「第7回 湘南邸園文化祭 2012」は小田原から三浦半島に至る広義の湘南エリアを舞台に、屋敷とアートを融合させた様々なイベントの総称だ。

私の住む藤沢市でも屋敷でのコンサート等、種々の企画が立上げられた。その一つ「藤沢今昔 まちなかアートめぐり 2012」という企画がある。

これはさらに6つのサブ・イベントに分化されていて、私は「藤沢塾まるごとミュージアムツアー」と「水太鼓石演奏会」の2つに参加した。
ツアーの出発点は「くらまえギャラリー」。「藤沢宿」と書かれた赤い垂れ幕と「藤沢今昔まちなかARTめぐり」という黄色い旗が掲げられている。これらは会期中、市内の各イベント会場および関連スポットにも掲示されていた。

「有田家」という旧家では4人のアーティストが展示していた。

「となりのトトロ」には「まっくろくろすけ」という愛らしい妖怪が登場するが、この有田家にもアーティストASADAが創案した小さな怪物たちが棲息していた。

これは旧家でのインスタレーションにもってこいの題材を選択したと思う。子供の目線では「ちょっと怖いけど面白い」という効果を生むだろう。幼い頃からこのような現代アートに触れていると、一見難解なコンテンポラリーアートへの軟着陸を助けると思う。
一方佐野晴美は彩色した繊維を構成したオブジェを展示した。

旧家の蔵はほとんど無彩色でイメージが暗い。その前に赤や黄の色がキラキラ輝くオブジェを配置すると、その場がたちどころに明るくなる。このようなアートも旧家・蔵という場との相性が良いのではないかと思う。
「遊行寺」もツアーの対象となっていた。正式には「藤沢山無量光院浄光寺」といい、時宗の総本山だ。

ここでどんな作品を観るのかなと思っていたら、自然系学芸員の資格を持つ人が植生の解説をしてくれた。なあんだアートではなく植物か、と言うなかれ。「博打(ばくち)の木」なる珍しい樹木を鑑賞することができた。なお「バクチノキ」というのは正式名称である!賭け事に負けて身ぐるみ剥がされた状態に見えるからだとか。

高台の藤沢小学校に向かう坂道の途中に「厄神社」とい恐ろしい名前の神社がある。それだけでも充分なのに、祭っているのは鬼だという。こんなに怖いものだらけの神社だから、怨霊も怖がって退散するのだろうか。毒をもって毒を制すという感じだ。
そしてそこから少し上へ上った所が「堀内家地所」だ。同行した画家の一人が「八つ墓村みたい」と評していたが、その通りだ。藤沢駅から徒歩10分でこんなに怖い場所があるなんて知らなかった。そしてそこでインスタレーションを行ったのは伊東直昭。

白地に黄色い斑点を有した馬の喉のあたりから夕陽がのぞく。逆光の美。

「関次商店蔵」では私が大好きな彫刻家・熊坂兌子、佐々木薫、そしてフランスから来たポルスカ、の3人がコラボレーションを行った。
熊坂兌子は以前ニューヨークで制作した抽象作品を鏡に見立て、その周囲に神道の社をイメージしたような異空間を現出させていた。さすがベテラン、独特の雰囲気が漂っている。
佐々木薫は昔この蔵に住み着いて蔵を守っていたであろう動物が神になり、新しい時代に向けて蔵を守り続けるというイメージで天使のような作品を展示した。
ポルスカは大きな舟のオブジェを吊るし、その下の床に青いインクを直線状に引いていた。その青い線は影だという。影がなぜ青いかと聞いたら、空の青さが投影したというような説明をしてくれた。
影は影のみでは存在できず、必ずその反対側には陽があるという。例えばモグラは暗い地下に住み、目が退化している。そのモグラには「闇」という概念が無いのであろう。上下左右どこを向いても闇だらけだから、あえてそれに「闇」という名称を付けても仕方ないわけである。
これに対して地上の人類は陽光を浴び、そこを「明るい場所」と呼ぶ。その対極として暗い場所を闇と呼ぶ。だから闇は陽光が無いと成立しないのである。
さらに彼女は闇や影は青空があるから存在するのだから、そこに青が投影されてもよいというようなコンセプトを考えたらしい。このあたりは時間が無かったので詳しく聞くことができなかったが、このコンセプトを詩のように語ればこの作品はもっと美しく見えただろうと考えた。ポルスカに詩的なコンセプトを考えてもらい、日本語の訳詩を作るという工程を経ればの話だが。
ツアー終了後、引き続き「水太鼓石演奏会」を聴いた。
彫刻家・岩崎幸之助の制作した「水太鼓」を楽器として活用し、岩崎、音楽家の高橋洋之とアシスタントの3人で演奏するコンサートだ。
演奏に先立ち「水太鼓」の上に立つ岩崎幸之助。円盤状のこの作品の大きさがわかる。

演奏が始まった。岩崎は最初から最後まで、水太鼓を浸したプールの水を木の板でひたすらかき混ぜていた。「ひねもすのたり・・・」という感じで、悠久の潮の満ち引きを表しているかのようだった。これに対して高橋は三味線を弾いたり、脇に置かれた小さな水太鼓を叩いたり、穴に管を差し込んで管楽器のように吹いたりと忙しく立ち回っていた。アシスタントは電子音響を鳴らしていたらしい。

三者はそれぞれ異なるリズムの世界にいた。岩崎は機械のように正確ではないが、ほぼ一定の周期で水をかき混ぜていた。高橋は様々な音色を出すなかで、音と音の間隔を自由に変化させていた。そして電子音響のほうは機械的に正確なリズムを刻んでいた。

このように3つの異なるリズムが同時に鳴るとどうなるか?波長が接近しているとモアレ効果を生むかもしれない。少しずれると一種のせめぎ合いのようになる。そして時折偶然にピタっと合ってしまうと、そこに音楽の山が来る。
このように、今回の演奏会では有機的(人間的)リズムと無機的(機械的)リズムの交錯という点がポイントの一つであったように思った。そこに、主として高橋が受け持った音色の多彩な変化という側面が加わり、このコンサートを面白くしていたと考える。
皆さんお疲れ様でした。
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