« 2009年 コンサートで賞賛したい人 | トップページ | 生麦行き »

2010年1月 8日 (金)

ともよあずさ(ピアノとマリンバ)

堀部ともよ(ピアノ)と中村梓(マリンバ)のユニットによるコンサート「ともよあずさ」(横浜みなとみらいホール 小ホール)に行った。

Photo

とても価値あるコンサートだった。それはマリンバという楽器が聴覚だけでなく視覚も楽しませてくれるからだと思う。演奏の動作を観ているだけで興味深いものがあるから。もう一つの理由は、このユニットが演奏そのものに徹し、トークなどの補助手段を排除して勝負しているからだ。補助手段なしでも充分楽しめるコンサートとして成立しているのは大きい。

強い印象が残ったり、興味深かった点を列挙してみる。

♪「リベルタンゴ」(A.ピアソラ作曲)
演奏者の意図とは無関係に、観客が勝手な方向に行ってしまうことがある。

今回の演奏会では、プログラムにはソナタ形式で書かれ芸術性を求めた楽曲もあれば、娯楽性を持った曲もあり、それらが適度に配置されていた。この「リベルタンゴ」は本来後者に属し、サロンでカクテルを傾けながら聞き流すのが似合いそうな音楽であろう。しかし私は、あたかも堅苦しい音楽を聴くかのように緊張してしまった。それはなぜか?

マリンバ奏者は、両手に2本づつマレットを持って演奏する際、音程の開きに応じてその角度を開いたり狭めたりしている。これは非常に難しそうなので、まずその技巧に注目した。これが緊張の始まり。ところが曲が進むにつれ、それだけではすまされなかった。

それはアーティキュレーションというか、フレージングというか、そういう側面だ。ヴァイオリンなどと異なり、ピアノやマリンバは1つ1つの音を打鍵により鳴らす。そのため隣りどうしの音を繋げるのが困難だ。そういうハンディを背負いながら、マリンバ奏者はスラーをかけてなめらかなフレージングの効果を出そうと努めていたようなのだ。そこにも注目し、緊張感が高まってしまった。

そしてさらに追い討ちをかけられたのは音色である。曲が途切れればマレットを持ち替えることができるが、フレーズが続いている場合は同じマレットのままで演奏を続けなければならない。そしてそういう状況で、同じ音でも音色が違って聴こえてきたのだ。これは叩き方を加減して音色を調節していたのだろう。特に低音のほうで顕著だった。

以上のように、音程、スラー、音色という複数の要素を高度にコントロールしながら演奏していたようだったので、どういう操作でやっているのかと眼を凝らして見ながら聴いているうちに、緊張が高まってしまったのだ。

そんなわけで、「リベルタンゴ」はお気楽どころか、真剣に鑑賞してしまった。私の勝手な憶測では、今回のコンサートでマリンバが最も難しかったのはこの曲ではなかったかと思った。以上の私の推測は、まるで外れているかもしれないが(笑)、少なくともそういうような「いい意味での緊張感」が醸し出されたステージだった。

♪「スカラムーシュ」(D.ミョー作曲)
以前、妻(仮名ジョアンナ)が2台ピアノで演奏したことがあるので、この曲には馴染んでいた。妻によると、マリンバが第1ピアノ、ピアノが第2ピアノのパートを受け持ったらしい。

この演奏で驚いたのは、ピアノとマリンバがよく合っていたことだ。速くて鋭いリズムの箇所でも、ぴったりのタイミングで垂直に合いながら進行していた。同窓のユニットで仲が良く息が合うのだろうと思ったが、それだけではないだろう。技術的なバックボーンがあってのことだと思った。

マリンバ奏者は打楽器専門家だからリズムに鋭敏で、高速でもピアノにぴたっと合わせているのか。いや、このピアニストは普通の奏者と違い、打楽器専門家並みのリズム感を持っているのか。たぶんその両方で、それに同窓の長いつきあいという要素が付いているからなのだろう。

2台ピアノの均一な音色に対し、ピアノとマリンバでは音色の対比もあり色彩感があって楽しかった。

♪「マーリン」(A.トーマス作曲)
実は、この作品は曲名だけ知っていたが一度も聴いたことがなかった。そのため、このステージは楽しみにしていた。この演奏で印象に残った点は「間」である。

「間も音楽になっている」という言葉を聞くことがある。もちろん「間」だけをつないだら音楽にならない。前後に音が鳴っていてこそ、その「間」が音楽の一部として活きてくるのだ。当たり前か(笑)。何が印象に残ったかというと、「間のリズム」である。

この曲は何カ所か「間」があった。ブルックナーではないが、陳腐な演奏だと「ブツ切れ」に聴こえてしまうだろう。しかしこの演奏では、全体がよどみなく流れていたように思った。というか、演奏中は全くそのようなことは考えず、後になって思いかえすと「間」が多かったなという記憶がかすめただけだ。

これはマリンバ奏者の鋭敏なリズム感により、「間」の微妙なタイミングがよくコントロールされていたからなのだろう。私はそれを勝手に「間のリズム」と呼んだ。新しい世界を知った思いだ。

♪「喜びの島」(C.ドビュッシー作曲)
私はピアノのおけいこを始めた年齢から起算すると「ウン十年のキャリア」ということになるのだが、悲しいほど下手で今は「ブルグミューラー」がよく似合う(笑)。まあ弾くのは下手だが、ピアノは好きで、特にドビュッシーは最も好きな作曲家の一人だ。

印象に残ったのは、ピアニストが腕を平行に保ち、上下の無駄な動きが少なかったことだ。途中、左右の手が交差する箇所があるが、片方の手がもう片方の上を越える際、ぴょこんと上がらないで、すっと横すべりするように運んでいた。50m障害走に例えると、ハードルを越える際にぴょんぴょん飛び上がらないで、上体がほとんど上下せずに進んでゆくような感じだ。これは観ていても好感を持てた。

そしてそれはマリンバ奏者も同じだった。マレットを上から振り下ろすような大げさな動作がなく、清楚な印象が強かった。これはこのユニットの魅力の一つかもしれない。

そしてピアニストは没入するような演奏スタイルではなく、楽譜を誠実にたどって「お客さまと一緒にドビュッシーを楽しみましょう」という姿勢を見せてくれていたようだった。これも好感度大。

音も綺麗だったな。ペダルをどのように使っていたのかわからなかったが、乾燥しすぎず、湿りすぎず、ちょうどよい響きという感じだ。抽象的だが、的確な言葉が出て来ないのでご容赦のほど。

その他の曲も聴いて・見て楽しかったのだが、以上のコメントで代用する。このユニットのコンサートは楽しいので、今後すべて足を運びたい。

« 2009年 コンサートで賞賛したい人 | トップページ | 生麦行き »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/163862/32910762

この記事へのトラックバック一覧です: ともよあずさ(ピアノとマリンバ):

« 2009年 コンサートで賞賛したい人 | トップページ | 生麦行き »

最近のトラックバック