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2010年10月31日 (日)

福島:熊いろいろ

会津の末廣酒造 嘉永蔵でのコンサートにからめ、福島県の各地を訪ねた。そして期待通り路上観察の獲物を多数発見した。まずは熊から。逆にこちらが獲物になってしまう危険性があるが(笑)。

福島県といえば会津磐梯山。紅葉の始まりで美しい姿が拝めるというので、磐梯山の眺望で有名な「昭和の森」に行った。当初、昭和天皇が来られて植樹のイベントが行われた際「天鏡台」と名付けられていた所だ。

案内の看板を見ると、右下に「主な動物」が紹介されており、「のうさぎ、りす、たぬき、きつね、いたち、てん」と書かれていた。あれ、熊はどうした?

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案の定、案内看板に矛盾して「熊出没注意」と書かれた看板が見つかった。熊の絵が添えられていたが、写真のようにリアルで怖い顔をしている。図鑑か何かからスキャンして取り込んだのだろうか。

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それに対してこの「熊に注意」では熊はイラスト化され、怖いなかにどこかユーモラスな感じが漂っている。同じ場所なのに熊に対する畏怖の度合いが異なるのだ。怖れてない証拠に、蜻蛉(とんぼ)が悠々と看板に止まっている。えっ、見えない?

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ほら見えたでしょ。

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場所が変わって、ここは有名な観光地「五色沼」。熊に一目置く儀式はここでも執り行われていた。この看板を見よ。

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五色沼の看板に描かれた熊のイラストは昭和の森の2つの看板と比べ、さらに優しさを増している。こんなに可愛らしい熊を描いたら、恐れを知らない子供たちへの警鐘の役目を果たさないではないか。

そうこうするうちに、こんな怖い物に遭遇した。

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これは何だ、熊と樹木が合体したミュータントか!

2010年10月29日 (金)

荒木敏子 布画回顧展

2010年10月28日(木)
「えっ!これが布? 布画のパイオニア 荒木敏子 布画回顧展」(珈琲・居酒屋・陶芸・ギャラリー『風海』(ふうみ):伊勢原)に行った。

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布画とは布を貼り重ねて作る絵のことだが、この技法を世界で最初に考案したのが荒木敏子だということだ。そしてその出来栄えは、まるで油絵みたいだ。キャッチフレーズ「えっ!これが布?」というのは決して誇張ではない。

さらに感動的だったのはこの魚と新聞紙を描いた作品を取り巻く額だ。これは荒木敏子のご子息・玉利要二氏の手作りだ。つまり「親子のコラボレーション」ということになる。荒削りながら、味わい深い額ではないか。

その他にも、竹を描いた布画には本物の竹の切り端を上下左右に置いて額としたり、麦藁帽子の頭の部分に切れ込みを入れ、丸くのぞいた穴から布画を見せたりと様々な工夫を凝らした展示を楽しんだ。

玉利要二氏は調律師であると同時にチェンバロ製作や古楽器の修復を手がける達人である。これらの額にもチェンバロ作りのエッセンスが注入されているのだろう。

帰り際、会場に来ておられた玉利要二氏から「布画の開拓者 荒木敏子の幸せ」と題した小冊子を手渡された。表紙の文字は玉利氏の自筆である。

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会場の「風海」はギャラリーでかつ居酒屋でもある。美味しい料理を味わい、地酒「菊勇」を飲りながらの鑑賞はまた格別であった。

2010年10月27日 (水)

会津・漆の芸術祭

2010年10月24日(土)
「会津・漆の芸術祭」の一端を鑑賞した。これは福島県の各地(会津若松市、喜多方市、三島町、昭和村)で同時開催されているアートイベントだ。

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いきなり暗い話で恐縮だが、会津漆器が不振をきわめ、倒産や廃業が相次いでいると聞く。会津漆器は歴代の藩主の努力により「堅牢美麗」な特産品として知られていただけに残念だ。

今回のイベントは、辛い時期を迎えている会津漆器の復興という困難なミッションを背負っているのだろう。漆産業だけでなく、会津の産業全体の底上げも視野に入れているに違いない。

会津の街中には多数の展示場が散在していたが、私はまずその中心ともいえる「漆の芸術祭インフォメーションセンター」(七日町通り)を訪れた。

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すると「Aizart」というクリエイティブ集団が「japan~アートと甲冑」という作品を展示していた。

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このグループは「アートで会津を元気にしよう!」というスローガンを抱えて活動していると担当の方から説明を聞いた。グループ名「Aizart:アイザート」は、会津(Aizu)とアート(Art)をくっつけた合成語である。不況にあえいでいる地元を何とかして活性化させたいという強い願いがこのネーミングに込められていたのだ。

それぞれのアーティストが同様の熱い思いを作品に注ぎ込んでいると思うと、個々の作品の観かたも変わってくる。例えば同センターにあった東北芸術工科大学・竹内研究室の「漆器のみち」という作品を取り上げてみよう。

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この作品を「アートで会津を元気にする」という視点から観てみよう。電球の傘に見立てられて提灯行列のように並べられた漆の椀の列は、この地で興され盛衰を繰り返した漆産業の縮図のように見えてこないだろうか。

何度か書いているが、私はコンセプチュアル・アートや社会派のアートをあまり好まない。しかし今回の場合、中心に置かれたコンセプトは「会津を元気にする」あるいは「会津漆器を復興させる」というようなものであり好感が持てる。そのため、展示作品も好意を持って鑑賞しやすい。

今回のイベントは、アートの力でシャッター商店街を救おうというものだから、アートが街に対して一方的に慈善を施す形のように見える。ではアート側にはメリットが無いのだろうか?

例えば私のようなコンセプチュアアル・アートや社会派アートを好まないお爺さんがいたとする。そのお爺さんも、会津の漆を救うという活動には共感を覚えるだろう。そして「Aizart」などの活動をもしそのお爺さんが賞賛するなら、「お爺さん、これは一種のコンセプチュアル・アートですよ」と説明してあげる。

以上のようなやり取りがあるなら、それは現代アートに眼を向ける人を増やすことにならないだろうか。つまり今回のイベントが「いい意味」でアートにもキックバックがあることになるのだ。この言葉に問題があるなら、アート側もある程度メリットを享受する仕掛けが考えられる、と言い換えよう。

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このイベントはよく実現したと思う。自治体に強力な理解者がいたか、アーティスト側にカリスマ的な指導者がいたか、あるいは両方か・・・。並大抵の努力ではこういうイベントは成立しないと思う。

例えば私が頭の固い役人だとする。そしてアーティストが今回の企画書を作って自治体へ協力を求めに来たとする。私はビジネスプランを要求するかもしれない。そして収支が合わないなら門前払いするかもしれない。

金額計算だけなら、このイベントはたぶん赤字であろう。アーティストたちがいくら手弁当で頑張っても、ポスターなどを作製する費用はゼロにはならないから。そして売るほうの経済効果は、その測定が困難である。イベントをやった場合・やらなかった場合の商店の売り上げの差異をどうやって導くか、これは難しい。

ただこういうイベントは金だけでなく、精神面の収支がある。「街を元気にする」というのは、内面においてイベント前より豊かになることを意味する。この内面的な収支は、圧倒的に黒字であろう。そうでなければ、イベントをやろうという気すら起きないはずだ。

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以上のような事が頭の中を巡り、多少混乱したが、イベントの一端を鑑賞した「読後感」は爽やかであった。

2010年10月26日 (火)

会津の酒造でのコンサート

2010年10月24日(日)
「ピアノ&歌 ワンコイン ファミリーコンサート ‘10」(末廣酒造 嘉永蔵:会津若松市)に行った。妻(仮名ジョアンナ)が賛助出演の形で参加したので、妻の業務出張に夫が遊びでついて行ったのだ。

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私は6人の出演者のうち半数以上と「カンケーシャ」の関係にあるので、感想が書きにくい(苦笑)。オペラ歌手・右近史江がのびやかな声で歌っていた事と、マリンバの中村梓がシュアな演奏で安心して聴いていられた事を特記しておこう。

それにしても、お蔵でのコンサートはよく響く。由緒ある木造建築によるものか、はたまた「酒の精」が楽音をより美しくする魔法を施しているからか。

会場に展示されたアート(「会津・漆の芸術祭」参加作品)とのコラボレーションも見逃せなかったが、これに関しては別の記事を書くことにする。

2010年10月22日 (金)

ムジカポルト室内合奏団

2010年10月21日(木)
「ムジカポルト室内合奏団 第16回演奏会」(港南区民文化センター「ひまわりの郷」ホール:上大岡)に行った。

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私は二人のマリンバ奏者のコンサートによく出かける。その一人は、妻(仮名ジョアンナ)も時々共演する「ともよあずさ」の中村梓。そしてもう一人が今回の演奏会に出演した斎藤祥子だ。

私はマリンバの奏法については何もわからないが、二人とも演奏技術に関しては問題ない高いレベルだと信じている。一方、演奏技術以外の部分、言い換えれば広い意味でのパフォーマンス(マレットを振り上げたりするような「見せる」動作、舞台上での身のこなし、演奏中の顔の表情など)では現在ベテラン勢を追いかけて修行中という立場だと思う。

二人の間では先輩の中村梓が多少先を行っているようだが、いずれにしても二人の「パフォーマンス力」の成長を見守るのはコンサートの楽しみの一つだ。そして今回の斎藤祥子は、特に後半の演奏で笑顔が魅力的だった。

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なおこのコンサートで大きな収穫があった。私は演奏評は「書けない、書かない」というポリシーだが、その禁を破って書きたいことがある。それはフルートの河合沙樹の演奏だ。

これまで私は、フルート奏者は自己主張が強くアンサンブルに向かないという先入観があった。しかし河合沙樹はそれとは正反対に、他のパートに気を遣いながら調和を図ってゆくような演奏スタイルで素晴らしかった。こんなフルーティストがいたのか、と驚いた。

フルートが主旋律を受け持つ箇所では、もちろんメロディーラインを浮き立たせていた。しかし「私の音を聴きなさい」というようなきつさがなく、柔らかい音色で通していた。そして伴奏にまわったときは、旋律を鳴らす楽器に寄り添うようなサポート態勢にすみやかに入っていた。また全楽器が鳴る賑やかなところで伴奏にまわった際は、マルカート気味に吹き、どのような伴奏音型が鳴っているかを聴衆にわからせるような演奏をしていた。

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このメンバーは特殊編成なので、ほとんどの曲は出来合いの楽譜が無いであろう。だからメンバー自身が編曲したのだと推測する。そして各パートのヤル気を出させるように配慮された編曲のように聴こえた。達者なメンバーがいるのだろう。

2010年10月20日 (水)

小倉朗 室内楽作品展

2010年10月18日(月)
「没後20年 小倉朗 室内楽作品展」(銀座王子ホール)に行った。

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学生時代、私は時々ヴァイオリンを弾く友人を伴い、チェロを持って小倉朗の自宅を訪ねた。そこで様々なエピソードが生まれたが、それは機会があったら別の記事にまとめようと思う。ここでは作曲評論に絞って書きたい。

ただ小倉朗を個人的に知っていたという事情があるため、攻撃的な作曲評論はできない(笑)。良い話しか書けないわけだが、今回演奏された中で「弦楽四重奏曲 ロ調」は心底大好きな曲だ。だから自然体で書いても、それがそのままいい話になるので大丈夫だ(笑)。

「弦楽四重奏曲 ロ調」は古今東西の弦楽四重奏曲の中で最も愛する曲の一つである。何が良いか?私の考えを一言で言い表すと、『芸術音楽はこうあって欲しい』という音構成になっている、という事になるだろうか。

例えば第1楽章の第1主題を見てみよう。そしてまず旋律のリズムに着目しよう。♩♩♩/♪♪♩.♪/♩.♪♪♪/♪♪♪♪♩~という具合に小節ごとに異なるリズムが4小節間続く。つまりこの4小節はそれ自体が独自のリズム構成となっているのだ。そして旋律にはリズムだけでなく音高という要素もある。大雑把には、上行・下行という線がある。そして2音間の音程関係は、這うような2度から飛ぶような7度の跳躍まで様々な形がこの4小節間に散りばめられているのだ。さらにこの旋律には近代的な和声が施され、立体的な構成が成り立っている。このように、たった4小節の主題を取り上げてもこれだけ豊かな内容が盛り込まれているのだ。

他にも様々な作曲上の工夫が凝らされている。「そろそろ出て欲しいな」と思う頃にフガートが鳴るなど、ポリフォニーの技法も随所に見られて曲を面白くしている。第4楽章ではロンドの主題が途中で反行形になる。これはよくあるフーガの書法の一つだが、軽快なリズムに乗っているので重苦しさが無い。第2楽章の中間部は全楽器のピチカートで奏され、スイングするようなリズムを相俟ってユニークな効果を生んでいる。

だいぶ昔だが、ラジオのFM放送で巌本真理弦楽四重奏団によるこの曲の演奏が流れたことがある。私はそれをカセットテープに録音して、よく聴いていたものだ。それからだいぶ経って「日本の弦楽四重奏曲」という企画もののCDが出てこの曲が含まれていたので迷わず買った。昔からレコード、CD等の収集は趣味ではなかったのだが、この曲が入っているとなると話が違う。

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可能なら楽譜を入手して私が所属する「クワトロ半世紀」弦楽四重奏団でぜひ演奏してみたいものだ。こんな素晴らしい曲が出版されていないなんて、本当に淋しい。具体的なことは伏せるが、もっとつまらない曲の楽譜が堂々と売られていると思うと、憤りを感じる。

実は、これもだいぶ昔の話だが、遠山音楽図書館にこの曲の手書き総譜がマイクロフィルムに収められていることを知った。それを借りてパート譜を作ろうと思い、紙への出力を依頼した。しかし当時普及していた、いわゆる「青焼き」(湿式コピー)だったので非常に見づらく、この方法は断念した。この曲への情熱はその頃から芽生えていたのである。

2010年10月17日 (日)

室内楽マチネーコンサート

2010年10月16日(土)
「バロックから近代まで 室内楽マチネーコンサート」(大倉山記念館ホール)に出演した。

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演奏者については補足が必要だろう。過日になるが、1995年から2005年の10年にかけて同じ企業グループに勤める音楽好きが会社の研修施設の玄関ホールを拠点に年2回、コンサートシリーズを開催していた。しかしその施設の改築で玄関ホールが使えなくなり、このシリーズは中断されてしまう。

その後は一般のホールなどに活動の場を求め、音楽活動を続けていた。会社施設と異なりホールの使用料がかかり、演奏者が運営スタッフの役割も演じるなど苦労が増えた。でも自分たちのやりたい事を行うのだからメンバーはあまり負担に感じてない様子だ。今回演奏したのはその仲間だ。(以下「残党」と略記)。

なお私が所属している「トリオ・レヴリー」も賛助出演した。私は両方のグループに重複して名を連ねているので賛助とという意識ではなかったが。(以下「レヴリー」と略記)。

記録性を保つために、私の出演した5曲を列挙しておこう。
♪テレマン作曲「リコーダーと通奏低音の為のソナタ」ニ短調(残党)
♪シューマン作曲「幻想小曲集」作品88より第2曲「ユーモレスク」(レヴリー)
♪シューマン作曲「ペダルピアノの為のカノン風練習曲集」作品56より第2曲「速すぎずに」(レヴリー)
♪ショパン作曲 ピアノ三重奏曲 ト短調 作品8より第4楽章(レヴリー)
♪シューベルト作曲 ピアノ五重奏曲「ます」より第1,4,5楽章(残党)

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■テレマンの演奏解釈をめぐって
バロック音楽の時代では、楽譜に書かれた内容をもとに、演奏者が自由にアレンジして演奏することが通例だったようだ。そこで今回のテレマンの曲で、私たちも各自が装飾などをやりたい放題に行った。それを聴いていたトリオ・レヴリーの「じゅんちゃん」が打上げの席で「ロマン派の曲みたいだったぞ」と批判を投げてきた。バロック音楽は清楚なものというイメージを持っていたのかもしれない。

当時の演奏の録音が残っていないから証憑を示すことはできないが、バロック音楽の時代では、実際はかなり自由度の高い演奏が主流だったと思う。今回のリコーダー奏者(仮称:孫悟空)と私は大学でバロック音楽専門のクラブに所属していたが、その仲間でマニアックな人(仮称:博士)がいて、同様のことを言っていた記憶がある。「博士」は趣味がこうじて音楽学者になった理論派だ。

■チェンバロについて
今回のコンサートでチェンバロを使ったのは冒頭のテレマンの曲だけだった。この1曲ためにチェンバロを搬入するという贅沢なセッティングを行ったのだ。このチェンバロは日本人のチェンバロ製作者(仮称:仙人)が「残党」の一人の依頼で製作した楽器だ。

ちなみに「仙人」はチェンバロを作るだけでなく、古楽器の修復、ピアノ調律も行う達人だ。

■ショパンのピアノ三重奏曲について
チェロの名手に献呈されたというので、最初はチェロのパートが難しいだろうなあと予測していた。ところが実際はそれほどの難曲ではなかった。ショパンはこの曲とは別にチェロとピアノの為のソナタ(調性は同じト短調)を作曲しているが、これは本当に難曲で、私などは「一生弾けない曲」のリストに載せている(笑)。チェロのパートへの配慮としては、超絶技巧ではなく、ヴァイオリンと交互にチェロに旋律を弾かせるというような点かと思った。

余談だがこの「一生弾けない曲リスト」にはサン・サーンス作曲「白鳥」も載せている。この曲はゆったりした旋律が流れるだけで速いパッセージなどは無い。そのため一見易しそうに見えるが、どっこいこれが難しい。どう弾いてもサマにならないのだ。この「白鳥」を満足に弾ける人は達人だ。

■「ます」の演奏について
今年の2月、横浜市イギリス館でのサロンコンサートで「ます」を演奏したが、その時はダブルベース奏者がいたので、私は本来のチェロのパートを弾いた。これが難しくて難儀した。

それに対して今回は「残党」にダブルベース奏者がいなかったこともあり、私はダブルベースのパートを1オクターブ上げた「第2チェロ」のパートを弾いた。シューベルトのオリジナルではないが、出版社が配慮して加えた譜面であろう。前回に比べ、演奏が易しいので気楽に弾けた。今回の第1チェロのパートは有力アマチュアオーケストラのチェロのトップを弾いた人(仮称:名手)なのでサラサラと弾いていたのはすごいと思った。

チェロのパートでは、特に第1楽章の提示部と再現部に出てくる三連符の連続が難所だ。2音弾いたら弓を返して1音弾く・・・この繰り返しである。1音当たりの弓の移動距離が同じだったら、弓はだんだん端のほうへ寄っていってしまう。そのため最初の2音は速めに弾かなければならない。また音程も取り難い。さらに私にとって辛いのは、この音型が長く続くため、終わりのほうで指がつってしまうことである。今回はこの厄介なことを「名手」が受け持ってくれたので助かった。

それにしても暑くて疲れた。もう10月半ばだぞ。異常だなあ。

2010年10月11日 (月)

糸井邦夫 木版画展 尾崎放哉の詩

2010年10月11日(月)
「糸井邦夫 木版画展 尾崎放哉の詩」(art truth:元町と中華街の間)に行った。

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糸井邦夫は画家として児童画の世界で活躍しているそうだが、今回は趣を変えて大人の悲哀を伴ったダンディズムを版画に仕立て上げた作品のお披露目だ。

私はもともと尾崎放哉の自由律俳句が大好きだ。今回の展覧会も、尾崎に引かれて行ったのかもしれない。しかしアーティストの糸井もなかなか素晴らしい作品を造ってくれていた。

一緒に観ようと誘ったのは、以前同じ職場にいた「ブチョーサン」と「エビちゃん」の二人。エビちゃんが尾崎の句を好むのは以前から知っていたので、喜んで来てくれた。ひとおおり観終えたところで、各自が最も愛する作品を当てっこした。そしたら誰も互いの好む作品を当てることができなかった。各自の趣味はそれぞれ全く異なるということを思い知らされた。

糸井作品は造形的にも面白いし、独特の味がある。今後も継続的に作品を鑑賞したいアーティストだ。

2010年10月10日 (日)

Seiko Miyahara – Exhibition

2010年10月10日(日)
宮原青子の個展「Seiko Miyahara – Exhibition ― 引地川 河口から ― 「場所ということ」(gineta:藤沢)に行った。

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先日「第35回 藤沢美協会員展」で「通り過ぎた場所」を観たばかりだった。ちょっぴりキュビズムが入った構成感が心地よい。また淡いブルーを基調とした色彩も美しい。

イサム・ノグチの名を冠した作品もあった。どうしてイサム・ノグチ?という問いに対する回答を記すためには勉強が必要だ。

イサム・ノグチは野口米次郎が在米中にレオニ・ギルモアとの間に授かった子だが、この野口米次郎の墓が常光寺(藤沢)にある。従って、イサム・ノグチは藤沢と縁があるというわけだ。

すがすがしい作品が多く、楽しい個展でよかった。

2010年10月 8日 (金)

松崎滋の幻想世界 ―モノクロ銅版画の魔法―

2010年10月7日(木)
「松崎滋の幻想世界 ―モノクロ銅版画の魔法―」(ギャラリーかわまつ:神保町)に行った。

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松崎滋は1980年代に日本で作品を発表し、1988年に渡欧。そのままスペインのバルセロナに居を構えて制作を続ける銅版画家だ。遠く離れて活動しているため、日本ではほとんど名前が出ることがなかった。今回もどんなアーティストか知らないまま、何となく個展を観に行ったのだが、その作品の素晴らしさに驚いた。

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この作品は「夢草花図」シリーズの1作。妖異ながら清らかな美しさを併せ持つ幻想風景が広がっている。砂漠に月という組み合わせは稲垣足穂の「黄漠奇聞」を想起させる。その月を包み込むような大きな花瓶には、カラーなら毒々しい色あいをであろう華が活けてある。立て掛けられた梯子は花瓶の巨大さを示す物差しを演じている。背後に舞い上がっているのは砂塵であろうか。しかしその向こうの月が極めて明瞭に見えるのはなぜだろうか。

この作品、実はとても気に入ったので購入したのだ。それも私でも買える金額で。本来ならこのレベルの作品は高嶺の花であろう。松崎滋が日本で無名だったから低めの価格設定になったのだと思う。こんな素晴らしい作品を安く手に入れて巨匠・松崎滋に申し訳ないと思ったが、この作品を末永く愛するということで、どうか許して戴きたい。

夢を与えてくれるアーティスト・松崎滋の作品に接する機会を作って下さった「ギャラリーかわまつ」さんに感謝したい。

2010年10月 5日 (火)

藤沢美協会員展

2010年10月5日(火)
「第35回 藤沢美協会員展」(藤沢市民ギャラリー)に行った。

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私は次の作家の「カンケーシャ」あるいは知人なので感想を書けない(笑)。

♪各務鉱三(クリスタルガラスの皿と花瓶)
♪澤 昌男(油彩)
♪平松敬子(布・パルプのコラージュ作品)
♪平本公男(油彩)
(以上 五十音順・敬称略)

カンケーシャ以外の作家で印象に残ったのは次のとおり:

1.抽象作品
♪遠藤幸子「或る予感」(タイルの構成)
♪齋藤順子「清韻」
♪猿渡 隆「時の流れ」
♪田邊美津子「四季模様(緑の彩気Ⅰ」
♪蓮池高夫「生命」:半抽象。荒々しい中に構成感がある。

2.シュール・幻想・心象風景
♪小玉政美「時の情景」
♪齋藤洋由紀「鳳翼の彼方へ」
♪匂坂 均「時」
♪牧 正代「刻」
♪宮原青子「通り過ぎた場所」

3.その他
♪荒井晴子「春日、これから」:静謐な日本画なのに心象風景のたたずまい
♪石黒秀治「街のカフェ」:ムードがある。
♪大庭準一「炭化波文壺」(陶芸):構成感抜群。
♪熊坂兌子「巫女の家」(彫刻):不思議な個性を感じる。
♪丹羽精子「情景」:好ましい色調

以上は私の趣味に合った作品を列挙したもので、きわめて主観的な選定であることをお断りしておきます。そもそも私は抽象、シュールが大好きなので、どうしてもその分野かそれに近い作品を好きになってしまいます。そのため上記の選定には偏りがあることを認めます。

彩人展

2010年10月3日(日)
「彩人展」(栄区民文化センター・リリス ギャラリーB:本郷台)に行った。源由紀子先生と8人のお弟子さん達の作品発表の場である。

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案内ハガキが2種類あるが、これは女性4名・男性4名をそれぞれ紹介した形になっていた。面白い趣向だと思う。

作品には日本画が多く、一部水彩画もあった。日本画といっても、色彩が濃い作品が多く、ちょっと観ただけでは油彩のように見える作品が多かった。岩絵の具などを厚塗りした結果らしい。

このグループは「上郷・森の家」(横浜市栄区)を拠点に制作をしている。この施設は建築家・内井昭蔵の設計で、昨年暮れに世田谷美術館で観た「内井昭蔵の思想と建築」でも紹介されていた。あいにく私は行ったことがないが、自然に囲まれた素晴らしい環境だと推測する。そんな場で絵画の腕を磨くなんて羨ましい。

淡彩スケッチみゆき会展

2010年10月2日(土)
「第6回 淡彩スケッチみゆき会展」(ブラフ18番館:横浜山手)を観た。同館でのサロンコンサートの合間に寄ってみたのだ。重松深雪先生とお弟子さん達の絵画展で、淡い色調が中心の水彩画が中心だった。

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巧拙をいうなら重松先生が抜きん出ておられると思うが、お弟子さんの作品の中で「これはいいな」と感じたものが見つかった。差しさわりがあるといけないので、お名前と作品名は伏せておく(苦笑)。

ここで言いたかったのは、技術的な優劣はひとつの評価基準になるとは思うが、未だ発展途上の技術でも魅力あるオーラを発する作品を生み出せるのではないかという事である。そしてその人がさらに腕を上げたら、その作品はさらに輝くことになる。

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私が作品から強い印象を受けたお弟子さんの名前と作品名は密かにメモに書いておいた。しばらく時間が経過したとき、もう一度その人の作品を観たらどう感じるであろうか。そんなささやかな楽しみを与えてくれた展覧会だった。

2010年10月 4日 (月)

型絵染展

2010年9月25日(土)
過日のことだが、トリオレヴリーの練習に向かう途中、目についた展覧会があった。「松江まち 型絵染教室 型絵染展」(緑のギャラリー:みなとみらい)だ。

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同ギャラリーは、2005年に「松本千鶴植物画展」に行ったので存在は知っていたが、しばらくご無沙汰していた。今回、ギャラリー外に掲示されていた案内と、ガラス越しに見た作品が面白そうだったので立ち寄ってみたのだ。

型紙の図柄は上下左右に並べて繰り返される。従って、ある部分の上辺はその上に配置される図柄の下辺と合わされるので、図柄の端がぴたりと合う必要がある。これがずれると全体のデザインを損なうことになり大変だ。

幸い、指導者の松江まち先生がおられてお話を伺うことが出来たが、図柄の上/下辺、左/右辺は1ミリたりともずれてはならないそうだ。細かい作業に頭が下がる思いだ。

しかし型絵の魅力はそのような緻密さだけではなかった。「ハイカラさんがゆく」という作品を見てその奥深さに驚いた。縦長の四角の中に、下から上に向かって曲がりくねった道路が延びている。道路は石畳のようで、ハイカラな人物、自動車などがいくつか配置されている。そして画面の下が手前、上が遠方という遠近感を感じる。

しかし先に述べたように、上辺と下辺では図柄がぴったり合わさらないといけないから、一点透視のように下を大きく・上を小さくという遠近法を用いることができない。実際、描かれた人物などは上も下も同じ大きさだった。

しかし下から上へゆくにつれて小さく、遠くに感じるのはなぜだろうか?油彩などで「空気遠近法」を用いて表現すれば多少の効果はあるだろうが、型絵ではそれも叶わない。いったい何が遠近感を醸し出しているのだろうか?そのような不思議な奥行きをもつ作品に出会えたのは良かった。

2010年10月 3日 (日)

サロンコンサート:シューマンとショパン

2010年10月2日(土)
「サロンコンサート:シューマンとショパン」(横浜山手ブラフ18番館)に出演した。

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今年はシューマンとショパンの生誕200年なので私たちも特集を組んだ。さらにこの二人に加え、シューマンの妻クララの作品(ピアノ三重奏曲より第3楽章)も演奏した。

私たちのユニット(トリオレヴリー)は7年半前、2003年の4月に結成した。そして横浜市イギリス館で最初に演奏したのが、なんとこのクララ・シューマンのピアノ三重奏曲だったのだ。感無量。

3人は音楽の趣味が異なり、音楽に関する考え方も違っている。そんな3人がよく7年も続いた、とあきれる人もいる。客観的にみるとその通りなのかもしれない。しかし私たちを結びつけているのは、演奏後立ち寄るビヤガーデンでのビールであり、中華街での打上げで楽しむ紹興酒であり、二次会で時々ゆくギリシャバーでの松ヤニのワインなのである。アルコールを媒介とした結束力は強い。

記録性保持のため、プログラムのうちピアノ三重奏の部分を掲載しておこう。

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