宮原青子展
2011年10月30日(日)
「宮原青子展 通り過ぎた場所」(Gallery ジ・アース:鎌倉)に行った。
作家がイタリア、ロシア、日本など諸国の都市を訪れ、通り過ぎた場所を描いた作品群が展示されていた。淡く静謐(せいひつ)なたたずまいの中に堅固な構成が感じられ、観ていて心地よかった。
鎌倉りにあるこのギャラリーは初めて行った。メインの参道と小町通りの間を縫うように歩く小径にあるのだが、観光客などの賑わいは届かず静かな場所だった。また来よう。
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2011年10月30日(日)
「宮原青子展 通り過ぎた場所」(Gallery ジ・アース:鎌倉)に行った。
作家がイタリア、ロシア、日本など諸国の都市を訪れ、通り過ぎた場所を描いた作品群が展示されていた。淡く静謐(せいひつ)なたたずまいの中に堅固な構成が感じられ、観ていて心地よかった。
鎌倉りにあるこのギャラリーは初めて行った。メインの参道と小町通りの間を縫うように歩く小径にあるのだが、観光客などの賑わいは届かず静かな場所だった。また来よう。
2011年10月28日(金)
「GAIA 横浜中華街展」(art truth)に行った。津田のぼる(立体)、松岩邦男(平面)の二人のコラボレーションだ。
とても面白く、楽しかった。私がアートの必要条件としている二つの要因をどちらの作家の作品も満たしていた。
幻想的なたたずまいに関しては甲乙付け難いが、インパクトのうえでは♪津田のぼる の作品がより強いものを有していた。空き缶などの廃物を構成しただけで、このような異界を創りだす腕前には凄みを感じる。
一方、♪松岩邦男の絵画ではボスなど古い時代の幻想と、現代社会における人の心の奥底に潜む邪念などが渾然一体となって表出する。これまた魔界に入り込んだような印象だ。
画像は案内葉書だが、この二人の作品を味わうためには写真ではなく現物を観るしかない。多くの人に観てもらいたいのだが、会期が短く、明日(10月31日)で終了なのが惜しい。
2011年10月23日(日)
「ふじさわまちなかアート2011」で観たもう一つは「旧鎌田商店 蔵」だ。今回のまちなかアートは時間切れでこれが最後の訪問になった。
この会場の主役はアーティストと蔵だ。長い間閉ざされ、何十年ぶりに扉が開かれた蔵は重厚な美しさを誇っていた。
蔵の中では、♪井藤久也、♪佐々木薫、♪坂東正章らの作品が展示されていた。
蔵は巨大で、中でコンサートが出来そうだった。検討に値するかもしれない。
2011年10月23日(日)
「ふじさわまちなかアート2011」の最終日にやっと2カ所を観た。
一つ目は「旧稲元屋呉服店」。
立派な蔵を構えている。かつては繁盛した店であったろう。
まず目を引いたのは、♪加藤力の「空気を吸うために」。布で作られた円環状のものが途中で捻りを加えられ、鼓のような形になっている。美しい。
観る角度によって作品の表情も変化する。
貼ってある案内を読むと、作品の下方へもぐり、穴から頭を出して空を仰ぐこともできるとのこと。
早速試してみた。
切り取られた空は異なる顔をしている。
庭には♪ASADAの「The 東海道53 Creatures」が点在している。
♪伊東直昭は「刺蟲2011」、「Melt Up」等の作品を出典していた。
会場ではすっかりファンになった彫刻家の熊坂兌子さんに会って話すことができた。ラッキーだった。
2011年10月22日(土)
チェロのメンテナンスに行った。作業をしてもらっている間、時間があったので店から近いアートスポットに行こうと思った。幸い徒歩圏内にギャラリーかわまつがあった。
このギャラリーでは松崎滋の幻想的な版画を買ったし、先日は友人をそそのかしてポスターアートを買わせてしまった。そんなわけで少しだけ顔なじみになっていた。そして今回は素敵な作品を見つけた。有り難いことに私でも買える値段を付けてくれていたので、即購入した。
買ったのは♪久松このみ の「Pepper Tree」という版画。
具象と抽象の中間で、構成感があり、なおかつ楽しい。私の好きな要素をすべて兼ね備えている感じだ。
ネットで調べたら、久松このみは大学でフランス文学を専攻した後、独学で版画家に転身したらしい。専門的な勉強をしなくても、ここまで立派な作品が作れるというのが素晴らしい。今後が楽しみだ。
なお、財布がゆるんだついでに、来年のカレンダーも買った。
これは「ついで」などとんでもない逸品だ。だって有元利夫だもんね。
2011年10月16日(日)
「第3回『総合ミュージアム』をつくろう展」(藤沢市民ギャラリー)に行った。
出展者には友人や知人が多く、何を書いても差し障りがあるので何も書けない。コンサートだと「選曲評論」とか「曲順評論」などわけがわからない事を書いてごまかせるのだが、展覧会はどうにも仕方がない。
一つだけコメントすると、(藤沢市ではなく)茅ヶ崎市在住のアーティストも応援に出典してくれたことだ。このような、こだわりの無い形での盛り上がりはとても楽しいし嬉しい。
(彫刻作品「太陰暦」2点と「水太鼓石」を引っさげて来てくれた岩崎幸之助さんのことです。)
黄金町のあと相方と野毛に繰り出し、ジャズスポット「ダウンビート」に行った。素晴らしかったのだが私はジャズの知識がなく何も書けない。結局、風物詩仕立てにせざるを得なかった。
2011年10月15日(土)
黄金町バザールの「高架下新スタジオ」には名物「黄金サイダー」を飲みに行くのか?
それもある(実際1本買って飲んだ)が、このスタジオの持ち味は一度中に入り、奥のドアを開けてまた屋外に出たところにある。そこは意外にも砂地で、寺院の回廊のようなたたずまいになっている。
ここに置かれているのは巨大作品だ。まずは♪牛嶋均の「「スプートニク(高架下の)」。
「遊具であり、彫刻でもある作品」と作者が言っているとおり、これは遊刻(ジョヴァンニの造語)だ。
次は♪加藤翼の「『11.3』プロジェクト」。
福島県にある灯台の一部を模した作品だ。『11.3』というのは「3.11」をひっくり返した暗喩であろう。震災復興を祈念する気持ちが吹き込まれたような作品だ。
そして♪さとうりさ の「メダム K」。
相方は「鉄腕アトム」の「地上最大のロボットの巻」に登場する「ボラー」に似ているとの感想だった。でも大きいことは良いことだ。幼い子供は怖がるかもしれないが、よく見ると可愛らしい。肌触りもGood。
これらの巨大作品の真上を京浜急行が行き交う。ここは黄金町と日ノ出町の中間地点であった。
2011年10月15日(土)
黄金町バザールは黄金町という「街」にアーティストが「入植」し、豊かで楽しい場に変容させるイベントだ。そして変貌した街は磁場となり、さらに別のアーティストを引き寄せ、同時に鑑賞者も誘致する。
一方、街に流れる川は昔から人々の暮らしを支え続けてきた。黄金町でも「大岡川」が古い時代から社会を見つめてきた。黄金町バザールのアートの中には、この大岡川を軸にクリエイトされたものもある。
その典型が♪本間純の「鼻歌」だ。大岡川に沿って歩道を歩くと、どこからともなく鼻歌が聴こえてくる。そして川に目を向けると、そこにはいかにも鼻歌を歌いながら舟遊びを楽しんでいそうな人影が・・・。
それは本間が作った立体作品だ。これだけなら、彫刻と音響を組み合わせた月並みなアイデアかもしれない。しかし本間はさらなる仕掛けをしていた。それは「八番館」に行くとわかる。そこには川で見た立体作品と同じいでたちをした人間と舟の動画が放映されていた。
離れたところで作品同士を呼応させるこの手法は「旅のための洋服選び」の関本幸治も用いていた。
川沿いのてすりには本間の作品が展開されてゆく。
つがいの鳩の向こうには新たな「鼻歌」が見える。
「日ノ出スタジオ」の2階から大岡川に向かって突き出ているような物体は《「聴く」装置としてのエオリアン・ハープ》。♪生成音楽ワークショップと♪杉山紘一郎の作品だ。
川の流れを邪魔しないような微かな音を発するこの電子楽器は、自然と人工物との歩み寄りを担っているようだ。
大岡川沿いには地元(日の出町)生まれの作家・長谷川伸の碑がたたずんでいる。大岡川は美術だけでなく文学の世界も育んできたのだった。
黄金橋からランドマークタワーを遠望する。
黄金町は観光地の要素も持ち合わせていたのか。日が短くなってきた。夕暮れは近い。そろそろ喉を潤すものが欲しくなってきた。
2011年10月15日(土)
黄金町バザールの「黄金スタジオ」では「コガネチョウ・クロニクル」が紹介されている。同じ言葉でも英字で略すと「KC」となりお洒落だ。
ここでは黄金町の過去が郷愁を伴って紹介されている。登場するのは♪谷口安利。相方は敬意を表して「画伯」と呼んでいた。画伯はスナックバー「らいむらいと」を、その過去とともにキャンバスに封じ込めた。
相方も私もこの絵を観た瞬間シンクロして横尾忠則の「暗夜行路」を思い出した。もっともこの場所はY字路とはいい難いが・・・。
一方、我々探検隊(いつから探検隊になった?)は現存の「らいむらいと」をカメラに収める。この二重構造そのものがアートなり。
画伯、今後も変貌してゆく街の姿を絵に残していって下さい。
2011年10月15日(土)
黄金町バザールのアーティストとアート作品の背景には様々なコンセプトが絡んでいる。この地に一定期間だけ滞在して制作するアーティストの場合は「アーティスト・イン・レジデンス」であろうし、「NIGHTLESS-1」の田村友一郎の場合は既に書いたように「インスタレーション」という具合である。
それでは「アカイクツヲハイタネコ」の安部泰輔の場合はどうであろうか。
安部は黄金町の住人から譲り受けた古着を裁断し、縫い合わせることによって猫の人形を作る。安部の滞在期間が限定されているなら典型的な「アーティスト・イン・レジデンス」ということになろう。
「アカイクツヲハイタネコ」は、もちろん野口雨情作詞・本居長世作曲の童謡「赤い靴」をベースにしたキャラクターだ。「赤い靴」が作曲されたのは1922年(大正11年)、今から89年も前のことだ。このような歴史の厚みを背負うとなると、「サイト・スペシフィック」の概念も入っているように見える。
そのコンセプトの裏打ちにより、安部は「アカイクツヲハイタネコ」を発信する。ある場所から人が発信するものは様々である。電子メールも発信されるし、もっと広く「情報」も発信される。リモコンを操作できれば鉄人28号も発進できる(字が違うか)。
発信された「アカイクツヲハイタネコ」は、通常はその「サイト」の外側へ出てゆく。相方も1体買い求めたが、彼の住まいは横浜市内だ。
でも黄金町からは遠い街なので、「外部」と考えてよいだろう。このようにして、アーティストがそのサイトで産み出した作品は外部に離散し、その先々に作者の思いを届けるのである。
つまり1体の猫の人形は、触って存在を確かめることができる物体であると同時に、アーティストの考えや思念を伝播させる役割を担った媒介といえよう。
2011年10月15日(土)
黄金町バザールにはささやかな仕掛けが施されている。「高架下新スタジオ」には♪関本幸治の「旅のための洋服選び」という平面作品が展示されている。これは実は別の会場で観る作品と呼応していたのだ。
「ヤグチレジデンス」の入口には「公開制作中」という札が下げられている。そう、ここは関本の作業場兼展示場なのだ。
中に入ると、「高架下新スタジオ」で観た平面作品と同じ光景が立体になっていた。なるほど、2つの会場は関本作品により見えない糸で関連付けられていたのだ。背の高い茸が並んでいるような奇怪な場所は、奥行きが強く感じさせられ、深い森のようだ。
しかしこの奥行き感は、床に傾斜を付けるなど強引な手段による遠近法でもたらされたものだった。ここはスタジオだ。ドレスアップした女性の人形2体は手前に置かれた大きなカメラで撮影される。
日がだんだん短くなり、外はだいぶ暗くなってきた。レジデンスの外に出て窓から中を覗くと、そこには幻想的な風景があった。
2011年10月15日(土)
黄金町アートめぐりのもう一つの収穫は♪増田拓史の「黄金食堂」だ。
これは横浜トリエンナーレの開催地・黄金町の家庭料理を調査し、それらのレシピを1冊の本にまとめ上げたものだ。こういうのを何と呼べばいいのだろうか?「アウトプットのあるインスタレーション」とでも呼ぼうか。
増田は週に2回、自ら設計・製作した屋台で動き回り「黄金食堂」のレシピに基づいた料理を提供するという。
ここが増田の基地でかつ厨房。セントラル・キッチンというと大げさかな。
増田の「黄金食堂」は黄金町の食文化という『暗黙知』を探し当て、それを本にまとめて『形式知』化するという、素晴らしいコンセプト(かつ実践力)だと思った。
2011年10月15日(土)
「中年とオブジェ」さん(テツさん)の引率で黄金町に点在するアートを巡った中でインパクトがあったのは、♪田村友一郎の「映像」作品「NIGHTLESS-1」だ。
テツさんは既に鑑賞済みだが、初めての私たちに付き合ってくれた。受付前で待つこと10分、「上映」時間になったので案内担当者に連れられて「上映会場」へ行く。球形の電球が放つ妖しい光・・・。
この作品の発表にあたっては、「上映会場」として車庫が活用された。
会場の前には年月のうつろいを感じさせる建物があった。
ネタバラシはいけないので、作品に関してはこれ以上具体的なことが書けない。結論として、この作品は本来の意味においての「インスタレーション」といえるだろう。これがヒントになってネタバレになってはいけないが、たぶんこれだけの記述ではわからないと思う。たかがアイデア、されどアイデア。田村友一郎の斬新なアイデアに敬意を表したい。
2011年10月15日(土)
横浜トリエンナーレの開催地の一つである黄金町には9月半ばに一度行ったが、その時は時間が足りず満足に観て回れなかった。今回、即興演奏ユニット「トマソンズ」の相方テツさん(ブログ:中年とオブジェ)に引率してもらい、建築マニアのきゃおきゃおさん(ブログ:きゃおきゃおの庭)と私がついて回るという形で再訪した。
前回と異なり、時間をかけてじっくり観て回ったため、記事に書きたい内容が豊富になりすぎた。また自宅のパソコンからネットへの繋がりに不具合があり、一度に多くのデータをアップロードするのが阻まれていた。そのため、アーティスト別に小出しに記事を書くことにした。
このような細切れの記事は落ち着かないので永続する気はないが、とりあえずネット接続が正常化するまでは仕方ないかな。
2011年10月13日(木)
「ムジカポルト室内合奏団 第17回演奏会」(港南区民文化センター「ひまわりの郷」ホール)に行った。「シルクロード~絹の道~」という副題のとおり、今回はシルクロードにちなんだ各国の音楽を聴かせてくれた。
前回(第16回)を聴いてこのグループの演奏の素晴らしさを知っていたので、今回は演奏の良さ以外に何か面白い事はないかと思っていた。
すると、ある事に気がついた。プログラムの前半、演奏者全員がひたすら真面目な顔で誠実な演奏に徹して進んでいたのだ。演奏は勿論すばらしい。ただ私のような一般聴衆は演奏技術の他に視覚的な要素(演奏者の笑顔など)も求めてしまうのだ。でも前半はその願望はあまり満たされず、美しい音楽の流れが優先されていた。
このまま最後まで行ってしまうのか、と心配したがそれは杞憂であった。後半になると、シュアな演奏は前半をそのまま継承し、それぞれの演奏者に笑顔が増えてきた。そして最後のほうになると、全員がにこやかな表情で演奏を締めくくっていた。ああ良かった。
では前半のあの緊張感は何だったんだろう?その理由を考え始めたら、ある事に行き当たった。
もしムジカポルトが創設以来同じメンバーで17回の演奏会を続けてきたら、互いの流儀や癖などを知り尽くしているだろう。ところがこのグループは毎回楽器編成が異なり、今回はコアメンバー5,6人、ゲスト出演者が2,3人といった内訳だと思う。ゲストは初めての参加なので、ムジカポルトでの決め事(合図は誰がどう出すなど)に関しても初体験となる。従ってそのやり方に準拠しようと一生懸命にならざるを得ない。またコアメンバーもゲストに対し、いろいろ気遣いをする必要がある。
そして本番。ゲスト出演者は強い責任感を持ち、合図を間違えたりしないように頑張る。そしてそれがコアメンバーにも伝染する。ゲストがあんなに真剣にやってくれているのだから、私たちが気楽にやっていたら失礼だ、というわけでコアメンバーも真剣になる。その相乗効果により前半は演奏者全員に緊張感が漂ったのではないか、とまあそういう推論である。
でも結果としてあの前半の感じはコンサート全体の構成上良かったと思う。程よい緊張感によって観客はエリを正して聴く体制ができ、それを軸に後半は演奏者も観客もリラックスして最後の盛り上がりに突入してゆく、という仕掛けだ。「最初固めで後はリラックス」という流れは理想的だと思う。
なお前回(第16回)でフルートの河合沙樹の演奏の素晴らしさを知ったので、今回も前回の感想文をコピーして貼り付けてハイ終りだと思っていた。しかし今回はさらに驚くことがあった。それは河合のピッコロの演奏だ。
私はあるアマチュアの奏者から「ピッコロは楽器の特性上、音量のコントロールが出来ない」と聞かされ、それを信じていた。だからピッコロの耳をつんざくような高音が嫌でもそれは仕方ないのだ、と思っていた。
しかし今回の河合の演奏はその予想を覆すものだった。何と表現したらよいか、ピッコロをフルートの如く静かな音で柔らかく吹いていたのだ。これには本当に驚いた。特に「シルクロード」の中で比較的静かな部分でそれを感じた。
また、これは記憶が定かではないのだが、ある曲ではピッコロがオブリガートに回り、他の管楽器が主旋律を受け持った部分があったように聴こえた。そんな事はあり得ないと思ったのだが、実際はどうだったんだろうか。いずれにしても河合沙樹の抑制の効いた演奏が賞賛に値することには変わりがない。
***
私がムジカポルトを継続して聴きに来る背景を簡単に書いておきます。
あるとき私のアートの先生(拙ブログでおなじみのF君)経由で打楽器の♪斎藤祥子さんを知り、ファンになりました。そしてしばらくの間はムジカポルトとは別のコンサートで斎藤さんの演奏を聴いていました。そして前回(第16回)斎藤さんが出演するというので、初めてムジカポルトの演奏会を聴きに来たのです。
一方、妻(仮名ジョアンナ:ピアノ)は打楽器の♪中村梓さんと時々共演していましたので中村さんの出演する演奏会にも行っていました。そして中村さんが♪堀部ともよさんと組んだユニット「ともよあずさ」は全出席を目指すようになりました。また中村さんと斎藤さんは大学の同窓だったというつながりもありました。世の中狭いなあ。そして今回、堀部さんがムジカポルトに出演するというので、楽しみにしていたのです。
追伸:トルコの音楽で斎藤祥子さんが民族衣装で民族楽器を演奏されましたが、あれは良かったなあ!
前の記事では即興演奏のことを書いたが、その場所「横浜トリエンナーレ2011」の会場の一つ「新・港村」では「来場者」としてアート鑑賞も行ったのでその記録を残しておく。
***
即興演奏の基地「最後のテレビ」の発信地である♪毛原大樹のブースについては未掲載の写真を紹介しておこう。ブースの前面で、「1チャンネルで放送」などの説明文が見える。
会場のあちこちに置かれた旧式テレビの未掲載写真はこちら。アンテナがいかにもそれらしく伸びている。
***
一見の価値があると思うのは、オーストラリアから来たアーティスト♪Sarah Goffman の作品だ。
ただの畳に見えるが、添えてある紙片に書かれた言葉「THIS IS A DRAWING」に注目されたし。これは本物の畳ではなく、ダンボールに描いた絵なのです!
彼女は廃品のペットボトルを回収し、彩色することにより琳派の流れを汲むと思われるような作品を作っている。
これはそれらが配置された一角の全景。何となく呪術的、祭儀的な雰囲気が漂う。
彼女の出身地オーストラリアに関しては、アポリジニーのアーティスト エミリー・ウングワレの話をしたら「素晴らしい芸術家だ」喜んで話に乗ってくれた。
***
最初は耳が爽やかな音をキャッチし、続いて目を楽しませてくれたのは♪松本秋則の「サウンドオブジェ」だ。主として竹を使って組み立てられた音の出るオブジェが天井から吊るされ、爽快な世界へと誘ってくれた。
上の写真の作品をモビールに例えるなら、床に置くタイプの作品は「ステーブル」と呼びたくなる。
本物の太鼓に似せて作ったいくつかの作品を並べたものもあった。可愛らしい。
***
その他のアーティストをすべて同列の深さで紹介することは困難だ。見落としなどがあることを認めた上で、目についた作家と作品を五十音順に紹介しよう。
♪浅井裕介の部屋を外から覗くと、何やら不思議な絵が・・・。
これは狐のように見えるが、装飾的かつ呪術的で個性に溢れている。
♪牛島達治の「汎用動力研究所」はネーミングの勝利だ。「永久運動機械」みたいな、どこか怪しげなところがたまらない。
♪開発好明(かいはつ よしあき)の「未来郵便局」は発想がいい。でもそれよりアーティスト本人の名前「開発」がいい。芸名ではなく本名というから驚きだ。会社勤めの技術者だったら面白いだろうな。客先プレゼンでまず自己紹介「開発部の開発です」なんてね。
♪櫻井かえでの立体作品は人工物と動物のハイブリッドな感じが楽しい。これはベンチか動物か?
♪白井美穂・♪佐藤澄子の「コトバー」も同様だ。「展覧会場にバーがあってもいいじゃないか」。
♪滝沢達史の作品は小さい。うんと近づいて見ると牛が輪になっている。フィギュアも集まりゃアートなりけり。
♪南雲由子の「美容室」は本当にヘアカットを行う理髪店だ。「展覧会場に理髪店があってもいいじゃないか」的な発想と実行力が頼もしい。
♪三好剛生が作るペンギンの群れは、顔の向きがまちまちだ。円形の秩序の中の無秩序が面白い。それが狙いなのだろうか。
これらの若いアーティストが今後どんな活躍をするだろうか。楽しみだ。
「横浜トリエンナーレ2011」の会場の一つ「新・港村」で即興ユニット「トマソンズ」が即興演奏する機会を得た。
昼の桜木町駅前で相方のサックス吹きTさんと待ち合わせ。折りしも「横浜Jazz Promenade」(ジャズフェスティバル)が開催中だった。
12時になると野外演奏が始まった。
相方来る。まずは腹ごしらえ。とある眺めの良いレストラン(場所は秘密)でブラジルの料理「フェジョアーダ」とインドのビール「キングフィッシャー」というハイブリッドな昼食を楽しむ。
会場は「新・港村」。
今回の演奏は、アーティストの毛原大樹が「最後のテレビ」と称してアナログ技術によるテレビ放送を会場各所に設置されたテレビに放映するというパフォーマンスに乗っからせて戴いたものだ。
演奏する場所は毛原のブース。アンテナを構えた放送局のようだ。
会場に行き、演奏を始める。中の様子を外から覗くとこんな感じ。今回は「トマソンズ」のユニットにベースギターのIさんが加わり、トリオとなった。ブースの中に入って上を見上げるとこんな感じ。別世界となる。
テレビに映るとこんな感じになる。音も出る。
今回はピアノを使えず、私はチェロだけを演奏した。しかし細かいパッセージがチェロでは難しく、思った通りの演奏ができなかったのが惜しかった。
「安藤恵一個展 『動物の、かたち』」(art truth)に行った。
会場に作者自身の抱負が書かれたパネルがあった。その内容について記憶を辿りながら私の言葉で表してみると、「デザイン的な楽しさ」と「心が通う温かさ」の両面を備えた絵画を目指しているらしい。
上品な作品が並んでいたが、それらの中で私は淡い色調のものが気に入った。薄い色なので強くアピールする感じではないが、そこにあるだけで周りの空気が柔らかくなるというタイプの作品だ。
まだ20代で若いアーティストとのこと。今後の活躍が楽しみだ。
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