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2012年3月 2日 (金)

美術アーカイブ:1981年(4)マルセル・デュシャン展

「マルセル・デュシャン展」(西武美術館)の副題は「反体制『ダダ』の巨匠、見るひとが芸術をつくる」であった。

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「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(東京ヴァージョン)」は多少の違和感をおぼえたが、予想よりは美しい作品に見えた。

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当時私は芸術のコンセプチュアルな側面をあまり意識していなかった。その後「コンセプチュアル・アート」というものの存在を知り、それらの作品とどう向かい合って良いかわからずに何年も時が経過した。

そしてしばらくの間はコンセプチュアル・アートが嫌いになり、その結果デュシャンに対する興味も失っていた。便器の「泉」などは「先に言った者勝ち」という印象が強く、どうしても違和感をぬぐいきれなかったのだ。

そして赤瀬川源平の「トマソン」に出会う。こちらは面白いし、「早い者勝ち」のような悪い印象も少ない。たちまち引き込まれた。コンセプチュアル・アートは文学のようなものだという思想が私のなかで出来上がっていった。

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そしてデュシャンを回想すると、彼の場合は作品が美しいということと、美的センスが高い、いや高すぎるという点が逆に災いし、作品への嫌悪感を増幅させているのではないかという私独自の考えに至った。

そしてもう一度「トマソン」へ戻ると、こちらは美しくない。いや、もともと作品ですらない。街を歩いて切り取った風景の断片にすぎない。そこに文学を付けているのだ。だから好感を持つことが出来たのだと思った。

私はマルセル・デュシャンより彼の二人の兄弟、画家のジャック・ヴィヨンと彫刻家のデュシャン・ヴィヨンの作品の方が好きだ。どちらも私好みのキュビズムにをベースに、香り高い作品を生み出してくれたから。

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