磁場を持つ地場
最近、地元志向が強くなってきたように感じる。生まれ育った故郷の気候風土や文化に慣れているため、そこに我が身を置くだけで心地よい。こういう事を思うのは、それなりに年をとったせいかもしれない。
また地場への回帰は、幼なじみの友人との互助的な意味合いもある。個人的経済力の低下に不況が追い討ちをかけ、仲間同志で助け合うことが切実な課題となってきたからだ。これは企業グループが、その勢力圏内に閉じた受発注に限定することにより、資本系列の中だけでお金をぐるぐる回すことに似ている。
このように、地元には私たちを引き寄せる磁力が働いている。つまり故郷には「磁場」があるのだ。そしてこの磁場は、単に吸引力として作用するだけでなく、文化的なものを手繰り寄せる魔力も有しているらしい。
一方「情報発信」という言葉がある。最先端のものを産み出し、その情報を他の地域、企業、人に向けて供給するということだ。これまで私はこの情報発信が有能さの象徴として極めて重要なものだと信じていた。
しかし最近考えが微妙に変わってきた。新奇で新鮮な情報は、常に他に向けて発信するほど産み出せるものなのだろうか?それは非常に困難ではないか?
ここで磁場の力を振り返ってみる。磁場があるところには、情報が引き寄せられて集まってくる。これは情報発信の逆で、ある意味「情報収集」だ。しかしその本質は異なる。他から発せられた様々な情報が磁場のあるところへ終結すると、そこが情報のるつぼとなり、情報同士がぶつかり合い、作用し合い、互いを変形させ、変異させてゆく。そこに全く新しい情報が誕生する。
思えば、人間の成長も同様ではないか。誕生して以来、他人からの情報を受け付けず、「唯我独尊」で一生自ら情報を発信し続ける人間が存在するだろうか?人間も他人からの膨大な情報を吸収し、噛み砕き、整理してゆくだろう。そしてその結果として、自ら新鮮な情報を発信できるようになってゆく。
こう考えると、私たちの地元は、これから私たちが育てる赤子のような存在なのではないか?私たちがアンテナの役割を果たし、情報を供給してやることにより育つのだ。
このような過程を経て成長した地元は、部分的には他地域の文化と類似していたとしても、全体としてはユニークなものになってゆく。そしてそれから始めて他地域に向けて「情報発信」ができるようになる。
「磁場を持つ地場」・・・これが私がこれから取り組もうと思っているテーマだ。そして私は喜んでアンテナの役割を担おう。そのためには、地元志向と一見逆の動きに見えるが、広く外の地域へ出てゆき、人と接し、他流試合を試み、その過程で得た情報を持ち帰るようにしよう。地元志向とは、ある意味外へ向かう志向でもあるのだ。
「地場の孵化器」はどこに設置しようか?友人が酒を持ち寄って集う「アトリエ」かな?アトリエの主人さま、ぜひよろしくお願いいたします。
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