2011年1月8日(金)
「Domani・明日展」(国立新美術館)に行った。毎年楽しみにしている展覧会だ。
♪古郷秀一
古郷の立体作品は今回の展覧会で最も好感が持てた。最近私の趣味が平面より立体に傾斜しているという事も理由の一つだが、それだけではない。例えばチラシの裏面に採用された「木の回廊 Ⅷ」を観てみよう。
この作品は一つ一つ丹念に切れ込みを入れた木材のパーツを積み上げて作った数本のタワーで構成されている。各パーツは一つ一つ微妙に形と大きさが異なり、上面と下面は必ずしも平らではなく若干角度が付いているものが多い。従ってそれらを積み上げて形成されたタワーは(大げさにいうと)左右に振れながらなんとか垂直を保っているような感じだ。
一見、人工的・幾何学的に思える構成物が、そのディテールにおいては自然的・非幾何学的である。この相反する要素を併せ持つ作品というと大好きなブランクーシの彫刻を想いだすが、まさにそのような深さを備えた作品なのだ。
「限定と無限定」のシリーズからは、さらに強い印象を受けた。細くて短い多数の棒状のパーツがX状に斜めに組み合わさり、向こう側が見える半透明的な壁を形成している。これらのパーツが密集すると透過度が低く、色が濃く感じられる。閑散としていると、その逆に透過度が高まり、色が薄くなる。この「見えにくい・濃い」から「見えやすい・薄い」に向かって認められるグラデュエーションが、このシリーズの魅力の一つである。
また多数のパーツの集合体はほぼ直方体を形作っているが、その直方体の各面に相当する部分は平らになっている。まるで多きな鋏で切り取ったようだ。これは庭師による植木の剪定に類似している。そうやって眺めると、無機質のパーツが植物みたいに見えてくる。このような感覚は面白い。
♪流麻二果(ながれ まにか)
この作家の作品は2006年の「POLA新鋭展」、2008年の「選抜奨励展」で観ているので今回は3回目だ。ほぼ2年毎に観ていることになる。購入した絵葉書に採用された「静音」は、なかなかの作品だ。
流麻二果の作品は一見「熱い抽象」に見えるが、よく見ると人体の一部だったりするものが多い。頭が抽象→具象というシフトをすると、一種の眩暈(めまい)のような感覚が襲ってくる。
これらの作品は描き方が似ているので、そのうち「この作品には人体が描かれているか、いないか、どちらだろう?」と探すように見始めてしまう。ちなみに上記の「静音」はいくら見ても人体を見出せないので、完全な抽象作品だと思う。
また多数のデッサンを貼り合わせて構成した「165人+」と、多数の水引を結び合わせて構成した「縁引」(ゆかりひき)も印象深かった。
♪近藤高弘
「T.K-Self-portrait」は様々な装飾を施したライフマスク(風)の顔がボーリングのピンのように三角形状に並べられている。一番手前は1つ、次は2つ、その次は3つというように。ところがこの配列が途中で乱れるのだ。結果的に「1,2,3,5,6,6」という配列がなされていた。そのため、ある種の「ゆらぎ」が生じていたように思った。
♪近藤聡乃
「てんとう虫のおとむらい」というアニメ作品は見かけの可愛いらしさの裏に潜むグロテスクさが心に突き刺さった。美と恐怖が表裏一体となった作品はいつまでも頭から離れない。ジョイス・キャロル・オーツのホラー小説「コントラカールの廃墟」について、この作品を収録したアンソロジーの編者が述べた言葉を想いだした:
「美しい雰囲気の中に詩的な陰影が色濃く漂う、感動的かつ恐ろしい物語である・・・(中略)・・・この作品はわたしに取り憑き、今なお離れてはくれない。」
たまたま私の好みにかなったか、あるいは印象が強かったアーティストについて感想を書いたが、他の出展アーティストと作品も力作揃いだった。
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