美術アーカイブ:1975年(3)シュミアキン展ほか
1975年は他に次のような展覧会に足を運んだ。
♪「ミハイル・シュミアキン展」(日動画廊:銀座)
この年になぜこのようなマイナーな画家の展覧会に行ったのだろうか?その動機は覚えていない。当時、幻想絵画の面白さを追い求めていたので案内が目にとまったのであろうか?
彩色された絵画も興味あふれるものだが、単色のドローイングもその奇想に惹かれてしまう。こんなに面白い絵を描く画家があまり高名でないのが不思議だ。
先鋭的な作品を発表したために当時のロシア政府から弾圧を受け、洗脳のため精神病院に強制入院させられるなど辛い目に遭ったそうだ。チェリストのロストロポーヴィッチの支援で弾圧をかいくぐって個展を開いたこともあったとか。
♪「アンソニー・グリーン展」(西村画廊:銀座)
たまたまアンソニー・グリーン氏が在廊だったが、何かの作業(作品の梱包を解くなど)中で話しかけることをためらった。ずうずうしく声をかければ良かったなあ。当時はまだ知名度がさほど高くなかったが、その後「ポスト・マニエリスムの画家」と呼ばれ知られるようになった。この展覧会になぜ行ったかについては記憶がない。
♪ホドラー展(国立西洋美術館:上野)
「パラレリズム」(同一形態の繰り返し)で有名だが、これはデルヴォーの「こだま」に通じるものがある。しかしホドラーは幻想絵画ファンの私からすると、そのアイデアと表現方法が少々中途半端な感じがする。だから好きか嫌いかという点では微妙で、境界線上にある。
♪ドーミエ展(神奈川県立近代美術館 鎌倉)
私は風刺画を好まないので、なぜこの展覧会に行ったのかわからない。愛する鎌倉近代美術館(当時の呼称)で開催された展覧会だから足が向いたのかもしれない。
♪「コンピュータ・アート展‘75」(ソニービル:銀座)
「コンピュータ・アート」は、当時はそれなりに一つのジャンルを形成できていたかもしれないが、この呼称は現代ではあまり意味をなさないであろう。コンピュータを使っても使わなくても、大事なのは創造だからだ。この用語は手段と目的とを混同させやすいきらいがある。
まあそれはともかくとして、膨大なデータを人間よりずっと素早く処理するコンピュータを活用することにより、アートの表現が豊かになったならそれを重んじよう。
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