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本郷台・屋外彫刻の続きだ。前の記事では城山橋から「いたち川」を西へ向かい、花の木橋を過ぎた所までを書いた。そこから同じ川沿いの緑道を戻り、再び城山橋を起点とする。
こんどは「いたち川」沿いに、逆に東へと向かう。すると転落防止の柵の下に可愛いいたちの絵があり、数字が記してある。
「75m」というのは、城山橋からの距離みたいだ。そして川を見ると、そこには3匹のいたちが・・・。
と思ったら、それは写実的な彫刻だった。まるでいたちが水浴しているかのように、川の中に像が置いてあるのだ。表情がキュートだ。
後ろ向きだが、これもいい顔をしている。これらの作品は読み人知らずである。銘版がどこにも設置していない。
そして川沿いの緑道に曲線主体の抽象彫刻が現れる。山上(やまじょう)れいの「風譜 –trio-」だ。音楽を想起させる構成なので「譜」や「トリオ」という名前がよく合っている。
そこは栄区役所の入口だ。ウォーターフロントの区役所ってなかなかいいな。
区役所の中庭には、栄区の発足を記念した米林雄一の「時のサークル」がある。複合的な抽象構成で私好みの作品だ。
市役所と道路を挟んで向こう側には、栄公会堂と栄区スポーツセンターが隣接している。
敷地に入るところには、Tの字を並べたようなオブジェ群があるが、これらは作品として位置付けられていないらしい。
そして建物の玄関外には坂上直哉の「GREEN GREEN CIRCLE」がある。これも私好みの抽象彫刻だ。赤いのになぜ「GREEN」かというパラドックスも内包している。
建物の中には読み人知らずだが、壁面に大きな丸い作品が架けられている。
公共施設にも目を楽しませてくれるものが多くて楽しい。
本郷台駅から南下する道は鼪(いたち)川と直角に交差する。それが「城山橋」である。
この川は今回のシリーズで隠れた主役と呼べるほど重要な役割を演じる。そのいわれを説明したパネルがあった。
城山橋から「いたち川」に沿って西へ向かう。すると橋のすぐ近くに伏石康男の「歩み」がある。○、△、□を組合わせた抽象彫刻だ。この取り合わせは仙崖(せんがい)和尚の墨絵を想起させる。
川沿いの緑道を進むと立派な具象彫刻が見える。しかしその作品は警察学校の敷地内なので近づけない。観賞は断念してさらに先へ進んで海里(かいり)橋を過ぎる。
すると間もなく「いたち川」の中に三角形状に並んだ3つの石が見える。仙崖和尚の思想を李禹煥(リ・ウファン)が表現したような感じだが、これは作品ではなく偶然3つの石が並んだんだろうなあ。
すると緑道の茂みの中から佐々木実の「WOMEN」が出現する。「夜見たら怖いだろうな」とはF君の弁。確かに暗いところで急に出くわしたら引いてしまうだろう。
次は星野健司の「ライダー・トリックスターⅨ」。これも夜道で出会いたくない作品に属するかもしれない。とても良く出来ているとは思うが・・・。
ここで西方向への探索は終らせ、「いたち川」沿いに東方へ戻る。
おなじみF君が、横浜市栄区の屋外彫刻観賞に連れて行ってくれた。彼は以前に一度観て回ったことがあるので、その経験を活かして効率的に回ることができた。
私は「かつての少年少女探検隊」(略してKST)のイベントとして使えないかと思い、その下見を兼ねていた。そのため、今回の記事は記録性と企画への便宜を優先し、拙ブログの特色(?)である「強引なストーリー性」を作るのは控え、淡々と事実を列挙するようにした。
起点となるのはJR根岸線の本郷台駅。今回はイントロとして駅周辺の記録を書く。
駅前ロータリーには2つ彫刻がある。その1つは西川稔雄の「時」。紅葉を背景に立っている。
もう1つは大岩オスカール幸男の「木のポートレイト」。赤く塗られた人工の「木」が林立している。
この作品は多数のパーツから成り立っている。メインの「樹木」の近くの地面には「A」、「B」・・・とアルファベットが繰り抜かれた金属板が並べられている。
駅からすぐ近くには宇宙船が降りたったような「地球市民かながわプラザ」(あーすぷらざ)がそびえたっている。
その入口付近では川上喜三郎の「出逢」が出迎えてくれる。飛び出すクリスマスカードのような造りをしていて楽しい。
プラザの横の池に沿って詠み人知らずの作品群がある。御影石を丸く削った滑らかなオブジェが列をなしている。これは作品として認識されてないのであろうか?結構いい感じなのだが・・・。
プラザの裏側に回りこむと、そこには団塚栄喜の「影」がある。F君が前回来た時に見つけるのが大変だったという作品だ。黒く塗られた作品なので紅葉を背景にするとよく映える。
プラザから近い本郷台公園の入口には少年少女の並んだ像がある。これは過日、青葉台公園で観たものと同じ型から制作されたようだ。これはF君の指摘である。さすがF君。
柏陽高校の敷地の角に竹中健悟の「宙(そら)の彼方へ」が設置されている。素晴らしい作品だ。これはF君も同意した。
このように駅周辺だけでもなかなかの作品を観ることができる。本郷台、侮り難し。
「堀口泰造展」(藤沢市30日美術館)の一環として企画された「散策・まちなかアート」に参加した。雨天中止という案内だったので開催が危ぶまれたが、天気がなんとか持ちこたえたので実施された。
人間とは変わった生き物である。いや私が変わっているのかもしれないが、よその土地については好奇心をあらわにするのに、地元のことにはあまり関心を払わないし、知らない事が多い。その「法則」が今回のツアーで証明された。
以下は見聞した内容の「網羅性」には欠けるが、このツアーがいかに楽しかったかを綴ってみたものだ。
◆作り主の発見を待ちぼうけている石
「奥田三角公園」に着いたら「はっけよい」という木の彫刻作品があった・・・
・・・というのは嘘で、これは単なる砂場の遊具だった。でも何となく現代彫刻のように見える。いけない、いつもの悪い癖が出た。話を戻そう。
本題はこちらで、「待ちぼうけの石」という作品名が直接掘りこまれている。
ベンチか何かに腰掛けている人間の尻の形が認められるが、その周りは抽象的な形態で囲まれている。あまり長時間待ち続けたので、体が石化してしまったという物語を具現化したものであろうか?面白い作品だ。
しかし制作者を示す銘版やサインの類がどこにも見当たらない。誰か自分を作ってくれた制作者を探してください、と待ちぼうけている可愛そうな作品でもある。
◆路上観察応援物体
路上観察はどの街でもできる。この藤沢でも、注意深く観察すると「対象」(これはオブジェと読む)はいくらでもころがっている。
これは「待ちぼうけの石」のある「奥田三角公園」に向かう途中にある風化した標識。
道路から少しそれた所に立っているので、まるで「窓に入ってはいけません」と訴えているようだ。これは立派なトマソン候補だ。
路上観察の定番の一つであるマンホールの蓋も健在だ。昭和45年に藤沢市の「市の花」に制定された「フジ」がデザインされている。
これは植物図鑑のようだ。これもマンホールの蓋なのか?ずいぶん豪華な「作品」もあるのだなあ。
マンホールを見るために「下を向いて歩こう」を実践していたら、工事中の歩道脇に何やらレリーフのようなものが・・・。
これは魚の絵だった。目立たないところに意匠を施すこの職人魂!
ここは「OAKS MALL St.」(オークス商店街)と呼ばれる。その名前を記した兄弟オブジェはこちら。
というのはもちろん嘘だが(嘘が多くてすみません)、この作品を縦に3つぐらいつなげたら本当に「無限柱」みたいになりそうだ。これは「サムジュモール」(南仲通り)という商店街のために児玉慎憲によって制作された作品群の一つ「サムジュモールの波」だ。銘版には作品名が記載されているが、制作者名は無い。
この通りには他にも児玉慎憲の作品が並んでいる。通りそのものをテーマとした「サムジュモールの樹」、「サムジュモールの太陽」もそうだし、海をテーマとした「海行く物」、「海をのぞむオーケアニデス」、「海の形」もある。これだけ貢献しているのだから、児玉慎憲の名前の露出がもっとあればいいのにと思った。
◆片岡球子をめぐって
今回は片岡球子の存在がやたらに大きな催しだった。行政の中心・市役所に入ると「めでたき富士」という大きなレリーフがあった。造形はルイ・フランセンというアーティストが担当したと銘版に書いてあるが、原画は片岡球子である。
絵画と異なり、レリーフの場合はその盛り上がりが魅力となる。この迫力ある突起物の集合体を見よ!これは富士山のコニーデ形を象徴しているのではないか?
街に繰り出すと、トリック・アートの一種である「鞘絵」(さやえ)があった。わが街にもこんなものがあったのかと一同驚く。この役者の絵はどことなく片岡球子の描く人物画に似ている。
そのすぐ近くには「ちば 通 店街」という所々文字が消えている看板が。失った文字を元に戻すと、これは「橘通り商店街」と読める。歯抜けでも充分用をたすという考えがあるのか。
そして極めつけは、フランク・ロイド・ライトの弟子・遠藤新が設計した「旧近藤邸」を観た後にやってきた。まずは「旧近藤邸」をじっくり観賞しよう。
そしてそのすぐ近くのある場所に、何やら彫刻らしき物があった。それが片岡球子の作品に似ていたのである。「えっ、片岡球子って彫刻も作ったの?」と驚く人もいた。調査すれば事実が判明するだろうけど、それだと面白くないのでこの件はこのまま封印し、わからないまま放置しておく。事実が判明してしまうと、面白くなくなるからである。
◆出会いのとき
「奥田公園」の前庭には熊坂兌子(くまさかなおこ)の大きい作品「PEACE」が鎮座している。半抽象の形が美しい。
制作場が安田侃の隣という話を聞いて驚いた。そして、ツアーの後「平本公男展」に行ったら、なんと会場で制作者(熊坂兌子)に出会ったのだ。「PEACE」の制作者と出会ったのだから、私の生活には平和がもたらされるであろう。有意義な一日だった。
「Percussion Concert in Yokohama」(かなっくホール)に行った。
最近ファンになったマリンバの斎藤祥子は、作曲家・高橋幸代に委嘱した「for the blue」をソロで演奏した。作曲者自身の説明によると「海」をイメージした作品とのこと。そのテーマのとおり、寄せて返す波のうねりや、海岸のさらさらとした砂を想起させる音が聴こえてきた。
マリンバの前に添えられた小さなテーブルには、ワイングラスが数個置かれていた。中には白ワインのようなものが・・・。これは観客からボランティアを募り、演奏やパフォーマンスに協力した人に振舞うためのものか?
そのような期待は見事に外れた(笑)。これはグラスハーモニカだったのだ。ポーっという澄んだ音が微かに聴こえてきた。全体が静寂に包まれた曲なので、その中では以外な存在感がこの音にあった。
斎藤祥子の演奏は、マレットを持った腕をあまり高く振り上げない。無駄な動きがないように思えた。大音量で荒々しい音を鳴らすには不向きかもしれないが、繊細で優美な音向きなのかと考えた。
ユニークだったのは、リトミックの専門家・杉山智惠子と共演者・石田美智代による身体表現と楽器のコラボレーションだ。視覚と聴覚の両方を同時に刺激するこの形は、単に音を聴いているより総合的な味わいがあった。
杉山智惠子は、またアンサンブル曲「日本の四季」も編曲した。和声を意図的に旋律とミスマッチさせ、モダンな感じを出していた。近代曲に慣れてない聴き手には、和音の間違えというように聴こえたかもしれないが、そのギリギリの線を狙っていた感じだ。また随所に有名曲をコラージュし、サービス精神をうかがわせた。
MCを努めた橋本淳平は、冒頭に自作のパフォーマンス+楽曲を披露した。ユーモラスなパントマイムが受けていたようだ。秋田孝訓との小太鼓の共演では、バチを1本づつ持ち、交互に叩いてスピードを徐々に上げてゆき、ついには一人で演奏しているかのような音にもっていった。私は演奏についてわからないが、これは高度な技術だったのではなかろうか。
中山航介は演奏に加え、複数楽器のアンサンブル5曲のうち半分以上の3曲の編曲を受け持った。各パートに見せ場があり、よく考えられた編曲だと思った。
その他、前半で見事なデュオをみせ、その後も技巧的な演奏を続けた長谷川剛士と松本英之、それにエレキギターで迫力を添えてくれたゲストの吉岡大典も素晴らしかった。
「前半は発表会、後半がコンサート」と、若干批判的なトーンで言った人もいた。今回のコンサートは、そのような側面もあるだろう。しかし私はむしろ前半に置かれた演奏者自身にとってのチャレンジの場が、観客に対しても意欲的なオーラを投げかけ、それが高揚感をもたらしたと考えている。
むしろ、これをもっと進めて、演奏者の「実験の場」ぐらいに位置付けてもいいのではないか。その方が演奏者も真剣勝負となり、それが結果的に観客を喜ばせる演奏になるのだと信じたい。
この展覧会の名前は「にじゅういち」ではなく「にーいち」と読むらしい。名称の下に発音記号が添えられている。
お目当ては日本画家・神崎憲子の作品で、今回は2つの作品が展示されていた。作品を観て驚いたのは、それらの作風が全く異なっていたことだ。まるで別人が描いたみたいだ。
「ねむれよいこよ」はタイトルの通りほのぼのとした淡い色彩の作品。優しく暖かい気持になる。
これに対し「動労の後」はまるでロシアのアヴァンギャルドのポスターみたいだ。インパクトが強く、荒々しさを感じさせる。かみ合った歯車が工場での労働を想起させる。また画面のあちこちに古代中国の文字やアルファベットが散りばめられ、現実と虚構とを行ったり来たりさせられる。力作だなあ。
他には川上精子の「CANON」が面白かった。花の輪が列をなして川面を流れてゆく。その上には同じような花の輪が列を作って空中を漂っている。これらが呼応し合って音楽のカノンのように響いているのだ。
毎回楽しみな展覧会だ。次回にも期待したい。
過日、菅野陽展を観に茅ヶ崎市美術館に行った際、例によって「路上観察」を行った。
まず目を付けたのは入口にある美術館の看板。板の上に置かれたアーチ状の小屋根を見よ。
これは樹木の間に見える美術館の上部にある一対のアーチに呼応している。
このアーチによる統一感は、建物の下にある塀にも感じられる。顔みたいな造りで面白い。
美術館からこの塀のところまで視界を広げると、この庭園は形や色彩の構成に配慮されていることがうかがえる。
そして少し下りた所に突然出現する巨大な岩。犬のような形をしている。
岩石といえば、この庭園には石碑がある。これは「蟲」と題された、大好きな詩人・八木重吉の詩碑。
これは平塚らいてうの記念碑。「元始、女性は太陽であった」で始まる文芸誌「青鞜」(せいとう)を創刊した人だ。
そしてこれはその撰文。ジョヴァンニは写真が下手で背景が写り込んでしまったが、あしからず。
ここは何度行っても満ち足りた気分になれる場所だ。また行こう。
過日になるが、青葉台のフィリアホール・リハーサル室で小さなコンサートを開催した。その日、青葉台地区を散策したのだが、これが結構楽しかった。
な、何だこれは!どうして鉄人が青葉台に出現するのだ?敷島博士の自宅でもあったのか?私はマニアではないので、このあたりのバックグラウンド情報を持っていない。あしからず。この鉄人は美容院に隣接して設置されていたから、店主の好みなのだろうか。
というのは嘘でだが、それではこれは何だろう?何かしらの造形物に違いないが、その使用目的が読みづらい。これはオブジェに違いない。
陶芸教室のPRのために設置されたものだろうけど、面白い。おおきな壺にたくさんの小さな陶器が嵌め込まれた様相は、垂直に伸びる「親亀の上に小亀」を横に倒したようで楽しい。このオブジェに惹かれて教室に吸い込まれた受講者は結構いそうだ。
抽象に偏り過ぎたので舵を具象に切り直そう。題して「二人の子供の座像」。
「青葉台公園」の入口に設置された彫刻だが、銘版が見つからなかったので作品名も作者もわからない。そして材質は何だろう?長い間風雨に晒されて、表面が磨り減っているようだ。ただ、その効果というか、柔和な感じが醸し出されている。作家はそこまで計算したのだろうか?
秋晴れの陽光を浴びて、銘版も輝いている。
公園に来たのでそろそろ「青葉台」にちなんで青葉を観賞しよう。
この重層的な樹木と葉の積み重なりを見よ。これこそ「青葉台」に相応しい眺めではないか。異なる種の樹木が同居しているので、鳥たちが好みそうだ。
日本に生まれて良かったと思う瞬間がここにある。紅葉の赤は葉の緑と対照をなし、互いに引き立て合って美しさを倍加させている。
何となく邪悪な顔を連想させるが、見方によってはユーモラスでもある。この二面性はどこから来るものなのか。
未完成の顔だ。その不完全さが憐れみを呼び、同情を募る。その吸引力でこの公園は評価を保っているのか。
「落葉ハウス」という実用的なのかオブジェなのか判別しかねる物まで登場する。ここには邪悪になりきれなかった悪鬼が棲んでいるに違いない。
ここは松と鉄塔が高さを競う競技場だ。試合前の松たちの威容。勝利間違えなし。
背の高さで劣る松たちは、鉄塔の足組みにしきりにちょっかいをかけ始める。その程度の力で鉄塔を倒せるわけがないのだが、松たちのいじらしさに共感をおぼえてしまう。
「ニュータウンピクニック 遺跡をめぐるアート:アート展」(大塚・歳勝土遺跡公園、都筑民家園、横浜市歴史博物館)に行った。おなじみ F君の誘いに乗ったのだ。
最終日だったので「アート展」を鑑賞するだけにとどまり、次に列挙する面白そうな企画を楽しむチャンスを逸したのは残念だった。
アートフェスタ:アーティスト手作りグッズの販売
アートツアー:作家のガイドによる展示会場めぐり
ワークショップ:参加型のイベント
パフォーマンス:「タイムスリップオーケストラ」など
プレイイベント:お月見ライブなど
オモヤカフェ:古民家の喫茶コーナー
会場は博物館、遺跡、古民家の3カ所に分かれていた。全体をあえて一言でくくるなら、「インスタレーション」という概念が適用されそうな企画だ。アーティストが遺跡などの「場」に身を置いて、そこで醸成されるものを形にするというわけだ。
玄関を入ってまず出迎えてくれるのは、♪フランシス眞吾の「Bound for Eternity (red)」。「永遠への境界線」とでも訳せるかな。
ここは歴史博物館だが、人間の営みは歴史の基盤のうえに永遠に続くということを、この横に長く延びる作品によって思い起こさせるのであろうか。美しい水彩画だ。
インスタレーションの場合は言葉による「情報」によって結びつきを与えている場合が多いが、♪久村卓の「都築歴史博物館」という作品はその好例である。
博物館の屋上に、建物に組み込むように積み上げられた木箱。これらは博物館の倉庫に眠っていたものを持ち出し、人目につく場所に再構築したものだ。そのような説明がなければ、単なる箱の山で終ってしまうだろう。この「コンセプト」に支えられ、かろうじて生きながらえている作品の危うい立場がインスタレーションの魅力となっているのかもしれない。
ある「場」に「物」という夾雑物が混じり込む。その介入の仕方にはいろいろある。興味深いのは、その「場」と「物」との間の距離感だ。
距離がゼロだと「物」が完全に「場」に溶け込んでいることになる。大自然や建造物などの「場」の持つ本来の美しさを損なうことなく調和している状態だ。これは美しいだろうが、面白さというか、せっかくのインスタレーションの意味が薄くなってしまう。
♪鬼頭明雅の「Days in The Trees」の場合は距離ゼロではないが、その場にある樹木という自然物を「場」とし、これに巨石という、やはり自然物である「物」を組み込むことによりインスタレーションを構成している。
同じ自然物同士の組み合わせなので違和感が少ない。ということは、「場」と「物」の距離が小さいということになる。調和感が高いと言い換えることもできるだろう。そしてそこに「Days ・・・」という「コンセプト」が添えられる。この言葉を読んで、もう一度「作品」(「場」と「物」による構成物)を眺めることにより、樹木のなかを流れる日々を思い描くという時間が生まれる。
一方、「場」と「物」の間の距離が大きいと異質な夾雑物(「物」)に対して「場」が反発する。調和の美も崩れ、一種のストレスが生じてくる。その代償として、そこに新鮮な刺激が生じ、面白さや独特の感動が生み出される。
♪藤井志帆の「Part of Life ― 記憶のかけら」を観てみよう。
竹林という美しい「場」になにやら事件性を匂わす「物」が設置されている。これら2つの作品のどちらも、日常生活のある場面から人が忽然と消滅した事件を暗示している。そのような生々しい「負の刺激」から眼を背けようとして、周囲を見るとそこには美しい竹林という「癒しの風景」があり眼を休ませてくれる。この「負の刺激」v.s.「癒しの風景」という対立構図がこのインスタレーションの成り立ちそのものだ。
「場」と形状・機能の面において近しい側面を持ちながら、明らかに異質な「物」を配置したインスタレーションがあった。♪今井紀彰の「私の巣」である。この美しい傘のコンポジションを見よ。
これは今井作品の内側に入り込んで撮った写真だ。外観は次のようなものだ。
多くの傘の集合体が半球型に組み合わされ、遺跡の住居のようなたたずまいを見ている。周囲に遺跡群を見比べてみよう。
通常、傘は一人の人間が1本だけ用いて風雨から身を守る。ここではたくさんの傘が使われ、住居のようなものを構成している。その中に入れば1本の傘同様、風雨をしのぶことができる。しかしそれだけではなく、その中で寝起きし、食事を取り、生活に必要な物を作り、ゲームに興じることもできる。
1本の傘が風雨を防ぐという「単一目的」であるのに対し、この傘でできた住居は「マルチ目的」にかなっている。それに加え、観て美しいという付随効果もある。ここから、人々が生活することとは・・・と思いをめぐらせることができる。
こちらのコーナーでは彫刻作品の解体作業が行われていた。♪齋藤敏寿の「archetype 79911」だ。
鉄の骨組みに陶器のかけらが貼り付けられているような作品だ。通常、陶芸作品は一つ一つが独立した作品として造られる。この作品の場合は、さらに鉄骨というフレームワークに組み込まれる形で陶器が再構成されている。
これだけでも面白いが、撤去しないでこのまま残し、風雨にさらされたらどうだろうか。一部、脆弱な部分はそぎ落とされ、強靭な部分だけが残されるのか。また長い年月のうちには苔もむすかもしれない。骨組みが鉄ではなく、木などの自然物だったら長期間経過した後に骨組みが朽ち果て、貼り付けられた陶器のいくつかが残存するだろう。そのような状態を後年観るというのもなかなかオツなものだと思うのだが・・・。
遺跡でのインスタレーションという点で、最も素直な作品は♪金井聡和の「遠くから来るもの」かもしれない。
遺跡の周囲を飛行機がブンブン飛び回り、同時に亀がノソノソと歩き回るなど、「場」に対して「物」を率直にぶつけた素朴なインスタレーションである。この古墳が作られてからどれほどの時間が経っただろうか?その間、飛行機なら古墳を何周できただろうか?亀は?そのような悠久の時間経過を思いめぐらせる場がここにある。
インスタレーションは竪穴式住居跡の内部にも入り込む。♪奥野美果はワークショップを通じて「地中博物館@竪穴住居」という作品を提示した。
色ガラスの破片。たったそれだけの素材だが、それらがそっと置かれただけで独特の雰囲気が生まれる。「場」の持つ磁力を有効活用した例だろう。
これは作品ではないようだが、車輪と赤いポスター、植物のからまりが調和し、なかなか素敵なたたずまいを見せていた。
♪大塩沙永の「reaction and space_1」は普通の版画に見え、古民家とのかかわりあいが直接は伝わってこなかった。
でも無理に意味をこじつける必要はないのかもしれない。たいへん美しい作品だったから。
♪岡本敦生の「FOREST hole 1,2,3」は御影石の彫刻だという。
先日、知人の彫刻家・岩崎幸之助さんから御影石は大理石よりずっと固くて彫りにくいと聞いた。これらの作品は作るのが大変だっただろうな。解説を読むと「芯はただの空洞の連続体」と書いてある。実体をイメージしたものが実は「虚」(空洞)であるというのは面白いと思った。
今回はインスタレーションの様々な様相を味わうことができて楽しかった。F君いつもありがとう。
「復刻版クロカルコンサート~秋~」(フィリアホール・リハーサル室)にチェロで出演した。
「クロカル」とはクロスカルチャーセンターという施設の略称で、以前10年間にわたり年2回のコンサートシリーズを続けた場所だ。「復刻版」というのは、場所を変えて同コンサートを復興させたという意思の表れだ。
今回は、以前のシリーズではフルートを吹いていた仲間の一人が尺八をひっさげ、琴のプロと共に「春の海」を演奏したのが異色ステージだった。同じユニットで池上眞吾作曲「夏色のアダージョ」も演奏された。
以上で「春」「秋」が揃ったので次は「秋」だ。私はアンコール用に「小さい秋みつけた」を出演者9名全員で演奏できるように編曲した。ただ音を構成しただけではつまらないので、各楽器それぞれの出番を作った。比較的有名と思われる曲のさわりの部分を「小さい秋みつけた」の中に散りばめたのだ。
尺八と琴:「春の海」
リコーダー:テレマンのソナタ・へ短調 第2楽章
第1フルート:プーランクのソナタ第1楽章
第2フルート:同・第2楽章
ヴァイオリン:メンデルスゾーンの協奏曲 第1楽章
チェロ:バッハ・無伴奏チェロ組曲第1番
チェンバロ:バッハ・平均律 ハ長調
ピアノ:ショパン・英雄ポロネーズ
チェロではアンコールを除いて2曲に出演した。ヘンデル・リコーダーソナタの通奏低音と、ハイドン「ロンドントリオ」第1番だ。まあこれは出演したことの記録にとどめよう。
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