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2011年1月 9日 (日)

鉄を叩く  多和圭三展

2011年1月9日(日)
「鉄を叩く  多和圭三展」(目黒区美術館)に行った。最終日だった。

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石の彫刻家、K.I.さん・K.S.さんのお二人と一緒で、折にふれ専門的なことを説明してもらった。つまり石の彫刻家の解説付きで鉄の彫刻作品を鑑賞したわけだ。何という贅沢なことであろうか。

素人目には、2階の小さめの展示室にあった「景色~伝承~」が印象深かった。入口を入ると手前には長方形で低いフェンスのような作品、奥には叩きによる装飾が施された台形状の作品が置かれて一対をなしていた。その装飾の美しいこと!そしてこの展示室全体が宗教の儀式を執り行う神聖なる場所のような雰囲気に包まれていた。

VTRで制作過程が紹介され、2階の広い展示室に置かれていた「ハッチング」も全体が花弁の集積のような装飾で囲まれて美しい作品だった。丸いハンマーで叩き続けるだけで、このような花びら状の紋様が浮かび上がるのだから不思議だ。

同じ展示室には大小4つの作品が1直線上に並べられていた。K.I.さんによると、多和圭三の作品は「もの派」の流れをくんでいるという。しかし「もの派」が作品を即物的に扱って物語性を排除したのに対し、多和圭三の場合は複数作品の配置の仕方に物語性が感じられるところが純粋の「もの派」と異なる点だという指摘もあった。

私としては、物語性は無くて構わないが、構成感を感じ取りたいという気持がいつも働いてしまう。そういう意味では、この4点組の作品には好感が持てた。

1階の展示室で観た「景色」という平面作品は、マーク・ロスコの作品によく似ていた。また2階には柱状の作品が4本並んでいた。これをある角度から見ると4つが重なって1本に見える。昔京浜工業地帯にあった「お化け煙突」のようなたたずまいだ。

ここしばらく石の彫刻に接する機会が多かったが、今回の展覧会で鉄も捨てたもんじゃないなと再認識した。声をかけてくださったK.I.さん、ありがとうございました。

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コメント

K.I.です。
面白い展覧会にご一緒できて楽しかったです。
この展覧会を見た後、一日たってから驚いたことがあります。それは最終日ということもあってたくさんの観客がいましたが、誰もが楽しそうだったこと。会場が明るい空気に包まれていたことです。一日たってからそうだったことを思い出し、思い出して驚きました。
重い鉄、最小限の表現、、、、それでどうして楽しかったり明るかったりするのか大変不思議です。
「そういう作品性なのだ」ということでしょうが、狙って出来ることではない筈で貴重です。
なんなのかなあ、多和氏のビデオがかもす「ひたすら感」が鍵なのかな、、、。テレビ東京で再放送の巨人の星を観るような楽しさがあるかもしれない。楽しく根性が叩き直される、ある意味で快感があるのかも。

K.Iさん、展覧会への声かけとブログへのコメントありがとうございました。

観客が楽しそうだった事について私なりの解釈を書きます。作品の多くは「無題」か、あるいは「景色」など求心性の弱い一般用語が付けられています。また作品に関するコンセプトなどもあまり語られていません。

このような場合、作者は素材をほぼそのままの状態で呈示するわけで、そのため観客はそれをいじる余地があります。例えば料理人が厳選食材だけ出し、客側が自由に調理する鍋料理みたいに。

観客が楽しそうだったのは、この「いじる」感覚だったのではないか、と思いました。そういう私も2階に設置された一直線上に並んだ作品群を見て「呪術的」、「宗教の祭事」などのコンセプトを勝手に付けていましたから。作者側からはそういう概念は発信されていませんでしたしね。

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