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2011年9月11日 (日)

松本千鶴 植物画展と大久保康明テノールコンサート

2011年9月10日(土)
茅ヶ崎のハスキーズ・ギャラリーで「松本千鶴 植物画展」と「大久保康明テノールコンサート -山田耕筰を想う-」のコラボレーションがあった。コンサートには妻(仮名ジョアンナ)も出演した。

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私は同日昼、横浜でのサロンコンサートに出演し、終演後すぐ駆けつけたのだが前半には間に合わなかった。夫婦が同じ日に別の場所でコンサート本番を迎えたのはこれが初めてかもしれない。

松本千鶴と大久保康明はどちらも友人であり、しかも妻が大久保に共演した関係で感想は書きにくいが、備忘録として思い付いた点を記しておこう。

♪大久保のトーク
大久保はフランス語が専門なのでフォーレの歌曲について詳しい解説を行った。フランス語の詩の韻律などの話は、私は興味を持ったが、聴衆にとっては少し長すぎたのではないかと思った。大久保は歌も上手い、フランス語の知識もある。しかし両方を一度に出すとそれぞれの良さを相殺してしまうと思うのだ。

例えて言えば、最上級の焼き魚と極上のスイーツを同時に味わうようなものである。どちらも素晴らしいのだが、それらを分離しないと味わいが損なわれてしまう。一方、披露宴などで魚料理と肉料理の間に口直しとして甘いシャーベットを出す場合がある。この場合は同時に味わうのではなく、きちんと分離し、異なるものとして明確に位置付けるのだ。

そこで、大久保の持ち味(歌の上手さとフランス語の強み)を活かすために、演奏と明らかに分離した形でレクチャー・コンサートを挿入したらどうかと考えた。披露宴の例における料理が歌、口直しシャーベットがレクチャーである。

運営的には、例えばプロジェクターとスクリーンを用意し、詩の韻律などの解説においては図表を画面に映し出して解説する、などの方法だ。普通の講義では、そのような内容を1時間以上行うのであろうから、聴く人は飽きてしまうかもしれない。しかしコンサートの曲と曲の間で5分ぐらいのショート・レクチャーを行えば、講義としては非常に短いわけだから、結果として聴衆にとっては短く引き締まった印象を与えるであろう。

つまり相対的に言えば、コンサートの中のトークだと長く感じるが、レクチャーと銘打てば短く感じるという心理的仕掛けである。

そしてプログラムへの綴じ込み付録として、そのショート・レクチャーの勘所を加えれば、それを持ち帰った来場者はハイレベルな薀蓄(うんちく)を得たことになり、喜ばれるのではないだろうか。

♪オープンバー
会場から屋外に出ると、そこはテラスになっていて、プロのバーテンダー・西宮(にしみや)聖一朗がオープンバーを構えていた。そこでは山田耕筰の歌にちなんだ「赤とんぼ」などのカクテル(西宮の創作)を楽しむことができた。

つまり、ここにもコラボが企画されていたのだ。しかし幕間にカクテルを飲まなかったり、あるいは飲んだがバーテンダーが忙しく話を聞くことができなかった人は、この隠されたコラボを知らずに帰ったわけである。

そこで思ったのだが、バーテンダー・西宮聖一朗はカクテルを創案するアーティストである。しかも今回の「山田耕筰を想う」のテーマに具体的に対応してコラボに組み込まれていた。そうであれば、西宮の創作カクテルをもっと大々的に紹介し、3人のコラボとして紹介しても良かったのではないかと考えた。

コンセプトとしては、「山田耕筰を想う」のテーマによる3人のアーティストのコラボレーションということになる。そのコンセプトのもとに、松本千鶴、大久保康明、西宮聖一朗の3人のアーティストがコラボを繰り広げるという構成だ。

「バーテンダーはアーティストなのか?」という議論が生じるかもしれない。これについては、私は、何かを創作し、それを受け止めた人が感動し、喜び、楽しんだならその創作者は立派なアーティストだという立場をとりたい。だからこの場合、西宮聖一朗をアーティストに加えたいと考えるのだ。

もっとも今回のコラボにおいては、主催者は高校同窓生つながりで大久保と松本に依頼したという背景があるようだ。そのため、西宮は雇いという形に甘んじてもらったかもしれない。そのような事情により、仮に事前に企画してもこの3人コラボは実現しにくかったかもしれない。

いずれにしても、そのようなやり方でコラボの幅を広げ、ジャンルの異なるアーティストの交流と相互の刺激を促進するのは良いことだと考える。

♪松本千鶴の「わすれな草」
私たちが作った友人のメーリングリスト上で、松本は「わすれな草」というハンドルネームを使っている。そして今回のコンサートの最後で大久保が「わすれな草」の歌を採り上げ、コラボを一層強固なものにしたのは嬉しかった。

そこで思ったのだが、先に書いたレクチャーの道具としてのプロジェクターやスクリーンがあったら、そこに「わすれな草」の写真あるいは松本の絵をこの曲のときだけ大写しにしたらどうだったか。来場者の耳にはわすれな草の歌が残り、目にはわすれな草の姿が残る。そしてその後、わすれな草という言葉、姿。あるいはメロディーに触れるたびに画家・松本千鶴を想い出すというわけだ。

コンサートは耳だけ・絵画展は目だけを喜ばすのではなく、コンサートでも目を、絵画展でも耳を楽しませるように仕向けるのは楽しいことだ。これに香りが加わったらもっと広がる。スクリャービンは音楽に色彩、香りまでを導入した総合芸術を考えていたらしい。

そこまでいかなくても、大久保が何かの花について歌っているとき、スクリーンにはその花が映し出され、さらにその花の香りが観客席に漂ってくるような仕掛けがあったら、総合的な味わいがもたらされるだろう。素人のアイデアかもしれないが・・・。

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コメント

 私も昨日の大久保父娘の魅力的なコンサートを楽しませていただきました。ジョアンナさんの素晴らしいピアノの調べとともに・・・。
 将来が楽しみな愛ちゃんの若々しい歌声、そして父親の洒脱な力の抜けた歌はなかなか聴きごたえがありました。最初は調子が出なかったようですが、徐々に本来の味が出てきて、「最後の歌」で最高潮にもってゆくあたりは心憎い演出?でした。
 大久保さんの仏語の蘊蓄に関するジャヴァンニさんのご提案は流石で、実に的を得たものだと思います。ごジョヴァンニさんは演出家の才能もお持ちなのですね。
 ところで、今日は弦の心地よい響きに乗せられて気持ちよく歌うことが出来ました。有り難うございました。23日の本番が楽しみです。

coosukeさん、コメントありがとうございました。

評論家というのは一般的に嫌われ者ですよね。言いたいことを言ってお金を貰っているのですから。

でも私がテノール歌手大久保康明について書いたのは評論ではなく友情を込めた感想です。歌手大久保がこれを読んで、私の思い付きを超える何かを打ち出してくれることを期待します。

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