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2011年5月18日 (水)

銅版画家 長谷川潔展

2011年5月17日(火)「生誕120年記念 長谷川潔展」(横浜美術館)に行った。久しぶりに妻(仮名ジョアンナ)と一緒の展覧会鑑賞だった。

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実は5年前(2006年)に同じく横浜美術館で長谷川潔の展覧会があり、私はそれにも足を運んでいたのだ。

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同じ美術館で同じ作家の展覧会を行うとなると、両者の棲み分けが気になるところである。私が受けた印象では、前回の展覧会ではチラシに見られる通り、漆黒のバックに対象が浮き上がる本格的なメゾチント作品が中心だったようだ。 そして今回は、やはりチラシに暗示されるように、メゾチント一辺倒ではなく、初期から試行してきた様々な技法の対比と発展に重点を置いたように見えた。

今回良かったのは同じ対象を異なる技法(例えばドライポイントとエッチングなど)で制作した作品を並置することにより、両者の味わいの違いがよくわかったことだ。そして妻と一緒に観て回った際、それぞれの作品でどちらの技法がしっくりくるかという点について意見交換できたのも有意義だった。

自分と妻がそれぞれ受けた印象が合致していた作品もあるし、異なった作品もあった。そしてその理由を考えることにより、鑑賞の仕方ということが掘り下げられていくのが収穫だった。

一つ大事なことがある。実は前回の展覧会では長谷川潔の作品にさほど強いインパクトを受けなかったのだ。だが今回、この人はすごい作家だなあと再認識することになった。 その理由を考えてみた。

前回は、いきなり「完成された」メゾチント作品を多く鑑賞したので、それが当たり前となり、技術の高さなどの側面が全く見えなかったと思う。それに対して今回は初期作品からの経過を様々な技法の違いを織り交ぜてじっくり観察したので、「最終形」のメゾチントに至る過程を理解し、メゾチントの背後にある技術的裏づけをきちんとわかったうえで観たからだと思う。

さらに考えたことがある。「完璧な」メゾチントもいいが、どことなくよそよそしく感じる。それに対してエッチングなどの旧来の技法で余白を残した作品のほうが何となく味わい深い感じもする。これはなぜかという事である。

すると、西洋的・東洋的の対峙ということを思い付いた。「隅々まで完成された」メゾチントはすこぶる西洋的である。それに対して「余白を残し若干未完成の部分がある」エッチングなどの作品は東洋的である。私は日本人だからそちらを好んだのだろうか。では長谷川潔はどちらなのか?

私は長谷川潔はもともと日本人ではあるが、メゾチント作品に到達した頃は、もはや東洋人ではなく西洋人になっていたのではないかと思った。フランス在住が長いし、フランス人の奥さんと結婚しているし。だから「細かいところまで人工的に制御した西洋風作品」を作るアーティストになっていたのだと、そういうわけである。

一方、別の解釈もある。長谷川潔は最後まで日本人の資質を持っていた。しかしフランスに住んでおり、奥さんもフランス人なので、西洋的趣味を意識的に優先させたのではないか、という考えである。

以上のどちらが正しいかわからないが、双方の間を揺れ動くような感じだったのかもしれない。またそれが長谷川潔の個性ということになったのかもしれない。

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