茅ヶ崎市汐見台でのゲージツ写真
我、老愛玩犬(哲学者)と共に茅ヶ崎市の汐見台といふ海岸を遊歩せし。公道より逸れて細き田舎道を進むと、そこに車道下通過用洞穴(ほこうしゃよう・ちかどう)の開口部が有り。
洞穴には、浦島太郎ならぬ幼き子供が亀の背に乗りし姿を描いた壁画が有り。この絵はどこかの藝術品専門展示建造物(びじゅつかん)で目にしたことがあらふと思へど、記憶が甦らず。
洞穴の出口付近には火消依頼呼鈴(かさい・ほうちき)あれど、錆びてをり満足に作動する保証無きにして不安なり。
洞穴の反対側に出て我振り返ると、今しがた見た壁画が歪曲しており、名状し難い気分なり。
地上へと出づると眼前には大海原が広がっていた。我国高名小説家(かわばた・やすなり)なら「国道下の短い洞窟を抜けると、そこは海国であった」と記したことであらふ。浜辺には高波防御用人工岩石(てとらぽっど)が散見され、その向こうに観光名所有灯台孤島(えのしま)が遠望される誠に景色のよき場所なり。
ふと小道のほうを振り返へれば、蒼く塗られた一本の柱あり。長く延びた影が陽の傾きを示しておる。しかしここに記された「めーとる」とは如何なるものでござらふか?津波を案じて書かれた文書なるゆへ、長さを表す何らかの記号であらふか?
そしてまた大海に方に目を向けると、なんと景色が一変しておるではないか!
一瞬前に目にした高波防御用人工岩石(てとらぽっど)の数が異様に増殖しておる。これは如何なる呪術によりもたらされたのであらふ?
その妖術は我と愛玩犬(てつがくしゃ)にも向けられし候。この南蛮渡来精密写生画(しゃしん)を見よ。
眼前に細き川が流れておる。その対岸の防波堤に我と愛玩犬の影がくっきりと刻まれておるのが恐怖を誘ふ。まるで我と愛玩犬の魂が防波堤に封じ込められたやふではないか。
その対岸には何やら蠢(うごめ)く物がおる。よく見るとそれは無生物のようであり、また暗黒の世界で生を授かった不定形のものにも見える。
このやふな怖ろしい体験をしたゆへ、あわてて公道を目指して帰途につくと、そこには道標が立てたれていた。「S」やら「Km」やら意味不明の記号が記されておるが、馴染んだ地名(くげぬまかいがん)が認められたので心安らぐ。
この恐怖の界隈へは二度と行くまいと誓えど、「怖いもの見たさ」の性(さが)ゆへまたいずれ足を向けることになるやもしれぬ。
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