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2012年2月28日 (火)

美術アーカイブ:1981年(1)ヴァザルリ展

ヴァザルリに関して1978年にも銀座三越で展覧会を観ており、その記事を昨年7月に書いた。その中で詳細は今回に回すとしたうえで、美しく描かれた原発についての複雑な思いを書いた。

そして今回、「色彩宇宙の変奏曲 ヴァザルリ展」(西武美術館)について書こうとしているのだが、原発をめぐる奥深い心の葛藤はまだ続いている。

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チラシの裏面に書かれた解説も原発に言及している。まずはそれを転記してみよう:

 「近年、彼<ヴァザルリ>の作品は二次元平面から三次元立体へと進化し、さらにラ・シテ・ポリクローム(多色都市)の建設へと大規模に展開しています。今回出品される原子力発電所のプランもその線上にあるものです。」

チラシの解説はさらに続く:

 「このように芸術創造を、社会の中に積極的に活用していこうとするヴァザルリは、国際的にも高い評価を受け、グッゲンハイム国際大賞(1964年)・・・など数多くの賞を得ています。」

上記の「・・・」には認められた芸術家に贈られる各種の賞が並んでいるのだが、その最後には「第9回日本国際美術展外務大臣賞(1967年)も加えられている。つまりヴァザルリの活動は日本政府からも公に認められたわけだ。

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またヴァザルリは日本のメディアからも歓迎されていた。読売新聞はこの展覧会の記事で原発模型の写真も掲載している。

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このように社会・環境面まで取り込んだ形で認められたヴァザルリの活動は、確かに非凡なものであり、賞賛に値すると思う。だから原発の一件だけでその真価を覆い隠してしまうのはあまり公平ではないと考えた。私はヴァザルリの作品を愛しているから、ヴァザルリを擁護する立場に立ってしまうのだろう。それでも構わない。私がなぜヴァザルリが好きなのかは、彼がバウハウスのDNAを継承しているからだろう。

1928年から29年にかけて、ヴァザルリは美術家アレクサンダー・ボルトニクが主宰する学校で学んだ。ボルトニクは本場のバウハウスで学び、その理念を移植したこの学校は通称「ブダペスト・バウハウス」と呼ばれた。「緑の習作」は、いかにもバウハウスの学生が制作したようだ。

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その後「クリスタルの時期」と呼ばれる1948年以降、ヴァザルリは教会あるいは別荘の窓に注目する。内側から見ると部屋の仲に光を拡散させるのに、外側から見ると暗い底なしの単なる立方体になってしまう。この経験を通してヒントを得たのが地と図の互換性だという。

「クリスタル」と総称されたこの時期の作品はクレーの造形美に似ていて心地よい。バウハウスのDNAは活発に脈づいている。

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以上のような基盤のうえに後年のヴァザルリがいる。チラシに採用された「ヘッタ」は1979年の作だ。あの原発のデザイン連作の前年である。

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