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2012年9月 9日 (日)

浅草流鏑馬(やぶさめ)

「浅草流鏑馬(やぶさめ)」に行った。

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ピアニストの妻ジョアンナ(仮名)は5人の女性音楽家とグループを作っている。その亭主軍団を加えた合計12名は「かつての少年少女探検隊」(略称KST)として様々な活動をしている。このKSTの関係で知り合った仲間の中に、外国人のイケメンの若者(仮にイ君と呼ぶ)がいる。今回なんとそのイ君が流鏑馬(やぶさめ)に出場するというのだから驚いた。

私は流鏑馬について何も知らなかったので、良い経験になった。自分自身の勉強を兼ねて、時間軸を追って催しの様子を記録しておこう。会場は浅草で、吾妻橋から言問橋に至る隅田川に沿った場所にコースが設けられていた。

1.草鹿(くさじし)

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午前中は「草鹿」が行われた。これにはイ君は出場していなかった。流鏑馬が動く馬から的を射るのに対し、草鹿は射手(しゃしゅ)が静止した状態から矢を放ち、的に当てた数を競う競技である。

動かない射手が動かない的を射るのだから簡単だろうと言うなかれ。これがなかなか難しそうだったのだ。鹿の絵が描かれた的は大きいようで小さく、射手の位置は的まで近いようで遠い。命中率は流鏑馬よりはるかに高いとはいえ、完璧ではなかった。

草鹿には厳格なルールと作法があるらしい。それらのいくつかはマイクを持った人が解説してくれたので、理解を深めることができた。中でも興味深かったのは射手と的奉行(審判の役を任された人)との問答だ。

この問答は古い日本語で行われるしきたりがあるらしい。古語での議論は格調高くもあり、またテンポが遅いので優雅な感じもした。以下、私なりに現代語に置き換えてみる。

例えばこんなやりとりがあった:

射手:(放って的に当たり、地面に落ちている矢を指して)「矢を片づけないで下さい。審判の判定に不服があるので。」

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矢を拾う係:(拾うのをやめ指示があるまで待つ。)

審判:(射手の話を聞くという態度を示す)

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射手:「私としては的に当たったと思っていますが、審判さんはなぜ外れと判定されたのですか?」

審判:「確かに的には当たったが、跳ね返って地面に落ちた場所が悪いので外れとした。」

射手:いや良い場所に落ちていると思います。

審判:それなら調べますので、弓を貸して下さい。(そう言って射手から弓を借り、的と矢の落ちた場所の距離を測る。弓2つ分の長さ以内に収まっていれば合格(当たり)である。
「紛れもなく合格圏内に落ちていたので、当たりと判定する」。

上記の例は、いったん外れと判定された結果が当たりに翻った例だ。また次のような例もあった:

射手:「審判さん、なぜ判定を言って下さらないのですか?」

審判:「では射手さん、あなた自身はどう思うのか?」

射手:「八幡宮(だったと思うが間違えだったらすみません)の名にかけて的に適切に当たっていると信じます。」

審判:「では当たりとする。」
こんな具合だ。

この2つ目の例は特に興味深い。審判は当たり外れの評価判定を射手自身に委ねているからだ。古今東西のスポーツでこんな例はあるだろうか?最初私はこれが滑稽に見えた。神聖なる(はずの)判定を審判本人ははぐらかし、競技者に預けてしまうからだ。これは責任逃れではないのか?

しかし私は後で考えた結果、これは当時の社会において重要な意味を持っていたのではないかと思うようになった。

射手はただ単に自分が正しいとだけ言っているのではない。神(かそれに相当する存在)にかけて自分は正しい考えと判断をした、と言っているのである。自分で自分が正しいと言ったからには、自分という人間が品格ある立派な人間ですと世間に向かって表明しているようなものだ。

そしてその射手が後日の競技あるいは日常生活の他の場面で人道に反したことをもし行ったとしたら、「なあんだ、やっぱりあの人は嘘つきだったんだ」とやられてしまうだろう。つまり、自分が正しいと宣言した人間は、社会的責任を進んで負い、その責任を果たすという覚悟をするのだと思う。

そうすれば、その本人のみならず、社会にとっても有益になる。この単なる一つの競技といえども、そんな重要な裏打ちに基づいたものであるとは奥が深い。

2.流鏑馬(やぶさめ)

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走る馬の上から矢を射るということは、その間は手綱を離さなければならない。すると、足腰が安定していないと馬上で不安定となってしまう。実際に経験の浅い射手一人が落馬してしまった。(幸い人も馬もケガをしなかったそうで良かった)。

また用意された馬はほとんどみなサラブレットだったので走るのが速い。スピードが出た馬に乗って矢を射る際、課題となるのは次の2つだ:
1)自分自身が動きながら的を狙うのがそもそも難しい。
2)馬が速いので、的から的の間に矢を継がえる時間が短く限定される。
 (事実、初心者の射手が落馬した。幸いケガは無かったので良かった。)

上級者が競技に入ると、その技に驚いた。木で作られた的の真ん中の裏には紙が仕込まれているらしい。射手がもし的の真ん中を射ぬいたら、的の破片と紙切れがパァっと広がり、花火のような華やかな光景となる。そのような場面では観客から大きな拍手が沸いた。

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経験の浅いイ君は、あいにく華々しい成績は残せなかったが、それでもこの雄姿。絵になるなあ。

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3.終わってからは
ここは浅草。浅草といえば神谷バー。神谷バーといえば電気ブラン。この連想ゲームが実現して本当に良かった。炎天下の疲れも飛んでしまうようだった。

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