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2012年3月30日 (金)

美術アーカイブ:1984年(5)図案から抽象へ

観るほうでは抽象好みの私が描く方でようやく抽象に接近してきた。

♪ラインダンス

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ハワイでフラダンスを鑑賞し、その記憶を頼りに描いたものだ。踊り子たちの姿が認められるので具象だが、抽象に一歩近づいている。

♪アイヌの晴れ着

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なぜハワイで突然アイヌなのか覚えていないが、たぶん造形的な美しさを感じて描いたものだろう。構成志向が強まってきている。

♪フォークの構成

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これは完全に構成本位で描いた絵だ。細部に粗雑さが認められるが、自分では気に入っていた。

♪抽象化したクリスタル花瓶

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そして抽象へ。これは当初工芸家の祖父作品をデフォルメして描こうと思ったのだが、途中で完全抽象に方向転換したらしい。

この頃はなぜか曲線をのびのびと描くことが出来た。今は理由はわからないが、どう描いても堅苦しさから抜けられない。ハワイの土地で心も手ものびやかな状態になっていたのだろうか?

美術アーカイブ:1984年(4)写実から図案へ

私は子供の頃から図案、デザインといった分野を好んだ。小学生の頃は、大人になったらインテリア・デザイナーになりたいと思っていたほどだ。中学から高校にかけて作曲に脱線し、そちらの方が面白くなってしまったのでアートへの道は自分で閉ざしてしまった。

日本を離れ、ハワイで暮らしているとこんどは音楽から遠ざかった。作曲のような人工的な構成より、自然と一体となったアートのほうが土地柄と合っていたからだ。そのような環境の中でささやかながらペン画を描いて楽しんでいた。

♪シャンパングラス

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ハワイは暑いのでビールが美味しい。一方、米国の一部なのでアメリカ式のパーティなども頻繁に行われる。シャンパンやワインを飲む機会も以外とあるのだ。この絵は写生ではなく、そのようなひと時を想像で描いたものだ。

♪切り株のバースデーケーキ

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これは妻ジョアンナ(仮名)に渡したものだっただろうか。それとも長男マイケル(一応実名)1歳の誕生日を祝ったものであろうか。しかし4本の蝋燭(ろうそく)はどちらの年齢にも合致しない。

これは思いつきをそのまま絵にしたのだろう。アイデアとしては面白いと思うが、それを表現する力量が不足していて中途半端な絵になってしまった。まあ仕方ないか。

♪独楽

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これはマイケルのオモチャを描いたものだろうか。忘れた。この頃、文字と絵を組み合わせて描くことが楽しみだった。しかし細部をもう少し丁寧に描けば良かったなあ。

♪樹木の配列

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クレー調で描いたつもりだったのだが、まるで異なるトーンになってしまった。アイデアに力量がついてゆけない典型的な例だ。思うように描けないもどかしさは素人に共通の悩みだろう。まあでも、ハワイでこのような絵を描いているのは、今思うと至福の時間だった。

2012年3月28日 (水)

美術アーカイブ:1984年(3)子供のおかげで

ハワイで長男マイケル(米国では一応本名)が生まれた。この子は私に多くの事を教えてくれた。そしてペン画を描く意欲も与えてくれた。

♪祖父と祖母への絵手紙(風船を飛ばして泣く子)

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当時存命だった工芸家の祖父夫妻に年賀状に代えて絵手紙を送った。その裏面にはこう書いた:
「オジーチャマ、オバーチャマへ。新年にちなんで童話調の絵を描いてみました。今までのと少し違うでしょう?」

ハワイでは細ペンで写実的な絵を描くことが多かったのだが、子供が生まれたことを機会に、このような違ったトーンの絵を描いてみようと思い立ったのだ。上手い絵描きが「ヘタウマ」で描いた感じを意識した。しかし実際は「ヘタヘタ」になってしまった(苦笑)。

♪一筆書きのマイケル

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長男を一筆書きで描いてみた。うまくいったので、もしかしたらこれが私のペン画の最高傑作かもしれない。しかしピカソの真似という雰囲気が漂っているのが辛いところだ。それにマイケルがやけに堂々としているし。

♪マイケルの笛

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マイケルが好んで吹いていたプラスチック製の笛のオモチャだ。何てことない題材なのだが、造形的に面白いと思って描いてみた。

♪マイケルのオモチャ大集合

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上の笛を含め、当時マイケルが好んだオモチャを並べて描いてみた。右下はキティちゃんの電卓だが、これが驚くほど長持ちした。つい最近まで使えたのだから。

ハワイでは子供を育てる素晴らしさを体験できた。

美術アーカイブ:1984年(2)写実は嫌いと言いながら

絵画鑑賞において私は抽象かキュビズムのような構成感の強い具象を好む。一方、印象派や写実的な絵画は好まない。しかし観ると描くでは事情が違ってくる。

ハワイでペン画に目覚めた(?)時期、私は写実的な絵を結構多く描いた。自分で筆を持つと見た物をそのままの姿で描きたくなるものなのだろうか?

♪クーの神

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ハワイアン料理レストランに置かれた木製の像を描いたものだ。あまり上手くないので、怒っているのか笑っているのか、それとも悲しんでいるのか表情が読み取れない(苦笑)。まあ素人だからこの程度がいい線か。

♪砂の城

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ハワイと言えば海。海には砂浜があり、砂浜では城が作られる。

♪宮殿?

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城がもっと進化すると宮殿になる。これはインカかどこかの宮殿の写真を本で見て、面白いから描いたものだと記憶している。

♪幻想的な植物

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これはオディロン・ルドンの影響が明らかだ。好きな画家の一人だし。

♪秋風と樹

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ハワイには秋が来ない。これは日本の秋に対する郷愁であろうか。なぜこの絵を描いたか記憶にないが、これは間違えなく空想の風景を描いたものだ。ハワイではこのような風景は見ることが出来ないから。

写実も捨てたものじゃない。

2012年3月27日 (火)

美術アーカイブ:1984年(1)題材を中国に

ハワイにおけるペン画熱は続く。1984年に入ると中国の故事などに題材を求めるようになった。そのきっかけは、工芸家の祖父がお弟子さん(S氏)に出した絵葉書をS氏に見せてもらったことから始まる。

しかし私の記憶する限りS氏とハワイで会ったことは無い。絵葉書をいつどこで見たのかに関しては謎に包まれている。しかもその題目が曖昧で、私自身も正確に思い出せないという状況なのだ。

♪南山・・・?

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これがその絵葉書から着想を得たペン画だ。漢字を図案化したものが真ん中にあり、南山・・・と読める。しかしその正確な言葉がわからない。その両側にシャンパングラスを持った人物が二人いて乾杯をしているようだ。この図柄からして何かおめでたい事があったのでそれを祝っているようだ。でもそれは何なのか?謎が多い絵だ。

♪寒山拾得

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上の絵に比べるとこれは明快である。「寒山拾得」の二人は有名な脱俗的な人物だ。祖父が好んで色紙に描いていたのを幼い頃から見ていた私は、無意識にこのテーマを好むようになったのだろう。

寒山は経文を持ち、拾得は箒を持つのが習わしなので私もそれに従った。ルールにあまりにも素直に遵守したので、絵に伸びやかさが欠けてしまったようだ。反省。

♪呉越同舟

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これも有名な故事だ。絵の出来はイマイチだが、この年にこのような題材を好んでいたという記録として大事に保管しておいたものだ。

ハワイという土地で古い時代の中国を思い起こすのもなかなか興味深い体験だった。

2012年3月25日 (日)

美術アーカイブ:1983年(3)風景もペン画で

ハワイでのペン画熱は何が主因かわからないが、まとまった枚数を描いていた。家の外に出かければ、そこには風景なるものがある。

ワイキキの街。私はワイキキから運河を越えた地域に住んでいた。

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街には自動車が走っている。バスも、リムジンも。これは何だろう?バスとリムジンが合体したような車だ。絵本の原画を描こうとしたものだろうか。記憶が定かではない。

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周囲には四季おりおりの花が咲いている。

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浜辺にはヤシの樹。このヤシは特殊な種類で、幹が太い。造形的には普通にヤシの樹より興味深い。

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そして海。波は変化する造形物だ。

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「風景」はその場所にしか存在しない。

美術アーカイブ:1983年(2)祝いの日にはペン画を

ハワイ在住時はイベントがあるとペン画を描いていた。例えばジョアンナとの結婚記念日にジョアンナに渡したカード。

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母に送った誕生日祝いカード。

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そして長男の誕生記録。

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長男誕生を祝ってくれた実家への礼状。

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家族が増えた我が家の家紋。

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これらの絵は画家の作品と比べると稚拙だが、当時の記憶を呼び覚ましてくれるので、私自身としては貴重なものだ。

美術アーカイブ:1983年(1)ジョアンナとのコラボ絵本

ハワイで妻ジョアンナ(仮名)は英語を習いに行き、授業の一環で英語による童話を作った。7匹の蛙が登場する小さな物語だ。私はそれにペン画を添え、ささやかなコラボレーションとなった。その一部を紹介しよう。

これは酔った蛙。体中がピンク色に染まっている。

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これは居眠り蛙。私が自分で最も気に入っている絵だ。

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これはのびた蛙。ちょっと平べったくなっている。

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ジョアンナの英文も私の絵も発展途上だとは思うが、コラボによる「楽しさ」のオーラは発することが出来たと思っている。

なお、ここでは具体的に書かないが、ハワイでは私は「ジョヴァンニ」ではなく別のニックネームで呼ばれていた。ごく少数の人は、上記の絵を見て私のことを思い出すかもしれない。昔の名前で

2012年3月22日 (木)

清水 晃・吉野辰海 * 漆黒の彼方・犬の行方

「清水 晃・吉野辰海 漆黒の彼方・犬の行方」(埼玉県立近代美術館)に行った。久しぶりにおなじみF君と一緒で、チケットはF君が用意してくれた。いつもありがとう。

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不勉強だが、この二人のアーティストは知らなかった。解説を読むと、1960年代にデビューしたとある。美術において、この「1960年代」という言葉はワクワクするような特別の響きがある。1920年代の「大正アヴァンギャルド」から30年後、1950年代に再びアヴァンギャルド旋風が巻き起こってさらに10年経過し、その熱気を継承してさらなる混沌へと突っ走った時代だ。

♪清水 晃は「漆黒から」というタイトルで統一された立体オブジェと、コラージュの作品集「目沼」が素晴らしかった。

「漆黒から」はチラシに採用されたが、写真ではその深い味わいが表出されない。これらのオブジェは本物を観ないとその真価がわからないだろう。一つ一つのパーツは日常的な物で際立った特徴は無い。しかしこれらが組み合わされると、呪術的な禍々しいオーラを発し、鑑賞者を異界へと導くのである。

「漆黒」という言葉の通り、ほとんどのパーツは黒く塗られている。この「黒さ」だけで闇の世界が手繰り寄せられている。しかしこれらの恐怖のオブジェは、それだけの理由で暗黒世界に向かう開口部となっているのではない。そこには作家の造形センスが注入されているに違いない。

コラージュ作品の「目沼」シリーズに目を向けてみよう。チラシ裏面にはその中の一つ「軋線」が紹介されていた。

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これはマックス・エルンストのコラージュに類似した雰囲気がある。異なるのはエルストの作品、例えば「百頭女」などはモノクロームであるのに対し、清水の「目沼」は彩色されている点だ。いずれにしても、この殺気をはらむ画面を前にすると、思わず身構えてしまう。「目沼」シリーズはそれくらい「厳しい美」を放っていた。

清水作品には「色盲検査表No.6」という作品もあった。

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漆黒から一転してユーモラスなたたずまいだ。清水晃の多面性がよく表れている。よく見ると、雑誌などから切り取られたヌード写真が散りばめられている。遊び心満載の作品だ。

♪吉野辰海の作品は好きになれなかった。それなりのインパクトがあるのだが、表現が直截的でどぎつさがある。 例えばチラシを飾る「SCREW 唐辛子犬」などだ。

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また「象少女」シリーズは、可憐な少女の体に象の首を乗せた異種混合の形状をしている。これはシュールでグロテスクだ。それで思ったのだが、このような禍々しいイメージは文芸によって表現したほうが良いのではないか。

私はホラー小説が大好きだ。特にラヴクラフトの作品は、その深さが下手な純文学のレベルを超えていると思う。そして彼の小説には怖ろしい姿の怪物が登場する。しかし、文章の中で、である。読者はそれを読んで頭の中で怪物のイメージをおぼろげながら作り上げ、恐怖を味わう。これが奥ゆかしいホラーの味わい方ではないか。

吉野作品を文章で表現した作品があるなら、私はぜひ読んでみたいと思う。その中に「象少女」が登場した際、直接絵で見せつけるより、はるかに上質のシュールな楽しみがあるのではないか。そんな事を考えたのである。

ところが吉野作品の中にもユーモラスなものがあるから一筋縄ではいかない。チラシ裏面で紹介された「レインボープラン」という作品だ。

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これは楽しい。この便器にはちゃんと「Mutt」のサインも描き込まれている。言わずと知れたデュシャンの「泉」だ。

以上のように、私の趣味嗜好が偏っているため、吉野作品より清水作品のほうをひいき目に観てしまった。しかし上にも書いた通り、吉野辰海にも作風の広がりというものを感じ、やはり人々の記憶に残る作家というものは一味違うんだなあと思った。

2012年3月21日 (水)

浜野美津子 歌曲コンサート

「日本の抒情歌 ―浜野美津子 歌曲コンサート」(かなっくホール:横浜)に行った。

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浜野美津子の作品を中心に演奏するので、アート的にいえば作曲家の「個展」ということになる。複数のアーティストによる「公募展」も変化に富んで楽しいが、このように一人の作曲家の創作をじっくり辿るというのも別の面白さがある。

楽曲的には「水面」が良かったと思った。作曲者自身の解説で五音音階を使ったということだが、楽曲全体ではなく部分的な適用をしていた。このほうがすべて五音音階で通すより変化があるので順当なやり方であろう。また長調・短調の使い分けに関しても、他の曲よりメリハリがあったと思う。詩は北原白秋。さすがに一味違う。

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選曲・曲順評論をやろうかと思ったが、妻ジョアンナ(仮名)など演奏者は身近なメンバーばかりなので自粛した。

2012年3月19日 (月)

都の遊び・王朝の美

「京都 細見美術館展 Part Ⅰ 都の遊び・王朝の美」(そごう美術館:横浜)に行った。「美を愛でる、京を知る」という副題が付けられていた。おなじみF君が招待券をくれたのだ。F君いつもありがとう。

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このような伝統の重みがある展覧会に行くと、展示作品が好き嫌い、あるいは興味ある・なしにより明確に分かれてしまう。楽しめた作品を列挙してみよう。

♪藤原定信 書 重要美術品 「貫之集下断簡 石山切」(彩箋墨書)
文字の集積に爽やかな構成感があり、好感が持てた。

♪沖 一峨 「薬玉図」(絹本著色)
奇妙な味わいがした。私にとっては心象風景のように見えた。

♪鈴木其一 「掛蓬菜図」(絹本著色<描表装>)
縁起物らしき物が十字架状にきちんと並べられて描かれているだけなのだが、シュールなたたずまいであった。

♪「八角水指」(有線七宝)
緑の色あいが美しく、施された装飾も構成感に満ち、楽しめた。

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その他の作品の感想。
最近がぜん注目度がアップした♪伊藤若沖の「萬歳図」は渋いモノクロームに奥行きのある味わいがあった。

♪酒井抱一も「立雛図」で存在感を出していたが、今回の展示に限っていえば、弟子の鈴木其一の作品のほうがインパクトがあった。

♪合わせ貝、♪かるたなどは細かい絵付けに感心した。

♪「洛外図屏風」はよく引き合いに出されるが、じっくり観たことが無かった。今回、会場に入るといきなりこの作品が眼に飛び込んできた。やはり「定番」はそれなりの美しさと品格を持っているのだなあと感心した。

2012年3月18日 (日)

近代洋風建築写真パネル展

「近代洋風建築写真パネル展」(八幡山の洋館:平塚)を観た。

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「小さなおさらい会」に出演した際、その会場・旧横浜ゴム平塚製造所記念館(通称:八幡山の洋館)で開催されていた展示会を観た。同館も由緒ある洋館として写真が展示されていた。

興味深かったのはチラシの下段に書かれた協力先に「近代建築メーリングリスト」という記述だ。最近はこのような形でメーリングリストが活用され、埋もれがちな情報の掘り起こしに役立っているのだろう。

もう一つ気になったのは、やはり協力先として書かれた「甲府市藤村記念館」だ。山梨県と神奈川県は隣接しているのだが、間に山岳地帯があるせいか心理的距離は遠い。そのような遠くにある甲府市と平塚市の洋館がなぜ手を結んだのだろうかという単純な疑問だった。

配布された資料を見ると、藤村記念館で開催された「まちかどの近代建築写真展」に平塚市の写真を展示してもらったことが契機となり、情報交換が始まったとある。なるほど、それで両館がある意味で「姉妹館」のような関係に発展したのだろう。喜ばしいことだ。

トマソンズ第6回演奏

「小さなおさらい会」(八幡山の洋館:平塚)は妻ジョアンナ(仮名)達によるヴァイオリンとピアノの合同おけいこ発表会だ。

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この神聖なる発表会に「トマソンズ」がアヴァンギャルドな即興で「乱入」してしまった。管楽器を持っているのは相方であろうか。そしてその背後から忍び寄る邪悪な姿はジョヴァンニであろうか。

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即興ユニット「トマソンズ」は相方(テツ)と昨年5月に結成した。メロディーもコードも何も設定せず、完全に自由な即興を行うスタイルだ。これまでに5回のステージを踏んできた。
♪サロンライトコンサート(永山公民館)
♪すみだ川アートプロジェクト2011(浅草)
♪西洋館のミニ・コンサート(横浜市イギリス館)
♪「最後のテレビ」(アーティスト毛原大樹が横浜トリエンナーレの一環として出展したブース)出演(新港ピア)
♪秋の室内楽コンサート(松本音楽記念迎賓館)

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今回は第6回目で、昔の友人も聴きに駆けつけてくれたので力が入った。相方の音に反応し、頭で一瞬のうちに作ったイメージを音にしようと必死に取り組んだ。それである程度の満足感は得られた。しかし描いたイメージ通りには簡単にいかない。これは指が速く回らないからだ。つまりもともと楽器が下手なうえに基礎練習を怠っているから当然の罰だ。

今後に向けて、ほとんど開いたことがない「ハノン」(ピアノ)や「ウェルナー」(チェロ)などの教則本をやり直そうかと思った。しかし三日坊主になってしまうかなあ・・・。

2012年3月14日 (水)

美術アーカイブ:1982年 転機

「美術アーカイブ」もとうとう1982年に到達したか。この年には私の人生に一大転機が訪れた。それは、ジョアンナ・マグダレーナ・バッハ(仮名)との結婚、そしてハワイでの4年間の暮らしだ。

この記事は「プライベート・アーカイブ」ではないので(笑)、私生活についてはあまり書くつもりはない。ただハワイという土地柄、展覧会通いが激減したことをコメントしておこう。ハワイにはホノルル美術館という立派な施設があるが、アートに接する機会は日本に比べたら圧倒的に少なくなった。

この年、渡航前および一時帰国の際に観た展覧会は次の3つだけであった。

♪今日のイギリス美術(東京都美術館)

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購入した絵葉書はジョニー・ウォーカーならず(笑)ジョン・ウォーカーの「無題『螺旋』」。大好きな抽象絵画だ。

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♪「明治初期から現代まで:近代日本のガラス工芸」(東京国立近代美術館工芸館)

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♪「ダリ展」(伊勢丹美術館)

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なおホノルル美術館では大好きな♪ルイーズ・ネーヴェルソンの黒塗りの抽象彫刻に出会えて嬉しかった。アップライトピアノ程度の大きさだったと記憶している。タイトルは忘れた。

2012年3月13日 (火)

ふじさわ平和文化展

「ふじさわ平和文化展」(藤沢市民ギャラリー・第3展示室)に行った。

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お目当ては♪山内若菜が被災地の「一本松」を描いたバッグ。画像では知っていたが、実物を観ることができて良かった。震災復興にあたって、アートは本当に力を有しているんだなあと実感した。

他に震災の様子をモノクロームで表現した絵巻物が展示されていた。アーティストたちの優しい心遣いが伝わってくるようだった。

大震災という不幸な出来事が軸になっていると言うと、少々不謹慎な感じがする。しかし震災復興という気持により、出展メンバーの意気が一つにまとまったのは事実であろう。いろいろ考えさせられる展覧会だった。

選抜奨励展

「第31回 損保ジャパン美術財団 選抜奨励展」(損保ジャパン東郷青児美術館)に行った。毎年楽しみにしている展覧会だ。

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今回は「Final」となっていたので、こんな面白い展覧会が幕を閉じてしまうのかと思ったら、来年から名称を変えて再開するとわかり安心した。

私は抽象を好むので、平面も立体も抽象作品をより重んじてしまう癖がある。自分の気に入った作品を並べてみると、ほとんどみな判で押したように抽象である。趣味だからいいかもしれないが、ブログに書いてしまうと具象作品の作家に悪いなという気持になる。

具象でも心象風景などは好きなのだが、たまたま今回は私の趣味を満たしてくれる具象作品に出会うことができなかった。

平面作品で最も気に入ったのは♪朝山英治の「パウル・クレー『造形思考』より」。

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このタイトル、このたたずまい。こういうのに私は弱い。白黒の対比もいいし、細い線の小気味よさがまた格別だ。タイトルが私の好みなのだが、仮にタイトルを除いて勝負しても充分最高点を付けてあげたい作品だ。

ちなみに平面作品で損保ジャパン美術賞を受賞したのは♪小野さおりの「ハジマリノザワザワ」。

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私は具象でも幻想的な絵画は好きなので結構気に入っていた。「造形思考」にはかなわなかったが。この作品で素晴らしいと思ったのは、奥行き感。平面なのによく観ると手前に迫ってくる部分と奥に引っ込む部分がある。どう描いたかわからないが、不思議だった。

立体部門で最もいいと思ったのは♪安田 操の「はるかな子守歌」。

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まあ私の趣味からすると、他に選択肢が無かったわけだが。柔らかそうな質感と、どの角度から観ても楽しめる造形美が最高だった。

そして立体部門で新作優秀賞を獲得したのは♪小野寺英克の「空に溶け込む動物2」。

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幻想的なので絵画だったらもっと好きな作品だったかもしれない。荒削りのようで繊細な感じもあるという、作り込みの見事さは大したものだと思った。

平面部門では他にも好きな作品があった。

♪小俣裕子「観測・星と日」。

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こういうのにも弱いんだよね。抽象ではないが、すっきりした構成感が何ともいえず心地よい。色彩においても、赤が全体を引き締めつつ幻想性を醸し出している。いいなあ。

♪山下かじん「孤高」

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こういうコラージュも好きだ。渋い色ばかり使っているが、全体が構成されると私には派手なぐらいに楽しく見える。コンポジション好きにはたまらない作品だ。

♪原 尚利「刻」。

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これは素晴らしい。この作品は画像ではなく、実物を観ないとその良さがわからないと思う。青地に線が1本縦に引かれているだけ、と言ってしまえばそれまでなのだが、その線の中に埋め込まれた細かい模様の美しさ!こういう作品に出会えて良かった。

♪古川あいか「いつもの事 その3」

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アイデアだけを取り上げれば、どうってことはない作品だ。ただ描き方が達者な分、コンポジションが引き締まって観えるのかな、と思った。例えば私みたいな素人がアイデアだけ真似しても、決して描くことが出来ない世界なのだと思う。素晴らしい。

立体でも、興味を引く作品がまだあった。

♪降旗芳美「昨日のおまつり」

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最近こういう作品が好きになってきた。構成感もあるし、物語性もある。そしてその物語性が、押し付けがましくない。そこが気に入ったポイントだ。

♪川渕佳子「宙がゆらぐ その前に」

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このような造形を打ち出した作品は大好きだ。螺旋の感じも、抑制が効いた美しさを保っているようで好感が持てた。

やっぱり「抽象本位制」を打ち出してしまったなあ。

2012年3月12日 (月)

ジム・ハサウェイ個展

ジム・ハサウェイの個展「SUN WATER WIND」(ギャラリーCN:藤沢)のオープニング・レセプションに行った。タイトルを邦訳すると「太陽・水・風」になる。西洋人でありながら水墨画を描くアーティストらしい東洋的なコンセプトだ。

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ジム・ハサウェイの個展を観るのはこれが2回目だ。前回は2008年の9月、同じギャラリーCNでの開催だったので、おおよそ3年半ぶりになる。前回は「ENODEN ART #3」というキーワードで10人のアーティスト達が江ノ電沿線の各地で同時に展覧会を開くという企画だった。

前回の展覧会では、ジム・ハサウェイは墨絵で江ノ電を描き、私はその美しさに魅力を感じていた。そしてまたいずれ作品を観たいと思っていたのだが、今回それが叶ったわけだ。しかも在廊の作家家本人と話す機会もあり、嬉しかった。

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今回も素晴らしい墨絵を観ることができた。これは「富士見坂」。

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また今回は墨絵の他、エッチングなど他のジャンルの作品も披露された。面白かったのは硯にデザインを彫り、

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それを原版として版画を刷り上げた作品だ。これはジム・ハサウェイの遊び心がよく表れていると思う。

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また自らウクレレのような楽器を制作し、弾いてみせてくれた。多彩なアーティストで驚いた。

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とても楽しく充実した時間が流れた。ジムさん、そしてギャラリーCNさんに感謝したい。

2012年3月 9日 (金)

美術アーカイブ:1981年(13)その他

♪20世紀カナダ絵画展(東京国立近代美術館)
半券の作品はアレグザンダー・コルヴィルの「子供と犬」。

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♪描かれたニューヨーク展(東京都美術館)
副題は「20世紀のアメリカ美術」および「東京・ニューヨーク姉妹都市提携20周年記念」。

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♪棟方志功展(日本橋東急)
棟方板画美術館開館記念の展覧会。半券の作品は「門世の柵」。

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♪棟方志功と文学者たち(神奈川県立近代美術館(鎌倉))
半券の作品は「流離抄板画巻 広鰭の柵」。

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♪東山魁夷展(東京国立近代美術館)
半券の作品は「雪原譜」。

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♪アール・ヌーヴォー展(日本橋三越)
副題は「華麗なる美の饗宴―世紀末芸術」。半券の写真はヴェヴェール兄弟の「ペンダント<シルヴァ>」。

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♪松岡映丘―その人と芸術―(山種美術館)
生誕百年の記念展。半券の作品は「山科の宿」(部分)。

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♪ドイツ美術500年展(小田急グランドギャラリー)
副題は「デューラー、クラナッハから現代まで」。半券の作品はクラナッハ「ヴィーナスと蜂蜜を盗むアモール」。

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♪ピカソ秘蔵のピカソ展(伊勢丹美術館)
副題は「生誕100年記念」および「息子クロード、娘パロマ愛蔵の名作(日本初公開)など100余点を展覧」。半券の作品は「飾り襟をつけたベレーの女」。

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♪マチス展(東京国立近代美術館)
副題は「世紀の巨匠」。半券の作品は装飾的背景の人物」。

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♪メアリー・カサット展(伊勢丹美術館)
副題は「印象派に生きた愛の画家」。

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♪モネ展(西武美術館)
副題は「睡蓮への道」。

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♪各務クリスタル展(江ノ電 美術画廊)

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2012年3月 8日 (木)

美術アーカイブ:1981年(12)アンディ・ウォーホル展

「アンディ・ウォーホル展」は「ワタリウム美術館」の前身「ギャルリーワタリ」で開催された。「The Shoe Portfolio」と題された、靴を題材とした一連の作品を紹介したものだ。

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私はコンセプチュアルなものに弱いので、この作品群の背後にあるコンセプトを読み取ることができない。単に色彩が美しく、単調ではあるが靴を並べた構成感が心地よいという感想しか書けない。後は「風物詩」仕立てにしてしまおう。

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美術アーカイブ:1981年(11)モーリス・ドニ展

「モーリス・ドニ展」(国立西洋美術館)で私はまた絵画の新たな世界を知った。それは私の言葉でいうと「構成感を味わえる装飾性」ということだ。パンフレットの表紙には渋い「ペロス=ギレックのレガッタ」が採用された。

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この作品一つとっても、海面が様式的に描かれ、船の帆が平面的に塗られ、写実から脱した独特の世界を味わうことができる。そして画面には人や船が多数描かれており、それらが一見バラバラに配置されているようなのだが、妙な構成感がある。これがドニの世界なのか。

同じく裏表紙に採用された「董の花束のある裸婦」を観てみよう。

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これは非日常的な風景だ。屋敷の正門から玄関に通じているであろう曲がりくねった小径の脇に裸婦が横座りし、こちらを正視している。こんな光景が実際にあるはずがない。これはアトリエで描いた裸婦と庭園とのモンタージュであろう。そして裸婦の姿も俗界とは異なる様相を呈している。そのような絵画だが、全体として何とも言えない魅力を放っている。

チラシの中扉には「四月」が紹介されていた。

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ここまで来ると、人物は風景の中に溶融し、風景の一部と化している。当時このような絵は前衛絵画であったろう。

購入した絵葉書の中に「緑の樹のある風景」があった。

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この並んだ樹木が生み出す音楽的なリズムは、機械的ではなく、有機的だ。しかしその一方で幾何学的な構成が背後に隠されているようにも見える。心地よい世界がここにもある。

同じく絵葉書の「選ばれし乙女」(楽譜表紙)。

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洒落てるなあ。こんな絵が表紙にあったら、中味を検分せずに楽譜を買ってしまいそうだ。渋い色を使いながら、上品で豊かな感じが表現されているのはすごいと思った。

そして半券。これは「小川のほとりの女たち」だ。

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この川は蛇か縄のようだ。川を泳ぐ白鳥(と思われる)は川と一体化している。女たちのしなやかな曲線は川と唱和している。人間も動植物も樹木も川も、みな溶け合って全体のデザインを構成している。流れるような線は無造作に描かれたようでいて、微妙なバランスを保ち、上品さも損なっていない。

モーリス・ドニは素晴らしい画家だったのだ。再認識した。

2012年3月 7日 (水)

美術アーカイブ:1981年(10)国吉康雄/ベン・シャーン展

「ダウンタウンーその哀愁とロマン 国吉康雄/ベン・シャーン展」(東急本店)は先にパルコで観たベン・シャーンの個展同様、充実していた。

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ベン・シャーンに関しては既に感想を書いたので、今回は国吉康雄について書いてみようと思った。

ところが、ベン・シャーンの線刻が大好きな私が、国吉康雄はさほど好きになれない。展覧会当時も今も同じである。題材や色使いが暗すぎるからだろうか。

小澤善雄の「評伝 国吉康雄 幻夢と彩感」(福武文庫)を読むと、国吉がいかに偉大な画家であったかを知らされる。そして日本人として国吉を尊敬し、誇りに思う。

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それで少し国吉の方を向いてみる。しかし、それでもなお作品を愛好するまでにはならない。作品を前にすると、その暗さで気が滅入ってしまうからだ。

逆に、国吉は(暗い方向ではあるが)作品によって人の心を動かす力量を持つ画家だという証拠になるのかもしれない。私が作品を好きになれないと言いながら、小澤善雄の評伝を買い求めたのはその力に押されたのかもしれない。

2012年3月 5日 (月)

竜宮美術旅館は終わります

「RYUGU IS OVER!! 竜宮美術旅館は終わります」(竜宮美術旅館:横浜市)に行った。あと2週間で会期が終了し、その後取り壊されるので、これが見納めだと思う。

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この展覧会は敬愛する 中年とオブジェ さんのブログで知り、あわてて駆けつけた。内容に関しては見識高い人のブログに面白い話が満載なので、私のような駆け出しが頑張って書いても仕方ない。

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一つだけ感想を書いておこうかな。2階の奥に展示されていた ♪mamoruの「etude no.11 steel hanger」は、並んで架けられた鉄製のハンガーが、空調の風を受けて動くことにより、ハンガー同士の触れ合う微かな音を聴く作品だ。

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音が小さいのでよく聴こえないが、耳をすますとチロチロという音が認識できる。音を聴こうとすると自ずからそれに集中し、周りが気にならなくなる。するとその小さい部屋が妙に落ち着く空間に感じられる。

そういえば私が以前即興演奏を一緒に行った環境音楽家の故・吉村弘さんも同じような発想で音を産み出していたな、ということを想いだした。この作品は美術であり、音楽でもあると思った。

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2012年3月 4日 (日)

美術アーカイブ:1981年(9) クリムト展

「ウィーンの愛と夢 クリムト展」(伊勢丹美術館)の回想。

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神奈川県内の某所に私の馴染みの居酒屋がある。そこの店主はクリムトが大好きで、店中クリムトだらけだ。この耽美的な世界は多くの人を引きつけるのだろう。

先の記事で紹介した「ドラン展」、「アングル展」同様、クリムトの大規模な展覧会はこれが日本で初めてだったそうだ。読売新聞は「珍しいクリムト展」というタイトルで紹介コラムを出していた。

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朝日新聞は「世紀末ウィーンのすえた美」という題を付けていた。

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クリムトは好き嫌いの票が分かれる画家ではないかと思う。きらびやかな美の背後に死の影が付きまとっているから。私はクリムトの幻想性を好むが、少々暗すぎるかなと時に思う。でもクリムトはいつまでも無視できない不思議な存在である

美術アーカイブ:1981年(8)アングル展

「アングル展」(国立西洋美術館)もドラン展同様、日本における初めての本格的な回顧展だった。

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読売新聞夕刊のコラムには、このこと(日本でのアングル展開催が初めてであるという事)に関し、日仏双方の立場からの興味深いコメントが紹介されていた。

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まずは日本の側から。コラムを執筆した読売新聞の記者♪村瀬雅夫は:
「日本の正当ぎらい、判官びいきの趣好もあって、明治以来、西欧絵画の紹介は、反アカデミーのバルビゾン派や印象派といった新潮流に比重が置かれ、時の本流は悪玉にされて積極的に紹介されてこなかったようだ。」とうコメントした。

これに対して画家の♪大久保泰は:
「アングルをすかして見ると、その下にはラファエルロなどルネッサンスが見えるし、さらにギリシャ・ローマの古典がある。西欧美術がたどりついた最後の牙城といった感じがして、日本人には歯が立たない。アングルに取り組んだら一生それで終りそう。それでは現代画家として絵が描けない。」と続ける。

一方ルーブルの美術史家♪ジャック・マーカールは:
「19,20世紀のフランス美術に関して鋭敏に反応する美術愛好国・日本で、アングルの展覧会が一度も開かれたことがなく、美術館に一点のアングルもないのは不思議だ」という皮肉たっぷりのコメントだ。

大きいコラムなので画像を2つに分けたが、後半にはアングルに対する賛否両論が紹介されている。

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アングルの師匠♪ダヴィッドはアングルの出世作・ナポレオンの肖像や「オダリスク」に対し「奇妙で時代錯誤」とか「背骨が長くて解剖学的に不正確」という批判を浴びせた。

アングル没後になると、♪セザンヌが「二流画家だ」と言う一方で、♪ドガは「神様」だと正反対の評価をする。賛美者の一人♪ゴーギャンは「アングルはヨーロッパ絵画の革命家だった」と持ち上げたのだ。

私はセザンヌが大好きなのだが、セザンヌが評価しないアングルの「泉」も捨てがたい魅力があると思っている。また「ヴィーナス・アナディオメネ」のための習作は素晴らしいと思う。

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「トリニタ・デイ・モンティの広場」はとても味わい深い風景画だし。

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こうした混乱のなかで朝日新聞夕刊のコラムには別の面白いことが書かれていた。

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♪ボードレールは次のような指摘をした:
「アングルは、『目に見ることも手で触ることもできる非日常的な別の世界』をそこに現出させた画家であったかもしれない」。
もしかすると、このあたりがアングルに対する公平で正当な評価なのではあるまいか。

美術アーカイブ:1981年(7)ドラン展

「色彩と形態の歓喜 フォービズムの巨匠 ドラン展」(日本橋高島屋)の回想。

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ここしばらく「半券の復権」を中断しているが、この展覧会の半券は珍しく裏面に解説が刷られている。そこには「ドランのわが国での初めての回顧展」と書かれていた。以外と遅かったんだな。

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当時の読売新聞(夕刊)の記事には「”自由人”ドラン」いう見出しで興味深いことが書かれている。

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まず(ドランの)「さまざまなスタイルの作品をみていると」という書き出しで「・・・イズムで切りとらねば気がすまないらしい日本の美術館が狭く見えてくる」と続いている。これはドランの作品が型にはまったものではないという事をうたっている。

さらに「ドランといえばフォービズムの代表的作家とされる」として、フォービズムという枠の中におさまりきらないドランの裾野の広がりを述べている。

例えば「モントルイユ・シュル・メールの小川」という作品は、ドラン作と知らなければキュビズムを準備したセザンヌの作品だと思ってしまいそうだ。

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そのような自由な広がりはとても好感が持てる。まさに枠にはまらない画家だ。

美術アーカイブ:1981年(6)レンピッカ展

「肖像神話 タマラ・ド・レンピッカ展」(池袋パルコ)のアーカイブを書き始めて、ブロガーとして恥ずかしい事を思い出した。

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2年前、渋谷のBunkamuraで開催されたレンピッカの個展を観に行き、その感想を記事に書いたのだが、30年前にレンピッカのこの個展を観ていたことをすっかり忘れていたのだ。チラシの雰囲気も似ているというのに。

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レンピッカはキュビズム風の作風で、どちらかと言うと好みの画家に属するはずなのだが、なぜ記憶が無かったのだろう?

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グレタ・ガルボにも匹敵するその美貌(チラシ裏面より)により「天からニ物を貰った」ことに対する反発があったからだろうか?

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美術アーカイブ:1981年(5)ベン・シャーン展

「ヒューマンな線と詩情 ベン・シャーン展」(吉祥寺パルコ)の回想。

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既に拙ブログに何度か書いているが、私はベン・シャーンの作品が大好きだけれども、それは作品の線刻・構成という純粋な造形面だけに関してであった。芸術に思想的な側面を含ませて欲しくないという私の趣味がそうさせてきたのである。

私の好む典型的なタイプは図録の表紙に採用された「麦畑」のような作品である。シャープで伸びやかな線刻、そして控えめではあるが品のいい彩色、どれをとっても心地よい。

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それに対して、当時の新聞記事にも「ヒューマニスト」として紹介されている社会派としての彼の作品は、その心意気を尊敬しても作品としては愛好するまでには至らなかった。

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芸術に社会的思想を盛り込む事に対するアレルギーを持っていた私は、展覧会で「ラッキー・ドラゴン」を観ても、(意識的にせよ、無意識的にせよ)それが原発実験に対する批判だという事すら理解せずに作品から眼を背けていたぐらいであった。

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最近になって、ようやく私は芸術には様々な側面があってもいいじゃないかという考えを抱き始めた。そのようにして久しぶりにスタジオ前のベン・シャーンの写真を眺めると、なんといい顔をしていることか!やはり彼には人を元気に明るくさせるオーラがあったのだ。

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2012年3月 3日 (土)

行けなかった展覧会:アート探偵 KURO&如月愛

「アート探偵 KURO&如月愛 『決して出版されない絵本の原画展』」(art truth:横浜)は2月26日にライブペインティング&ギャラリ-トークのイベントが予定されていた。とても行きたかったのだが、当日風邪がひどくなり断念した。

_kuro_

イベントでは二人のアーティストの制作風景を観るだけでなく、作曲家・清道洋一のトークもあるというので楽しみにしていたのだ。アマチュアだが作曲を趣味とする私としては誠に残念だ。

今後フォローしてゆきたい雰囲気がある3人だったので、備忘録がわりに記事をアップしておいた。次の機会を待とう。

2012年3月 2日 (金)

美術アーカイブ:1981年(4)マルセル・デュシャン展

「マルセル・デュシャン展」(西武美術館)の副題は「反体制『ダダ』の巨匠、見るひとが芸術をつくる」であった。

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「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(東京ヴァージョン)」は多少の違和感をおぼえたが、予想よりは美しい作品に見えた。

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当時私は芸術のコンセプチュアルな側面をあまり意識していなかった。その後「コンセプチュアル・アート」というものの存在を知り、それらの作品とどう向かい合って良いかわからずに何年も時が経過した。

そしてしばらくの間はコンセプチュアル・アートが嫌いになり、その結果デュシャンに対する興味も失っていた。便器の「泉」などは「先に言った者勝ち」という印象が強く、どうしても違和感をぬぐいきれなかったのだ。

そして赤瀬川源平の「トマソン」に出会う。こちらは面白いし、「早い者勝ち」のような悪い印象も少ない。たちまち引き込まれた。コンセプチュアル・アートは文学のようなものだという思想が私のなかで出来上がっていった。

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そしてデュシャンを回想すると、彼の場合は作品が美しいということと、美的センスが高い、いや高すぎるという点が逆に災いし、作品への嫌悪感を増幅させているのではないかという私独自の考えに至った。

そしてもう一度「トマソン」へ戻ると、こちらは美しくない。いや、もともと作品ですらない。街を歩いて切り取った風景の断片にすぎない。そこに文学を付けているのだ。だから好感を持つことが出来たのだと思った。

私はマルセル・デュシャンより彼の二人の兄弟、画家のジャック・ヴィヨンと彫刻家のデュシャン・ヴィヨンの作品の方が好きだ。どちらも私好みのキュビズムにをベースに、香り高い作品を生み出してくれたから。

2012年3月 1日 (木)

美術アーカイブ:1981年(3)難波田史男展(風物詩仕立て)

「難波田史男展 海と太陽の詩」(西武美術館)は感動的だった。

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「一番好きな画家は誰か?」と聞かれたらどう答えたらよいであろうか。私の場合、もしかするとパウル・クレーとこの難波田史男の一騎打ちになるかもしれない。それほど私はこの作家が好きだ。

クレーの場合は構成感に裏打ちされた西洋的な幻想を感じさせる。一方難波田は流麗な線のはこびという点で東洋的なたたずまいの幻想だ。どちらも素晴らしいが、自由度の高さでは何といっても難波田であろう。線が活き活きとしている。

八木一夫同様、難波田についても作品の説明は不要だ。タイトルはあっても良いかもしれない。しかし今回もあえてタイトルを伏せて「風物詩仕立て」で画像を並べてみる。彼の作品は無心に眺めるのが一番よいと思うからだ。

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