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2011年12月 4日 (日)

「アマールと夜の訪問者」作品評

2011年12月3日(土)
「東日本大震災復興支援 クリスマスチャリティーオペラ あなたに届けたい、ほんとうのクリスマス vol.Ⅳ」は先日の記事に書いたとおり、二宮公演(二宮町 ラディアンホール)で裏方を担当した。それに続いて今回は鎌倉公演(鎌倉芸術館 小ホール)でも花の裏方を経験する機会を得た。

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どちらの公演も妻(仮名ジョアンナ)が出演したし、鎌倉公演では「かつての少年少女探検隊」(略称KST)のメンバーも演奏に加わったので、演奏と企画・運営に関しては何も書けない。そこで今回のメインステージで演奏された作品「アマールと夜の訪問者」(以下「アマール」)の作品評を書いてみよう。

1.時代と全体的なスタイル
「アマール」の初演は1951年で、ベルクの「ヴォツェック」初演(1925年)のほぼ四半世紀後である。従って作曲技法的には既に「ゲンダイオンガク」の時代に位置している。しかし「アマール」は二宮公演で書いたとおり調性音楽に少しモダンな和声の味付けをした程度の新しさに留まっている。

2.楽曲形式
♪ライトモティーフ(的)
冒頭のソステヌートからアレグロに入ると一転して明るく開放的なハ長調でアマールの笛の主題が鳴る。楽劇ならアマール登場のライトモティーフに相当するのだろう。この転換は見事である。

♪再現部的な作り
母親が宝石を盗んだことを王様の一人メルヒォールが許す場面がある。そこでは冒頭のソステヌートが再現されており、あたかもソナタ形式の再現部のような構成となっている。このように古典派以降の音楽は何らかの形でソナタ形式の片鱗を留めることが多いように見受けられる。私はこれを「ソナタ形式の呪縛」と呼んでいる。

3.和声
♪七・九の和音
冒頭のソステヌートでは、古典ではさほど出現しない七や九の和音が多用されている。これにより、平明で澄んだ響きの中に奥行きを与えている。全曲中、最も美しい響きがする部分だ。

♪平行四度
三人の王様を自宅に導き入れた後、母親が薪を探しに外出する場面がある。その間アマールが王様の一人バルダザールと会話する際にオーケストラに平行四度が表れる。この平行四度というのは興味深い研究対象だ。古典の和声学で忌避される平行五度に比べ平行四度は受容されている。しかし他の和音の連結と比べると若干違和感を伴って響くのが面白い。

古典では、例えばベートーヴェンのピアノソナタ第3番ハ長調の終楽章の冒頭に平行4度が採用されている。私は子供の頃この響きを聴いて、どうも違和感を覚えたのだが、その理由がわからなかった。今でも、平行4度に起因すると理解しても、この違和感の正体は謎めいている。

♪多調
屋外で笛を吹いているアマールに対し厳しいお母さんがもう帰れと呼びかける。それに「はい」と応じるアマール。そこでは古典のオペラでは決して鳴らなかった多調(変ニ長調とハ長調など)が響く。この遠隔調同士の多調は、どこか遠くから聞こえてくるような響きがする。それまで浸っていた自分自身の時間を邪魔されて、うつろな気持で返答しているアマールの心境を表現しようとしたのだろう。

4.ポリフォニー
♪カノン(的)
真夜中に三人の王様が訪ねて来てノックし、アマールが恐る恐るドアまで行く場面がある。スタカートでアマールの足取りを表現しているが、ここでは単音である。同様のフレーズが何回か出た後、母親とアマールが二人でドアまで行くシーンになる。ここでは母親とアマールの二人の足音が二声のカノン(厳密ではないが)のように構成されている。その響きが面白い。

最初に単独の声部でメロディーに馴染ませ、その後複数の声部でポリフォニーを形成する際に「ああ、あのメロディーが重なったんだな」とわかりやすくする効用もあるかと思った。

♪ベースライン
踊りの場面で8分の9拍子になる部分があるが、そこでは跳ね回る高音の主題(ほとんど変化せず)に対し低音が下降・上昇のベースラインで支えている。これにより和声が順次変わり、ムードがうねりながら変化してゆく効果がある。

♪オルゲルプンクト的なオスティナート
アマールの笛の主題、および踊りの場面では空虚五度のオスティナートが用いられている。最低音は長調の主音(ド)で、連続して奏されるので、ある意味でオルゲルプンクト的な効果がある。例えばアマールの笛で低音はド・ソ(トニカ)の空虚五度が鳴っているのに対し、ある小節では「レシソ」(ドミナント)を4回続けて奏している。

一般的に、特に古典ではトニカとドミナントを同時に鳴らすことはないが、片方がオルゲルプンクト(あるいはオルゲルプンクト的なオスティナート)の場合はよく現れる。例えばメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲 第1楽章の第2主題では独奏ヴァイオリンが「ド」のオルゲルプンクトを続け、木管が和声を伴ってメロディーを奏するが、途中ではドミナントが鳴ったりする。でもそれを聴いて違和感を覚える人はいない。それと同様である。

このオルゲルプンクト(あるいはオルゲルプンクト的なオスティナート)は牧歌的でのんびりした田舎の感じを出すために使われることが多いと思うが、アマールの笛や村娘の踊りなどはまさにぴったりの適用だ。

5.拍子とリズム
♪変拍子
三人の王様に対する村人達のもてなし(村娘の踊りと供え物)に対し、王様達が礼を言う場面がある。今回の日本語版では「どーも、どーも、ありがと」と訳して歌われていた。この「どーも」は3拍子なのだが、「ありがと」は3拍子ではなく冒頭に休符を伴う5拍子なのである。何でもないフレーズであるが、このように拍子に微妙な変化を付けているあたりが芸が細かい。

余談だが、この「どーも、どーも、ありがと」は練習、ゲネプロを含め何回も聴いたので耳タコになってしまった。それ以降、人にお礼を言う際にこのフレーズが湧いて出てきてしまい困っている(笑)。

手元にフルスコアが無かったので、オーケストレーション面での分析はできなかったが、「アマール」の簡単なアナリーゼを試みた。冒頭で述べたように時代に比べて作曲技法は旧来の書法の範囲を出ていないと思う。しかし様々な書法を組み合わせ、効果的に活用しているということがわかった。結論として、「メノッティ、侮り難し」である。

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コメント

 12月4日(日)は茅ケ崎の第九を、”緻密にして濃厚な”十束尚宏氏の指揮、地元のアマチュアオケ「茅ヶ崎交響楽団(通称、茅響)」の演奏で歌ってきました。茅響にはマイナスイメージがあったため今まで演奏会も聴いたこともなく、第九でも茅響を避けて平塚で歌っていたりしました。ところが聴いてビックリ!18人の助っ人(ほとんどが弦)を含めて総勢90名の大オーケストラが、予想を超える素晴らしい音色と響きを奏でました(さすがに管は難がありましたが)。なによりも団員の気迫あふれる魂が伝わってきて歌っているさなかに思わずこみ上げるものがありました。十束氏の、アマチュアだとて容赦しない厳しい指導も功を奏したのでしょう。
 ところでマイナスのイメージというのは、7,8年前のことですが、”茅ヶ崎交響楽団と歌おう”と銘打った公民館の音楽祭で、Vnのあまりの音のひどさに辟易して以来、このイメージが固定してしまったものです。せっかくの宣伝の場が全くの逆効果(少なくとも私に関しては)になったわけですが、こういうときにこそ精鋭を送り込んで音楽の美しさを伝えるべきだと思いました。
 ところでGrampaにおなりになったそうでおめでとうどざいます。孫というものは理屈抜きにかわいいものですね。

くーすけさん、コメントありがとうございました。私は旧第一勧銀オケにトラに行き、NHKホールで第九を弾く機会を得ました。有名というだけで音響はそこそこの古いホールですが、専属スタッフの捌きが素晴らしかったという記憶があります。

孫が産まれて、さて何と呼ばせようかな。ジジィ等を排除し、1世代サバを読む方法を思案中です。「ジョヴァンニさん」、「チェロおじさん」などを候補に思案中です。

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