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2012年8月 5日 (日)

美術アーカイブ:1994年(2) バウハウス

「バウハウス 芸術教育の革命と実験」(川崎市民ミュージアム)は、私の最も好むテーマの一つ「バウハウス」を採り上げ、展示内容と図録が充実していたので嬉しい企画だった。まずチラシからして凝っている。

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下に描かれた同心円はミシン目が入れられており、蚊取り線香のようになっている。あるいはロバート・スミッソンのランド・アートの代表作「スパイラル・ジェティ」の如くと表現したほうが面白いか。もっともスパイラル・ジェティは螺旋状だが、このチラシの下部は同心円であり、似ているが異なる。またくだらないコメントで脱線してしまった。

私が所属している某音楽同人(現在は活動休止中だが)の仲間の一人が、私がバウハウスの展覧会に夢中になっていることに対し、なぜそんなに面白いのかわからないというコメントを言ってきた。

彼としては、巨匠の教授陣(クレー、カンディンスキーなど)の個展なら素晴らしいであろうが、バウハウスという学校で括った企画の場合は、教育カリキュラムの説明とか、学生の制作作品の展示などが含まれ、地味でレベルも低いというようなイメージを抱いたのではないかと推測する。

確かにそう言われてみると、内容的にはその通りなのだ。展示され、図録でも解説されている1922年時点でのカリキュラム体系図は、いかにも古めかしく、堅苦しいたたずまいだ。

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また彼の言った通り、学生の習作も展示されていた。例えば山脇 巌の室内正面図などだ。確かに地味だ(苦笑)。

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山脇 巌といえば一緒にバウハウスに留学した妻・山脇道子が登場する。織物工房で教授と共に写真に収まっている道子の美しいこと!既婚者であったとしても、学内でモテただろうなあ(ここで一気に華やぐ)。

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しかし、いくら山脇道子が美貌でも、それがそのままバウハウスの展覧会の魅力に直結するかというと、それは次元の違う話だ。では原点に戻って、バウハウスの展覧会、あるいはバウハウスという教育機関の魅力は何なのだろうか?

クレー、カンディンスキーなど一流の教授陣に学べるというのは、もちろん大きな事であるが、それだけではないと思う。私は、学校という保守的なアカデミックな場において、旧来その対極にあった急進的なアヴァンギャルドな活動が実践されていたということではないかと考えている。そしてそれが学生たちにとって、この上ない素晴らしい刺激となったのだろうと思う。

これは日本に例えると、東京美術学校(今の芸大)の授業で、赤瀬川源平が路上観察を教えたり、滝口修造や北代省三らが学内に「実験工房」を設けるというようなものだ。そんな学校があったら、学生たちは熱狂しただろうなあ。

もう一つは芸術における諸ジャンル(絵画、彫刻など)が互いに垣根を取り外し、相互交流のある総合的な思想と活動を展開したことではないかと思う。日本では画家の有本利夫が「芸大を最も利用した男」とか何とか言われたように、個人的に学内の諸学科を有機的に結び付けてしまった人物はいるが、バウハウスにように組織だって行われたわけではない。

そしてそれは動くものと動かないものとを結び付けた。オスカー・シュレンマーは抽象絵画とバレー衣装とを融合させた。このような活動の諸相をみると、バウハウスの有していた無限の可能性というものが感じ取れるような気がする。

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