧会だった。

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「かたちびと」のスタイルは長期間にわたり継承されてきている。もし島田章三の絵を好まない人がいるなら(そういう人はいないと思うのだが)これをマンネリと呼ぶかもしれない。

私は島田章三の絵が好きなので、好意的な表現になる。「かたちびと」連作は類似の作品が続いているが、それぞれの作品は変奏曲のように微妙に変化しつつ、独自の個性が光っている。

島田章三の作品は、多くがキュビズムにベースを置いているように見える。キュビズム好きの私にとっては、それがまた島田章三のたまらない魅力につながっている。

例えば「卓上の静物」は、構成といい色彩といい、まるでブラックだ。

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冒頭に書いたことの繰り返しだが、島田章三を好まない人はこれをブラックの真似と呼ぶかもしれない。それに対して私のような擁護派は、キュビズムのエッセンスを取り入れて、それを日本的に咀嚼し、さらに血の通った作品に昇華させている・・・と言って対抗したくなる。

ひいきの画家・島田章三の作品の魅力は尽きない。

2013年1月27日 (日)

美術アーカイブ:1999年(5)現代日本絵画の展望展

「現代日本絵画の展望展」(東京ステーションギャラリー)では抽象・具象などのスタイルの偏りがなく、様々なタイプの新しい絵画が集められていた。ほぼ同時代における絵画の広がりを俯瞰するには良い機会だった。

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その反面、悪い意味で「総華的」と解釈できなくもないが、まずは私のような一般的な鑑賞者に現代絵画の幾多のシーンを味わってもらうという趣旨が強いだろうから、この場合は前向きに良い評価をすべきだろう。

今から十数年前の展覧会だが、ここで紹介された中に現在知名度が高い作家が何人かいた。

♪内田あぐり
私の好きな画家の一人だ。展示された「吊るされた男’99」は、その後の内田あぐりの作品に見られる明瞭な線ではなく、不定的だが力強いタッチだった。アンフォルメル、あるいはフォーヴ的という感じだ。

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♪千住 博
いつの間にかスターになっていたようだが、この展覧会で既に「ウォーターフォール」(瀧)が展示されていた。瀑布の持つ力に霊性のようなものが加わった感じがする。すごい迫力だ。

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♪堂本右美
くっきりした直線主体の幾何学的構成(冷たい抽象)とグラデュエーションのかかった曲線(温かい抽象)が同居しているような作品「無題」が展示されていた。こういう作品は好きだなあ。

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上記の3人の他にも気鋭の作家が力作を披露していた。

♪佐藤 武
「都市の記憶」はとても印象深い作品だった。廃墟となった都市の上空に、かつての美しい姿をしていた都市の残像が漂っている。これは廃墟を擬人化し、自分自身がかつて美しく栄えていた時代の夢を見ているようにも解釈できそうだ。

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♪若月公平
「連鎖の森~1」も幻想的な作品だ。モノクロームでこれだけの表現を成し遂げてしまうのがすごいと思う。

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♪西久松吉雄
「鬼伝説の風景」は土俗的な手触り感と、洗練された構成感の両面を併せ持っている。そういう意味では、ブランクーシの彫刻作品のようだ。抑制の効いた色彩もまた素晴らしい。

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この展覧会は展示点数はさほど多くなかったが、インパクトのある作品が多く、楽しめた。

2013年1月26日 (土)

創作日記:怒りの日―6

前回の創作日記(-5)で全体構成のダイアグラムを紹介した。その時はこれで構成も固まったなと思っていた。

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しかし時間が経過したら、構成に懲りすぎたかなと思うようになった。「怒りの日」のテーマが割り込んだ事により、前半の第1主題を「新・第2主題」に読み替えるとは、まるで西洋の月の名称みたいだ。

余談になってしまったが、「OCT」は「8」の語源なのになぜ「OCOBER」が10月かという話である。ジュリアス・シーザー(7月)とオクタビアン(8月)の2人の英雄が割り込んだためだと言われているが、この話は主題の番号の読み替えに少し似ている。

そんなややこしい事をせずに、もっと単純に素直にやれないものか。そう考えた私は、単に4つの主題のフーガとし、第4主題(怒りの日)の呈示だけ、少しもったいを付けて弾けばいいのではないかと思った。その結果、ダイアグラムは次のようにすっきりした。

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どうもこれあたりが落としどころではないかと思う。全体形式で足踏みしすぎると、いつまでたっても実際の作曲に着手できない。そろそろ決めちゃおうかな。

2013年1月23日 (水)

鉛筆画五人展

「Black and White Fantasy –鉛筆画五人展-」(art Truth:横浜)に行った。

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読んで字の如く、5人の作家が鉛筆画で黒と白の織り成す幻想を繰り広げるという展覧会だ。案内葉書に紹介された5人の作品を観ただけで、展覧会のキャッチフレーズが大げさなものではない事がわかる。

特に葉書の左端に紹介された作品の作家・小林岳(たけし)の力量はすごかった。この画像では判別がつきにくいが、鉛筆で描かれた女性の肌が、まるで生身の人間のように感じられた。しかも白黒である。

また、モノクロームの画面であるにもかかわらず、一種の色彩感も感じ取れた。これも微妙なグラデュエーションなどを緻密に構成した効果なのだろう。恐れ入りました。

2013年1月22日 (火)

竹村健・博三 親子 作品展

「竹村健・博三 親子 作品展」(湘南画廊:藤沢)に行った。

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お父様の博三さんの絵画が5点、健さんの版画を中心とした作品が多数展示されていた。案内葉書には梟(ふくろう)が並んだ作品が採用されていた。幻想的な雰囲気を持っているが、他の展示作品もシュール的、心象風景的なものがあり面白かった。

木版の中に木口木版を組み合わせた作品があった。昨年、鎌倉の画廊「ジ・アース」で観た三塩佳晴の作品の中に同じアイデアで制作されたものがあったのを想いだした。両者の味わいの微妙な違いが面白かった。

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なお竹村健はもと舞台俳優で映画・テレビにも出演していた。有名なところでは(主演ではないが)黒沢明監督の「まあだあだよ」とか、山田洋次監督の「男はつらいよ」等である。マルチの能力を持った作家だ。

2013年1月21日 (月)

創作日記:怒りの日―5

「怒りの日」の主題を柔軟に考えて構わないという安心感を得て一安心した。次は全体構成だ。昨年作った「4つの主題によるフーガ」の第2番を作るというのが私にとって最も望ましい形だ。それ以外には「怒りの日」の主題単独でフーガを作るなどの代替案もある。

ここで当初ネットで調べた「怒りの日」のテーマをもう一度吟味してみた。この主題は現代の記譜法では変拍子となる。そのためベルリオーズがやったように主題を自由に変形させ、都合のいい4拍子などに変えるというのがこれまでの案だった。

しかし、もう一度よく考えてみたら、「怒りの日」のテーマはこの変拍子によってある種の威厳というか品格が備えられているような気がした。前の記事で「日本の歌謡曲や演歌と同じで、どこか世俗的・土俗的な響きがする。」と書いたが、同時に「ある種の力強さも感じさせる。」とも書いた。この後者の印象が「威厳」とか「品格」につながるような気がしてきた。

そこで考え直した。いっその事、忌み嫌っていた変拍子でフーガ全体を作ろうか。しかしそれは結構難儀なことだ。何か打開策はないだろうか。

するとある事を思いついた。旧来のフーガの形式に固執する必要は全くない。自由な形式で全体を構成すればいいじゃないか、と考え始めたのだ。

例えば冒頭からしばらくは3つの主題のフーガとし、(弦楽四重奏を念頭に置いているので)4つの楽器のうち3つが主題を奏し、1つを残す。残す楽器はヴィオラにする。そしてフーガがひととおり終わったところでヴィオラが「待ってました」とばかり「怒りの日」を第4の主題として単独で浪々と奏でる。ここではオリジナル通り変拍子で演奏する。

ヴィオラの朗誦が一通り終わったら、4拍子に戻し、そこから新たに「怒りの日」を第1主題としてフーガを再開し、その後元の第1~第3主題を新たな第2~4主題として加えて展開し、最後はもちろん4つの主題を同時に鳴らして内省的な盛り上がりを見せて終結するという案である。ダイアグラムを作ってみた。

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もう少し考えてみて、もっと良い案が無ければこのダイアグラムに沿って作曲をしようと思った。さあ、どういう方向に向かうか?

行きたかったけど行けなかった展覧会

 「田中一光とデザインの前後左右」(21_21 DESIG SIGHT)に行きそびれてしまった。

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田中一光については、著書「デザインと行く」(白水Uブックス)を読んである程度知っていた。巨匠なのに謙虚な人だな、という印象を受けていた。

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作品に関してはチラシの裏面に紹介されたポスター「NIHON BUYO」など、多数を展覧会で観ていた。面白く、楽しいデザインだと思った。

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この展覧会で田中一光の仕事の集大成みたいなものが観れるだろうと思って期待していた。しかしなかなか足を運ぶ機会がなく、とうとう会期が終了してしまった。残念だ

2013年1月20日 (日)

行きたかったけど行けなかったコンサート

今日は「原 善伸 ギターリサイタル」(ヤマハホール)の日だった。デビュー40周年を迎え、「ラルゴ」というCDの発売記念でも重要なコンサートだ。画家・古澤 潤の個展を通じて知り合い、親しくなった演奏家なのでぜひ行きたかった。しかし風邪をこじらせ、とうとう行けずじまいだった。

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チラシで紹介されたプログラムにA.タンスマンの名前があったので、どんな曲か聴いてみたかった。この作曲家は松平頼則の「近代和声学」で譜例が採り上げられている。また弦楽四重奏曲の小型スコアも購入していた。しかし一般にコンサートであまり取り上げられる作曲家ではなく、これまで上記以外の接点が無かった。そのために興味を抱いていたのだ。

友人が何人か聴きに行ったので、後日感想を聞くのが楽しみだ。

ともよあずさ

「New Year Concert 2013 ともよあずさ」(横浜みなとみらいホール 小ホール)に行った。

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ほとんど毎回足を運んでいるお気に入りのコンサートシリーズだ。演奏技術は申し分ないのだが、若い2人なので、これまでは演奏以外の要因について辛口の感想を抱いていた。例えば観客に向ける笑顔が少ない、というような事である。

ところが今回の演奏に接し、そのような評価を改めなければならなくなった。体全体を使った表現を含め、舞台の雰囲気を作っていたからだ。

「音が鳴る前から音楽になっている」という表現が使われることがある。私はこれまで、そのような考え方は疎んじていたのだが、今回の演奏では本当にそのような瞬間があり、驚いた。

例えば弱奏で始まる箇所があったとする。二人の演奏者は「これから小さな音で始めますよ」というように構える。するとその暗黙のメッセージが観客にも伝わる。そのような緊張感の中で演奏が始まり、徐々にクレッッシェンドしていって盛り上がる。そのような曲の作り方だ。

2人のうち片方がメロディーでもう一人が伴奏に回る場合、伴奏においても、メロディーを口ずさみながら一緒に曲を組み立てているという感じも伝わってきた。実際には声に出して歌うことはないのだが、そういう雰囲気を醸し出していたのだ。

演奏技術についてはよくわからないが、今回マリンバは技術的に高度な曲に果敢に挑戦したという感じだった。ピアノは「水の戯れ」で響いた音の美しさが素晴らしかった。

よつい展

「第2回 よつい展」(成城さくらさくギャラリー)に行った。

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四辻を意味する「よつい」の名称通り、4人の若手日本画家による展覧会だ。今回はメンバーの一人市川裕司が五島記念文化賞新人賞を獲得したばかりで、喜ばしい雰囲気がたちこめていた。ただご本人・市川裕司がドイツ研修のため欠席だったは残念だった。

♪荒木享子
私が行った時間に在廊で話を聞くことができた。何点かの展示作品のうち私が最も好んだ作品は「縞の卓上」だったが、この作品はチラシ(上に掲載)に採用されていたので作家ご本人の趣味と合致したらしく、嬉しかった。

表面は柔らかく、優しいのだが、その背後に骨太なコンポジションが控えているようで、それも私の好み通りだった。イメージで言うと、直線で構成された骨組みをまず描いて、その上に塗り重ね、最終的には骨組みを覆い隠して見えなくした、という感じだった。

実際には構成は頭の中で作り、直接描いてゆくというプロセスなのだろう。その統制力がすごいと思った。

♪船橋巧宣
日本画の修復や模写で技術を磨いている作家だ。ネットで調べると、模写のために膠(にかわ)などの素材を自作しているらしい。手間がかかり、大変な作業だと思う。

ところが今回展示された数点の作品を観たら、どれも伝統的な日本画から距離を置いたような内容だった。得意技をあえて封印し、それ以外の力を試してみたという感じだ。

さらに驚いたのは1点1点作風が異なったこと。まるで何人かの違う作家が競作したような感じだった。制作技術だけでなく、作風に関しても様々なものにトライしたというところだろうか。

♪阿部友子
前回(昨年の1月)は美しい花の絵が中心だったが、今回はチラシに採用された「雪叢」が異なった作風に見えた。新たな境地を見出したのであろうか。

樹の枝が触手のように伸び、植物ではなく動物のような印象を与える作品だ。ところがその反面、オーストラリアのアポリジニが描く絵画のような記号性も感じ取れた。両者は相矛盾するようだが、画面に綺麗に収まっていた。

作品名は「あかり」であっただろうか?金網に花がからんだ作品があった。これは前回も観た記憶がある。背景を無地にしたほうが花の美しさが際立つだろうが、あえて金網を配するところに工夫があると思った。下手に描くと金網が邪魔してすっきりした美しさが損なわれるであろうが、そんな事はなかった。そのあたりがこの作家の力量なのかと思った。

レセプションには参加できず残念だったが、次回(第3回)に期待しよう。

アートと音楽

「アートと音楽 -新たな共感覚をもとめて-」(東京都現代美術館)に行った。

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♪セレスト・ブルシエ=ムジュノ「クリナメン」
この作品は大いに楽しめた。NHKの「日曜美術館」でも観たが、テレビより音が美しく響き、陶器の動きとぶつかり合う様に臨場感があった。やはり本物は違うなあ。CDと生演奏の違いに少し似ていると思った。

陶器の器が出す音はデタラメではなく十二の音階に基づいているようであった。また水流はポンプにより一定の速度を保つように仕掛けられていたようだった。これらの要素を考えると、この作品はジョン・ケージ創案の「偶然性の音楽」と、その後に提唱された「管理された偶然性」の中間あたりの領域に属すると思った。

♪ジョン・ケージ「4分33秒」
ジョン・ケージの名前が出たついでにこの作品についてこれまで考えてきたことを記しておこう。私は、これは「コンセプチュアル・アート」だと思う。そしてこの作品はアートあるいは音楽とそうでないものとの境界線上にあると考える。私はこの作品に接することによりある種の「閉塞感」を感じてしまう。

これは強引な例えだが、仮に私たちが宇宙人に捉えられ、広大な敷地に軟禁されているとしよう。その土地は非常に広く、一つの国家ぐらいあると想定する。そして普段住んでいる地域から離れたところは常に厚い霧がたちこめ、遠くまで見通せない状況だと仮定する。

私たちはそこで平安無事に毎日を送っている。生活の糧もあるし、娯楽もある。森も湖も山もあり、生活に飽きることはない。

しかしある時、この霧が一瞬にして晴れたとする。それにより遠くまで見通せるようになる。すると、遠方には高い壁が万里の長城の如く立ち塞がっている。その壁を見た瞬間、私たちは囚われの身であることを自覚し、それまで抱いたことのない閉塞感に襲われる。

ジョン・ケージが示したこの「4分33秒」は、まさにこの「霧を取り払う」役割を果たしたのだ。そして私はそのお蔭で閉塞感をおぼえ、アートや音楽を考える際に、何とも言えない圧迫感を感じるようになってしまったのだ。

実際には、この「境界線」に行き着くまでの間には無尽蔵のアイデアや可能性が広がっているのだが、それを単純化して考え始めると「閉塞感」が頭をもたげてくるのだ。現在、私はこの「閉塞感」の呪縛から逃れ、ようやく気持が静まっている段階なのだが、何十年か前ではそうはいかなかった。この作品の「マイナス効果」というか「足を引っ張る効果」は絶大であった。

♪バルトロメウス・トラウベック「Years」
輪切りにした木の幹をターンテーブルに据え付け、レコード針の代わりに小型カメラを配して木目を読み取り、そのデータをあらかじめ定めた方式で音に変換するという作品だった。

音程、音色、音の強弱の変化が通常の音楽と異なり予測不能で、それが面白かった。自然(この場合は樹木)の生み出した紋様をベースとしているので、これは「偶然性の音楽」ではない。ただ、日常なじんでいる音楽との違いが大きいため、「偶然性の音楽」に似通った印象を受ける。

このような作品では変換テーブルの作り方で出される音が全く異なるから、作家はそのあたりに腐心したのであろう。楽しい作品だった。

♪池田亮司「data.matrix[n゜1-10]」
プロジェクタが一列に10個並び、壁面に文字や記号で構成された膨大なディジタルデータが映し出される。それらが高速で動き、硬質で無機的なイメージとなって眼に飛び込んでくる。そこには現代的な詩情が溢れている。

もしプロジェクタが一つだけだったら、大してインパクトを受けないであろうが、10個だと迫力がある。端から端まで距離があるので、行きつ戻りつして観て楽しんだ。私はこれまでテクノロジーだけで構成したアートは疎んじていたが、これような優れた作品なら一目置かざるを得ない。

他にも面白い作品がいくつかあった。東京都現代美術館は遠いし入場料が高いので最初は行くのをためらっていたが、内容が面白かったし、常設展が充実していたので行った甲斐があっ

2013年1月17日 (木)

創作日記:怒りの日―4

「怒りの日」はグレゴリオ聖歌なので、古典派やロマン派の旋律線と異なる点がある。例えばモーツアルトやベートーヴェンが似たような旋律を作った場合、99%次のような形にしている:

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つまり短調の第7音を半音上げて「導音」としているのである。これに対してオリジナルの「怒りの日」の場合、第7音は半音上げずそのままである。

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この形は日本の歌謡曲や演歌と同じで、どこか世俗的・土俗的な響きがする。転じて、ある種の力強さも感じさせる。

この旋律的特徴は、フーガを作るにあたりメリットとなるような気がした。なぜかというと、上に述べた半音下げない第7音(ハの音)と主音(ニの音)を同時に鳴らした場合、その間隔が全音になるので軋轢(あつれき)が小さいからである。逆に半音上げて導音にした場合は間隔が半音になり、これは鋭い不協和音を生む。

このようなアドバンテージを得たので、やり易くなった反面、言い訳が出来なくなった。いわば「背水の陣」に自分を追い込んでしまったわけである。これは大変だ。粗末なものは作れなくなってしまったぞ。

2013年1月14日 (月)

創作日記:怒りの日―3

 「怒りの日」についてネットで調べてみようと思った私は、帰宅してすぐWikipediaにあたってみた。するとグレゴリオ聖歌の一つとして修道士セラノのトーマスによって選定されたという旋律の譜面が掲載されていた:

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これでよしと喜んだのも束の間、譜面をよく見るとある事に気が付いた。普通の楽譜に書き直すと次のようになるのだ:

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これはすごい変拍子だ。これでもフーガに仕立て上げることは出来なくはない。しかしいずれ仲間に演奏してもらうことになるから、可能なら易しい拍子で作りたい。

そう考えた私は、では過去の作曲家が「怒りの日」を作品にどのような形で取り込んでいたのかを調べることにした。まずは有名なモーツアルトのレクイエムの一部「怒りの日」を見てみよう。

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むむむ、これは何というか、原型をとどめていない。「怒りの日」はこのように作曲家によって自由に扱われていたのか。他の作曲家はどうだろうか。Wikipediaにはベルリオーズの「幻想交響曲」の第5楽章が紹介されていた。該当すると思われる箇所は次のような感じだ:

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こちらは原型に近い。しかも普通の拍子で書かれている。そうか、このベルリオーズの例のように、原型をある程度変形させて都合のいい拍子にすればいいのか。

というわけで「怒りの日」のテーマは原型を重んじつつも、他の声部との兼ね合いで多少変形させることも許容範囲として構成を考えてゆくことにした。これで基盤ができた。さあこれからが腕の見せ所だ。

2013年1月13日 (日)

創作日記:怒りの日―2

「怒りの日」という素材を使ってどんな曲を作るか?真っ先に思いついたのは大好きなフーガである。

昨年春、3つのフーガ、2つのカノン、その他2つの対位法的作品を曲集にまとめ「ポリフォニー工房」と名付けた。それを仲間と組んでいる弦楽四重奏団「クワトロ・ロッソ」のサロンコンサートで初演した。今年はその続編「ポリフォニー工房2」に取り組もうか、それとも「怒りの日」のフーガを単独に作ろうか、などのアイデアが頭の中を駆け巡った。

曲を作るからには舞台で演奏したい。手軽に演奏するには「クワトロ・ロッソ」のプログラムに載せるのが近道だ。ということは弦楽四重奏向きに作るということであり、とりあえず4声のフーガを作るという方向に定まった。

さて内容であるが、「ポリフォニー工房」で最も力を注いだ「4つの主題によるフーガ」をまた書いてみたいという気持が強まってきた。「怒りの日」のテーマを4つの主題のうちの1つに採用するという案だ。

そして前回同様、最後に4つの主題が同時に鳴うるようにしたい。そのためには、あらかじめ同時に鳴らしても和声的におかしくないように調整しておく必要がある。そしてまずは「怒りの日」と合うバス主題を考えた。次のような組み合わせである:

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そんな事をあれこれ考えていたが、私は「怒りの日」の正しい旋律があるのか無いのか、あるならどんな旋律なのかを知らない自分に気が付いた。それは帰宅後、ネットで調べることにした。

郷右近健二絵画展

「第3回JYU展:郷右近健二 絵画展」(大倉山記念館 ギャラリー:横浜)を観た。

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この日私は「クワトロ・ロッソ」の仲間と大倉山記念館の施設を借り、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を練習していた。その合間に観た個展だ。

「JYU」というのは「日本・横浜を憂う会」の略称で、今回の作家・郷右近健二の命名だそうだ。やがて失われていく景色を描き溜めるというのが趣旨らしい。なるほど展示された作品は、いま観ておかないと近いうちに消滅する可能性が高い景色が多い。例えば取り壊しが決まっている建物などである。

私個人的にはJR鶴見線「国道」駅下の風景を描いた作品が心に残った。ここは東京ステーションギャラリーが改装工事中に企画された「駅2008 鶴見線に降りたアートたち展」で立ち寄って感動し、ずっと残っていて欲しいと思った場所だった。ここも消え去る運命にあるのか。

また横浜山手界隈を描いた作品の中に、エリスマン邸の脇の細い坂道を下りていった所の風景があった。この森の中のようなたたずまいも今後どうなるかわからない。作品として残して戴いたのはとても嬉しい。

最後に来場者のために用意されたコーヒーを飲ませて戴いた。ありがとうございました。

小渕陽童展

「小渕陽童展 いにしえとモダン、和と洋の融合」(art truth:横浜)に行った。

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小渕陽童の個展は昨年も同じ画廊(art truth)で開催され、観に行ったのでこれが2回目である。作品は、表装の技術をベースとして独自に開発された「創芸画」という技法で制作されていた。小渕陽童はこの技法で特許も取得している。

「創芸画」とは、切り絵に似ている。布を切り貼りしてゆくのだ。ただしただ重ね貼りするのではない。例えば富士山の形を切り抜いて貼る場合、台紙側の布も同じ形にくりぬいて、そこに富士山型の布を嵌め込むのである。両者は形と寸法がぴっちり一致している必要がある。そうしないと隙間や重なりが生じてしまう。

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なぜこんな面倒なことをするかと言うと、作品に凹凸を生じさせない為だ。特に巻物などの場合は、くるくる巻いた時凹凸があると邪魔だし、すっきり綺麗に巻けない。

絵具で描いた絵画に似ているが、「創芸画」には独特の味わいがある。

2013年1月12日 (土)

創作日記:怒りの日-1

通勤電車の中でふと次の旋律が頭に浮かんだ:

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これは「怒りの日」だという事は知っていたが、なぜ突然このメロディーが思い浮かんだのか、その理由はわからない。

私はこの機会に「怒りの日」のテーマを取り入れて新曲を作ったらどうかと考えた。そしてこの単なる思いつきから曲の完成に至るまでの経過を記録にとどめておくのも面白いのではないかと思った。

これに気の利いた名称を付けようと考えた。しかし良い用語が思いつかない。例えば「セルフ・ドキュメンタリー」という言葉が内容的に近そうだが、これはどうやら映画用語らしい。「セルフ・ルポタージュ」というのも何となく響きが良くない。

そこで素朴に「創作日記」という名称にした。最終的にこのモチーフで曲が完成しなかったらどうなるか?それはそれで、失敗事例のドキュメンタリーと考えればよいと思う。

このような記録は、後に自己反省の材料として活用できそうだ。ただそのためには、みっともない事実も我慢して(恥ずかしさを抑えて)書く意志の力が必要だが、まあ何とかなるだろう

2013年1月 6日 (日)

2012年回顧:即興以外の演奏

1.自作曲の初演・再演
  ♪弦楽四重奏奏の為の「ポリフォニー工房」(初演)
   *意欲作「4つの主題によるフーガ」を含む自身作だ。

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    ♪弦楽四重奏曲第4番(初演)  
    ♪ピアノの為の二つの音画「山紫水明」より
   「水明:Crystal Water」(再演)
 

2.弦楽四重奏団「クワトロ・ロッソ」の演奏(自作曲以外)
  *第1ヴァイオリン・上様、第2ヴァイオリン・じゅんちゃん
   ヴィオラ・たかしくん、チェロ・ジョヴァンニのユニット。
  ♪ベートーヴェン弦楽四重奏曲 連続演奏
   2012年は、第1,3,4,5,7,9,11,15番および「大フーガ」
   *よくもまあ9曲も演奏したものだ。

3.ピアノトリオ「トリオレヴリー」の演奏
  *ヴァイオリン・じゅんちゃん、ピアノ・よいこ、
   チェロ・ジョヴァンニの3人のユニット。
  ♪ベートーヴェン 「大公トリオ」
  ♪ドヴォルジャーク 「スラブ舞曲」より(トリオ編曲版)
  ♪フォーレ ピアノ三重奏曲
  ♪ラヴェル「ボレロ」(トリオ編曲版)
  ♪サティ 「ジュ・トゥ・ヴー」(トリオ編曲版)
  ♪ラフ 「カヴァティーナ」(トリオ編曲版)
  

4.フルート、チェロ、ピアノのトリオ
  ♪ウェーバー 三重奏曲 ト短調(フルート、チェロ、ピアノ)
  ♪ドビュッシー 「夢想」(トリオ編曲版)
  ♪サティ 「ジュ・トゥ・ヴー」(トリオ編曲版)
  

5.その他のアンサンブル
  ♪根岸正典 「モモコズ・ララバイ」(ギター&チェロ)
   *立ち飲み「はるもき」の開店4周年を記念して開催された
    「はるもきふぇすてぃばる」での演奏。

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  ♪テレマン トリオソナタ ヘ長調
  ♪ショスタコーヴィチ「セレナーデ・ワルツ」(金子悟編曲)
  ♪プロコフィエフ「ロミオとジュリエット」より(金子悟編曲)
  ♪ロッシーニ 歌劇「ウィリアム・テル」序曲より(金子悟編曲)

6.チェロ独奏(ピアノ伴奏)
  ♪パラディース「シチリアーノ」(編曲版)
  ♪メンデルスゾーン「歌の翼に」(ジョヴァンニ編曲)
  *これらの2曲は「アトリエ・ラ・ヴィ」発表会で演奏。
   ピアノは同アトリエ主宰・福井陽子氏にお願いした。

2013年の抱負としては、既存の曲を漫然と演奏することを減らし、積極的に即興演奏あるいは自作曲の披露を多く行う方向にもってゆきたいと思っている。しかしそのためには精力的に作曲・編曲に取り組まなければならない。アート鑑賞三昧の生活のままではいけないのかもしれない・・・

2013年1月 5日 (土)

シャルダン展

 「シャルダン展―静寂の巨匠」(三菱一号館美術館)に行った。読売新聞の招待券を入手したのだ。読売新聞さん、いつもありがとうございます。

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ただ、予想はしていたのだが、こういうタイプの絵は苦手だった。どこが良いのかわからないのである。私は抽象画を愛するのだが、シャルダンの絵はその対極にある感じだ。

収穫としては、依頼主が対になった2枚の絵を注文し、シャルダンがそれに応えて制作した事など、この分野の知識が若干増えた点だろうか。

具象画の鑑賞には前提知識・教養が必要だから辛いものがある。

若い芽のコンサート

 聴く側の立場として、今年初めての音楽会「若い芽のコンサート」(横浜市栄区文化センター リリス ホール)に行った。企画はアンサンブル・アスコルタ。

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文字通り若い人たちが出演するコンサートで、今回は中学1年生から大学2年生までの12名が合計23曲を演奏した。おおよそ一人平均2曲である。声楽(ソプラノ)が多かったが、器楽もオーボエ、ホルン、ヴァイオリン、ピアノと楽器が多彩であった。

妻ジョアンナ(仮名)も伴奏ピアノで出演したから余計な事は書けない(苦笑)が、お世辞抜きで出演した「若い芽」たちがあまりにも上手なので驚いた。

終演後、主催グループ(アンサンブル・アスコルタ)から挨拶があり、「これは発表会ではなくコンサート仕立て」だという説明がなされた。コンサートであるからには、ただ単に上手に演奏すれば良いのではなく、舞台マナーなど付随的(実はこちらが結構大事)な面にも気を配る必要があるという事だった。なるほど、そういう意味でコンサートの形にするのは有意義だなと納得した。

演奏者とスタッフの方々、お疲れ様でした。

2013年1月 4日 (金)

アート鑑賞は成城から

 年明け最初のアート鑑賞は、成城さくらさくギャラリーの「新春展」で幕を開けた。

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ここは不思議な画廊だ。誰でも名前を知っている大家の作品が展示されたかと思うと、新進気鋭の若手アーティストの紹介もある。格調は保たれているが、親しみやすさも演出されている。ふらりと立ち寄られた近隣在住のアーティスト(今回の場合は墨絵画家)との会話も可能だ。そんな点がこのギャラリーの魅力ではないかと思う。

今年も大いに楽しませて下さい。

2013年1月 2日 (水)

風物詩:謹賀新年-伊豆

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