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2012年7月31日 (火)

美術アーカイブ:1993年(4) 雨宮一正 彫刻展

「雨宮一正(いっせい)彫刻展」(ギャラリーオータ:新宿)という地味だが味わい深い展覧会に行った。「素朴さのなかの動と静」という副題が添えられていた。

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雨宮は1934年生まれ。芸大に学びフランスに留学した彫刻家である。冊子の表紙(上の写真)に採用された「WIND<かぜ>」など人物を半ば抽象化した木彫作品が心地よかった。

一方、雨宮には「シャポー」(下の写真)のようなブロンズ作品もある。この帽子をかぶった女性像は佐藤忠良を想起させるが、雨宮自身の個性はきちんと表出されていると思う。


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雨宮はハンガリーとのかかわりも深かった。その縁で上記の冊子には上野奏楽堂の館長・荻原道彦がメッセージを寄せていた。荻原が日本ハンガリー友好協会の専務理事を兼任していたからである。

ギャラリーオータは「西新宿に文化の風を」をモットーに、綜合行政書士事務所 オータ事務所が設立した画廊だ。この展覧会が開かれた当時の新宿は、都庁の新庁舎がオープンして丸2年半が経過し、ビジネスの興隆が感じられた。しかしアートに関しては後発の感が否めなかった。オータ事務所は、そのような立地を逆にバネとし、新宿という地域にアートの風を吹き込み、さらにアート発信の場に育ててゆこうという信念を持っていたのだろう。

美術アーカイブ:1993年(3) 牛島智子展

「牛島智子展 多重ことば」(スカイドア アートプレイス青山)に行ったのは価値あることだったらしい。

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作家より先に画廊のことに言及して失礼だが、このギャラリーは既に閉館している。当時は気鋭の現代(当時の)アーティストを積極的に支援・紹介する情報発信の場であった。今は無き展示場を回想しながら、自分自身のアート遍歴に想いをめぐらすのも、また一興かと思う。

当時の牛島の作品は、変形キャンバス(あるいは普通のキャンバスを切って変則的な形にした?)を組み合わせた抽象作品であり、その形象と構成が心地よかった。

しかし正直なところ、その後牛島をフォローすることを怠ったまま現在に至ってしまった。ネットで牛島を検索したところ、同じような作風をずっと継承していたようであり、感無量である。

栄枯盛衰と言おうか、作家も苦労が多いと思うが、画廊ビジネスも浮沈が激しく大変だと思う

2012年7月30日 (月)

美術アーカイブ:1993年(2)パウル・クレーの芸術

「パウル・クレーの芸術」(Bunkamuraザ・ミュージアム)は、日本で開催されたクレーの個展中、最大規模であった。その図録は厚さが3センチもあり、ずしりと重い。

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4年前に伊勢丹美術館で開催された展覧会同様、この図録にもクレーの孫アレクサンダー・クレーがメッセージを寄せていた。その中でアレクサンダーは「クレーの素描的な作品を日本の線画と関係づけたり比較しようとすることは、私個人としては何か不自然なことのように思えます」と述べている。

日本のファンに安易な迎合をせず、自分の考えをしっかり抱いて発言することに好感を持った。そしてアレクサンダーは安直な結び付けを戒めながらも、クレーの作品と日本の書の「集中性」や「一回性」における類似を示唆してもいるのである。日本への配慮も忘れないバランスの良さと言えよう。

ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館(デュッセルドルフ)の初代館長ヴェルナー・シュマーレンバッハは「クレーとピカソ」という珍しいテーマの論説を寄せている。出会いが無く作風も異なる二人の巨匠を並べて論じるとは困難な課題だ。このテーマ設定自体に無理がある気がするが、シュマーレンバッハは豊富なデータと少々強引だが明快な切り口で迫ってゆく。アートをめぐる理論的側面を掘り下げてゆくにはどうしたら良いかという問いに対する優れた例解となることだろう。

膨大な展示点数にはもちろん満足した。私の敬愛する作品も、数多く展示されていた。図録をめくりながら、目についた作品名を拾ってみよう:
♪回想譜(ゲデンクブラットの室内)
♪居住者のいる部屋の透視図
♪夕景の分解
♪肥沃な国の境界に立つ記念碑
♪遠心力
♪忘れっぽい天使

このような素晴らしい展覧会を観る機会を得て本当に良かった。

2012年7月28日 (土)

ナイトギャラリー

「ナイトギャラリー」(成城さくらさくギャラリー)に行った。昨年も同じ時期に開催され、足を運んだので今回が2回目だ。

会場には画家の♪中村英生が来ていた。今年の4月、同ギャラリーでの個展を観たばかりだったので作品についての記憶がはっきりしていた。私が抱いた感想は、旧来の日本画のイメージを覆すような洋風で都会的な光景が上品な色調で描かれている、というようなものであった。感想を直接作家に話すことが出来て有意義だった。

画家の♪福島唯史と弟子の♪張麗寧も来ていた。会場には福島の油彩「ダリア」が展示してあり、私はすっかり気に入ってしまった。全体的に構成感があり具象と抽象の中間ぐらいの感じが心地よかった。花弁が正方形に近い四辺形で描かれていたが、不自然に感じないのが不思議だ。近づくと絵具の盛り上がりがあった。全体を眺めると静的だが、このように細かい部分には筆の動きが感じられ、それらを行ったり来たりしながら眺めるのも楽しかった。

♪木下千里は、展覧会を開催する画廊等に所蔵版画を提供するという事を含め、アートプランニングの仕事をしていると聞いた。そういえば以前、企業に版画作品を貸出し、定期的に展示替えも行うというサービスビジネスがあることを知った。この種のビジネスには様々なパターンが考えられそうで面白い。

店主の青山多男(かずお)はクリエーター側と鑑賞者側の間をとりもつ仲介者の役割を演じていた。作家と来場者の共通の話題を興味が何かを考え、話題を作ってくれたのは嬉しかった。これには知識と経験が必要だろう。作家に関してはもちろん、私たち来場者の属性(どんな絵が好きか、など)まで把握している必要があるからだ。ありがとうございました。

2012年7月25日 (水)

鎌倉花火

妻ジョアンナ(仮名)を誘い、「第64回 鎌倉花火大会」を観た。昨年に続き2回目だ。

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前回同様、公式プログラムに書かれた「ゆったりと観ることができる区域」とのアドバイスに従って江ノ電の長谷駅で下車し、近くの海岸へ。なるほど人でいっぱいだが、それでもレジャーシートを敷くスペースは充分に残されていた。

失敗したのは食糧の調達。江ノ電の鎌倉駅で名物のコロッケを仕入れて行こうと計画していたのだが、見事に売り切れ。そのあたりの危機管理が全くできていなかった。それ以外はまあまあ予定通りにはこんで良かった。

それにしても花火は美しいなあ。私は白に近い同系色で統一された花火を僅かの時間差で多数打ち上げることによって生み出す重層的な景観が大好きだ。そのような場面が2回ほどあったかと記憶している。

来年は今回の反省を生かし、さらに楽しい花火鑑賞をしようと思う。

2012年7月24日 (火)

ブログ記念日

今日(7月24日)はブログ記念日だ。私が初めてブログの記事をアップしたのは、2005年7月24日(日)だった。その最初の記事は次のようなものだった:

***

はじめまして。ブログデビューしたジョヴァンニ・スキアリと申します。

音楽、美術など多趣味を誇っています。将棋も大好きなのですが、ニックネームはあまり強そうなイメージではありませんね。今後、作曲、現代アート、ヘボ将棋などのジャンルで価値の高い情報を発信することを目標とします。よろしくお願いします。まだよくブログについて知らないので今日はおしまいです。

***

まあ何ともそっけない語り口だが、最初だから仕方がないか。しかし当初は「価値の高い情報を発信する」と偉そうな事を書いたんだなあ(苦笑)。

作曲、現代アート、ヘボ将棋という私にとっての「三大テーマ」を掲げていたが、これらのうち「ヘボ将棋」については、ある時点から全く書かなくなってしまった。音楽は得意だが、記事を書くとなると話は別で、件数は少ない。結局アート関係の記事が圧倒的に多くなってしまった。

ブログを通じて様々な人との出会いがあったが、最大の収穫は即興ユニット「トマソンズ」の相方を得たことである。

今後ともよろしくお願いいたします。

2012年7月23日 (月)

美術アーカイブ:1993年(1) バルテュス展

「バルテュス展」(東京ステーションギャラリー)はタイミング良い開催だったと思う。

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4年前に節子夫人の個展が東京で開催され、夫人も気を良くしていたことだろう。そして2年前には6度目の来日を果たし「高松宮殿下記念 世界文化賞」を受賞し、バルテュス本人もテンションが上がっていた時期だと思う。

展示は、いかにもバルテュスらしい心象風景的な作品に加え、ちょっぴりキュビズム的な作品なども混じり来場者を飽きさせない。

図録も楽しい。節子夫人のメッセージが1ページ掲載され、その隣のページにはバルテュス氏、節子夫人、娘の晴美さんの3人が応接間でくつろいでいる写真が配置されて見開きで楽しめる。図版も彩色された作品はすべてカラーで印刷されている。略年譜は若干詳しさに欠けるが、ポイントはおさえているようだ。

5年前の「キュビズムのピカソ展」に続き、東京ステーションギャラリーの充実を感じさせる企画だった。

美術アーカイブ:1992年(2)その他

♪「ゴッホと日本展」(世田谷美術館)

ゴッホをあまり好まない私が、なぜこの展覧会に足を運んだのか記憶にない。当時はゴッホを愛好していたのだろうか、それとも浮世絵か何かの調べ物をするためにちょうど良いと思って行ったのか?

♪「中河与一 寄贈コレクション展」(小田原市郷土文化館)

中河与一の絵は好きだが、小田原まで足を延ばしたとは。この年、年間に3つの展覧会しか観なかったが、これはそのうちの一つだ。我ながらフットワークの軽さを自慢したくなる。

美術アーカイブ:1992年(1)イサム・ノグチ展

「イサム・ノグチ展」(東京国立近代美術館)は前年の「アート不毛」から脱却するのに相応しい充実した内容の展覧会だった。

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イサム・ノグチはブランクーシと並んで私が最も好きな彫刻家だ。両者に共通しているのは、理知的な抽象構成と有機的・東洋的な情緒とが見事に調和しているという事だと思う。そしてそれは、イサム・ノグチの場合は西洋・東洋のスタイルの調和ということに重ね合わせることができそうだ。

私好みの「黒い太陽」、「白い太陽」が共に展示されていたのは嬉しかった。また一部若い頃の具象作品の展示もあり、ノグチの創作の発展過程を辿るという意義も含んだ展覧会だったかと思う。

2012年7月22日 (日)

美術アーカイブ:1991年 アート不毛の年

ハワイから帰国後、1986年から1990年にかけての期間は展覧会に行くのが年1回のペースであった。年に数十回も展覧会に足を運んでいる現在と比べたら信じられないほどの少なさだ。そして1991年にはその数がついにゼロになった。この年は1度も展覧会に行っていないのである。

私は過去の展覧会の記録を表にしてまとめているので、このような状況はすぐわかるのだ。しかしなぜこの年はアートに係る活動が無かったのだろうか?その理由を考えるために当時の手帳を開いてみた。すると、それらしき理由が見えてきた。

1.勤務地が変わり仕事の環境も内容も大きく変化した。特に外国から帰任したため、日本における業務のしきたり等に疎くなっていたため、キャッチアップするのが大変であった。

2.3人の子供たちがまだ幼少で手がかかった。また、子育てのためアウトドアでの活動を増やしたので、アートに注ぐ時間もエネルギーも制限された。

3.当時は東京都府中市に住んでおり、後の音楽同人に発展する音楽仲間と地理的に近い関係にあった。そのためアート関係より音楽関係の活動に力を注いでいた。

「アート不毛の年」と書いたが、この年はトレードオフとして音楽活動があり、そして何より子供たちを育てることで生活は充実していた。

美術アーカイブ:1990年 ワタリウム開館とマリオ・ボッタ

「マリオ・ボッタ ワタリウム建築プロジェクト1985―1990展」は、ワタリウム(現:ワタリウム美術館)の開館を記念し、同館を設計したスイスの建築家マリオ・ボッタの仕事を紹介した展覧会だ。

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この建造物は斬新で優美なのだが、渋谷区神宮前という建物が密集する都心に建てられたため、残念ながらその美しさの全貌を鑑賞することが難しい。ワタリウムが荒涼とした平原に突如出現したら、その威容に圧倒されることだろう。

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開館したワタリウムがその後開催した展覧会は、必ずしも全てが面白かったわけではないが、中には他を圧倒する企画がありウォッチすべき対象となった。

美術アーカイブ:1989年 パウル・クレー展

「没後50年記念 パウル・クレー展 1890年から1920年へ」(伊勢丹美術館)は図録に特色がある。

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その一つはクレーの孫にあたるアレクサンダー・クレー(パウル・クレー財団会長)が序文を寄せていることだ。身内のことを書く際、つい思い入れが強く出てしまうか、あるいはそれを意識するあまり逆に抑制してしまうことが多々あると思う。その点アレクサンダー・クレーは祖父クレーの日記や書簡を豊富に引用し、つとめて中立的な立場を保とうとする努力がうかがわれ、好感を持てた。

もう一つはクレーのチュニジアへの旅に関する特設コラムを設けたことだ。現地の写真と関連するクレーの絵画作品を紹介しながら、この旅がクレーの作風に与えた影響の大きさを疑似体験できるようになっている。クレーに対する理解をいちだんと深めることができるコラムだ。

そして最後に充実した年譜。これも見逃せない。ドローネーからの葉書、息子フェリックスのために作ったであろう指人形など、当時の様子を伝える貴重な写真も随所に散りばめられている。クレーについて何か調べものをする際、大変参考になる年譜である。

このように古い文献となるとネット検索してもなかなかヒットしない。そういう意味で、図録を購入・保管しておいて本当に良かったと思う。近頃は情報がネットに乗ることが多いこともあり、展覧会に行っても図録をあまり買わなくなった。しかしその真の理由は小遣い不足にある(苦笑)。

美術アーカイブ:1988年 キュビズムのピカソ展

「キュビズムのピカソ展」(東京ステーションギャラリー)は煉瓦を積み上げた壁面にキュビズム作品がよくマッチして楽しめる展覧会だった。

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私はピカソのキュビズム以外の作品は好まない。しかしピカソはブラックと共にキュビズムを開拓してくれたので、その点に関しては敬意を表する必要がある。そしてこの展覧会は、ずばりピカソのキュビズム作品に焦点を当てたものなので、喜んで行ったというわけだ。

図録の表紙に採用された「ギターのある静物」は少しファン・グリスを想わせる理知的なたたずまいで好感が持てた。補色関係にある赤と緑も薄く、控えめに塗られているので、どぎつさを感じさせない。

この年、東京ステーションギャラリーは開館の翌年であった。関係者がヤル気まんまんだったのだろう。良い展覧会だった。

美術アーカイブ:1987年 日本のガラス造形・昭和

「日本のガラス造形・昭和」(東京都庭園美術館)は(漠然と)良かったという記憶があるが、詳しい事は覚えていない。図録を購入してあったのだが、現在取り出しにくい所にしまってあるため参照できない。

図録が出てきたら、その時点で記事を書きなおすことにして、今回は備忘録として展覧会に足を運んだことを記すにとどめておく。

山手111番館サマーコンサート

「サマーコンサート」(山手111番館:横浜)にトリオ・レヴリー(ピアノ三重奏団)のメンバーとして出演した。

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プログラムに書いたことと重複するが、私たちのユニットはピアノだけがプロで、弦楽器2人はアマチュアである。そのためピアノのパートが最も技術的難易度が高く、ヴァイオリンとチェロはさほど難しくない曲を選んで演奏するのが自然な流れだ。

今回演奏したベートーヴェンの通称「大公トリオ」は、ピアノトリオの名曲の中では弦楽器奏者にとって演奏が易しいうちの一つである。いや実は初級の私にとっては難しいのだが、上手なアマチュア奏者なら難なく弾きこなせる曲だと思う。

内情を暴露してしまうが、実は今回の選曲にあたって、当初は私の大好きなある曲を希望して他の二人も同意していたのだ。しかしいざ練習を始めてみたら、とんでもなく難しい。これはもっと上達しないと弾けないとあきらめ、曲目変更したのだ。

その曲の作曲家は誰でも知っている人。曲は「大公トリオ」ほど知名度は高くないが、室内楽のファンなら聴いたことがある人も多い曲である。後日弾く機会が生まれたら(修練を重ねて弾けるようになったら)記事に書きます。

なおトリオに先立ってピアノソロの演奏があったが、その中でモーツァルトの「きらきら星変奏曲」は、「のだめ」で取り上げられた曲だったと記憶している。今回のコンサートで一番受けたという感触だった。

打上げはいつもの「大新園」。気温の急激な変化により疲労が蓄積していたので、まだ明るいうちに引き上げた。

2012年7月19日 (木)

糸井邦夫 情景画展

「糸井邦夫 情景画展」(art truth:横浜)に行った。

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糸井邦夫といえば、2年前に同じ画廊で開催された「尾崎方哉の詩 糸井邦夫 木版画展」を想いだす。大好きな俳人・尾崎方哉の作品一句一句に味わい深い版画を添えた作品群が展示されていた。素晴らしかったのでその木版画集を購入した。

今回はその一部も展示されていたが、中心は彩色された絵画だった。面白いと思ったのは街の絵で、異なる視点からの光景を1枚の絵に同居させたものが多かった。絵の右半分が地面から上を見上げた風景であるのに対し、左半分は空から見下ろした光景を描く、等のアイデアである。それにより、不思議なものをキャッチする感覚を呼び覚まされた感じがした。

案内葉書に採用された「星空の窓」のような動物画にも非凡なものを感じさせる作家だと思った。

紀声会コンサート

「第35回 紀声会コンサート」(横浜みなとみらホール 小ホール)に行った。

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妻ジョアンナ(仮名)が出演したので演奏関係には触れず、楽曲関係に絞って感想を書いておこう。

これぞ芸術曲。ずば抜けて素晴らしかったのはカセッラ作曲の「1300年代の3つの歌」だ。カセッラらしく曲全体が教会旋法で構築され、既存の調性音楽とは距離を置いた響きで統一されていた。

他にも部分的に教会旋法が用いられていた曲はあった。例えば小林秀雄作曲「花の春告げ鳥」は冒頭付近にドーリア調が用いられていた。しかしそれは部分的な用例であり、カセッラのように全編これ旋法だらけという曲は他には無かった。

次に良いと思ったのはショーソン作曲「愛と海の詩」の最終曲「リラの花咲く頃」だ。ショーソンといえばリリシズムというわけで、哀愁を帯びたロマン的情緒が多少強すぎた感はある。しかし楽曲としての品格は充分に保っていたように思えた。

その次は團 伊玖磨の作品が良いと思った。何曲か演奏されたが、それらの間の優劣を付けるのは難しい。いずれにしても、斬新な和声の扱いが感じられ、興味深かった。

これらのような聴いて面白い作品を採り上げてくれた演奏者に感謝したい。

2012年7月17日 (火)

美術アーカイブ:1986年 クラベ展

ハワイから帰国後、初めて観た本格的な展覧会は「アントニ・クラベ展」(東京都庭園美術館)だ。

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クラベは「ピカソの後継者」とまで言われた達人なのだが、なぜか名前が埋もれている。私としては素晴らしい芸術家だと思っているので、残念でならない。

クラベは何を作っても素敵だ。絵画作品の代表として「もう一人の戦士」を観てみよう。その色彩と幻想性、そして配慮されてないように見えて配慮されている構成、どれをとっても素晴らしい。

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彫刻も良いが、珍しいタイプの作品としてレリーフを紹介したい。「星と手袋」だ。何と素晴らしい作品だろう。無機的な直線と有機的な手の曲線の交錯がこの作品の魅力を増している。

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そしてコラージュの「ドン・パブロに捧ぐ」。捧げる相手はもちろんピカソしかいない。この構成感がたまらない。色彩も全体的に地味でありながら、豊かな感じを出しているところが常人の技ではない。

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図録には堀田善衛がクラベの生まれ育った町の情景から書き始めて2ページにわたる熱いメッセージを寄せている。最後から6行目に一言「私はクラーベが好きだ」という「宣言」を残している。図録を買っておいて本当に良かった。

2012年7月16日 (月)

解脱上人 貞慶

「御遠忌800年記念特別展 解脱上人 貞慶(じょうけい)」(神奈川県立 金沢文庫)に行った。「鎌倉仏教の本流」、「南都ゆかりの名宝、一堂に」という副題が付けられていた。

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このジャンルに造詣が深い友人マー君(仮名)から招待券をもらったのだ。マー君ありがとう。でも私は仏像をはじめとする仏教美術に疎く、あまり好きではない。マー君もその事は感づいていたはずだが、それでも券を調達してくれたのは、私にこの道への眼を開かせ、仲間に引き入れようという目的があったらしい。

そういえば即興の相方テツさんも仏像マニアだから、私が仏教美術に開眼すると彼らとのつきあいがより濃密になるかもしれない。

家を出発するとき息子にチラシを見せたら、「こういうのは嫌いじゃなかったの?」と言われた。子供は親のことをよく観ているものだ。

そして会場へ到着。ちょうどその時、館内の案内ツアーが始まっていた。最初は聴いていたが、そのうち内容がわからなくなり断念。パスして一人で先の展示に向かった。

興福寺と海住山寺の2つの寺が所蔵している「解脱上人像」が並べて展示してあった。そして描かれた貞慶の表情はそっくりだった。後で案内ツアーが追いついてきて、これらの似た絵画について「片方をお手本にしてもう片方の絵が描かれたのではないか」と説明していた。なるほど。

絵の中の上人は口を(大げさに言えば)ひょっとこのようにすぼめ、目を細めている。庶民的な表情であり、とても偉いお坊さんに見えない。そのような謙虚さが貞慶の美徳なのであろうか?今回の展覧会で学習したことが一つ出来て良かった。そうでないと券をくれたマー君に顔向けできない。

また文献・書簡の類は、文字はほとんど読めなかったが、興味が持てた。文字の持つ一種独特の雰囲気を私は好むのだ。そういえばこの金沢文庫は日本最古の図書館ではないか。面白い古書が沢山あって当然だ。

また絵画では曼荼羅が面白かった。年月を経て色が剥げていたが、そのほうがかえって往年のきらびやかな美しさを想像し、耽美な世界に浸ることができる。

仏像はどうもいけない。どう観たら良いかわからないのだ。興味を持とう、持とうと頑張ると、かえって遠くに逃げて行ってしまう。次回仏像を観る時にはマ―君あるいはテツさんの解説を聞きながらにしたい。一人で取り組むのは非常に困難だ。

展覧会を観終わって隣の称名寺へ。池で鯉、亀、鴨が一緒に仲良く泳いでいたのが印象的だった。「八角堂」があるというので向かったら急階段できつかった。

2012年7月15日 (日)

コール・ブラックス 第6回コンサート

「平塚男声合唱団コール・ブラックス 第6回コンサート」(平塚市中央公民館 大ホール)に行った。

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この合唱団の演奏は初めて聴いたのだが、音程が良く柔らかい響きで素晴らしい演奏だった。メンバーはほとんどアマチュアだと思うが、ここまで完成度を高めることができるのは大したものだ。

感想を列挙する:
1.まず第一に演奏が素晴らしい。演奏評を書けない・書かないがモットーの私でも、つい「素晴らしい」という評を書いてしまった。それほど素晴らしい。

2.ピアニスト・秋元あかりは、合唱を引き立たせるために工夫・努力して弾いていたように見えた。音量を控えめにするだけでなく、音を多少短めに抑えたりしていたようだ。もちろん出るべきところは出ていたが、終始でしゃばりを感じさせなかった。

3.指揮者・諏訪部 恭史がMCを兼ねていたが、マイク無しで客席に充分聞こえた。私は歌唱力の優劣は全くわからないのだが、もしかしてこの指揮者が歌も一番うまいのか?そう思いたくなるほど、その声はよく通っていた。

また演奏途中で会場の非常ベルが鳴るというハプニングがあったが、その際も沈着冷静で、観客の笑いを取るなどの措置を講じていた。演奏以外の側面でも素晴らしい指揮者だ。

4.宮城県民謡「斎太郎節」では演奏前にパート毎のフレーズを紹介していた。これは楽曲の作りを観客にイメージさせるという効果があり良かったと思う。

今後も素晴らしい演奏を続けてください。

THREE ARTISTS in ONE FAMILY

「THREE ARTISTS in ONE FAMILY」(湘南画廊:藤沢)に行った。彫刻家・熊坂兌子とお父さんの熊坂 満、そしてご主人のサール・シュワルツの3人の作品が一堂に会した展覧会だ。

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私は熊坂兌子のファンで、2年前目黒の現代彫刻美術館で開催された個展にも行って石の彫刻作品の多くを観ていた。地元では、藤沢市民会館の前庭にある「平和の像」、かながわ女性センターの中庭にある「自由の翼」は何回も観ている。

そして今回の展覧会で初めてお父様の熊坂 満の作品を観た。面白かったのは、満・兌子父娘が互いに相手を描いた作品が「対峙」するように並べて架けられていたことだ。娘が描く父親は威厳がありそうな具象画。一方、父親描く娘は半ば抽象化された色面構成のような感じ。満は熊谷守一に師事したので師の影響があるようだった。

サールに関しては、その作品の素晴らしさもさることながら、考え方に共感が持てた。それは、既成の考え方に惑わされず、自分自身の考えに従うという点だ。これは単純な「反体制」ではないと思う。体制の方向性が自分の考えと一致しているなら「体制寄り」でいいのかもしれないし、体制が自分とは異なる方向にあるなら「反体制」になるだろう。あくまで自分自身の思考を重んじるという点が重要だ。

加えて、サールの柔軟な創造力にも驚いた。来日して、それまで得意としていた作り方を支える素材が入手困難になった時期があったらしい。するとサールは、近所の工場を活用し、自身初めてアルミニウム素材を用いて創作を始めたということだ。そのアルミニウム作品もこの展覧会で観ることができた。

なお地元ネタで恐縮だが、「長久保公園」にあるステンレスのモニュメントはサールの作品である。勉強不足で私はそのことを知らなかった。

会期は7月26日(木)まで(火曜休み)。熊坂ファンは必見です。

パッション2012展

「パッション2012展」(スペースQ:銀座)に行った。妻ジョアンナ(仮名)も一緒だった。

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異なる個性のぶつかり合いという感じのグループ展は面白い。以下、目にとまった作品を作家名の五十音順に列挙する:

♪異空間写落
一見絵画だが実は写真というのが驚きだった。SF調の作品が得意のようだったが、ヴァザルリのような抽象作品が目についた。この凸面はエッシャーにも通じるものがある。

♪内田信
フォンタナを想わせる裂け目の入ったキャンバスを縦・横・斜に横切るリボン状の形態。全体的に青を基調としたクールな色彩。その中で個性を発揮する光るような白。心地よい抽象画だった。

♪寺床まり子
「佐野ぬいの青」を想起させる青の美しさが印象に残った。具象と抽象のはざまという柔らかい画面作りも好感が持てた。

♪宮川マサアキ
絵も楽しいが、ネーミングも負けずに楽しかった。建造物が林立した都市の写真をコラージュし、その周囲をゆったりとした長方形で囲んだ作品が良かった。作家に聞いたところ、黄金比率での形の組み合わせを試みたとのこと。

2012年7月10日 (火)

ある星のつながり 川本 清が愛した作家たち

「ある星のつながり 川本 清が愛した作家たち 其の七」(ジネタ:藤沢)に行った。

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きっかけは案内葉書に書かれた出展者リスト。その中に「故・平松敬子」という記述を見つけて驚いた。2年前(2010年10月)地元の美術家協会のパーティで会った時は元気な様子だったのに。この短い期間の間に平松さんは遠いところへ旅立ってしまった。

私は平松さんの布のコンポジションが好きだ。抽象で、しかし月など具象のイメージもほどよく配置され、暖かくて感じがいい作品が多かった。作品が人柄を表しているのだろう。

こんな素晴らしいアーティストが近所におられたという事実を知ったのが2年前の上記のパーティだった。もっと早く知っていたら、と思うと残念でならない。

ご主人の五島研悟さん(やはりアーティスト)、今後も楽しい作品を創造していって下さい。

2012年7月 8日 (日)

第6回 大工・齋藤 登 展

「第6回 大工・齋藤 登 展」(湘南西脇画廊)に行った。前回(昨年7月に開催された第5回)も観たので1年ぶりの再会だ。

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前回の展覧会で「作家は昼間は大工さん、夜は芸術家」という紹介がなされていた。私としては、昼間の仕事も(見たわけではないが)芸術の領域に達している人ではないかと思った。でも昼間は顧客の要求に従って仕事をするだろうから、「自分自身の自由な創作意欲の発露」という点で夜の部が純粋な芸術的行為となるのだろう。

今回は屋久杉を使った時計が美しく、印象に残った。また杉やウォールナットなどで造られた「ストレスチェアー・オットマン付き」は実際に座らせてもらったが、硬い材質によりいい意味で安定感を得て心地よかった。

このシリーズは楽しい。次回(やりますよね?)が待ち遠しい。

2012年7月 7日 (土)

第1回 クリエイターEXPO

「第1回 クリエイターEXPO 東京」(東京ビッグサイト)に行った。

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この催しは、あらゆるジャンルのクリエイター(書籍、雑誌、コミック、映像、ゲームなど)400人が自らのPRのためにブースを設けて展示を行う日本初のイベントだ。

文筆家の場合はクリエイターが自らの才能・実績をアピールする方法が難しい。それぞれパネルで写真、図表などを見せてPRに工夫を凝らして頑張っていたのが印象的だった。

これに対してヴィジュアル系(画家、イラストレータなど)の場合は自作品をそのまま展示するだけでPRが成り立つので、その分有利だったかなと思った。しかしこんどは同類同士の競争になるので、いかにして自分に注意を向けさせるかという点が大変だと感じた。

展示された作品はどれも達者なものだったが、特に素晴らしいと思う場合でも、そのクリエイターに商談が殺到するということはなかった。むしろ、見た目の作品の巧拙と人の群がりには相関関係がないようにさえ思われた。これはなぜだろうか?

これは私の推測だが、来場者(企業宣伝部などクリエイターを雇う立場の人)の中にはいわゆる「目利き」の人がいて、ちょっと見た感じの上手・下手を超え、商業ベースに乗りそうなクリエイターを鋭く選んでいたのではないだろうか。

私たちが展覧会などで作品を鑑賞する場合と異なり、1点1点の作品の美しさに見とれるのではなく、それらの数少ない事例(作品)から、そのクリエイターの資質、将来性を直感的に見通しているのかもしれない。

どのようなタイプのクリエイター(およびその作品)が「雇われ上手」であるのか、そういう意味での相関を調べてみたかったが、会場は狭く、来場者でごった返していたので、じっくり観察することができずあきらめた。

今回、私なりに「このクリエイターはいいんじゃないか」という選別をしてみた。そしてしばらく経ったら、それらのクリエイターのうち実際に活躍の場が大きく広がった人が出るかどうかをフォローしたい。私の推測と合致したなら、私にも「目利き」的な目が少しは備わっていることになるし、そうでなければその才能が無いと結論づけられることになる。

さあ、どうなるか?

2012年7月 3日 (火)

真夏の夜の夢:「返さず奏法」で大儲けするビジネスモデル?

ピアノ演奏では「指の返し」というのがある。以下しばらくその説明をするので、ご存じの方は冗長ご容赦戴きたい。

右手でハ長調の音階を弾く際、親指から始めて中指まで使って「ドレミ」を弾く。次のファだが、薬指で弾くのではない。親指を他の指の下をくぐらせ、もう一度親指でファを弾く。すると最後の小指まで使って「ファソラシド」が弾けるのでぴったり1オクターブ弾ける。これが「指の返し」だ。

しかし初心者のうちは、指を返す際にぎくしゃくしてしまう。そのため「ドレミファソラシド」と滑らかには弾けず、大げさに言えば「ドレミ、ファソラシド」というように不揃いな弾き方になりがちだ。これを「粒が揃わない」と言う。

私はこれを解消する手段を開発した。それは指を返さないことだ。例えば両手を並べて使えば、音が10個まで指の返しをせずに弾ける。しかしこれは根本的な解決にはなっていない。音が11個以上連なった場合は対応できないからだ。

ではどうするかと言うと、既存の楽曲を捨て、指を返さないでも弾ける曲を作曲するのだ。あるいは既存の曲を、指を返さないでいいように編曲するという方法もある。

私はこれを★「返さず奏法」★と名付けた。そしてこれで世界を制覇し、大儲けをしようとたくらんだのだ。それはどうやって達成できるのか?

1.子供が好きそうな既存の曲を何曲か選び、それらを「返さず奏法」用に編曲する。
2.ピアノのおけいこに通っている子供たち、特に金持ちの子供たちを探す。
3.その子供たちにアメか何かを与えて接近する。
4.「返さず奏法」の曲の楽譜を与えて「この曲は易しく弾けるよ」と言う。
5.子供たちは帰宅して「返さず奏法」の曲をピアノで弾いてみる。易しく、粒が揃うことがわかる。
6.これを繰り返し、子供たちを「返さず奏法」のファンにしてしまう。

以上で第1ステップが達成される。ここからの展開が速い。

7.子供たちはピアノのレッスンに行っても、先生の与える曲が難しく、「返さず奏法」の曲のほうがいいと泣く。先生困る。
8.子供たちは自宅でも同様の態度を示し、親を困らせる。
9.先生は「返さず奏法」がどんなものか、子供たちから楽譜を借りて弾いてみる。先生その弾きやすさにうなる。
10.親も同様に「返さず奏法」の素晴らしさを納得する。

この返でもうジョヴァンニの深慮遠謀が見え隠れしてきたと思う。

11.先生と親は子供たちに「この楽譜は誰からもらったのか」と聞く。
12.子供たち「ジョヴァンニおじさん」と答える。
13.先生と親はジョヴァンニに連絡し、「返さず奏法」の楽譜を譲って欲しいと頼む。ジョヴァンニは「本当は1冊1万円だが、特別に無料で差し上げます」とか何とか恩着せがましく言って楽譜を進呈する。これは「損して得取れ」の戦略の一環である。
14.これを繰り返し、「返さず奏法」はだんだんと世間に浸透してゆく。

ここまで到達したら、後はよくある悪どいやり口で進める。

15.「返さず奏法」は楽譜のシェアの50%を超えるまでに普及する。当初は「返さず奏法のためのXXX」という曲名が付けられていたが逆転し、「返さず奏法」がデファクト・スタンダードになり、曲といえば「返さず奏法」で書かれた曲を意味するようになる。そして従来の奏法が逆に「レガシー奏法」と呼ばれるまでに変化する。
16.この段階でジョヴァンニ急に楽譜を有料化する。
17.先生と親は困るが、先生・親・子供のすべてが「返さず奏法」に染まってしまっているので後に戻れない。仕方なく楽譜を買う。
18.世界中で「返さず奏法」の楽譜が売れ、ジョヴァンニ大金持ちになる。宝くじに当たるよりもっと儲かる。

・・・という真夏の夜の夢を見た・・・

2012年7月 1日 (日)

メールアート・プロジェクト “The Future”

「Mail Art Project “The Future”」(アトリエ・キリギリス:藤沢)に行った。

アーティストの中村恵一が世界中のアーティストに声をかけて集めたメールアートを紹介する企画だ。一つ一つの作品が面白く、またその数に圧倒された。

実はかなり前のことになるが、メールアートに似たものを味わっていたのだ。それは厳密にはメールアートとは呼べないかもしれないが、ニック・バントックが絵と文を書いたビジュアル小説「不思議な文通 グリフィンとサビーヌ」だ。

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この架空の文通の絵本を観て、その面白さ・楽しさにより、自分でもやってみたいと当時思ったものだ。しかしその本に載せられた作品の美しさに圧倒され、こんな素晴らしいものは自分では作れないと思い、そのままになっていたのだ。

今回の展覧会を観て、その思いは結果的には同じだった。つまり自分ではこれほど美しいものは作れないだろう、と。しかし最近考え方が少し変わり、下手なら下手なりに楽しんでもいいかな、とも思うようになった。

会場には展示作品とは別に、中村恵一の過去の作品のファイルが並べてあった。それらの中に「コラボレーション」という一冊があった。中村が絵と文を書いた葉書ぐらいの大きさの紙を相方のアーティストに郵送する。相方はその絵と文に自分なりの絵と文を描き加え、中村に返送する。そうする事により、二人のアーティストの合作が産まれるという仕掛けだ。

これはロートレアモンの「解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶発的な出会いのように美しい」を想起させる。二人の異なる個性のぶつかり合いによる化学反応によって出来る新しい創造物だ。この「遊び」も楽しそうなので、私はまずはこれからやってみようかと考えた。

音楽ではすでにサックス吹きの相方と私のチェロとで「トマソンズ」という即興ユニットを結成して「主としてジャズ+主としてクラシック」の異分子どうしの化学反応を7回ほど実践していた。これを(不慣れではあるし、ど素人だが)美術の面でも遊んでみようというわけである。

もう一つ面白かったのは今回の企画に参加したカナダのアーティスト アンナ・バナナからの寄稿だ。メールアートの隣に書簡が展示されており、そこに「私はこれを同封するのを忘れたの」と書いてある。意味を中村恵一に聞いたら、切手アートを送るのを忘れたということだった。

一般にメールアートは販売してはいけないというルールがあるらしい。そこで参加アーティスト達は切手になぞらえた作品を作りそれをメールアートに同封し、展覧会場で即売するというシステムになっていたのだ。アンナ・バナナはその切手作品を忘れたということだ。面白いことに、実はアンナ・バナナは切手アートの専門家だった!こんなオチがあるとは思わなかった。

檜垣文乃展

「檜垣文乃展 とりのめより」(ギャラリーCN:藤沢)へ行った。

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会場には次の3種類の作品群が展示されていた:

♪1.ドローイング
わーうまい!と賛美したくなるような、達者な筆捌きの作品が並んでいた。

♪2.彫刻
多数の小さな人物像がグループに分けて並べてあった。それらは低い台の上に置かれていたので、上から見下ろすようにして鑑賞した。これは「とりのめより」というメインテーマ通り、上空から鳥瞰したようなアングルとなっていたわけだ。
それぞれのグループには物語性が感じられた。そして作家が人物の配置を変えると、それに追随してストーリーも変わるのが面白かった。

♪3.絵画
彫刻同様、人物群像が描かれていた。渋谷、原宿、立川などの都市別に作品が作られており、それぞれの街の特色が反映されていて興味深かった。

一つ思ったことがある。1.のドローイングは、今回のテーマ「とりのめより」の趣旨からは外れている。ではこれらの作品の展示は不要だったのだろうか?

私のような素人は今回展示された街の人物群像みたいな作品を前にすると、一瞬たじろぐ。描き方が素朴に見えるからだ。

そのような懸念に対して「描いたのは充分な力量を持った作家さんなのですよ」ということを鑑賞者に知らしめるにはどうしたらよいか?これは簡単である。今回展示されたドローイングのような、技術的に見て「上手」な作品を併せて展示すればよい。

そう考えると、ドローイングの展示は作家に対する尊敬の念を素人に持たせる意味があるから必要だったのだろう。

そんな考えでもう一度都市の人物群像を観た。作家本人が一人一人の人物をどう描いたのか説明してくれた。墨を置いて、乾かないうちに紙で作った「こより」でスーっと手足の線を引き・・・そんなような手法だった。大変な作業だ。素人はそういう深いところがわからないのだ。

以上のようなことをあれこれ考えたが、結論として、アートは面白く・楽しく鑑賞すればいい、とあらためて思った。今後もそれを原点として鑑賞を続けたい。

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