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2011年4月30日 (土)

BBQトラップ、略してBT

朝起きたら妻(仮名ジョアンナ)が「今日バーベキュー(以下BBQと略記)やるけど、あなたも誘われたから来ない?」と言った。目覚めたばかりでまだ頭が回らず、BBQ→ビールが飲める、と単純な連想ゲームをして「うん、行くいく」と喜んで答えた。そこにトラップが潜んでいるとも知らず・・・。

目的地は某オペラ歌手の自宅。到着したら既に大勢の人が集まっていた。しかしBBQにしては何となく雰囲気が違う。そしたらBBQに先立ち、打合せを1時間半ほどやるという。何の話かと思ったら、チャリティーコンサートの企画だった。私は裏方の一員として予定に組み込まれていた。

ジョアンナ達から「あなたもスタッフとして手伝ってね」ではなく、「あなたの役割はこれだからよろしく」と、既成事実として事が進んでいった。このようにして、私はまんまとBBQトラップ(略してBBQT、もっと略してBT)にはまってしまったのだ。

これまで妻たちが主催するコンサートの裏方は何回かやったことがある。結構楽しいし、打上げでご褒美のビールにもありつけるからなお良い。ただ今回は主催者が異なり、妻は演奏者の一人なので様子が少し違う。今まで「なあなあ」でやってきた頭を切り替え、真剣に取り組まないといけないようだ。

まあでも今回のBBQを楽しんだし、主催メンバーも個性あふれる面白そうな人達だし、コンサート後の打上げでもまた楽しいだろうからいいか。恐怖の譜めくり(注)だけはやりたくないが・・・。

注:譜めくりは大変な作業だ。演奏者ほどではないにしろ、練習が必要である。妻のピアノの譜めくりならある程度慣れているが、それでも緊張の連続で疲れる。まして他の演奏者の譜めくりだと、どのあたりでページをめくるかというタイミングを計るのが大変で、終るとぐったり疲れる。

2011年4月28日 (木)

小渕陽童展

「小渕陽童展 いにしえとモダン、和と洋の融合」(art truth:横浜)に行った。

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表装技術を応用した「創芸画」を産んだ作家の個展ということで興味を持った。このユニークな技法で特許も取得しているとのこと。他にない新しいものを創造するという行為は素晴らしいことだ。そしてその作品に接することにより、無から技法をクリエイトした作家のオーラを少しでも感じ取れるなら嬉しい。

私はアートの専門家ではないので、このように刺激を受けたことが自分の仕事に恩恵をもたらすわけではない。趣味だから単に気持の高揚感を得るだけだ。でも、それ自体が心地よいし、パワーをもらえる気がする。

特にここしばらくは仕事や趣味で行き詰まっている感があったので、今回の展覧会では閉塞感から脱却するきっかけを得たと思う。

2011年4月27日 (水)

音楽アーカイブ:小学校低学年(2)作曲事始?

小学校低学年の頃、ピアノを得た私は簡単な歌を作詞作曲した。曲名は「小鳥」。冒頭の言葉は「かわいい小鳥 鳴いている」。うーむ、誰でもすぐ思いつきそうな詩というか文言だな。そしてメロディーが、♪ソソミファソラソ、ファミレレド。

何年か前、これを私の子供達に聴かせたら、「ダッセー!」と言われた。確かに。これがダサいとわかるのなら、子供達には音楽の才能があるのかもしれない(苦笑)。

当時はそんな事は関係ない。母親は「ジョヴァンニが作曲した」と大喜びで、私を連れて担任の先生の自宅へ押しかけた。母は本気で私がすごいものを作ったと思って自慢しに行ったのだろうか?それとも私を励ますための高等戦術だったのだろうか?今となっては全くわからない。

さて担任の先生は快く私たち母子を迎えてくれ、ピアノに向かって私の作った単旋律に即興で和音の伴奏を付けて弾いて下さった。そして、(これは間違えなく私を励ます目的で)「すごいのを作ったね」と褒めてくれた。

ところが私の気持は複雑であった。今でこそ旋律に即興で和音の伴奏を付けるなど簡単なことだが、当時はそれがとても高度な技術に見えたのだ。そして担任の先生がすごいと思った。それに比べて自分はほとんど何もできないではないか、という劣等感が芽生えた。そういう意味では、先生と母が私を鼓舞しようと行ったことは逆効果になったかもしれない。

そのためであろうか、その後私の作曲はしばらく途絶え、中学になるまで何も作れずに時が流れたのだ。(当時私は音楽も嫌いではなかったが、どちらかというと美術のほうに関心が高く、将来はインテリアデザイナーになりたいという希望を抱いていた。)

2011年4月26日 (火)

音楽アーカイブ:小学校低学年(1)ピアノ

小学校低学年の頃、我が家にピアノが置かれた。アップライトでブランド名は「ホルゲル」。後にこのブランドが非常に貴重だという事を知った。

それは私が府中に住んでいた頃の話だ。大好きな作曲家、三善晃の講演会が府中で行われるというので聴きに行った。そして講演の中で三善晃が幼少の頃、我が家と同じ「ホルゲル」のピアノを使っていたと話していたのだ。そうか、私は子供時代に三善晃と同じピアノ体験をしたのか、と思うと作曲への情熱が高まってきた。

時を私の小学校時代に戻す。その頃私のピアノの先生は幼稚園の先生から近所のピアノ教師に代わっていた。おきまりのツェルニー、ブルクミューラー、ソナチネアルバムという按配でゆっくりレッスンは進んでいった。両親は私を音楽の専門家に育てるつもりは無かったので、スローペースでも別に何とも思わなかったようだ。

その後ピアノの技術は多少は向上していったが、結局現在はその頃のレベルに逆戻りしている。「世界一ブルクミューラーが似合う男」に収斂(しゅうれん)した感がある。

なお長年お世話になった「ホルゲル」は最近、経年劣化でまともな音が出なくなった。すると辣腕のチェンバロ製作者・玉利要二氏が引き取ってくれた。三本弦をウナコルダ(一本の弦)に張替え、チェレスタのような音がでる特殊な楽器として甦らせるというのが玉利氏の構想だ。しかし私が発注したわけではないから、いつできるかわからない。もしかすると永遠に構想で終るかもしれないが、その場合は後継者にバトンタッチされることを祈る。

2011年4月24日 (日)

音楽アーカイブ:幼稚園

私は(覚えていないのだが)幼稚園の先生にピアノを習っていたらしい。しかし自宅にピアノが無かったので当然のことながら家では練習できない。レッスンがそのまま個人練習であり、かつ指導を受ける場であったというわけだ。

このピアノのおけいこに関しては2つの武勇伝がある。その一つは「興が乗ると」足で鍵盤を弾いたという話。そしてもう一つは1カ月レッスンに行かず、呑気な母親が月謝だけ払っていたという話。私はレッスンの記憶が無いのだから、この2つの武勇伝も勿論覚えていない。真実なのか、それとも誰かが脚色したのか、今となっては確認するすべがない。

現在私は音楽仲間から「練習しない」と怒られ、いつも小さくなっているのだが、その性癖はこの幼稚園時代の鷹揚な環境に端を発しているのかもしれない。逆に両親が音楽の教育に関しては厳しくなかったことで、音楽が嫌いにならずに成長できたというプラス面もあったと思う。自分としては、どちらかというとそちらを重要視したい。

この時代はレッスンのことだけでなく、どんな音楽を聴いたとか、そういう事もまったく記憶に無い。音楽に関していえば「先史時代」といった感じだ。

2011年4月23日 (土)

美術アーカイブ:1976年(2)キュービズム展

♪「キュービズム展」(東京国立近代美術館)により、私が好むジャンルのキュビズム、抽象、シュールレアリスム、幻想のジャンルが出揃った。

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いきなり余談だが、当時は長音記号を付けて「キュービズム」というのが主流だったようだが、現在では「キュビズム」と表記するのが習わしのようだ。どちらが良いかという議論はさておき、本記事ではそれらが混在することをあらかじめお断りしておきたい。

さて半券に採用されたのはファン・グリスの「静物」。ファン・グリスはキュビズム作家の中でもライオネル・ファイニンガーと並んで私が最も好む画家だ。ちなみにこの「静物」は、そのまま展覧会の図録の表紙も飾っている。

この展覧会は日本においてキュビズムへの関心と理解を広めることを目的としていたと思う。そういう点ではよく出来た企画だったのではないか。キュビズムの先駆者ともいえるセザンヌから始まり、様々なタイプのキュビズム作家と作品を紹介していたから。

セザンヌはこの展覧会のあたりから大好きな画家になった。これは展示された5点のセザンヌ作品の一つ「風景」。うーむ、セザンヌの絵はいつ観てもいいなあ。

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また先に開催された「シュールレアリスム展」同様、「日本におけるキュービズム的傾向」というコーナーを設けていた点も良いと思った。日本における先駆的作品は、やはり萬鉄五郎の「もたれて立つ人」だろう。

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恥ずかしいことに、当時私は作者の名前を「まんてつごろう」だと思っていた。この失敗をネタに、「良い子の皆さんは間違えてはいけませんよ」シリーズを思い付いた。(この話は過去の記事にも書いている。)

2011年4月21日 (木)

美術アーカイブ:1976年(1)抽象と幻想展

「アート過去帖:1974年」の冒頭にも書いたが、この頃は西武美術館が絶好調だった。特にこの1976年には現在私の好むアーティストやジャンルに関連する展覧会が池袋の西武で次々と開催された。

その内容は、抽象と幻想、カンディンスキー、エッシャーなのだが、それら以外にもロダンを披露してくれた点で、私の趣味の志向を確立する基礎となった。

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今もし同様の展覧会が開催されたら、総花的で嫌だと敬遠するかもしれない。しかし当時はこのような企画(あれも、これも)の方が助けになったのだ。それぞれのジャンルで印象に残った作品は絵葉書を購入しておいた。

抽象の代表選手はカンディンスキー。「明るい楕円形の中」という楽しい作品だ。

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独自の幻想世界を拓いたのはジョアン・ミロ。「ギターを持つカタロニアの農夫」は呪術の記号のようにも見える。

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シュルレアリスムではマックス・エルンストを外せない。「孤独な木と夫婦の木」は、その発想の柔らかさも素晴らしい。

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シュールの継承でユーモアを交えた独特の魅力を発するのはルネ・マグリット。「野原のかぎ」とはまた面白い作品を産み出したものだ。

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このようにして、私の抽象・幻想好きが形成されていった。

「ボジョレーの娘」の災難

大阪の「御堂筋彫刻ストリート」で富永直樹の「ボジョレーの娘」が台座から切断されていたというニュースには心が痛んだ。

今回、大阪は被災地ではない。しかし親戚筋が宮城や福島にいる等、直接的・間接的に災害の痛手を被っている人もいることだろう。そんな時、御堂筋の彫刻群に癒された人は多いのではないか。

一昨年の夏、私はおなじみF君と共に大阪に行き、屋外彫刻を探索した。そして御堂筋では設置されているすべての彫刻を鑑賞した。(私は抽象彫刻好みなので、具象作品の「ボジョレーの娘」は拙ブログでは取り上げなかったが)。

今回の犯罪は、大震災で人々の気持ちが下向いている時に、それに追い討ちをかけるようなものだ。普通の状況でも悪質な行いなのに、このタイミングでその邪悪さがいっそう際立っている。

犯人に人間的な心があるならば、東北の被災地に行き、地震と津波の被害を受けた屋外彫刻の修復作業に携わることによって罪を償ってもらいたいと思う。それで償えるものならば。

2011年4月20日 (水)

美術アーカイブ:1975年(3)シュミアキン展ほか

1975年は他に次のような展覧会に足を運んだ。

♪「ミハイル・シュミアキン展」(日動画廊:銀座)

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この年になぜこのようなマイナーな画家の展覧会に行ったのだろうか?その動機は覚えていない。当時、幻想絵画の面白さを追い求めていたので案内が目にとまったのであろうか?

彩色された絵画も興味あふれるものだが、単色のドローイングもその奇想に惹かれてしまう。こんなに面白い絵を描く画家があまり高名でないのが不思議だ。

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先鋭的な作品を発表したために当時のロシア政府から弾圧を受け、洗脳のため精神病院に強制入院させられるなど辛い目に遭ったそうだ。チェリストのロストロポーヴィッチの支援で弾圧をかいくぐって個展を開いたこともあったとか。

♪「アンソニー・グリーン展」(西村画廊:銀座)

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たまたまアンソニー・グリーン氏が在廊だったが、何かの作業(作品の梱包を解くなど)中で話しかけることをためらった。ずうずうしく声をかければ良かったなあ。当時はまだ知名度がさほど高くなかったが、その後「ポスト・マニエリスムの画家」と呼ばれ知られるようになった。この展覧会になぜ行ったかについては記憶がない。

♪ホドラー展(国立西洋美術館:上野)

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「パラレリズム」(同一形態の繰り返し)で有名だが、これはデルヴォーの「こだま」に通じるものがある。しかしホドラーは幻想絵画ファンの私からすると、そのアイデアと表現方法が少々中途半端な感じがする。だから好きか嫌いかという点では微妙で、境界線上にある。

♪ドーミエ展(神奈川県立近代美術館 鎌倉)

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私は風刺画を好まないので、なぜこの展覧会に行ったのかわからない。愛する鎌倉近代美術館(当時の呼称)で開催された展覧会だから足が向いたのかもしれない。

♪「コンピュータ・アート展‘75」(ソニービル:銀座)

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「コンピュータ・アート」は、当時はそれなりに一つのジャンルを形成できていたかもしれないが、この呼称は現代ではあまり意味をなさないであろう。コンピュータを使っても使わなくても、大事なのは創造だからだ。この用語は手段と目的とを混同させやすいきらいがある。

まあそれはともかくとして、膨大なデータを人間よりずっと素早く処理するコンピュータを活用することにより、アートの表現が豊かになったならそれを重んじよう。

2011年4月18日 (月)

美術アーカイブ:1975年(2)デルヴォー展

♪「ポール・デルヴォー展」(東京国立近代美術館)は、それまで興味があったが作品に触れる機会が少なかったデルヴォーの作品をまとまった形で鑑賞できたので意義があった。

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最も印象深かったのは「こだま」という作品だった。

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この作品からは人間性を剥奪されオブジェのように化身した裸婦というデルヴォー独特の不思議な世界を味わえると共に、同じポーズを取った3人の裸婦が生み出すリズムも楽しめる。簡素なたたずまいながら、私は今でもデルヴォーの作品の中でこの1点を最も好む。

これは後で思ったことだが、裸婦の生気のなさは遠くアングルに繋がるような気がする。そういえばセザンヌはアングルの裸婦を「血の気がない」と評したではないか。その延長線上である。しかし、それがまたデルヴォーの良さなのかもしれない。その現実離れした描き方によりエロスの面が強調されず、裸婦を描いても上品さが損なわれないからだ。

一方「こだま」の反復形態はクプカの「沈黙の道」に反復される石像を想起させる。

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全く同形の反復というのは自然界の動植物ではほとんど見られない。例えば人間は一人一人異なる顔を持っているし、並木の桜は1本1本異なる形状をしている。だから同形反復がある種の不安感を想起させるのだと思う。

このように、様々な楽しみ方がある展覧会であった

美術アーカイブ:1975年(1)シュルレアリスム展

♪シュルレアリスム展(東京国立近代美術館)
この展覧会は私のシュール好きを決定的にしたことで特別の思いがある。先日行ったばかりの「シュルレアリスム展」(国立新美術館)より36年も前の企画なので内容の充実度という観点では見劣りするが、受けたインパクトは大きかった。

強い印象を残してくれたのは、ブルトンの2番目の妻ジャックリーヌ・ブルトンの「帰結のバー」という水彩画だ。

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この絵に説明は不要だ。イマジネーション、フォルム、構成感のどれを取っても素晴らしい。こんな才覚を持った女性と結婚したら、才能あるブルトンとの間で火花を散らしたに違いない。その証拠に二人は分かれてしまった。

画面左下に描かれたガラス壺の中のグラスの表現に惹かれた私は、それを真似てペン画を描いた。しかし、あまりにも下手なので画像は載せないことにする(苦笑)。

当時ではなく、今この展覧会を振り返って思うのは、ローランド・ペンローズが参画した意義である。ペンローズ自身の作品「ヴァレンティーヌの肖像」も展示されていた。ちなみにこのアーティストは「ペンローズの三角形」で有名な数学者とは別人である。

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しかし意義あると思うのは作品より図録に掲載された序説「シュルレアリスムの誕生と成長」である。シュルレアリスムがどのようにして始まり、どのように発展したかという事に関し、優れた説明文になっているからだ。単に事実を列挙するのではなく、シュルレアリストたちの気持の高まりにまで踏み込んだ記述になっている。

また「日本におけるシュルレアリスム」というコーナー我国におけるシュルレアリスムの取り込み方を知るうえで貴重な企画だったと思う。そこには靉光の名作「眼のある風景」も展示されていた。ところでこの作品は1970年に鉄パイプを持った暴漢によって損傷を受けたはずだ。事件の5年後の展示なので、修復がどの程度進んでいたのだろうか?あいにく私の記憶からは欠落している。

2011年4月16日 (土)

美術アーカイブ:1974年

♪「月の道化師-預言の画家 ゾンネンシュターン展」(池袋西武)

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池袋西武が絶好調だ。このゾンネンシュターン展で私の幻想好きが確固たるものになった。しかしこの画家の名前は月(ゾンネン)と星(シュターン)を合わせたものだから尋常ではない。日本人だったら「若月星矢」なんて感じだろうか。気色悪くて近づきたくない(笑)。半券が一部破損していて残念だが、無くさず保管してあっただけで良しと考えなければ。

♪「セザンヌ展」(国立西洋美術館:上野)
私はセザンヌが大好きだ。キュビズムの前ぶれともいえる構成力は心地よさと安心感を与えてくれる。私はヴァーグナーの楽劇は好まないのだが、「トリスタン和音」で後の近代和声の先がけとなった音楽史的意義は認めたい。そこにアナロジーがある。

♪「科学者 レオナルド・ダ・ヴィンチ展」(国立科学博物館:上野)
私は生まれてから国立科学博物館に2度しか行っていない。最初はこのレオナルドの展覧会で、2度目は2009年に開催され「一日ブログ記者」をさせて戴いた「黄金の都シカン展」だ。

レオナルド・ダ・ヴィンチは敬愛する巨匠である。マルチに発揮されたその才能は、私みたいな凡人が一生を百万回繰り返しても到達できないレベルであろう。逆に、あまりにも偉大なるがゆえに、かえってその立派さが実感として湧いてこないのが不思議である。

♪「ヘンリー・ムーアによるヘンリー・ムーア展」(神奈川県立近代美術館 鎌倉)
私は抽象彫刻を好むのだが、絵画同様、構成感が強いものに特に惹かれる。それに比べてムーアの彫刻はコンポジションというよりフォルムが前面に出ている。そこが何となく物足りない。

絵画では巨匠ピカソが類似している。驚くべき才能なのだが、構成感が弱い。だからピカソは「ゲルニカ」を例外として、大規模な壁画ではあまり成功していないと言われる。「フォルムの画家」と呼ばれる所以である。これを彫刻のジャンルに置き換えるとヘンリー・ムーアになるような気がするのである。今回はアナロジーが多いな(苦笑)。

ただヘンリー・ムーアの場合は、構成感が弱いから嫌いかというとそうでなく、大好きだという点がまた不思議だ。この辺がアートの奥深さだと思うのだが、私はそれを極めるだけの眼力を持っていない。

♪「日本のガラス展 古代から現代まで」(神奈川県立近代美術館 鎌倉)
絵画、彫刻に続いて初めて工芸の分野で足を運んだ記念すべき展覧会である。その後もガラス工芸とのつきあいはずっと継続されている。

美術アーカイブ:1973年

この年は前年(1972年)を継承し、キリコ、ルドンという幻想絵画の二人の大家の展覧会に足を運んでいる。そしてどちらも会場は鎌倉近代美術館(現・神奈川県立近代美術館 鎌倉:以下現在の名称で呼ぶ)だった。

私は湘南地方の出身なので、地元の鎌倉近代美術館を誇りに思っている。(私は鎌倉市在住ではないが、近隣の市なので「地元」という表現をご了承戴きたい。)そして当時は日本で先端をゆく近代美術館であった。しかしその後近代・現代美術館が続々と誕生し、今では他館の後塵を拝している。地元としては悔しく思うが、鎌倉近代美術館が一つの時代を切り開いたと考えれば少しは気持が落ち着く。

♪「瞑想の世界を描く世紀の巨匠 デ・キリコによるデ・キリコ展」(神奈川県立近代美術館 鎌倉)

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キリコの作品に初めて出会ったのは、本物ではなく図版.だが中学の美術の授業だった。教科書にあの名作「街の神秘と哀愁」が載っていて、何と不思議な絵だろうと思った記憶がある。

展覧会から帰宅して両親に図録を見せたら、父から「人間をこのように描くとは・・・嫌悪感がある・・・」などと酷いコメントをもらった。父は絵がプロ並みに上手で写生画を得意としていた。だがキリコのような半ば抽象化された描き方には理解を示してくれなかった。母も美術好きではあったが、やはり「ゲンダイカイガ」にアレルギーを持っていたようだ。

♪「静かなる幻視の画家 オディロン・ルドン展」(神奈川県立近代美術館 鎌倉)

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会場では幻想的な作品に魅せられたが、花の連作は面白くなかったという記憶がある。この頃は幻想美術への志向が高まっていたので、その表れであろう。

♪「現代彫刻の巨匠 ジャコメッティ展」(西武百貨店・池袋店)
この時代は池袋の西武が新しいアートの啓蒙で一歩リードしていた感がある。私もずいぶんお世話になった。翌年(1974年)はゾンネンシュターン展、1年おいて1976年はカンディンスキー展、エッシャー展、抽象と幻想の世界展、1977年にはエルンスト展と、わくわくするような企画が連綿と続いていた。

その他同年に行った展覧会を列挙する:
♪「印象派100年 光と色彩の交響 モネ展」(西武百貨店・渋谷店)
♪「神秘の色彩画家 ボナール展」(吉井画廊:銀座)
♪「ブルナール・ビュッフェ美術館開館記念ブルナール・ビュッフェ展」(伊勢丹:新宿)
♪「サンパウロ美術展」(松坂屋上野店)

私は印象派の作品を好まない。構成感が弱いからだ。というか印象派の狙いはキュビズムなどの線の構成ではなく光などの表現だから、そもそも志向していることが違うのだ。好みの問題かな。でもこの時代はそこまで自分の趣味が絞られていなかったので、有名だからという動機でモネ展に行った。しかし結局何がいいのか全くわからなかった。その後ウン十年間、ついに印象派を愛好することなく今日に至ってしまった。

印象派というと、マネやモネより私はむしろボナールのほうにインパクトを感じた。(厳密にはポスト印象派あるいは親密派(アンティミスム)と呼ぶのかもしれないが。)この年に行った展覧会では「逆光の裸婦」あたりの印象が強かった記憶がある。その理由はわからない。描かれたのが裸婦だからだろうか(笑)。

2011年4月14日 (木)

美術アーカイブ:1972年

1972年(昭和47年)は展覧会に行った回数が一気に増えたという意味で記念すべき年だ。またこの年は大規模な展覧会に加え、初めて画廊なるものを味わった年でもあった。同時に、様々な分野において生まれて初めて本物に接する機会も多く実りある年だった。

♪「幻想と愛の世界 フィニー展」(西武百貨店:渋谷)
シュールレアリスムを愛好する私にとって記念すべき、初めてのシュールレアリスムの作家の個展だ。レオノール・フィニーの絵画は毒をはらんでいるものが多いが私は大好きだ。チラシは捨ててしまったらしく残っていないが、奇跡的に半券を保存していた。

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♪「ジェームズ・アンソール展 仮面劇の巨匠」(鎌倉近代美術館<現在の神奈川県立近代美術館→以下、現在の名称で記述>:鎌倉)
シュールレアリスムと重複する部分があるが、いわゆる幻想美術も好きだ。アンソールの作品もその分野に含まれる。ただし記念すべき初めての幻想絵画作家の個展はこの3年前の「パウル・クレー展」だからこれは2度目ということになる。この展覧会も半券を保存していた。

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♪「純粋造形の巨匠 フェルナン・レジェ展」(フジテレビギャラリー:新宿)
シュール同様キュビズムを愛好する私にとって記念すべき、初めてのキュビズム作家の展個展だ。当時のフジテレビギャラリーには何回かお世話になった記憶がある。会場は広くないが、意欲的な企画をしていた。

♪「’ 72南天子画廊特別展 松本俊介」(南天子画廊:京橋)
松本俊介は日本人画家の中で最も敬愛する一人だ。そういう意味で、好きな日本人画家に初めて出会った記念すべき展覧会だ。

♪「巨匠ブールデルの全貌展」(神奈川県立近代美術館:鎌倉)
初めて彫刻家の作品をまとめて鑑賞した記念すべき展覧会だ。私は今でこそ抽象彫刻を愛好するが、当時は伝統的な彫刻に魅力を感じていた。それは4年後のロダン展に繋がってゆく。

♪「フランスの中世美術」(国立西洋美術館:上野)
この年のアート鑑賞に向けられたエネルギーはすごい。中世美術まで観に行くとは。でも本当に中世の美術に興味を持って展覧会に行ったかどうか疑問である。上野で開催された主たる展覧会をとりあえず観続けたというのが真相かもしれない。

その他に足を運んだ展覧会を列挙しておこう。
♪「メトロポリタン美術館展」(東京国立博物館:上野)
♪「18世紀―20世紀 ヨーロッパ絵画」(朝日美術 銀座ギャラリー:銀座)
♪「森本裕子展」(ピナール画廊:赤坂)
♪「矢柳 剛展 版画集『愛の動物誌シリーズ』より」(ギャラリー プリントアート:銀座)
♪「吉川勉展」(ギャラリー・ユニバース:銀座)

2011年4月12日 (火)

美術アーカイブ:1970年~71年

1970年から翌年にかけて行った展覧会は次の2つにとどまっている:
♪ゴヤ、グレコ、ベラスケスを中心とするスペイン美術展(東京国立博物館)
♪エドワルド・ムンク展(神奈川県立近代美術館)

この時期、私は音楽へ傾倒していたので美術のほうは後回しになっていた感がある。2つの展覧会も好んで行ったというよりは、有名な画家の展覧会だから行こうという付和雷同的な行動だったと思う。

1970年のドラクロア展も同じだが、この時代の主要な展覧会は国立博物館で開催されることが多かったようだ。そういえば国立西洋美術館は1959年に開館したが、その新館は1979年にやっと開館している。それまでは国立博物館が最も優れた展示環境だったのであろうか。そのあたりの事情はよくわからない。

そして1972年には展覧会に足を運んだ回数が一気に2桁に増える。アートに目覚めた年と言えよう。それについては別の記事で。

2011年4月11日 (月)

美術アーカイブ:1969年

自分とアートとのかかわりを見つめ直したくなったので、過去に遡って記録をたぐってみることにした。私が展覧会なるものに初めて行ったのは1969年(昭和44年)なのでその年から、残されたもの(図録、チラシ、半券、絵葉書、メモなど)と記憶を頼りに年代を追って記述してみよう。

まずは1969年だが、この年には次の3つの展覧会に行ったという記録がある。
♪ドラクロア展(東京国立博物館:上野)
♪パウル・クレー展(神奈川県立近代美術館)
♪ゴーギャン展(西武百貨店・渋谷店)

この3人の巨匠のうち、特にクレーの作品には好感を抱き、今日に至るまで敬愛し続けるきっかけとなった。それに比べて、ドラクロアとゴーギャンに関しては段々と関心が薄れてゆき、現在では愛好していない。

クレーが大好きだといっても、最初からクレーの作品を充分味わっていたとは思わない。例えば「樹上の処女」という20代の作品があるが、「こんな醜い絵をなぜ描くんだろう」と思った記憶がある。描線や構成という芸術的要素より、描かれた対象のほうに眼が向いていたのであろう。

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展覧会で好きになったのは「ゲルストホーフェンの思い出」という鉛筆画に軽く水彩を施した作品だ。私は幼い頃、鉛筆画を得意とする父と屋外へ写生に行くことが多かったので、その延長線でこのような作品を愛好したのかもしれない。

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このようにして、私とアートとの係りあいがスタートした。

2011年4月10日 (日)

シュルレアリスム展

2011年4月10日(日)
「シュルレアリスム展 ―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による―」(国立新美術館)に行った。F君が用意しておいてくれた招待券を使わせてもらった。F君いつもありがとう。

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今回の展覧会は事前にF君よりヴィクトル・ブローネルの作品が充実していると聞いていたので楽しみにしていた。そしてその通りだった。というか、あまりにもブローネルの作品が多く展示されていたので驚いた。記念に「法悦」の絵葉書を購入。

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アメリカ・インディアンや南米先住民のアートの雰囲気を漂わせていて興味深い。新奇なものを創造するアイデアとともに、美しい色彩などブローネルのセンスの良さを感じさせる作品だ。ドローイングの作品もいくつか展示されており、異常なるものへの探究に敬服した。

次に楽しみにしていたのは、これまで図版などで馴染んでいたが実物を観たことがなかったジャコメッティの「テーブル」。期待通り趣ある作品だ。

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ただしこの作品は絵葉書のように背景が無地の場合に味わいが深まる。展覧会場だと作品の向こう側に他の絵画等の作品や来場者が見え隠れし、落ち着かない。作品が会場の真ん中に展示されていたからだが、展示にあたってこのあたりの配慮があるともっと良かった。

観て楽しくなるのはデュシャンの「グリーン・ボックス」。以前シュール関係の展覧会で観た記憶がある。有名な「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」制作にまつわるデッサン、メモなどを入れたおもちゃ箱のような作品だ。

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こんな作品を著名なアーティストからプレゼントされたら嬉しいだろうなあ。代々受け継ぐ家宝となるだろう。絵葉書は音楽ライターのハシビロコウさんに送ることにした。

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2011年4月 5日 (火)

モノクロームの抽象画?

次の写真は何でしょうか?

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抽象画のようだが、誰の作品かなあ?スーラージュ?いやちょっと違うな。

これは自動車か何かに見える。外国の絵本作家の原画かなあ?

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あれ、いくつか穴が見えるぞ。コンクリート地のように見える。すると壁画なのかなあ?

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おや、この金属棒らしき物は何だろう?

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作品にリズムと動きを与えるアクセントとして添えられたものか?

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でも、右下に見える金属棒を支える金具が何となく気になる。

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実は、これらは地元にある横断地下道の壁に塗られたペンキでした。金属の棒はてすりだよ。なあんだ。

2011年4月 3日 (日)

第30回選抜奨励展

「第30回 損保ジャパン美術財団 選抜奨励展」(損保ジャパン東郷青児美術館)に行った。毎回楽しみにしていて、期待通り満足して帰るという嬉しい展覧会だ。地震のため休館期間があり、予定した日に行けなかった。そのためこの展覧会も最終日に滑り込みとなった。

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♪川島信一の「BIRTH」はトロンプ・ルイユ的かつ幻想的で気に入った。このタイプの作品は、現代ではもはや新奇性を売りとすることはきないだろう。しかし逆に、既に古典化したともいえるこのジャンルにおける膨大な作品群の中で、目にとまるだけの個性をこの作品は発していると思う。描き方は堅実で、特に変わった点は感じない。その個性はどこから出てくるのであろうか。

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♪辻久美子の「太陽と木のはなし-page Ⅶ¬」(受賞作品は「太陽と木のはなし-page Ⅳ¬」)は具象でメッセージ性が強く金ピカという私が好まない特質を持っているにもかかわらず、その魅力に圧倒された。その理由はわからない。線と色彩が巧に構成されているので、抽象画に接する目で鑑賞してもそれに耐えうる作品に仕上がっているからだろうか。

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♪工藤明俊の「セピアの瞳」は楽しい。都会的センスと田舎の牧歌的おおらかさがミックスされた魅力を放っている。渦巻き状の構成も、また郷愁を誘う作品の魅力を引き出しているように見える。モノクロームの世界なのに、不思議と色彩感を感じるのは私だけであろうか。

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♪加藤雄太の「旅する舟のように」はシンプルだがその色彩の美しさに惹かれた。作者自身は「深く、強度を持った作品」を志向しているそうだ。画面全体が静かなので、「強度」というイメージに遠いように思ったが、逆にしなやかな強さがあるのかもしれない。

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その他にも観て楽しい作品が多かった。損保ジャパン美術賞を獲得した♪鈴木愛弓の「ゆく道は金木犀の香り もうすぐ冬が来る」は審査員がこぞって高得点を付けたということ.だが、素人の私にはその良さが理解できなかった。技術的なことなどを含め専門的な視点が無いからだろう。♪流麻二果は既に評価が定まった画家だと思うが、今回の「地鳴り/Call Note」も抽象と具象の間を行き来する不思議な空間があった。♪多田知史の「歩哨の恋(3)」は楽しい作品だ。どこか藤城清治の切り絵に似ている感じがする。しかしアイデアと描き方は個性的だ。

今回も楽しめた。次回も期待を裏切らないであろう。

グランヴィル展

「鹿島茂コレクション1 グランヴィル 19世紀フランス幻想版画」(練馬区美術館)に行った。震災への配慮で会期が延長されたが、本来なら最終日だった。私のアートの師匠であるF君からもらった招待券がドタン場で活用できて嬉しかった。F君いつもありがとう。

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実は私は社会的思想が盛り込まれたアートを好まないので、グランヴィルの作品の大半を占めるカリカチュアは性に合わないことがわかっていた。好むのは純粋な幻想版画だが、これらは数量的にはグランヴィルの全作品中、少数に限られることがわかっていた。それでもグランヴィルの技術の素晴らしさに圧倒された。

私が以前図版で接して好きだった作品は「もう一つの世界」シリーズの中の「夢の変容」だ。今回の展覧会では展示されていなかったかもしれない。

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その後「別世界通信」(荒俣宏著・ちくま文庫)の扉に採用された「鉱物と化した海草、貝類、石サンゴ」(同じく「もう一つの世界」シリーズに属する)という驚くべき作品に出会い、グランヴィルへの憧れが一段と高まった。その事をF君に言ったら、図版は「幻想の版画」(坂崎乙郎編著・岩崎美術社)に含まれていると指摘し、本まで送ってくれた。

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そして今回の展覧会に行った。少々残念だったのは、「鉱物と化した海草、貝類、石サンゴ」が展示されてはいたが、多色刷りだったことだ。彩色して悪いとは言わないが、この作品の場合はモノクロームで観ることにより、その幻想性が一段と高まる気がする。

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