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2009年10月29日 (木)

ハワイでペン画:寒山拾得の図

ハワイ在住の頃、よくペン画を描いていた。今年の4月18日の記事のその一つ「蛙の絵」をアップしたけど、他にも自分としては棄てがたいものがあるのでシリーズ化してみた。

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今回は「寒山拾得の図」。やり直しがきかないペン画なので、ためらうことなく線を引かなければならない。その点を考慮して戴ければ、熊手は良く描けているでしょ?

2009年10月25日 (日)

中華街のギャラリー

知人3人の還暦祝いで中華街に向かう際、時間があったのでギャラリー巡りをしてみようと思い立った。JR根岸線の関内駅で下車。

まずは以前、即興演奏グループと共演したことがある ◆「ZAIM」。

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ここでは ♪「WONDERLANDSCAPE Vol.2 emptiness/fullness」が開催されていた。瀧健太郎、松本力、岸健太の3人の作家の作品を紹介する展示会だ。コンセプトは「充実(fullness)」している都市に「空白(emptiness)」が忍び寄るというものだ。

Emptiness_fullness

個人的には松本力の「絵巻物マシーン NO.1 アイロン台型」が面白かった。アイロン台の手動ハンドルを回して、巻き取られてゆく紙に印刷された文字を眼で追うという素朴な仕掛けだ。そのぎこちなさ、もどかしさが現代の都市生活を暗示しているように感じたからだ。

次は「ZAIM」前から日本大通りを港の方(北方)へ少し行った右側にある ◆「ギャルリー・パリ」。三井物産ビルの1階にある。

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ここでは ♪「朝倉摂新作展」が開催されていた。舞台美術家だが、この展覧会では猫の絵が多かった。私は猫に威嚇された体験があるので猫が怖い(子猫は大好きだが)。生きた猫が怖いと絵も敬遠しがちになる。

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すると、金庫扉のように丸いハンドルが付いている白いドアに眼がいった。花束を2つ添えてあるだけなのだが、洒落ている。「これも作品ですか?」と聞きたかったのだが、気おくれしてとうとう聞かずじまいだった。小心者の自分に「喝!」。

「ZAIM」まで引き返し、横浜公園の北のへりを東に向かい、「玄武門」を抜けて中華街へ。善隣門の手前を右折して西門通りを歩く。少し行くと右側に ◆「爾麗(にれい)美術」があった。中華街の雑踏の中にギャラリーがあるなんて嬉しい。

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ここでは ♪「昴の会・9」が催されていた。複数のアーティストの絵画を紹介していたが、特に斎藤晃の作品が楽しかった。

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西門通りを「延平門」のほうへ歩き途中を左折。しばらくすると ◆「ギャラリー・パストレイズ」があった。

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開催中だったのは ♪「釜ケ崎」。井上青龍の写真展だ。大阪の釜ケ先地域の写真を撮りためた写真家ということだが、今回展示の一つの作品の中に横浜のマリンタワーらしきものが写り込んでいた。

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展示作品は釜ケ崎で撮られたものが中心であろうが、一部他の地域(横浜など)も混ざっていたのか。小心者の私はギャラリーの人に尋ねずそのまま次へ向かったのだった。

「長安通り」を横断し、斜め左の「太平通り」に入り「朱雀門」のほうへ向かう。すると朱雀門に達する直前、パーキングの隣の少し奥まったところに ◆「art truth」があった。今年の8月にできたばかりの新しいギャラリーだ。還暦祝いの会に遅れそうになり、写真を撮るタイミングを逸したのは残念だった。

11月4日に始まる企画展までの間は ♪常設展示だった。このギャラリーの特色は体験型のイベントを取り入れていることだ。先般は木彫の面を彫る体験教室が開催されたとか。そして11月14日には「万華鏡製作体験教室」が開催されるとのことだ。面白そうだな。

こうして横浜を歩くと、「中華街の中にもギャラリーがある」など変わった刺激を受けることができる。そういう点、横浜は東京に比べて「個性的な街歩きができる」都市だと思った。

2009年10月18日 (日)

小さなおさらい会

妻(仮名ジョアンナ)と妻のいとこのお弟子さんたちの発表会「小さなおさらい会」のおまけとしてチェロで出演した。ヘンデルのフルートソナタ第3番ト短調をハ短調に移調して弾いたのだ。

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本当はバッハのフルートと通奏低音の為のソナタ ホ短調を弾きたかったのだが、原調でも何調に移調しても難しくて弾けない。止む無く曲目を変更したのだ。

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前半と後半に繰り返しがある楽章では、最初譜面通り簡素に弾いて、2度目はギンギラギンに装飾を入れて対比させようと目論んだ。しかしフルートやヴァイオリンのように細かい動きができず、自分のやりたいことができそうもなかった。そこで泣く泣く繰り返しは前半だけにして、2度目はトリルを多めに入れる程度にとどめた。

この組み立て方(前半は譜面通り、後半はめいっぱい装飾を入れる:便宜上「後半装飾法」と呼んでおく)は今回消化不良だったので、いつかどこかでやりたいと思う。次の発表会ではピアノで出ようかな。

今のところバッハの「フランス風序曲」が候補だ。ガヴォットなどは、まるで「後半装飾法をやってください」と楽譜が訴えているように感じる。ただ最近ピアノをあまり弾いていないので、この曲も弾けるところが限られている。今後の練習次第なのだろうけど、全曲弾けるようになるには時間がかかりそうだ。

100年前のピアノ サロンコンサート

「100年前のピアノ サロンコンサート」(横浜山手ブラフ18番館)に「トリオレヴリー」のメンバーとして出演した。今回自分が作曲・編曲した曲は演奏しなかった。

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このシリーズは前半がピアノ独奏、後半がピアノトリオという組み立てが多い。ピアノ独奏部分は「よいこ」が自分で企画する。ピアノトリオに関しては主として「じゅんちゃん」が推進する。私はそれに乗っかることが多い。そこで今回は彼ら二人が企画した自分たちのコンサートに対して専門(?)の「選曲・曲順評論」をやってみようかなと思った(笑)。

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前半(ピアノ独奏)は、まず秋にちなんだもの(「秋のメドレー」、「秋のささやき」、「枯葉」)で始まった。その3曲目「枯葉」はフランスのシャンソンだ。というわけで、その後はフランス人作曲家ドビュッシーの曲(「アラベスク第1番」、「月の光」、「亜麻色の髪の乙女」)が続いた。いい感じだぞ。

そしてそれは後半(ピアノトリオ)冒頭で演奏したドビュッシーのピアノトリオにそのまま繋がる。ここまでは完璧の流れだと思う。

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課題はその後だ。ブラームスの「ハンガリア舞曲」の第4,5,6番を続けて演奏したのだが、コンサート冒頭からの流れ(秋→フランス→ドビュッシー)を断ち切ってしまう感じだったのだ。唐突といえば唐突かな。でもよく知られた曲ばかりなので、それらを最後に演奏するのは聴く人の立場を考えてのこと(顧客起点)だな。まあいいか。

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というわけで、選曲と曲順はまあまあではなかったかという結論になった。しかし評論家というのはいい加減だね。自分で企画しないで、他人が作ったものを取り上げてあれこれ言うんだから。「よいこ」と「じゅんちゃん」も自分たちのユニットの内部に評論家がいるとうるさいだろうな(笑)。

2009年10月12日 (月)

ベルギー幻想美術館

「ベルギー幻想美術館」(Bunkamura ザ・ミュージアム)に行った。

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今回の展覧会はベルギーにおける象徴主義に、幻想の3大巨匠(アンソール、デルヴォー、マグリット)を加え、その全貌を見せようというものだ。それはベルギーにおける幻想絵画の全貌を見せるという企画だが、やや物足りなさを感じた。

一方、似た内容の展覧会「ベルギー象徴主義の巨匠展」が1997年に巡回していた(私は小田急百貨店での開催に行った)。こちらはミシェル・ドラゲ氏が展覧会を構成しており、純粋に象徴主義に焦点を当てていたので、幻想的という点では共通していても上記の3巨匠は対象から外されていた。

これは推測だが、今回の企画は象徴主義に限定すると集客に影響する恐れがあるので、昨今のデルヴォーとマグリットの人気にあやかって(一般的な)幻想絵画を加えたのではないか。それはそれでベルギーという地域性を軸に「幻想的な」絵画を集大成するという立派な企画だと思うが、やや拡散したきらいがある。

それに対してミシェル・ドラゲ氏の構成による展覧会は象徴主義に限定しており、一人の画家当たりの展示作品数も多い。私としては、こちらの方が象徴主義を深く掘り下げた感じを味わえて良かった。大好きなフェルナン・クノップフの作品も25ほどあり充実していた(今回のBunkamuraでは4作品)。

象徴主義は一つの思想を中心軸として進められた「主義」だから一貫性がある。従って、関係した画家の作品を並べてくれると、その主義の流れに沿って味わいを深めることができる。

これに対して(一般的な)幻想絵画は画家一人ひとり(あるいは個々の作品)毎に個性が異なるので、一人(一作品)と対峙して楽しむものだ。いわゆる幻想にはシュルレアリスムなどの動きもあったが、シュルレアリスムに沿った作品と言っても、本質的には一つ一つ別個のものであろう。シュルレアリスムはその印象が強烈だが、教義的な求心力は脆弱だったから。

そのため、象徴主義に「幻想」絵画をくっつけても、その分「拡散度」が増してしまい、展覧会としての密度を落としてしまうのだ。

今回はかなり辛口評を書いてしまった。真剣に企画に取り組んだ方には大変失礼をしたと思うが、上記は素直な感想だ。Bunkamuraには何回もお世話になっており、その質・量においては圧倒的なものがある。しかし今回の企画に関してはミシェル・ドラゲ氏構成のほうに軍配を上げたい。

金時山のバリアフリー樹木

金時山に登った。一緒に行ったメンバーは、「かつての(K)・少年少女(S)・探検隊(T)」(長いので以下「KST」と略す。)なんだか契約書の文言みたいになったな。

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KSTの平均年齢は結構高い。もうしばらく齢(よわい)を重ねると、社会的弱者として守ってもらう立場になりそうだ。金時山は、その日に備えて体制を整えておいてくれた。足が滑りやすい所にさりげなく出されたこの天然の手すりを見よ。

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題して「バリアフリー樹木」(Barrier-Free Tree)、略して「バリフリ樹:BFT」。この「バリアフリー」という言葉はKSTメンバーの一人「あんとき(A)・僕は(B)・カメラ小僧(C)」(略して「ABC」さん)のアイデアだ。ちなみにABCさんは「社長」と呼びたいのだが、もう一人社長と呼びたくなる重鎮(これまで「教授」と呼ぶのが慣わしだった)がおられるので二人を区別するために急遽設けられたコードネームだ。

今回KSTは乙女峠から長尾山を経由して金時山を目指すコースを選んだ。このコースは、もう一つのポピュラーなコース(金時登山口から矢倉沢峠を経由するコース)と対照的だ。

A)乙女峠起点コース:金時山の頂上に着くまで、草木に遮られて景色がほとんど見えず、歩く距離も長い。その代わり斜面はなだらかで、歩きやすい。

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B)金時山登山口起点コース:途中何カ所も見晴らしの良いスポットがある。距離も短い。しかし急坂で歩くのが非常にきつい。

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上記の特徴から、比較的高年齢者に近いKSTメンバーにとってはAコースのほうが相応しかった。つまり正解である。リーダーの「博士」のお陰だ。この「博士」は物理学の先生で、もう少し後世に生まれたら鉄腕アトムを作ったであろうと思われるほど優秀だ。しかも健脚で、今回KSTの引率者となった。

このような大自然の中では、超自然の代物に出会うこともなかろうと思っていたら、パワースポットらしき所に来た。地蔵を隠すように積み上げられたこの岩石の山を見よ。

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どのような意思が働いてこのような障害物が造成されたのであろうか。「地蔵前に積み上げられた岩石」(Piled Rocks in front of Guardian Deity:略してPRG)という長い名前を付けた。

これは堰(せき)だが、樹木が枝葉をコントロールして異形の姿を投影している。画面右のほうに頭が三角形の火星人が見えるだろうか。

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ここから先は地球人の来るところではないと威嚇しているようだ。火星人のいる堰(Flood-gates of Martian:略してFGM)と名付けた。それにしても、このような障壁があるにもかかわらず、金時山の頂上は登山客ラッシュだったのはいかなる理由によるものか?

最後に遭遇したのは、樹皮にとりついた円形の魔鏡。

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太陽光を反射し、樹木の影をより鮮明に落とさせる。すると道標の文字は読みづらくなり、登山者を危険地帯へと誘う。登山者本人もその魔の影が刻印され、魔界へと迷い込んでしまう。明るい一角だけに見落とされがちな、危険きわまりないパワースポットだ。「魔鏡の魔境」と名付けた。これは英語にせず日本語のままのほうがよろしいようで・・・。

このような異界の脅威にさらされながらも、KSTは行く。私たちはまだ若い。

2009年10月 4日 (日)

歌&ピアノ ファミリーコンサート

「ワンコイン 歌&ピアノ ファミリーコンサート」(藤沢市民会館 第1展示ホール)に裏方で参加した。

◆第Ⅰ部♪「ピーターと狼」
安田由里子の大きな絵をパネルに貼って背景とし、ペープサート(注:棒の先に取り付けたピーターや狼などの配役の姿絵を動かして劇を演じる趣向。これは和製英語で正しい英語はペーパー・シアター)が演じられた。親子で気軽に聴けるコンサートなので、来場した子供たちは喜んでいたようだ。この企画は良かったと思う。

安田由里子の絵は写実的な中に観る人をなごませるムードがあった。色合いもほどよく、ペープサートの背景に相応しかった。

個人的に残念だったのは、舞台中央で演じられる劇に注目が集まり、ピアノ連弾の演奏に観客の目線が届きにくかった事だ。これは劇を主とし、音楽を「劇伴」と位置付ける舞台芸術のあり方だから構わないのかもしれない。でもせっかく面白い編曲で、演奏にも力が入っていたのだから、何かしらの方策で演奏者のほうも見せる工夫があってもよかった。例えば(今回の舞台の流れのうえでは少々無理があるが)劇の途中でピアニストが配役の一人を演じ、ある箇所だけ中央舞台からピアノのほうへ観客の目を転じさせるというような具合である。

音楽(ピアノ連弾)に劣らず重要な要因となったナレーションは、今回の演奏グループ「アンサンブル アスコルタ」のアルト歌手が受け持った。プロの歌手によるナレーションは響きが一味違うなあ。ピアニスト達と日頃一緒に演奏しているので、旋律ではないが、音楽の波に載ってナレーションが流れていたように感じた。

◆第Ⅱ部 歌
♪「バイエルによる女声合唱曲集」という作品があったのか。私は幼少の頃ピアノを習っていたのでバイエルには大変お世話になった。懐かしさと面白さが入り混じった興味深い内容だった。それにしても、編曲者はいいところに目を付けたな。こういう曲に接すると、また作曲をしたくなった。創作意欲をかきたてる作品だ。

♪「竹田の子守唄」は芸術性が追求された優れた編曲だったと思う。2つの声部が主要旋律でカノンを奏すると同時に、第3の声部が冒頭の「ねんねこやー」という節をオスティナート風に添えるという凝った作りの箇所もあった。また声部のからみもポリフォニー的であると同時にヘテロフォニー風で、独特のムードを醸し出していた。

◆アンコール♪「小さい秋みつけた」
演奏者も観客も一緒に歌えるように、プログラムの裏に歌詞が刷られていた。子供たちの来場を想定し、ひらがなを多く使っていたのは良かったと思う。企画・運営面で高得点をマークした。

◆演出・照明
第Ⅰ部に比べて第Ⅱ部は若干長い。また劇ではなく純粋に演奏を聴く場である。そのため若干飽きてしまった子供たちもいたようだ。これをどうすれば救えたか?

今回照明は固定されていた。確かにオペラとは違うので照明に凝る必要はないと思う。でも第2部の中間でわらべうたや民謡が3ステージ続くあたりでは、若干静かで淋しげな雰囲気を出すために照明をアレンジしても良かったのではないかと思った。その前後で明るくすれば、照明において「明―暗-明」という三部形式を形成することができ、プログラムにもリズムが生じて飽きさせない内容になったのではないか。切り替えも2回だけだから、オペラなどに比べれば単純で操作も簡単にできただろう。

◆総評
総じて楽しいコンサートだった。演奏は素晴らしかったし、盛況で用意した椅子が足りなくなったのは嬉しい悲鳴だった。私たち裏方は冷や汗をかいたが(笑)。

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