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2012年9月20日 (木)

たかが・されど三部作

最近の災難「たかが・されど」シリーズでは、既に<左手の爪>と<右足の弁慶の泣き所>の2カ所について記事を書いた。もう一つはおでこだ。

2つの禍と時を同じくして、食器棚の扉の角に額を打ち付け、瘤(こぶ)を作ってしまったのだ。重傷ではなく、腫れも目立たなかったのだが、痛みはこれが一番あった。

悔しいので詩でも創作したかったが、前回と違って何も浮かばない。その代わり「おでこ」という題材を取り上げた「一科事典」を思いついた。

♪額(ひたい)
「顔の上部で、眉と髪の生え際の間のことである」と辞書は仰々しく説明している。なるほどそうかもしれないが、これではつまらない。

額といえば、バルテュス描く少女のおでこを想いだす。そんなに広い額ではないのだが、額そのものに存在感がある。よく観ると、多くの少女像の額には起伏が見られることがわかった。その凹凸のために、額の存在が際立っているのだ。これで新たなバルテュス論を展開できないかな。

♪額(がく)・額縁(がくぶち)
では今度はどうだ?同じ漢字なのに、読み方も違うし異なる意味になる。額縁は「額(ひたい)の縁(ふち)」が語源だそうだ。絵を飾る額はひたいと親戚だったのか。

むかしむかし「額縁ショー」なるものがあった。今は死語になっているかな。それで思い出したのだが、知人の画家がある時ストリップ劇場に通い、ヌードダンサーをスケッチして油絵を描いた。それがどうした?と言われそうだが、その画家は女性なのである。一昔前だったら、社会に受け入れてもらえなかったかもしれない。

そして出来上がった作品が素晴らしいのだ。構成感があり、色彩も洗練されていて美しい。踊り子の姿はかなりデフォルメされ、ちょっと観ると抽象画のようにもみえる。言い換えれば、抽象画のような構成の味わいを持ち、なおかつその背後に人間の発するエネルギーを感じさせる作品に仕上がっていたのだ。

♪猫の額(ねこのひたい)
狭い庭を表現するなら、「鼠の額」や「鳥の額」の方が狭さが強調されるような気がするが、なぜ猫なのだろうか?猫は嫌われて十二支には含めてもらえなかった。だから狭いという否定的な表現に使われたのだろうか?うーむ、この説はもっともらしい響きがあるぞ。

猫といえば熊谷守一。熊谷の描く猫はマティスの作品のように平面的なのでどこからどこまでが額かわからない。熊谷の猫は、そんな事を言われているとは夢にも知らず、額ならぬ媚態をつくろっている。

♪額田王(ぬかたのおおきみ)
万葉歌人だが、小倉百人一首には作品は含まれていないようだ。私は歴史に疎いので偉そうな事は書けないが、ネットで調べたら絶世の美女という説があるようだ。うーむ、これは興味を持ったぞ。

美人の誉れ高い人物は絵に描かれる機会が多い。そして漫画にも採り上げられる。藤田素子らの作品だ。私はこの分野に弱いので、突っ込みを入れないで下さいね。

♪金額(きんがく)
金(かね)はわかるが、なぜ金に額(ひたい)がくっついたのだろうか?金にはおでこないのに。美しい金(きん)に、これまた美しい額田王を合わせて、きらびやかな物を表現したのだろうか?違うだろうなあ・・・。

♪額面(がくめん)
この言葉が全然わからない。顔の表面は「顔面」(がんめん)であり、意味は明確だ。しかし額(ひたい)の表面を額面と呼ぶなんて聞いたことがない。世の中には不思議なことがいっぱいあるなあ。

我が心の師・赤瀬川源平 大先生は金のようで金でない物を作ったばっかりに有罪となってしまわれた。当時の裁判官はユーモアを介さなかったのだろうなあ。

♪額の無い絵(がくのないえ)
有名画家の絵画は、必ず立派な額縁に収められている。展覧会で世界の名画を鑑賞する際、額縁が無いという事はほとんどありえない。

しかし、中には例外があるのだ。トロンプ・ルイユ(だまし絵)の中には、絵の中に額縁を描き込んでいる場合がある。鑑賞者はそれを本物の額縁だと勘違いして鑑賞する。このような作品を額縁に入れると二重額縁になってしまう。いや、私は一度そのような「二重額縁」を観たような記憶がある。思い出したら発表します。

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