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2010年8月28日 (土)

ジョンサン・ハーヴェィの室内楽

2010年8月26日(木)
ジョンサン・ハーヴェィの室内楽4作品(全曲日本初演)をサントリーホール(ブルーローズ<小ホール>)で聴いた。サントリー音楽財団サマーフェスティバル2010の一環で、ハーヴェィはそのテーマ作曲家だ。チケットは弦楽四重奏の仲間「上様」から譲ってもらった。上様、ありがとうございます。

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ハーヴェィの作品を聴くのはこれが初めてだと思っていたが、実は2007年に聴いたことがあったのだ。すっかり忘れていた。その感想は当時のブログに残されているので末尾に再掲するけど、まずは今回の作曲評論から始めよう。

♪スリンガラ・シャコンヌ~15人の奏者のための~
単調な感じで、途中で飽きてしまった。その理由を考えてみた。冒頭から終結まで終始15声部の多くが鳴っていた。その組み合わせはいろいろ変えているのだろうが、全体としては音の塊のように響くので変化に乏しいように聴こえたのだと思う。スコアを読みながら聴けばその重層的な味わいが得られて良かったかもしれない。

♪隠された声2~12人の奏者とCDのための~
この曲も面白くなかった。作曲者自らが書いているように、主要素材をアンサンブルが意図的に覆い隠す部分が多かったからだろう。このような試みがいけないというわけではないが、これは多分にコンセプチュアルな要素が強いやり方だ。音の洪水に埋没した主題を探し当てるというクイズ的要素を強調したほうが受けたかもしれない。いずれにしても説明を付加しないと楽しめない種類の作品と言えよう。

♪シェーナ~ヴァイオリンと9人の奏者のための~
前の2曲が芒洋(ぼうよう)とした感じだったので、この曲は対照的に分かりやすく、私のような素人にも楽しめる内容だった。独奏・リピエーノ含めて10の声部で構成されているが、それらの組み合わせが「いい意味で」薄く、旋律と対旋律・伴奏音型がくっきりと聴こえた。例えばショスタコーヴィッチのピアノ五重奏曲を思い出してみよう。全員の重奏部分は少なく、実質上、二重奏や三重奏を繋いで曲が構成されているので個々の声部が把握しやすい。あるいはリヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲の特に木管アンサンブルの部分とか、マーラーの交響曲の意図的に薄い編成で書いた部分なども類似している。

ただ楽器の配置についてコメントがある。ピアノに内部奏法を要求した箇所に関してのことだ。ピアノの近くにはハープとギターが配されていたのだが、それらの音がピアノの内部奏法の音色に似ていたため、分離して聴こえず、まとまって一種のクラスターのように響いたのだ。これは作曲者の意図だったのかもしれないが、私としてはこれらの3つの楽器を離し、音色の微妙な相違を愉しませるほうが得策だったと考える。

なおダブルベースにはかなり多くの部分でコル・レーニョ奏法を求めていた。結果として飛び跳ねるような歯切れの良い演奏でリズミカルな楽しさが増し良かったのだが、弓がさぞかし傷んだことだろう。弓がかわいそうになって感情移入してしまった。

♪弦楽四重奏曲第4番~ライブ・エレクトロニクスを伴う~
ライブの演奏音を採録し、それをある時はリアルタイムに、ある時は時間遅れで流し、ライブ音とのからみ合いを構成するという音楽だ。音の強弱、音色も同じだったり変化させたりしていたらしい。また採録音はホールの各所に設置されたマイクから順次送り出されるので、空間的な音構成ということもなされていた。

全体として、起承転結とか盛り上げという点に不満が残った。例えばライブ演奏をセンサーで測定し、演奏者がクレッシェンドし始めたらリアルタイムで同様の措置を施して採録音を流せば盛り上がりの効果が倍増すると思う。しかし今回使われた音響技術ではそのような措置が無かったと思う。また全体の流れという要素はプログラムに組み込まれていたのだろうか?何となくライブ音と採録音の係わりに方向性が感じられず、漫然とした感じに終ってしまったのは残念だ。

***
最後に2007年11月に聴いたハーヴェィの曲について触れておこう。場所はトーキョーワンダーサイト渋谷。竹ノ内博明ピアノリサイタル「喪失と回帰」で演奏された1曲がハーヴェィの♪「メシアンの墓」と「イェイツによる四つの映像」だったのだ。

当時のブログを再掲する:
http://giovannikki.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/
私はこう書いていた:
ジョナサン・ハーヴィーの「メシアンの墓」はCDで鳴らす音とピアノの生演奏とのからみが面白かった。一種のヘテロフォニー効果が生じていたようだ。

同じくプログラム最後に置かれたジョナサン・ハーヴィーの「イェイツによる四つの映像」では、ピアノの内部奏法で低音を叩き、くすんだ音を出していた。これが普通の奏法だと音が大きすぎて高音の部分を聴きにくくしてしまうだろう。そういう配慮かと思った。

高音と言えば、全体に共通していたのは、高音で奏される不協和音が鐘の音のように美しく響いていたことだ。ペダルを上手に使っていたのだろう。

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