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2011年9月25日(日)
「第24回 二宮演奏家協会コンサート」としての「ガラ・コンサート ~音楽の玉手箱」(ラディアンホール:二宮)に行った。
このコンサートでは私にとって思い出深い曲がいくつか演奏されたので嬉しかった。昔の記憶を辿りながら聴くコンサートもなかなか味があっていいと思った。
♪J・シュトラウス作曲「こうもり」序曲(ピアノ連弾版)
この曲は一緒に演奏しているピアニストの「よいこ」が主宰するおけいこ発表会の冒頭、彼女と連弾したことがある。チェロは人前であがることがほとんど無いが、ピアノは正式なレッスンについたという自負から、コチコチになってしまう事が多い。練習嫌いの私が必死になってさらっているのを見た妻(仮名ジョアンナ)が「あなたどうしたの?」と驚いていたほどだった。それでも本番はとちりどうしだった。あまりいい思い出ではなかったな(苦笑)。今回の演奏者はもちろん達者だった。
♪シューベルト作曲「魔王」
ピアノトリオ編曲版を演奏したことがある。でもやはりこの曲は歌が無いと味わいが深まらない気がした。今回のコンサートでは女性歌手が歌っていたが、男性歌手であるかのようなオーラを出していたのはさすがだった。
♪イベール作曲「フルート、ヴァイオリンとピアノのための二つの間奏曲」
学生時代バロック音楽のクラブに所属していたのだが、なぜか団員が近代曲であるこの曲を演奏していた。軽妙洒脱で美しい旋律もあるので弾きたかったが、あいにくチェロは含まれていない曲だったという、これもほろ苦い記憶を呼び覚ました(苦笑)。演奏は良かったです。
♪デ・クルティス作曲「忘れな草」
一緒に聴きに行ったクラスメートのハンドルネームが「忘れな草」なので嬉しかった。ちなみにその彼女は植物画家です。
♪ラヴェル作曲「マ・メール・ロア」よりⅠ、Ⅳ、Ⅴ
「こうもり」連弾のときとは別のおさらい会のオープニングで、Ⅴ「妖精の園」を「よいこ」と連弾した。まあ破綻は無かった、という程度の出来だったな。
♪フォーレ作曲「夢のあとに」
チェロ独奏で弾かれることが多いのだが、この曲はサン・サーンスの「白鳥」と並んで私が一生人前では弾けない曲だと思う。音符は簡素なのだが、どう弾いてもサマにならない。今回のコンサートでは増田宏昭の編曲が見事だと思った。
♪カッチーニ作曲「アヴェ・マリア」
これも増田宏昭の編曲だった。私も2,3通りの編成用に編曲したことがある。この曲は元の作りが簡素なので編曲でいじりやすいのだ。逆にあまりいじり過ぎてうるさくなってしまうことがある。
コンサートを一緒に聴きに行ったクラスメート3人で駅前の居酒屋「マルス」に行った。「火星」という意味だが、居酒屋の名前としてちょっと違和感があったな。以下、名前は呼び捨てで失礼します。
実は演奏者の一人・指揮の増田宏昭もクラスメートで、レセプションが終ったあと合流してくれた。今回の舞台監督(本職はテノール歌手)の都留俊輔と、増田宏昭の応援で駆けつけた作曲家・安藤久義も加わった。
私は増田宏昭に連れられて学生時代に安藤久義のご自宅を訪ねたことがあった。そんなエピソードを含め、音楽談義で盛り上がった。クラスメートの通称「ベルテノーレ」はテノール同士ということで、都留俊輔との話が弾んでいた。
同じく一緒に聴きに行ったクラスメートの通称「キラリン」はサントリーホールに縁があり(内容は秘密)、その事からサントリーホールを中心とした話題にも花が咲いた。
2011年9月24日(土)
ピアノ三重奏団「トリオレヴリー」の一員として「サロンコンサート ~ベドルジハ・スメタナ~」(ブラフ18番館:横浜)に出演した。
今回はピアノ独奏3曲、ピアノ三重奏2曲がすべてスメタナの曲という意欲的なプログラムに挑戦した。前日は茅ヶ崎の演奏会に出演したので、連日の演奏だ。加えてスメタナの曲は弾くのにエネルギーを要したので大変疲れたが、良い経験になった。
三連休の中日で好天に恵まれたこともあり、狭いサロンが大入り満員となった。演奏側としては意欲が高まるので有り難いが、お客様は混雑の中聴いて戴き申し訳なかった。立ち見のお客様もおられた。
ブラフ18番館の近くには彼岸花が季節感を醸し出していた。
2011年9月23日(金)
「混声合唱塾レント 第3回コンサート(10周年)」(茅ヶ崎市民文化会館 大ホール)の演奏の一部に参加した。
妻(仮名ジョアンナ)も出演した。ジョアンナとの共演は久しぶりだ。日頃それぞれの活動が量的に拡大し、一緒に演奏する機会が少なくなっていたのだ。
さらに出演者のなかに親しい人がいるので、演奏評はもちろん、選曲評・曲順評・運営評などは書けない。感想は大入り大成功と一言だけにとどめておこう。この記事では別のテーマを掘り下げて書こうと思う。
それは緞帳だ。茅ヶ崎という場所柄、「東海道五拾三次」の一つと思われる図柄が使われている。
そして本番の幕間に降りた緞帳をステージ側から見ると、そこには説明などが書かれた3つの布が貼られていた。その1つで、このタピスリーの元となったのが歌川廣重の「馬入川舟渡」であることがわかった。
知識が浅い私はここでふと思った。あれっ、「東海道五拾三次」って安藤広重作ではないだろうか?こんな調子だから勉強不足と言われるのだ。要するに歌川廣重と安藤広重は同一人物だったのだ。
次に疑問に思ったのが図柄だ。「東海道五拾三次」の中の「馬入川舟渡」とこの図柄は違うような気がするのだ。しかしどの図柄が正しいのか自信がないので、この問題はF君など、造詣が深い人の助けを借りて後日解決させることにした。
他の布に眼を転じよう。そこには寄贈元が書かれていた。
この緞帳は神奈川県の横浜銀行と静岡県の駿河銀行の両行から寄贈されたものだった。茅ヶ崎は神奈川県なので横浜銀行の営業が強いことはわかる。また駿河銀行もお隣の静岡県が本拠地だから、茅ヶ崎も勢力範囲だという事がうかがえる。
そして面白いのは真ん中に掲げられた「火の用心」だ。
この緞帳は京都の織物屋が制作したものだった。「防炎加工済」という添え書きが、逆に舞台上の火事の恐ろしさを表現している。「昭和55年調製」とも書いてあるが、これは同会館のオープン時期と一致する。当たり前か。緞帳なしでホールだけオープンしても困るだろうから。このホールと緞帳は30年以上働き続けてきたのだ。お疲れ様。
レセプションの二次会では「ちりそば 青海岸」に行った。
この店名は「ぶるーかいがん」と読むべし。湘南地方で愛されそうな名前だ。蕎麦も日本酒も美味しかった。
「ユーモアのすすめ 福田繁雄 大回顧展」(川崎市民ミュージアム)に行った。読売新聞の招待券をもらっていたのだ。読売新聞さん、いつもありがとうございます。
福田繁雄の代表作は何だろうか。わたしはテレビで観ただけなのだが、田中舘愛橘記念科学館にある「ローマ字の宇宙」かもしれない。今回の展覧会の中で強く印象に残ったのは、いつぞやNHKの「新日曜美術館」で観た「ランチはヘルメットをかぶって」だ。フォークなどの食器を何百個もつなげ、その影がバイクの形になるという傑作だ。
インパクトの度合いは弱まるが、福田繁雄といえばポスター作品も見逃せない。男性と女性の脚が交錯するこの作品はエッシャーの模倣と解釈できなくもないが、洗練された仕上げで独自の世界を形成していると思う。
こういう理屈抜きで面白い展覧会はいつ来てもいいなあ。
「中村景児童個展」(art truth:横浜)に行った。
我が家の子供たちが大きくなったので最近の絵本について知識が無かったのだが、「ピーマンマン」というキャラクターが幼い子供たちに人気だとか。それが中村景児の代表作ということだ。知らなくてすみません。
中村はエアブラシを使って描くと聞いたのだが、「エアブラシ」というと街角の落書きを連想してしまう。しかし中村はとても細かい絵をエアブラシを用いて仕上げてゆくというから驚きだ。
それらの童画作品に混じって水彩画も3点展示されていた。繊細で優雅な筆致だ。達者な画家は道具を変えても良い絵が描けるのだろう。この展覧会は案内はがきより実際の展示作品のほうがはるかに良かった。まずは実物を観ることが肝要だと思った。
「横浜トリエンナーレ」の一環として「黄金町バザール」に行った。
「黄金町バザール」は以前から存在を知っていたが、足を運んだのは今回が初めてだった。しかも遅い時間で薄暗く、不慣れな場所だったので効率良く観てまわることができなかった。
さらに時間も限られていたので、結局ゆっくり観たのは「黄金スタジオ」と「八番館」だけにとどまった。そして残念だが今回は私の趣味に合うアーティストや作品にめぐり合うことができなかった。
会期はまだある(11月6日まで)ので、もう1,2度足を向けて若いアーティストの躍動するオーラをもらいたいと思っている。
「横浜トリエンナーレ 2011」の主要会場の一つ「横浜美術館」に行った。
既に高名であるが、♪杉本博司のコーナーには呪術的、祭典的な雰囲気が漂っていた。これは杉本の持ち味であり、彼のセンスが通常のアーティストと一味違うことを示している。
♪横尾忠則の「Y字路」シリーズも有名だが、今回展示された最新作は黒を基調とした暗さが際立っていた。しかしY字路は行く人に二者択一を迫るものだから、色調が明るくても迷いの念を湧き起こさせ、一種の心象風景となり得ると個人的には思う。だからここまで暗い色にしなくてもいいんじゃないかなあ、と思うのである。
全体的な展示の仕方として、例えば♪ブランクーシの「空間の鳥」など所蔵作品を適度に散りばめ、トリエンナーレ出展作品と混ぜ合わせるというやり方が見られた。私はたまたま「空間の鳥」が大好きだから良かったが、所蔵作品には頼らず公募作品だけで埋め尽くしたほうが良かったと思った。所蔵作品の分だけ公募作品のためのスペースが多く取れるから。
2011年9月12日(月)
「横浜トリエンナーレ 2011」のメイン会場である「日本郵船海岸通倉庫」に行った。
巨匠♪戸谷成雄の作品に出会えたのは嬉しかったが、そのことがトリエンナーレの意義って何だろうという疑問を誘発してしまった。これまで私は深く考えずにこのイベントの目的は新人アーティストの発掘、鼓舞、支援だと思っていた。しかし今回あらためて出展者を見直してみると、ある程度評価の定まったアーティストの出展が多いことに気がついた。
しかし横浜トリエンナーレの過去のいきさつを振り返ると、主催者の苦悩は大変なものだろうから、企画・運営に関する考察はやめておいた方が良さそうだ。前向きに考えても批判的な内容が出てくる恐れがあるから。
戸谷以外の既知の作家としては、♪落合多武(ワタリウム美術館で個展を鑑賞)、♪野口里
佳(何か忘れたが、展覧会で写真作品を鑑賞)の名前があった。
初めて作品に接した作家の出展作品でどう評価したら良いか迷ったのは、♪クリスチャン・マークレーの映画「時計」である。これは結論を先に言えば、コンセプチュアル・アートの一種だろうと思う。
これは過去の名画で時計が出てくるシーンだけをつないだ作品で、それだけのアイデアなら誰でも思いつく。しかしこの作品のすごいところは、映像中の時刻が実際の時刻とシンクロしている点だ。過去の映画で1分きざみに異なる時刻が出てくるシーンを集めるのは不可能だろうから、何かの手法で時計の針などを修正しているのだろう。
また、そもそも過去の名画のフィルムを部分的であれ使うわけだから、著作権などの問題をクリヤーしないとこの作品は作れない。また集めたフィルムの編集にあたり、前後のシーンが出来るだけスムーズにつながるように配置を工夫しなければならない。これらの作業には膨大な時間を要すると考えられる。作品制作の手間と難易度は非常に高いというわけだ。
そのような背景を頭に描きながらこの映画を観て「すごい」と思うのが「正しい」鑑賞法かもしれない。もしそれが正しいなら、これは前提となる説明があって成り立つアート、つまりコンセプチュアル・アートの一種だと思うのである。
2011年9月10日(土)
茅ヶ崎のハスキーズ・ギャラリーで「松本千鶴 植物画展」と「大久保康明テノールコンサート -山田耕筰を想う-」のコラボレーションがあった。コンサートには妻(仮名ジョアンナ)も出演した。
私は同日昼、横浜でのサロンコンサートに出演し、終演後すぐ駆けつけたのだが前半には間に合わなかった。夫婦が同じ日に別の場所でコンサート本番を迎えたのはこれが初めてかもしれない。
松本千鶴と大久保康明はどちらも友人であり、しかも妻が大久保に共演した関係で感想は書きにくいが、備忘録として思い付いた点を記しておこう。
♪大久保のトーク
大久保はフランス語が専門なのでフォーレの歌曲について詳しい解説を行った。フランス語の詩の韻律などの話は、私は興味を持ったが、聴衆にとっては少し長すぎたのではないかと思った。大久保は歌も上手い、フランス語の知識もある。しかし両方を一度に出すとそれぞれの良さを相殺してしまうと思うのだ。
例えて言えば、最上級の焼き魚と極上のスイーツを同時に味わうようなものである。どちらも素晴らしいのだが、それらを分離しないと味わいが損なわれてしまう。一方、披露宴などで魚料理と肉料理の間に口直しとして甘いシャーベットを出す場合がある。この場合は同時に味わうのではなく、きちんと分離し、異なるものとして明確に位置付けるのだ。
そこで、大久保の持ち味(歌の上手さとフランス語の強み)を活かすために、演奏と明らかに分離した形でレクチャー・コンサートを挿入したらどうかと考えた。披露宴の例における料理が歌、口直しシャーベットがレクチャーである。
運営的には、例えばプロジェクターとスクリーンを用意し、詩の韻律などの解説においては図表を画面に映し出して解説する、などの方法だ。普通の講義では、そのような内容を1時間以上行うのであろうから、聴く人は飽きてしまうかもしれない。しかしコンサートの曲と曲の間で5分ぐらいのショート・レクチャーを行えば、講義としては非常に短いわけだから、結果として聴衆にとっては短く引き締まった印象を与えるであろう。
つまり相対的に言えば、コンサートの中のトークだと長く感じるが、レクチャーと銘打てば短く感じるという心理的仕掛けである。
そしてプログラムへの綴じ込み付録として、そのショート・レクチャーの勘所を加えれば、それを持ち帰った来場者はハイレベルな薀蓄(うんちく)を得たことになり、喜ばれるのではないだろうか。
♪オープンバー
会場から屋外に出ると、そこはテラスになっていて、プロのバーテンダー・西宮(にしみや)聖一朗がオープンバーを構えていた。そこでは山田耕筰の歌にちなんだ「赤とんぼ」などのカクテル(西宮の創作)を楽しむことができた。
つまり、ここにもコラボが企画されていたのだ。しかし幕間にカクテルを飲まなかったり、あるいは飲んだがバーテンダーが忙しく話を聞くことができなかった人は、この隠されたコラボを知らずに帰ったわけである。
そこで思ったのだが、バーテンダー・西宮聖一朗はカクテルを創案するアーティストである。しかも今回の「山田耕筰を想う」のテーマに具体的に対応してコラボに組み込まれていた。そうであれば、西宮の創作カクテルをもっと大々的に紹介し、3人のコラボとして紹介しても良かったのではないかと考えた。
コンセプトとしては、「山田耕筰を想う」のテーマによる3人のアーティストのコラボレーションということになる。そのコンセプトのもとに、松本千鶴、大久保康明、西宮聖一朗の3人のアーティストがコラボを繰り広げるという構成だ。
「バーテンダーはアーティストなのか?」という議論が生じるかもしれない。これについては、私は、何かを創作し、それを受け止めた人が感動し、喜び、楽しんだならその創作者は立派なアーティストだという立場をとりたい。だからこの場合、西宮聖一朗をアーティストに加えたいと考えるのだ。
もっとも今回のコラボにおいては、主催者は高校同窓生つながりで大久保と松本に依頼したという背景があるようだ。そのため、西宮は雇いという形に甘んじてもらったかもしれない。そのような事情により、仮に事前に企画してもこの3人コラボは実現しにくかったかもしれない。
いずれにしても、そのようなやり方でコラボの幅を広げ、ジャンルの異なるアーティストの交流と相互の刺激を促進するのは良いことだと考える。
♪松本千鶴の「わすれな草」
私たちが作った友人のメーリングリスト上で、松本は「わすれな草」というハンドルネームを使っている。そして今回のコンサートの最後で大久保が「わすれな草」の歌を採り上げ、コラボを一層強固なものにしたのは嬉しかった。
そこで思ったのだが、先に書いたレクチャーの道具としてのプロジェクターやスクリーンがあったら、そこに「わすれな草」の写真あるいは松本の絵をこの曲のときだけ大写しにしたらどうだったか。来場者の耳にはわすれな草の歌が残り、目にはわすれな草の姿が残る。そしてその後、わすれな草という言葉、姿。あるいはメロディーに触れるたびに画家・松本千鶴を想い出すというわけだ。
コンサートは耳だけ・絵画展は目だけを喜ばすのではなく、コンサートでも目を、絵画展でも耳を楽しませるように仕向けるのは楽しいことだ。これに香りが加わったらもっと広がる。スクリャービンは音楽に色彩、香りまでを導入した総合芸術を考えていたらしい。
そこまでいかなくても、大久保が何かの花について歌っているとき、スクリーンにはその花が映し出され、さらにその花の香りが観客席に漂ってくるような仕掛けがあったら、総合的な味わいがもたらされるだろう。素人のアイデアかもしれないが・・・。
2011年9月10日(土)
「サロンコンサート ~ベートーヴェンの弦楽四重奏曲~」(横浜市イギリス館)に出演した。
私が仲間と組んでいる弦楽四重奏団「クワトロ・ロッソ」は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏という難題に取り組んでいる。今回は初期の第6番と晩年の第14番の2曲を演奏した。
「選曲・曲順評論家」(笑)の私としては、本格的な評論を展開したいところだが、自分が出演したコンサートに関して評論するのも何か変だなあ。でもやってみるか。
♪「ベートーヴェンの弦楽四重奏曲」という単刀直入なキャッチフレーズが掲げられているので、ベートーヴェンの作品だけ2曲並べたのは、まあ自然な形か。
♪最初に初期の第6番、後で後期の第14番という順番で演奏したのは、よくある形だがこれは仕方ないか。いずれにしても2曲しか演奏しないのだから選択肢は2通りしかない。でもたまには逆の順番(14番→6番)で演奏してみたいという気持が沸き起こってきた。
♪では、全曲演奏の流れの中で今回 第6番と第14番を選んだのはどうか?初期の作品18の最後である第6番と組み合わせるなら、本当に最後の第16番とカップリングして「最後と最後のせめぎあい」(意味不明)というキャッチフレーズを付けてPRしたらどうだったか?
でもこの案には欠点がある。なぜなら作品18の6曲の中で、最後に作られたのは本当は第4番だったからだ。
♪この2曲の番号を並べた数字「0,6,1,4」は「ベートーヴェンの完全数」と言われ、弦楽四重奏曲すべての番号を表せるのだ(ウソだが小噺として面白いと思う)。
1番=6-4-1-0
2番=(6-4-0)x 1
3番=6-4+1+ 0
4番=4+1-6の0乗・・・ちょっと苦しいが
5番=4+1+(6 x 0)
6番=6+(4+1)の0乗・・・またかよ
7番=6+1+4の0乗・・・もう飽きた
8番=14-6+0・・・これって違反じゃない?
9番=6+4-1=0
10番=(6+4) x 1+0
11番=6+4+1+0
12番=16-4+0・・・これも違反の香りがする
13番=14-6の0乗・・・また出たか
14番=14+(6 X 0)
15番=14+6の0乗
16番=16+(4 X 0)
うーむ。
「リアリズム作品展」(成城さくらさくギャラリー)に行った。
抽象画を偏愛する私だが、磯江 毅の作品に感動したことは既に書いた。「画家が志と技術を突き詰めれば、スタイルの違いには関係なく、「突き抜けた」普遍的な領域に到達するのではないか」とも。
今回の展覧会は、この磯江 毅の個展が伏線となっていたので、偏見なくすんなり入り込めたと思う。そしていくつかの収穫もあった。
♪生島 浩の美人画は理屈抜きで好きになった。人気作家で作品完成まで順番待ちが出るようなことを聞いて驚いた。こういう絵が芸術の本来の姿なのかもしれない。キュビズムなどで理屈をこねて喜んでいるより・・・。
♪平澤 篤の「オオタカ」は面白かった。殿様が鷹狩りに出かけたところを描いたような日本画を背景に、鷹の頭蓋骨が大きな時計の上に乗っている。興味深い点は2つある。1つはだまし絵の性格を持っている点だ。鷹狩りの絵が画鋲とセロテープで壁に貼ってあるように見えるが、実はそれらは描かれた物であるという、このての作品でよく使われる手法だ。もう1つは鷹というキーワードで異なる物を並置したこと。コンセプチュアルな側面も持ち合わせていそうだ。
♪港 信夫の黒地に真っ赤な薔薇の絵は求心力があった。具象ではあるが、花びらの配置が意図された構成を想わせ、具象・抽象両方のファンを引き付ける要素を持っているように思った。
この展覧会は面白い。絵が好きな友人にはぜひ行ってもらいたいと思う。
2011年8月31日(水)
「上林 礼和(かんばやし ゆきかず)展 ~“和”をかろやかに~」(ギャルリー志門)に行った。
作家さんと画廊には申し訳ないが、正直に書くと、隣のポルトガル料理店「タスキーニャ・カラヴェーラ」に行く際に時間に余裕ができたので立ち寄ったのだ。しかし作品を観て、その素晴らしさに圧倒された。大変失礼を致しました。
キャンバスに絵の具の他、石膏と砂を加えた絵は、陶板のような素材に見えた。ざらざらした表面に達者な線刻と控えめな彩色が施され、味のある作品が並んでいた。
案内葉書に採用された作品は寺院を題材にしたものだが、純粋抽象絵画としても充分鑑賞に耐えうる。落ち着いた色彩の並びが洗練された世界を作っている。独身貴族の頃だったら購入したかもしれない作品もあった。現在は残念ながらそこまで余裕が無いが・・・。
2011年8月30日(火)
「辰野 登恵子展 抽象―明日への問いかけ」(SHISEIDO GALLERY)に行った。おなじみF君が勧めてくれたのだ。
抽象絵画した傾倒した作家ということで期待して行ったのだが、作品の放つオーラは若干弱めのように感じた。今回は辰野が初めてリトグラフに挑戦したというので、その分切れ味が鈍かったのかもしれない。過去の抽象絵画も併せて展示したほうが良かったのではないかと思った。
なお辰野がパリのIDEMという版画工房で今回の作品を制作した状況がスライドショーで紹介されていたが、それは良かった。工房内部の様子、制作に取り組む辰野の姿、アシスタントの働きぶりなどが活き活きと撮られていたから。
感じのいい抽象作品が多かったので、今後が楽しみだ。
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