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2010年7月29日 (木)

大矢素子 オンド・マルトノ リサイタル

「大矢素子 オンド・マルトノ リサイタル」(東京オペラシティ リサイタルホール)に行った。

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この電子楽器の存在は知っていたが、実際に聴いたのは今回が初めてだった。自分が事前に思い描いていた音色と同じ側面・異なる側面の両方があり興味深かった。また5人の作曲家による6曲の作品も当然ながら初めて接し、久々に作曲評が書けるので嬉しい。(以下特に断りない限りオンド・マルトノ+ピアノの二重奏)。

♪オリヴィエ・メシアン「未刊の音楽帖―オンド・マルトノとピアノのための4つの作品」
メシアンにしては古めかしい和声付けがなされていたので意外だった。特に第4曲目では減七の和音を中心に組み立てられており、電子楽器の響きが無かったら古典音楽のようだった。
途中でピアノが鳥のさえずりを模したパッセージを受け持っていたが、小気味よいタッチで好感を持てた。オンド・マルトノとピアノの調和という点では、まあまあのレベルだったかと思う。

♪伊藤美由紀「空間透明度Ⅱ」
冒頭で騒音ともいえる大音響が響いたが、あまりうるさく感じなかった。ピアノが弱音ペダルを踏みながら鍵盤を強打したような奏法だったからなのか。作曲者によると建築家ルイス・バラガンの自邸から受けた印象に基づくとのことだ。建築作品は厳密に計算された設計の側面と、コンセプトやイメージを押し出す側面の両面を有しているが、この曲は特に後者(コンセプト)寄りの印象が強かった。

♪トリスタン・ミュライユ「ガラスの虎」
全体的に響きの面白さを重視した作品だった。特に空打ちのトレモロはざわざわした音の効果を導き出していた。

♪松平頼暁「Construction―大矢素子さんのために」(オンド独奏)
この作品では残念ながら音構成に対するセンスが感じられなかった。2つの音を同時に出せない楽器に二重奏のような効果を求めるというコンセプト上の冒険は面白いと思ったが、結果として鮮烈な響きを得られなかったのであれば、成功とは言えない。
また曲の後半で演奏者が手拍子、詩吟、歯擦音などを繰り出してパフォーマンスを見せていたが、演奏者が少々窮屈そうだった。譜面台を覗いてみたところ、それらのアクションは比較的緻密に楽譜に書き込まれていたらしい。それならばいっその事(この作曲者が以前行っていたように)図形楽譜などでおおまかな指示を出し、演奏者にのびのびと即興演奏をさせたほうが良い効果が得られたのではないかと思った。

♪原田節「ラス・アルゲッティ」(オンド+尺八)
オンド・マルトノはアナログ的で音を揺らすタイプの楽器だ。これにデジタル的なピアノを結びつけると、アナログ・デジタルの対比で音の構成がよくかみ合う。
しかしこの曲では尺八というアナログ的な楽器をオンドに添えた。従ってこの二重奏はアナログ同士の同質性のぶつかりとなり、本質的には相性が良くないと私は考えた。ある箇所ではオンド・マルトノに高音で揺らぎのない真っ直ぐな音を鳴らし続けさせ、尺八には本来のうねるような音で唱和させていた。これはオンド側をデジタル的にしたわけで、この箇所を聴いた限り私の考えは裏打ちを得たと思う。
ただし原田節はそのような事を承知のうえで、あえてアナログ同士を対峙させるという課題に挑戦したのかもしれない。

♪トリスタン・ミュライユ「拡がる鏡」
オンド・マルトノとピアノのかけあいが面白く書かれており聴きごたえがあった。音構成の芸術性において、今回のプログラム中最高位の出来だと思った。作曲者自身がオンド・マルトノの奏者というアドバンテージが活かされた逸品であった。

以上が作曲評である。私のポリシーにより演奏評は書かない・書けない。

最後に一言。プログラムに作曲者の紹介が無かったのが残念だった。オリヴィエ・メシアンと松平頼暁は知っていたが、他の3人は未知であった。

2010年7月22日 (木)

鎌倉花火大会

第62回「鎌倉花火大会」に行った。

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鎌倉駅で「鎌倉コロッケ」を購入。これをかじっておいたお陰で花火会場で飢えに苦しまずに済んだ。計画性の勝利だ。

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江ノ電の由比ガ浜駅で降り、海岸まで歩く。主目的はもちろん花火だが「路上観察」派の私は鑑賞スポットに到着すると、早速面白い物を探し回った。すると獲物がいた。題して「エル・グレコ描く背丈のある聖人がまさに月を捉えようとする瞬間の図」。うーむ、ちょっと苦しいか。聖人に見立てたのは閉じたビーチパラソルだよ。

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もっとマジメにやれと怒られそうなので本題に入ろう。でもデジカメが無く携帯で撮影したので、月は写っても花火はよく見えない。

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はっきり見えるようにと頑張ってもピンボケになる。

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おまけに花火の煙まで邪魔する。

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「月と水中花火のコラボ」だと主張しても、このひどい映像じゃなあ・・・。

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結局満足いく写真は撮れず仕舞いで帰路につく。

由比ガ浜の駅に向かう途中、ちょっと贅沢して「松原庵」でビールと鴨せいろを楽しんだ。雰囲気抜群。花火と蕎麦・・・これまたオツなものなり。

2010年7月19日 (月)

都築まゆ美展「夏の部屋」

都築まゆ美展「夏の部屋」(GALLERY CN:藤沢)に行った。

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鉛筆などで描いた下絵を画像処理で重ね合わせてプリントアウトしたというその作品群は、どこか不思議な雰囲気がある。それは人間の顔を大きめにして、意図的に五頭身にしたためだと聞いた。なるほど、確かにどの作品の登場人物も五頭身ぐらいだ。

でもそれ以外の理由はないだろうか?建物など背景のゆがみも一つの要因かもしれない。手描きと電子処理の同居も一因なのか?いろいろ考えさせられる作品だ。

2010年7月 9日 (金)

内田百音展

「内田百音展」(art truth:横浜中華街)に行った。

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Art truthさんがいつも送ってくれる案内ハガキを見て、これは楽しそうだ、こんなアーティストがいたのかと驚き、初日から足を運んだのだ。そして期待通り楽しい作品に出会えた。

アーティストの名前は「うちだ もね」と読む。画家モネを想起させる素敵な名前だ。またこの名前はもう一人の巨人を思い出させる。そう、内田百閒だ。

何も知らない私は内田百閒の親類かと画廊主に聞いてしまったが、実際はそうではなかった。そう思うのが自然だよね。しかしアーティスト本人としては、自分の才能と技術は自分自身のものだという誇りを持っているだろう。だから巨匠の親類という言い方は失礼にあたると思う。すみませんでした。

内田百音は今回のようにジョアン・ミロのような楽しげな作品の他、暗くて重苦しいモノクローム作品も描いていると聞いた。ぜひ観てみたい。今回は展示点数が少なく、内田作品の全貌に接することは出来なかったが、将来の楽しみが一つ増えたと考えよう。

2010年7月 8日 (木)

紀声会コンサート

「第33回 紀声会コンサート」(横浜みなとみらいホール 小ホール)に行った。

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でも前後に用事があり、第Ⅱ部の一部しか聴けなかった。妻(仮名ジョアンナ)がピアノで出演した2曲は逃さず聴くことができたので良かった。

演奏メンバーの中に妻以外にも知り合いがいるので、差しさわりだらけだ(笑)。しかも観客席にも知り合いの歌手が来ていた。そういうわけで演奏評はもちろん、得意の選曲・曲順評も書けない。残念だが今回は、このコンサートに行ったという記録を残すにとどめよう。

2010年7月 1日 (木)

落合多武展 スパイと失敗とその登場について

「落合多武展 スパイと失敗とその登場について」(ワタリウム美術館)に行った。

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これは一言で表現すればコンセプチュアル・アートの展覧会だ。以前にも書いたが、私はコンセプチュアルな作品をあまり好まない。しかし本来なら敬遠するジャンルの展覧会に敢えて足を運び、自分の幅を広げるのもまた良いことではないかと思っている。今回はそんな気持で覗いてみた。

結果的には、あまり感性に訴えてくるものが少なかった。今回は「外れ」である。作者には悪いが、たまたま私の好みに合わなかっただけのことだ。

そのような状態で、興味深い点を探したら何が見つかるか?私は♪「建築、彫刻、または何か」を取り上げたい。同じ大きさの四角い紙片に様々なドローイングが施され、横一列に並べられている。

感じ入ったのは、ヴァルター・グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエなど建築界の大御所(の作品の絵)がずらりと並んでいた点だ。「あっこの人の建築は観たことがある。この人のは写真で観た・・・」というように、過去の記憶が呼び覚まされ、一つの鎖となって繋がってくるのだ。これが作者の狙いだったかどうかわからないが、楽しさがある。

私の敬愛するブランクーシの「空間の鳥」(の絵)もちゃんと含まれていたので嬉しかった。こうでなくちゃ。

あと面白かったのは作者の言葉である。配布された小冊子に相矛盾する要素の同時体験についての言葉が連なっていた。例えばコーヒーとウィスキーを混ぜてアイリッシュコーヒーとして飲むと、酔いと覚醒を同時に味わうというコンセプトだ。これらの言葉を展示会場のあちこちにもっと散りばめたら、より楽しくなるのではないかと思った。

この美術館は一度チケットを買うと後日何回でも再入場できる。時間をおいてもう一度行ってみよう。今回気付かなかった発見があるかもしれない。

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