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2009年12月29日 (火)

茅ヶ崎市汐見台でのゲージツ写真

我、老愛玩犬(哲学者)と共に茅ヶ崎市の汐見台といふ海岸を遊歩せし。公道より逸れて細き田舎道を進むと、そこに車道下通過用洞穴(ほこうしゃよう・ちかどう)の開口部が有り。

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洞穴には、浦島太郎ならぬ幼き子供が亀の背に乗りし姿を描いた壁画が有り。この絵はどこかの藝術品専門展示建造物(びじゅつかん)で目にしたことがあらふと思へど、記憶が甦らず。

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洞穴の出口付近には火消依頼呼鈴(かさい・ほうちき)あれど、錆びてをり満足に作動する保証無きにして不安なり。

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洞穴の反対側に出て我振り返ると、今しがた見た壁画が歪曲しており、名状し難い気分なり。

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地上へと出づると眼前には大海原が広がっていた。我国高名小説家(かわばた・やすなり)なら「国道下の短い洞窟を抜けると、そこは海国であった」と記したことであらふ。浜辺には高波防御用人工岩石(てとらぽっど)が散見され、その向こうに観光名所有灯台孤島(えのしま)が遠望される誠に景色のよき場所なり。

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ふと小道のほうを振り返へれば、蒼く塗られた一本の柱あり。長く延びた影が陽の傾きを示しておる。しかしここに記された「めーとる」とは如何なるものでござらふか?津波を案じて書かれた文書なるゆへ、長さを表す何らかの記号であらふか?

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そしてまた大海に方に目を向けると、なんと景色が一変しておるではないか!

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一瞬前に目にした高波防御用人工岩石(てとらぽっど)の数が異様に増殖しておる。これは如何なる呪術によりもたらされたのであらふ?

その妖術は我と愛玩犬(てつがくしゃ)にも向けられし候。この南蛮渡来精密写生画(しゃしん)を見よ。

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眼前に細き川が流れておる。その対岸の防波堤に我と愛玩犬の影がくっきりと刻まれておるのが恐怖を誘ふ。まるで我と愛玩犬の魂が防波堤に封じ込められたやふではないか。

その対岸には何やら蠢(うごめ)く物がおる。よく見るとそれは無生物のようであり、また暗黒の世界で生を授かった不定形のものにも見える。

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このやふな怖ろしい体験をしたゆへ、あわてて公道を目指して帰途につくと、そこには道標が立てたれていた。「S」やら「Km」やら意味不明の記号が記されておるが、馴染んだ地名(くげぬまかいがん)が認められたので心安らぐ。

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この恐怖の界隈へは二度と行くまいと誓えど、「怖いもの見たさ」の性(さが)ゆへまたいずれ足を向けることになるやもしれぬ。

2009年12月28日 (月)

日常/場違い

「日常/場違い Everyday life – Another space」(神奈川県民ホールギャラリー)に行った。F君に誘われたのだ。

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6人の若手アーティストの作品を紹介する企画であったが、面白かったのは★雨宮庸介の「わたしたち」だ。狭い部屋にロッカーが並んでいる。そして壁面には映像が写されているのだが、それが観客のいる部屋そのもので演じられた不気味なパフォーマンスなのだ。そうすると観客はいま自分達がいるこの部屋でその奇妙なことが起こっているかのような錯覚に囚われる。

その他には★佐藤惠子の「変容」が独特の美しさを発していた。床のあちこちに置かれた木の切り株から上方にスポットライトが投射されているように見える。(実際は、光に見えたものは何本かの細い糸なのだが)。割られた食器を並べたインスタレーションもなかなか面白かった。

内井昭蔵の思想と建築

「内井昭蔵の思想と建築 自然の秩序を建築に」(世田谷美術館)に行った。

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収穫は2つあった。その一つは★「横浜市民ふれあいの里<上郷・森の家>」で神奈川建築コンクール優秀賞を獲得したという情報だ。先日おなじみF君と横浜市栄区の屋外彫刻を観て回ったとき、「上郷市民の森」という里山に登った。私は内井の作品がそこにあるのかと勘違いして「そんな建物は無かったけどなあ」と不思議な感覚に囚われた。

実は「横浜市民ふれあいの里<上郷・森の家>」は「上郷市民の森」は同じ栄区にあるが2Kmぐらい離れた別の場所にあったのだ。名称的にも、地理的にもニアミスしていたということになる。これにより、私と内井昭蔵の作品との距離がぐっと縮まった感じがした。

もう一つの収穫は内井が★聖書の写本を手作りしていたことだ。その絵の部分が絵葉書になっていたので購入し、音楽ライターのハシビロコウさんにも送った。

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何が収穫かというと、私も何か似たことを始めてみたいなと啓発されたことだ。文章部分は単に書き写すという単純作業だが、精神統一が図れそうな気がする。「聖書を清書する」というと得意のジャンルに飛んでゆくが、ここでは羽目を外すのをやめよう。書き写す対象はいろいろ考えられる。内井がしたように聖書でもいいし、写経もファンが増えていると聞く。あるいは洒落た詩でもいいな。

そして絵の部分に関しては、これは書き写しではなく自分の想像力で描くものだから、創造力を養うことができる。この「清書による精神統一と、描画による創造力養成」というダブル効果がこの営みの魅力である。

2009年12月26日 (土)

Xmasアートフェスタ

「Xmasアートフェスタ ~銀座からのおくりもの~」に行った。今年の5月に開催された「画廊の夜会」の年末版みたいな企画だ。

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「画廊の夜会」は1日だけの開催だが、営業時間を21時まで延長し、勤め帰りのサラリーマンでもゆっくり立ち寄る場を提供することにより、アート愛好家の裾野を広げるという企画であったかと思う。

これに対して今回の「Xmasアートフェスタ」は開催期間を1週間に延ばし、さらに1万円で買える作品を用意して「展示即売」的な要素を打ち出していた。(ただし営業時間は画廊によって異なり、17時頃に閉めてしまうところも多い。)

これら2つの企画を流れとして捉えると、「画廊の夜会」で裾野を広げるとともに敷居を低くし、「Xmasアートフェスタ」では「購入グセ」を付けさせるという段階を踏んだ戦略ではないかと考えた。そうすると次は「高いがいいものを買ってもらう」という段階に上るのか?

印象に残った画廊・アーティスト・作品を記しておこう。

♪千代春画廊では、笹本正明の作品が展示されていた。

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絵葉書に作られた「羽化」は幻想的な作品だ。顔だけ見るとまだ十代の女の子かと思われるが、服や彼女を取り巻く花や蝶の煌(きら)びやかさによって、妖艶な女がそこにいる。

♪ギャラリー坂巻では、青木瞳の細密画があった。

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絵葉書の「暗雲」をはじめ、海洋生物あるいはそれに似た形状のものを繋ぎ合わせて構成する作品が多かった。その精緻な線刻には畏怖をおぼえる。

♪ギャラリー川船は「歳末・Xmas正札市展」と称し、価格の下限を数千円まで落として気軽に購入できる体制と雰囲気を整えていた。これも一つのいきかたであろう。ヴンダーリッヒの作品が比較的安価で掘り出し物かと思ったのだが、微妙に好みに合わなかったので購入を思いとどまった。

今回は会期ギリギリで駆け回ったので落ち着いて観ることができなかった。来年はもっと余裕を持って行くことにしよう。

明治大学交響楽団 第86回定演

明治大学交響楽団 第86回 定期演奏会(新宿文化センター 大ホール)に行った。友人の指揮者・増田宏昭がタクトを振ったのだ。

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演奏評は書かない・書けないが、明治大学にはお世話になっている事があるので、「大変よくできました」と花マルを付けておこう。オーケストラをあまり好まない私が例外的に好きなブラームスの第4番を演奏してくれたのも、この高評価に一役買っていると思う。

演奏評ではないが、一つ感じたことを書こう。一般にあるパートが旋律を奏でていると、他のパートは相対的に音を小さくして旋律を浮き立たせるようにすると思う。もちろん今回の演奏でもその大原則は守られていたと考える。

ただし旋律以外のパートがオブリガートなど、対位法的に「面白く」書かれている場合は、それらの声部を「伴奏」に格下げして音量を小さくさせるのは、あまりにももったいないと思う。バッハのフーガなどが好例だ。

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そこで今回の演奏に戻ると、特にプログラムの最後・ブラームスの交響曲では旋律パートだけでなく、他のパートもよく認識できる音量で演奏されていたように聴こえた。これは指揮者が上記のような理由で、旋律以外のパートも音を出してよいという指導をしたのではないかと推測した。

そうすれば、旋律以外のパートを受け持つ奏者は嬉しくなり、演奏にも心がこもるという「良循環」を生むのではないか。

このような演奏方法だと、旋律の聞こえが悪くなり、すっきり聴こえないというデメリットがある。しかし私は曲の構造がよくわかり、面白く聴けるというメリットを優先するのがいいと考える。

以上の推測は正しいか的外れかわからないが、飲み会で指揮者に会った時にでも聞いてみることにしよう。

束芋 断面の時代

「束芋 断面の時代」(横浜美術館)に行った。

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束芋を始めて知ったのは2004年の春、「美術手帖」4月号(“いま世界を動かしはじめた最新アーティスト100人“特集)の誌上だった。

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同誌には高嶺格、野口里佳など現在高名になっているアーティストが名を連ねている。束芋は彼等と並んで紹介されていたわけで、この時点(2004年)で既に注目を集めていたことになる。その後、束芋は何となく気になるアーティストとなった。

束芋の作品を一度観てみたいと思い続けて2年が経過し、2006年の6月に原美術館で開催された「ヨロヨロン『束芋』」で初めて実際の作品を観た。この展覧会はテレビで紹介されたこともあり、若者が大勢押しかけて大盛況。目玉は「日本の台所」だった。

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この展覧会の感想を拙ブログに書いたとき、「美・混迷と創造-日本画の冒険者たち」(吉村貞司著・六興出版)から「日本人アーティストが西洋に負けない作品を作るために西洋遠近法の空間的閉塞性という弱点を発見し、無限の拡がりを得られる日本画の優位性を強調した」という内容を引用した。そして束芋はあえてこの流れに逆行したと書いた。台形状に配置したスクリーンがそういう印象をもたらしたのだ。

そしてまた2年が経過し、再び横浜美術館の「Goth展」で束芋の作品に再会した。

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この時点では束芋は既にトップアーティストになっていた。同展も束芋目当てに行ったのであり、案の定他の作品は面白くなかった。拙ブログでは「ギニョる」の感想として「単調なのだが不思議と飽きない」と書いた。

そして今年の「束芋 断面の時代」。率直に書くと、面白かったのは事実だが、初めて束芋の作品に接した時のあの新鮮な驚きは薄れていた。これは作品の質が落ちたのではなく、鑑賞する側が慣れたことに起因するのであろう。

今回はむしろ束芋の創作の原点を振り返るという機会になった。動画ではなく、その原画、あるいは独立したペン画が多数展示されていたからだ。それらの作品は非日常的なアイデアに満ちているのだが、エロティック・グロテスクという側面が一線を超えておらず、むしろ抑制されておとなしいという印象を受けた。そして大事なことは、大変上手だということだ。デッサンがしっかりしている人なのだろう。

今後、束芋は新たな仕掛けを作ってゆくのか、それとも既存の手法を堅持しながら完成度で勝負してゆくのか、ウォッチするのが楽しみだ。

職場のクリスマスイベント

勤務先のクリスマスイベントがあり、音楽の演奏で参加した。普段は殺風景な敷地にクリスマスのイルミネーションが飾られ、地元の人たちが多数来場されて賑やかだった。

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昔「孫悟空」というニックネームがあった(という微かな記憶)リコーダー奏者と「グリーンス・リーブス」、それから美形ピアノ連弾ユニットの一人と共にクリスマスキャロル2曲を演奏した。

小さな子供たちも聴いてくれていたが、演奏が地味だったので、果たして受けたのだろうか?

2009年12月23日 (水)

オペラ ピアチューレ 第5回日本公演

オペラ ピアチューレ 第5回日本公演 クリスマス ファミリーコンサート「ルーマニア・オペレッ界のヒロイン ソプラノ”Daniela Vladescu”さんを囲んで」(かながわ女性センターホール:江ノ島)に行った。

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妻がピアノで出演し、面識のある演奏家が登場したので怖くて何も書けない(笑)。もともと書かない演奏評なんて飛んでもハップン。江ノ島桟橋歩いて10分・・・まずい、いつもの悪い癖が出てしまった。F君に怒られてしまう・・・。

当然のことながら選曲評も書けない。よく知られた曲ばかりなので作曲評もダメ。編曲評もいろいろ差し障りがありそうで怖ろしい。結局あれもこれもダメという八方ふさがりの状態になってしまった。

さあ困ったぞ、どうしようか。チラシ評でもしようかな。緑の地に左上と右下に赤いリボンをかけ、鐘を吊るしたイラストが良かった。真ん中のキャンドルの写真もなかなかいい。白抜きの文字は雪をイメージして美しい。

あとは「全体構成評」(なんじゃそれ?)でも書こう。はるばるルーマニアから来られたダニエラ・ブラデスクさんはミュージカルのような曲が得意のようだった。子供たちと一緒に「ドレミの歌」などを披露。これが後半で、前半はオペラアリアなどが中心。両者を比べたら前半のほうが若干あらたまって少し硬く、後半はもっとくだけてさらに柔軟・・・という流れが作られていた。この全体構成は良かったともう(?)。

この「もう」というのは「思う」の誤植にあらず。あの諸井誠の名作「ロベルトの日曜日」の登場人物ロベルトの口癖だよ。

観客席の前にオーケストラピットならぬ「指揮者ピット」が設けられ、そこ指揮者が振ったのは、観客との距離を縮めるという意味でよかったと思う。指揮者は観客に背を向けてはいるが、特に前のほうの席にいる観客からは身近なところにいるので親近感がわき、演奏者側と観客側との交流が意識されるようになると考えた。

歌手で印象に残ったところ:早河明子さんの高音のピアニシモ、内田絵夢さんの様々な場面での歌い分け、竹村淳さんの堂々とした歌いっぷり、コーロ・ティンプロ児童合唱団のかわいらしさ、コーロ・ティンプロのパーティ場面のノリ、そしてダニエラ・ブラデスクさんの「歌のお姉さん的」なまっすぐな声。

終演後、江ノ島の桟橋は強い海風が吹いて寒かったのなんの・・・。

2009年12月21日 (月)

山手111番館のクリスマス

横浜の「山手西洋館 世界のクリスマス 2009」の一環で山手111番館に行った。同館はポルトガルのクリスマスを特集しており、テーマは「海から始まる煌(きらめ)きのクリスマス」。

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玄関を抜けると部屋の真ん中に大航海時代の船をイメージした巨大なアートが造られていた。

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その作品は上へ上へと伸び上がるようだ。

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山手111番館のクリスマス装飾は飾り付ける物やアート作品をどこに、どのように展示するかによって分類できそうだ。船にちなんだ大きな作品同様、床に直接置かれた大きめの作品が他にもあった。

これはドライフラワーや弦(つる)をからませて構成した面白い作品。

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クリスマスで床置きと言えば定番はクリスマスツリー。

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そして飾りつけは床から壁に及ぶ。壁に造り込まれた暖炉は美しく飾られていた。

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クリスマスでよく使われる円環状の飾りが壁を楽しくさせる。

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こちらでは、円環飾りの美しさを下に置かれた時計が受け止めている。

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同様に、壁を賑やかにさせる植物の飾りの下には青色が美しい陶板が置かれていた。

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壁に密着せず、少し前に吊るされて壁からの自立性を持たせられた作品もあった。こちらはタピスリー作品。淡い色調が美しい。

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また大航海時代の船を想起させる飾りは、照明器具に吊るされてコラボレーションを達成していた。

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一方、テーブルセッティングもクリスマス飾りの重要なポイントの一つだ。このダイニングテーブルの中央に飾られた果実はとても美味しそうなので食べてしまいたい。

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脇机など、小さなテーブルの上も小物たちで美しく飾られていた。

これは窓際に並べられたユニークな装飾。立方体のガラス容器に花弁が入れられ、強烈な個性を発揮している。背後の窓の飾りつけはこの花をよくひきたてている。

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こちらのテーブルの上には光るオブジェが数点。

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これは花束とクリスマスプレゼント。赤と金が、派手な色同志だがよく調和している。

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人形たちも楽しくて踊りだす。

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そういえば、部屋には床も壁の他に窓がある。窓の飾りつけも立派だった。

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良いデザインは細部にこだわる。この精密に作られたツリーを見よ。

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そして傘も見よ。

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これらの美しい飾りに堪能して最後に口直しに見ると面白いのがバスタブに入れられた巨大な葉。「これは何だろう?」という驚きがある。

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来年の2月にはここでサロンコンサートを行う予定だ。今回のような飾りつけは無いが、この館独特の美しさの中で演奏できるのは嬉しい。

イギリス館のクリスマス

横浜の「山手西洋館 世界のクリスマス 2009」の中心であるイギリス館の「スウェーデンボルグへのオマージュ」を観た。メンバーは「かつての少年少女探検隊」(略してKST)有志。

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西洋館8館それぞれ各国のクリスマスにちなんだ飾りつけを披露していたが、イギリス館ではその名の通りイギリスのクリスマスが扱われた。スウェーデンボルグとはスウェーデン人の思想家でロンドンでキリストの幻視体験をしたという説明があった。そして3人のコーディネーターがこのスウェーデンボルグへ捧げるオマージュを造ったのだ。

♪「赤い部屋:ガイア」は「円熟・芳醇・earth-energy・自己開花・完結」というテーマで強烈な印象を残す作品が展示されていた。

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この大きな図は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「人体図」にも似ているが少し違う。チェザーレ・チェザリアーノ版の「建築論」に掲載されている「ウィトルウィウス的人体図」あたりであろうか。人体がそのプロポーションにおいて「円熟」あるいは「自己完結」しているというメッセージのように見える。

そしてその手前には放射状に飾りが並べられている。近づいて見ると、ワイングラスと葡萄の飾りを主体としていることがわかる。

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葡萄は「円熟・芳醇」をシンボライズしたものだと思う。そしてワイングラスを配置することにより、キリスト教における血の暗喩がそこにあるのか。花が添えられているが、これは「自己開花」のイメージを強めるためであろう。

この人体図の脇にも左右に1つづつ大きなオブジェがある。

左側に置かれたオブジェは巨大な植物から延びた茎がいつの間にか透明な球体の中に入り込んでいるような形態をしている。床に太い茎が置かれているところを見ると、大地から養分を吸い上げる、つまり、「earth-energy」を譲り受けた植物が生長する様を表現しているのだろうか。また球体の中に入った茎は「完結」を表しているのか。

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一方、右側に置かれたオブジェも床から天井に向かって伸び上がるように作られているので「earth-energy」を意識したものであろう。この3つの作品群は迫力がある。

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♪もう一つの展示室「白い部屋:アカシア」は「浄化・再生・re-birth・存在・始まり」をテーマとしている。

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全体的に白を基調とした色彩は「浄化」をシンボライズしていると思う。そして植物が活き活きと伸びてゆくような形態は「再生・re-birth・存在・始まり」に合致している。では、この床に散乱した玉は何だろう。

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植物が生きる営みのために撒き散らされた種子を暗示しているのであろうか。しかしそれらの玉は美しく上品で、小さく目立たない種子にも輝きを与えようとしているかのように思える。

この「白い部屋」は玄関ホールに造られた作品に繋がっているような気がした。

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♪階段ホールにも飾りつけが施されていた。これは孔雀をイメージしているように見える。

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あるいは、動物(孔雀)と植物が渾然一体となった生命体の全体をシンボライズしているのであろうか。階段の踊場という移動のための場所にも、このような力強い作品が配置されていると楽しい。

イギリス館を後にバラ園に出て振り返ると、たそがれの館に灯りがともり始めたところであった。

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2009年12月16日 (水)

山手西洋館 世界のクリスマス:プロローグ

横浜の「山手西洋館 世界のクリスマス 2009」を観に行った。メンバーはおなじみ「かつての少年少女探検隊」(略してKST)のうち8名。

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今回の収穫は初めて「山手68番館」に足を向けたことだ。

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これまで横浜山手の西洋館は7館だと思っていたが、もう一つあったのだ。ただやはり他の7館に比べると陰が薄いようで、「テニス発祥の地」と言ったほうがわかりやすい。

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各館をつなぐ幹線道路となっている「山手本通り」からも少し奥まった所にあり、場所を探すのに少し手間取った。

回る順番に迷ったが、石川町駅側(ブラフ18番館、外交官の家)からスタートし、港の見える丘公園側(イギリス館、山手111番館)を終点とするコースに決めた。その理由は見学を夕方に終えた後の夜景の楽しみが大きいからだ。

石川町駅側(イタリア山庭園)は最も高い丘なのでそこからの眺めは抜群だ。

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しかし大丸谷坂は急なので、短時間に下に下りてきてしまう。これに対して港の見える丘公園側はスロープがなだらかなので、時間をかけて夜景を遠望できるメリットがある。

しかも最近整地されたばかりの「アメリカ山公園」を通り、これまで見たことがなかったアングルからの夜景も愉しむというおまけまでついた。正解だった。

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西洋館8館のクリスマス飾りつけを楽しんだ後は元町商店街でショッピング。

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中華街に移動し「大新園」で夕食。

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みなとみらい線で「新高島」駅に移動し、そこから徒歩で桜木町までイルミネーションの見物というフルコースだった。

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楽しかったなあ。

2009年12月10日 (木)

河口龍夫展

「河口龍夫展 言葉・時間・生命」(東京国立近代美術館)に行った。

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この作家は今回の展示作品に接した限りではコンセプチュアル・アーティストである。旧来の美術の愉しみ(構成、フォルム、色彩など)を期待したら、それは展示の最後のほうのわずかの作品でしか味わえないだろう。このチラシに使われた「睡眠からの発芽」などはそのうちの1つである。つまり純粋に造形美を追っても充分に応えてくれる作品だ。

これに対して他の作品群はコンセプトを味わいながら造形を観ないと面白くない。そして河口龍夫の場合は、このコンセプトがなかなか深いのだ。

例えば「無題」と名付けられた(?)いくつかの作品が並んでいる。それらはばらばらになったピースを組み立てると球や円錐になるという立体パズルの様相を呈している。

そのコンセプトとは:すっきりと組みあがった立体(球を例にとろう)からピースを1つ取り去ってみても全体としては球として認識できる。では2つ取り去ったらどうか、3つでは・・・。そして鑑賞者は「球」、「円錐」などという物の形の定義がいかに曖昧であるかを思い知らされるのだ。これは面白いコンセプトだ。このようなコンセプトがほぼ全ての展示作品に対して付けられている。

また「ラベンダーのプール」では会場に特設されたプールにたくさんの皿が浮き、その中には鉛に包まれたラベンダーの種子が置かれていた。その作品の近くに寄ると微かにラベンダーの香りが漂い、今流に言えば「癒しの空間」を現出していた。コンセプトだけでなく、「香り」という他の要素・側面も取り込んでいた。

以前にも書いたが、私はコンセプチュアルなアートが嫌いだった。今でもその余韻は残っている。この展覧会はつまらない作品もあったが、コンセプトと造形を含めて楽しめた作品も多かった。作者の造形力とコンセプト・ビルディングの両方における力量があったからだろう。

現代工芸への視点 装飾の力

「現代工芸への視点 装飾の力」(東京国立近代美術館工芸館)に行った。「河口龍夫展」とセットだ。

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現代の陶芸は本当に多様な作品で満ち溢れている。もはや流派で作風を読み解くことはできず、一人一人の作家がそれぞれ一つずつ流派を持っているという感じだ。さらに、一人の作家でも一つ一つの作品毎に作風が異なることだってある。

この展覧会では、そのような現代におけるアートの多様性を(陶芸に限定して)味わうことができて面白かった。けばけばしい作品も結構あった。本来私は装飾や色彩が過多のアートを好まないので、そのような作品ばかりが並べられていたら好感を持てなかったであろう。

しかしこの展覧会では全体的に「多様性」が主眼となっており、一人一人のアーティストや一つ一つの作品は「多様性の中での自己主張」をそれぞれしており、「個と全体」という視点で見たらそのマイナスイメージは弱まった。

中には異様なインパクトを受けた作品があった。女性作家であるにもかかわらず男性の視点であるかのようなエロスを押し出していたのだ。

材質感も様々だ。セラミック本来の硬さをそのまま見せている作品がある一方、一見布かと思うような柔らかさを表現した作品もあった。また花びらのような薄片を重ねたような作品も面白かった。

「河口龍夫展」と併せ、1枚のチケットで2倍楽しめたのは嬉しかった。

2009年12月 4日 (金)

院展

「再興第94回 院展」(そごう美術館:横浜)に行った。

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さすがに力作ぞろいで迫力ある作品が多かった。日本画に限定された展覧会だが、最近の日本画は洋画的な厚塗りもあれば、旧来の日本画的作品もあるという具合にバラエティーに富んでいて楽しい。

素晴らしい作品が多かったなかで、最も気に入ったのは♪三浦愛子の「賛美歌」(奨励賞受賞作)。人間の女性と動物の折り重なる光景が官能的であると同時に、構成的にも共感をおぼえる絵だった。

もう1作良かったのが♪麻生弥希の「輪廻」(同じく奨励賞受賞作)。モノクロームの線刻のなかに不思議な色彩感が感じられた。

他の作品で印象深かったものを列挙してみる。(出品一覧の掲載順)
♪後藤  純男   「厳冬の山峡」
♪福井  爽人   「白い風」
♪田渕  俊夫   「惶」(こう)
♪福王寺一彦  「三日月」
♪吉村  誠司   「澹」(たん)(水族館)
♪今井  珠泉   「静日」(せいじつ)(イヌワシ) 
     および  「静夜」(せいや)(流氷):文部科学大臣賞
♪荒木みどりこ「鄙の辺り」(ひなのほとり):奨励賞(無鑑査)
♪奥山 たか子「逢瀬」
♪日塔 さえみ 「法王庁宮殿へ」

この展覧会も面白いので毎年足を運びそうだ。

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