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2012年4月29日 (日)

古澤 潤展

「古澤 潤展 2000-2012」(横須賀市文化会館 市民ギャラリー)に行った。久しぶりに妻ジョアンナ(仮名)も同行した。

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同展を訪れたきっかけは、彫刻家・岩崎幸之助さんの勧めだった。「何としても行くべし」というので、これは見逃せないと思い、文字通り「無理矢理都合をつけて」(笑)飛んでいった。そして、岩崎さんの言葉通り素晴らしい作品群に出会うことが出来て大満足だった。岩崎さん、ありがとうございました。

古澤 潤の作品群は、私の愛好するスタイルのラインナップをすべて備えているようだった。
♪強い構成感
♪構成された色彩
♪シュール
♪心象風景

以下、気になった作品について詳しい感想を書いてみる。個々の作品に関しては、他の作家の作品で類似するものに言及しが、これは決して古澤が真似たということではない。これだけの力量の作家なので、そんな真似事は必要ない。他の作家の作品を題材にした作品は古今東西の名作の中にいくらでも見つけられる。

古澤の作品で他の作家の作品に類似したものは、偶然か、あるいは古澤が一種の遊び心で意図的に他作品を取り込んだ作品ではないかと思う。誤解があるといけないので補足しておく。

◆シリーズ 伐られた木

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「サーカス 2000 I」および「サーカス Ⅱ」は片手倒立を披露している軽業師を描いたものだが、これは東郷青児の「つれづれ」というシュールな作品に描かれた人物を想起させる。ただし上下は逆である。また東郷作品の人物のほうが若干太めかもしれない。背景を含めた絵としての完成度は圧倒的に古澤作品のほうが高いと思う。またこの絵はルフィーノ・タマヨの幻想的な絵画も思い起こさせる。

「かつて樹木といわれていた」は絵画としても素晴らしいが、そのコンセプトが秀逸だと思った。森林伐採に対する作家の複雑な想いが伝わってくるようである。

「昇華」は率直に言って絵として好きだ。そこに理由は不要だと想う。

「葩(はな)」は木口木版画であろうか。柄澤齊(からさわ ひとし)の作品のような趣があり素晴らしい。

「寓意―包まれる」は白い布に包まれた樹木の一部が人間のように描かれているので心騒がせられた。これはキリストを覆った聖衣を象徴した画像であろうか。包むというと梱包芸術家のクリスト(キリストに発音が似ている)を思い出すが、古澤 潤のいう「包む」はクリストよりもっと直截的に死生観を語っているように思えた。

「生きていた」は「昇華」同様、素直に好きな作品だ。

「水辺に立つ逆説的な樹」もしかり。このような作品は大好きだ。

「ピエタ Ⅱ」他に登場する鳥はマックス・エルンストの描く鳥類に似ている。違いを挙げるとすれば、古澤作品の鳥のほうが若干力強い印象を与えるという点であろうか。

「彼方に」には版画家・中林忠良の作品を連想させる要素があった。雑なようでいて細密、緩慢なようでいてシャープ、といったような矛盾した要因を同梱している感じである。観ていて飽きない。

「ピエタ Ⅲ」には威嚇するような雰囲気がある。わずかではあるが、フランシス・ベイコン描く法王のたたずまいを感じたからだ。暗くてよく見えないところがまた恐ろしさを助長しているようだ。

◆シリーズ 黒い水

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「寓意-巷」のような作品は大好きだ。四角い箱が積み重なって一つの大きな箱を形成している。個々の小さい箱にはそれぞれオブジェが置かれている。それらのオブジェの一つ一つのシュールな形態を味わってもよし、それらの集合体である全体構成を味わってもよし。シュールと構成の「総合芸術」がここにある。

「すがた」は、棟方志功の「釈迦十大弟子」になぞらえたものであろう。志功作品よりさらにデフォルメが進み、ほとんど抽象化されている。しかし宗教的な雰囲気は損なわれていない。作家の力量はこのような作品で表れるのではないか。

「黒い水 Ⅵ」は、明らかに尾形光琳の「紅白梅図屏風」へのオマージュであろう。特徴的なのは左側に配された碇(いかり)のようなオブジェ。これは彫刻家のエドワルド・チリーダの作品に似ている。

◆シリーズ 死者の譜

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「死者の譜 XVI-671-」はリトグラフとコラージュの素材として新聞紙を活用した重々しい作品だ。中央にイラク戦争の犠牲者と思われる肖像が配置され、その周囲に無数の死者の人形(ひとがた)が群がっている。このたたずまいはクリスチャン・ボルタンスキーの不気味な作品を彷彿とさせるものがある。

「死者の譜 XII-4,565-」を観て、なぜかサム・フランシスの作品を想いだした。しかしサム・フランシスの作品に特徴的な鮮やかな色彩と比べ、この作品は暗い色調なので、全く逆である。このような対極にある作品を想起するに至った理由はわからない。後日もし判明することがあれば、古澤 潤の作品の特質についてもっと掘り下げることができるだろう。その時のためにこの記録を残しておきたい。

「死者の譜VI-7,814」はキャンバスを斜めに配置して菱形とした作品だ。その中央には細い切れ目があり、それが一つ目のように見える。そして全体的にフリーメイソンの「ピラミッドの眼」のように見える。これはたぶん偶然であろう。

◆2012.3.11~
「裂かれた風景 Ⅱ」はその構成・色彩そのものが素晴らしく、そのまま抽象絵画として愛好したい。一方、この作品には東日本大震災の記録という社会派的なメッセージも込められている。このように、一つの絵画の内包する純粋に色と形の構成という側面と、メッセージ性という側面を併せ持つ作品への接し方は難しい。私は純粋な構成を好み、芸術作品に込められたメッセージ性を忌避する癖がある。しかし古澤 潤の筆致があまりにも見事であるため、メッセージ性をはらんでいても、それを乗り越えて愛好してしまうという状態なのだ。

「落ちてゆく四つの方形」は、微妙に角度を変えながら集積された四辺形のコンポジションが魅力的である。

「解けないあや取り」(上図・右)に描かれた人物の顔にあたる部分には空虚な穴が于があけられている。これはルフィーノ・タマヨの描く人物像を想起させる。また全体の色彩は若干ではあるが有元利夫のフレスコ画の雰囲気がある。

「予感」は大好きなタイプの作品だ。

こんな素晴らしい画家を、これまで私は知らなかった。不勉強を認める。

2012年4月26日 (木)

中村英生 日本画展

「中村英生 日本画展」(成城さくらさくギャラリー)に行った。

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中村英生の絵は日本画でありながら西洋風で、しかも現代の都会的な若者が描かれている。このようなことは最近では特に珍しくはない。しかし、従来の固定観念が頭に残っているためだろうか、多少の違和感を感じる。ただしこの作家の場合は、絵が素晴らしいので、そのミスマッチ感がいい意味での味付けとなって機能しているように思えた。

チラシに採用された「カクテル」は楽しい作品だ。カウンターバーに並んでカクテルを傾けるのは恋人同士に見える。背景に描かれたのは水族館のように見えるが、人物に対して魚が大きすぎる。これは一種のモンタージュ絵画だろう。

興味深いのは灰皿の煙草から立ち上る煙がくっきりと描かれているのに対し、男性は輪郭が薄らぎ、一部は背景に溶け込んでいる。現実の世界では人物より煙のほうが希薄なのだが、それが逆転しているところが面白い。

2012年4月23日 (月)

トーンチャイム

高校の同期会で生まれて初めて「トーンチャイム」なるものを演奏した。

トーンチャイムは棒状の金属に蝶番(ちょうつがい)でハンマーが取り付けられ、振るとポーンという澄んだ音がする楽器だ。演奏者一人が一度に鳴らせるのは2本(両手に1本づつ)に限られるので、曲を演奏するには複数の演奏者が必要だ。

演奏の仕方はハンドベルと似ているが、トーンチャイムはハンドベルよりずっと軽量で取り扱い易いのが長所といえる。

今回は総勢12名のグループで演奏した。一人あたりの分担は少ない奏者で3本、多い奏者は5,6本をを受け持った。一度に2本までしか持てないので、手にしていない楽器は奏者の前に置かれたテーブルに並べておく。そしてそれらを取替えながら演奏するのだ。

演奏曲は坂本九のヒット曲「見上げてごらん夜の星を」。ゆっくりした曲だが、伴奏音型の中に速い三連符があったりして、メンバーは結構難儀していた。私は主として旋律の一部を受け持ったので、さほど機敏な動きは要求されなかったので助かった。

今回は良い経験だった。今年中にもう一度トーンチャイムを演奏する機会があるので嬉しい。いずれはハンドベルも演奏してみたいと思った

2012年4月19日 (木)

小林市博 展

「小林市博 展」(art truth:横浜)に行った。

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「スペイン断想 聖地巡礼450キロの旅」という副題が語るように、作家が「お遍路さん」の如くスペインの聖地を30日間、徒歩で巡った記録のような風景画シリーズだ。

この作家は板に越後の「門出和紙」を貼り付けた上に描いて作品を生み出している。この「門出」という言葉が巡礼に赴く作家の出発を祝福するような響きを持っているのは偶然であろうか。1種類の和紙に統一して描かれた作品群は、全体的に柔らかいまとまりを見せている。

一方、訪れた先々で趣の異なる建造物を描いた個々の作品は、それぞれが個性を放っている。この「全体的調和」と「個々の個性」は相反する要因のように思えるが、不思議と違和感を感じさせない。

こんな素晴らしい画家なのに、これまで存在を知らなかった。不勉強を自覚させられた。

2012年4月13日 (金)

豊島 尚 展

「豊島 尚(たかし)展」(GALLERY CN:藤沢)に行った。

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展示されていた過去作品のポートフォリオを開いてみた。写実的な絵がある。わーうまい。そのままスーパーリアリズムに進むことも出来るんではなかろうか。

そして案内葉書に採用された光ある建造物の絵。この描き方に独自のシステムを見出したが、パターン化を避けて作風を転じる。

はじけるような抽象画。モノクロームなのに、変化に富んでいる。爆発のように激しいと共に、冷たい構成物としても鑑賞できる。素晴らしい。

抽象を経て道化師の顔へ。駆けつけた画家仲間はこの具象絵画に抽象を感じたという。私はその感性がなく、単にピエロの顔だけが印象に残る。そして一つのホラー小説を思い出す。

トマス・リゴッティ著「ハーレクインの最後の祝祭」(「ラヴクラフトの世界」:S.D.アニオロフスキ編、大瀧啓裕訳・青心社刊)なのだが、なぜこのような渋いホラーを思い出したのかわからない。この絵が表面的な印象だけに留まらず、いろいろ考えさせる側面があるからかもしれない。

今後の豊島 尚の活躍が楽しみだ。

2012年4月12日 (木)

宮沢賢治・詩と絵の宇宙

「宮沢賢治・詩と絵の宇宙」(そごう美術館:横浜)に行った。「雨ニモマケズの心」という副題が添えられていたが、そのようなキャッチフレーズに関係なく、会場に吸い寄せられていった。

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宮沢賢治は以前から好きだったが、その思いを強くしたのは「宮沢賢治万華鏡」(新潮文庫)だ。この本には賢治の魅力がぎっしり詰まっている。

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その図版の最初を飾っているのが賢治自身が描いた絵画「日輪と山」。今回のお目当ての一つだった。その静かな幻想性は極めて個性的だ。展覧会鑑賞後、当然のように絵葉書を購入した。

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今回の展覧会では賢治にちなんだ多くのアーティストの作品が展示されていたのだが、驚いたのは、そうそうたるメンバーが競うように作品を制作していたことだ。

その代表が「ハイ・レッド・センター」の赤瀬川源平 大先生を除く二人(高松次郎と中西夏之)、そして「もの派」の重鎮・李 禹煥(リ・ウーファン)だ。これはただ事ではないと思った。

また司修の動画作品も味わい深く、賢治作品のエッセンスを現代風に甦らせていた。このように賢治を中心とした楽しい世界が会場に溢れ、まさに「詩と絵の宇宙」だった。賢治ファン必見の展覧会と言ってよいだろう。

2012年4月 8日 (日)

檑亭・数え歌

鎌倉山の蕎麦処「檑亭」なる名所を訪れし記録。

一本の竹よ、汝は流れ出づる星の数ほどの水滴を導いてきた。傍らの小さな祠は幾千年もの間それを優しく見守ってきたことか。「1」は「根源の数」ゆへ森羅万象の源(みなもと)也。「1」は始まりであり終わり也。

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二つのXよ、古風なる石造構造物に何ゆへ近代的な学術記号が刻印されたのか?骰子(サイコロ)の目に誘われたからか。「2」は「極小と分割の数」也。汝は直線の交差により分割されており、定めに従っておる也。汝が震災で崩落した五重塔の基部であるなら神の加護があらんことを。

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三つの円環よ、汝らは紋章か、貨幣か、それとも単なる装飾であるか?「3」は「統合の数」也。汝らは八角堂の基部を成すもの也。それに相応しく、八面を統合する役割を担う者たち也。

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四角い窓よ、汝なにゆへ四角四面也か?我国に於いて忌み嫌われる数ゆへの仏頂面であるか?されども「4」は「物質界を秩序づける数」として古来より珍重されておる。もっと自信を持ち堂々とせぬか。

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五重塔よ、東日本大震災により崩壊した石造物よ。汝、かやふな姿になりしも、威厳を保つことが可能なその精神力は見事也。「5」は「生者の数」也。必ずやいつか復活せぬことを祈願する也。

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六角形の石碑よ、松尾芭蕉の句碑よ。冒頭「春」の文字は明快なれど最後の文字が不明瞭なり。これは「桜」か「梅」か?拙者考えるに、花見の季節と言えどこの広大な庭園に桜の樹を認めず。これは「梅」に相違なからふ。蕎麦を食らひながら庭園散策を楽しむこの地に、かつて松尾芭蕉が訪れたといふのは感無量也。「6」は世界を示す「完全数」也。芭蕉翁の俳句の完全性に呼応しておる也。

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七つの蕾よ、汝らは開花して客人を楽しませる事なく落下せし悲劇の主人公也。しかれば拙者がせめてもの敬意を表し、ここに掲載する也。これを抽象絵画と見間違え賞賛する心温かき鑑賞者に巡り会う事を祈念する也。「7」は「智恵の数」也。何事も智恵を絞れば活路が見出せる也。

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八角堂よ、法隆寺夢殿まで足を延ばずとも、拙者宅の近郊でこのやふな立派な八角堂を鑑賞する事が出来るのは幸せ也。拙者の趣味にてエレキテル画(しゃしん)に悪戯(いたずら)をしたのであるが、これは仏に対し失礼であらふか?しかしこの程度では地獄行きの乗車認定半券(きっぷ)は発行されぬであらふ。安置されていた観音菩薩を失敬した盗賊こそ閻魔大王の特別体罰(しごき)を受けるべき也。「8」は「幸運の数」なるが、盗人には幸運の訪れる事無きやふ。

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木戸に嵌め込まれた九本の支柱よ、汝らは勝手口に掲げられた「勝手口」といふ表札に気付いておるか?これは古人一流の洒落であらふか?旅籠の受付(ふろんと)で応対する人間の胸元に「人間」と書くようなものではあらぬか?人類の為す事はかの如く不可思議な事が多い也。「9」は「聖なる3」の二乗なり。この聖の力をもって裏口を邪悪な力から守護しているのであらふか。

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石造十王像よ、汝らの中央に鎮座し、ひときわ巨大なる体躯を誇っているのは閻魔大王であるか?我国では、昔「Emma」なる写真週刊誌が発刊されていた也。しかし「Focus」と「Friday」の寡占の過程で淘汰されてしまった也。「エンマ」とはかくもはかない存在なのであらふか?それとも復権の時を虎視眈々と狙っておられるのか?「10」は「ひとまとまりの数」也。皆が一致団結すれば必ずや復活の機会が訪れる也。

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十二の刻を示す日時計よ、遥かより汝は何時?といふ問ひに静かに答えてきたのであらふか。このやふな中年紳士特有言葉遊戯(おやじぎゃぐ)は仏の逆鱗に触れるであらふか?「12」は「完結した環」也。完全なる作品に無意味な言葉を仕掛けるほど愚かな行為は無いと知る也。

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十六羅漢群よ、汝なにゆへ単身なりか?春とはいえ未だ寒風吹く最中、さぞかし淋しからふ。石造十王像に身を寄せ、「石造十一王像」と謳って何が悪いか。「11」は「沈黙の数」として仏像に似合う也。なお「16」は「全体性の象徴」であり、羅漢群に相応しい数也。

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十九番札よ、注文と支払いとを紐付ける証憑よ。汝の番号は、はからずも拙者の新制高校新入生時代の学級番号と一致する也。是また楽しからずや。「19」は「メトン周期の数」として記憶される也。

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百仏崖よ、汝らは決算上も堂々と百といふ報告をなすのであるか?一体の仏は尊ぶべき存在なり。その数を概数のまま株主に報告することは統制上の不備となれり。しかしなれど、拙者にはその数を実地棚卸するほどの時間と体力が無いのが辛いところ也。「100」は「成就の数」也。財務報告の信頼性が成就されることを祈念する也。

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千五百二捨二円の蕎麦よ、魅惑的な天せいろよ、汝のお陰で今日に必要な糧を得てアート渉猟の活力を漲らせることができた。花より団子、桜より天せいろと古人は詠んだ(かもしれぬ)。

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2012年4月 7日 (土)

暗闇カフェ

2012年4月6日(金)
「暗闇カフェ」(Café slow:国分寺)に行った。

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この心騒がされるが、どことなく惹かれるネーミングのイベントは、ピアニストの室坂京子と五弦ウッドベース奏者の水野俊介によるライブだ。「暗闇」というのは会場の照明を落とし、あちこちに置かれたキャンドルの光の中で演奏を行うことを意味する。

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室坂京子は以前、一緒に即興演奏を行ったことがあり、その刺激的な演奏を知っていたので期待していた。そして期待通りの演奏をしてくれた。水野俊介は知らなかったが、室坂が「ピアノとの相性抜群」と言う五弦ウッドベースで楽しい演奏を披露してくれた。

それだけでも良かったが、「カフェスロー」という場所がまた素晴らしかった。外から見た以上に広い店内、洞穴を想起させる壁面、そして美味しい食事とワイン・・・。

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この魅惑的な舞台装置に囲まれて室坂・水野の演奏は進んでいった。最近私は作曲家の新作発表か即興にしか興味を持っていないが、以前から大好きだったバッハ、モンポウを弾いてくれたうえに、オリジナル曲まで披露してくれたのだから楽しかった。

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このカフェはライブなどがあった際にまた訪れたい。刺激と癒しを同時に与えてくれる気がしたから。

2012年4月 2日 (月)

美術アーカイブ:1985年 帰国まで

この年、私はハワイから帰国した。ホノルルでの最後の半年間は慌しく描いたペン画の数はそう多くない。その中で面白いものを選んでみた。

♪聖パトリックの祝日

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聖パトリックはアイルランドにキリスト教を広めた聖人であり、3月17日は彼の命日で世界各地でパレードが行われる。この日はなぜか緑色のものを身につけるというしきたりがある。

この絵はパレードに参加した大道芸人を描いた絵日記だ。ハワイという田舎でも遠いアイルランドの聖人を祝う催しがあるのは興味深い。

♪牛の親子

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これは「巨匠の画家が軽いタッチで気まぐれに描いた味のある絵」をイメージした手抜き作品だ。巨匠と私のような素人の違いが最も顕著に表れる形であろう。恥ずかしさを乗り越え、笑いを取るためにアップしてみた。

♪花瓶と造花

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写実を好まない私が描いた写実だが、振り返ると写実は植物が多い。なぜだろうと理由を考えたら、一つ思い当たるフシがある。私は人物画が苦手なのだ。要するに絵が下手なのだが、人物は全くダメだ。動物も得意ではない。すると建物などの無生物は別として生命体を描くとしたら、植物とか昆虫ぐらいしか残らない。ハワイという場所がら、美しい花には事欠かないので、自然と植物が多くなったのだろう。

♪ハワイのアパート

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帰国が迫ったある日、ハワイで住んでいたアパートの部屋を描いてみた。窓の外に見えるのは運河の向こう側に林立するワイキキのビル群だ。部屋がずいぶん広く見えるが、これは私の技術の至らなさであり、実際はさほど広くない。右の壁ぎわに置かれたテレビみたいなものは、確かにテレビなのだがサイズは小型である。普通サイズだと思うとそれから類推して部屋が広く感じられるだろうけど・・・。

帰国後はアート鑑賞の機会が激減し、数年の間は年間に1,2回しか展覧会へ足を向けなかった。ハワイと日本での仕事の進め方の違いに慣れるまで余裕が無かったせいかもしれない。音楽活動に力を注いだのが理由かもしれない。

2012年4月 1日 (日)

横浜市イギリス館 サロンコンサート

仲間と組んでいるアマチュアの弦楽四重奏団「クワトロ・ロッソ」の一員として「サロンコンサート」(横浜市イギリス館)に出演した。

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去年から今年にかけてベートーヴェンの弦楽四重奏曲を全曲演奏するという無謀な企てを実行中で、今回は第11番「セリオーソ」および第9番「ラズモフスキー第3番」を取り上げた。「厳粛と快活:青年期の揺れ動き」という洒落た副題を付けたのだが、言葉がカッコ良すぎて私たちの腕と釣り合いが取れていたかどうか?その点が気になったまま演奏を終えてしまった。

そして今回嬉しかったのは、私の久々の新作「ポリフォニー工房」を初演できたことだ。

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これはバッハの「音楽の捧げ物」と「フーガの技法」に触発されて作ったもので、対位法の技法を用いて作った7曲をまとめて曲集にしたものだ。旋律やその展開などすべて私のオリジナルである。しかしスタイル、作風としてはバッハの影響が強いことを認めざるを得ない。私としてはスタイルや作風の面においてもオリジナリティを持ちたいと思っているが、現段階ではまだ達成していない。

美術に例えれば、若い画家がセザンヌの影響色濃い絵を描いていたとする。その画家は自分自身でその状況をよしとせず、自分独自のスタイルを目指して相違工夫を続け、キュビズムのような新しいスタイルを確立したとする。私は音楽において、そのような状態を目指したいのだ。しかしこれは非常に難しいことだ。一生のうちに達成できるかどうかわからない。

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今回力を入れたのは「4つの主題によるフーガ」だ。これはバッハの「フーガの技法」第19番(未完のフーガ)が完成した状態をイメージしたもので、最後に4つの主題が同時に鳴るという仕掛けだ。この曲は何年も前から構想を練っていて、今回ようやく完成したもので、肩の荷がおりた感じだ。

前述したように、これはオリジナル作品ではあるが、ちょっと聴くだけでバッハの影響が明白にわかってしまう。今回は一つの節目と考え、いずれ自分独自のスタイルによるポリフォニー作品を発表したいと思う。

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実は10年ほど前、バッハとは全く異なるスタイルでポリフォニー作品を作り初演したことがあった。「弦楽四重奏の為のプレリュード」という曲で、モノフォニーの部分もあるが、前半と後半に本格的なフガートを2つ配備したものだ。

しかしその音構成においては、メシアンが考案した音階を用いた。それでバッハから離れることは出来たが、メシアンのスタイルを真似たという事実は残っている。だから自分のオリジナルスタイル確立というわけではなかったのだ。

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今考えているのは、メシアンなどの方法をヒントとして、自分独自の音階を考案し、その技法でポリフォニー作品を作るという計画である。比較的実現性が高いのは、既存の教会旋法をいくつか選んで組み合わせるという手法だ。これは「ポリモード」というような呼称で既に行われていると思う。そこにいかに独自性を注ぎ込むかが勝負になる。大変だが、何とかして形にしたい。

次回の「クワトロ・ロッソ」のコンサートではベートーヴェンを3曲演奏するので、時間的にも自作を割り込ませる余地がないと思う。逆にその時間を利用して、その次あるいはさらに先のコンサートで披露できる曲を作りたいと計画を練り始めた次第である。うーむ、大変だ。

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