« 石川美枝子 ボタニカルアート展 | トップページ | 浅草流鏑馬(やぶさめ) »

2012年9月 7日 (金)

村川拓也「ツァイトゲーバー」

東京国立近代美術館がリニューアル工事中の特別企画として打ち出した「14の夕べ」の第12夜(9月6日)に行った。この日は村川拓也の演劇作品「ツァイトゲーバー」が披露された。

Img

この作品は介護の現場をかなりリアルに再現したものだ。表出されたメッセージは明瞭かつ強烈であり、「この作品の狙いは何か」など余計な事を考えずに、素直に受け止めることが出来た。

出演者は二人。一人は介護ヘルパーの役回りで、演じたのは実際に介護ヘルパーの経験を持つ男性。もう一人は介護される身障者の役回りで、その場で観客の中から選ばれた。年齢・性別にこだわらない、という村川の説明があったが、結果として若い男性が名乗り出た。

身障者はALS(筋萎縮性側索硬化症)という設定らしい。手足が動かせないだけでなく、話すこともできない病気だ。介護ヘルパーとのコミュニケーションに使えるのはまばたきだけに限定される。

例えば身障者が「僕」という単語をヘルパーに伝えたいとする。ヘルパーは五十音の各行を「あ、か、さ、た、な、は・・・」のように順番に発音する。そして「は」を言った瞬間に身障者がまばたきする。こうして最初の文字は「は」行であることがわかる。その後ヘルパーは「は」行の文字を「は、ひ、ふ、へ、ほ」と順番に言う。身障者は「ほ」の時にまばたきする。こうしてようやく最初の文字が「ほ」であることが特定される。

同じようにして2番目の文字「く」が特定される。結果として「ほく」という2文字が判明する。ここでヘルパーは小考し、これは「ぼく」という単語だと推測して「僕?」と確認する。身障者はまばたきしてそれで正しいことを伝える。これで最終的に「僕」という単語が確認される。

以上はコミュニケーションの方法だが、部屋から部屋への移動も大変である。ヘルパーは寝ている身障者を抱きかかえて車椅子(会場では折り畳み椅子で代用)に載せ、目的の場所まで行き、再び身障者を抱きかかえて車椅子から降ろすという作業を行わなければならない。この他にも食事を食べさせるという作業など、様々なことをしなければならない。

このように身障者の生活は健常者に比べて時間がかかる事が多い。本作品の題名「ツァイトゲーバー」はドイツ語で「時を与えるもの」という意味だ。村川はこの作品で介護の実態を知らしめるという社会的メッセージに加え、身障者における時間の流れが健常者のそれと異なるという視点も取り入れたのだと思う。

この劇は実際の介護の現場を取材して作られたそうなので、かなりリアルだった。しかし劇にはいくつか不自然なことが含まれていたようだ。これらは作家のミスではなく、意図的なものであろうと考える。

♪ベランダの段差を埋める話
身障者がヘルパーにベランダの段差を埋めて欲しいというシーンがあった。ヘルパーは業務終了時間が迫っているので渋る。すると身障者は「じゃあいい」と要望を取り下げる。このくだりは、身障者がヘルパーを困らせるという要素を強調するために意図的に挿入されたものだと思う。そしてそれは「意図的に不自然」だ。

なぜかというと、この身障者はたとえ車椅子に座ったとしても、自力では動かすことができない。スイッチを押したりする動作ができないからだ。まばたきで機械を作動させる技術はあるとは思うが、実用化はされてないだろう。つまり彼は自力では車椅子で動き回れないから、ベランダの段差の有無は関係ないはずなのだ。

♪ヘルパーの空白の時間
劇中、ヘルパーが1分程度静止したまま無言で通すシーンが2,3あった。これは会場全体に緊張感を生じさせた。このいかにも不自然なシーンは、観客にいったん劇から離れ、いろいろ考えてもらおうという意図なのであろうか。不思議な感じが漂っていた。

♪身障者が4回希望を述べること
事前に村川が身障者役の観客に何か希望することはないかと聞いた。すると彼は「自由な時間が欲しい」と答えた。すると村川はそれを身障者役のセリフとし、劇中どこでもいいので4回それを言うように依頼した。

劇中、身障者が「自由な時間が欲しい」と言ってもヘルパーは無視する。身障者は話すことができないので、これはたぶん頭の中で思った言葉であるからだ。そしてそのタイミングは身障者役の人に委ねられている。だからその言葉が発せられたタイミングは、観客一人一人によって評価が割れるであろう。このタイミングが応援役者に委ねられているという事自体が不自然な点である。

繰り返しだが、以上の「不自然さ」は作家のミスではなく、意図的に、あるいはきわめて入念に計算され夾雑物であるかもしれない。それらによって、単調になりがちなこの劇に起伏を与えているからである。

***

時間的には前後するが、開演前には前庭に造られた仮設の「夏の家」で東京エールとサングリアを楽しんだ。

Img_0001

そして終演後は飲み足りなかったので高速下の屋台へ。屋台だがワインがあった。さすが「近代美術館隣接」の屋台だ。同行者2名も(屋台のおかげで?)充実したようだった。

« 石川美枝子 ボタニカルアート展 | トップページ | 浅草流鏑馬(やぶさめ) »

コメント

演劇!ですか。演劇なんて久しく生の人間が舞台で演じる姿をみてないなぁ。。。

Hiroki Teeさん、コメントありがとうございました。事前に内容がわず、現代アートのパフォーマンスの一種だと推測して行ったら演劇だったのです。

介護とは、この作品のように、制限時間などの管理体制があって、はじめて成立するものであり、とても家族愛とか、情だけでできるものではないことが、よくわかりました。

「屋台の女」さん、コメントありがとうございます。そう、深かったですね。重苦しく、暗い時間の流れでしたが、認識を新たにさせられるという点で得るものがありました。またご一緒にステップアップしましょう。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/163862/46987406

この記事へのトラックバック一覧です: 村川拓也「ツァイトゲーバー」:

« 石川美枝子 ボタニカルアート展 | トップページ | 浅草流鏑馬(やぶさめ) »

最近のトラックバック