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2009年9月29日 (火)

藤城清治展 光と影

「藤城清治展 光と影」(銀座 教文館 ウェンライトホール)に行った。

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今回は「長崎を描く-天主堂と軍艦島-」という地域性のある企画で60点もの作品が展示されていた。

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印象に残った点は次の通りである:
1.影絵の下絵として描かれた鉛筆画を多数観ることができた。そしてそれらは単なる下書きではなく、単体でも充分に芸術性を備えた作品で驚いた。
2.藤城が軍艦島や原爆ドームなど社会性・地域性の強い対象に真摯に向き合った気迫が伝わってきた。そしてその結果生まれた作品の迫力がすごかった。
3.藤城がゲイという社会的に排撃されやすい人々に暖かい視線を投げかける優しい人だと知った。そしてゲイを題材に描いた影絵を、高貴で美しい作品にまで昇華させたその情熱と技術に感動した。

扱っているテーマの中には、暗く重苦しいものも含まれていた。しかし藤城の手にかかると、それらはみなメルヘンの世界に変容していた。なんだか心を洗われたような気がして帰ってきた。

2009年9月28日 (月)

線の迷宮・番外編

「線の迷宮・番外編 響きあい、連鎖するイメージの詩情―70年代の版画集を中心に」(目黒区美術館)に行った。会期終了の前日に滑り込んだ形だ。

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最近、何回かに分けて近年の版画作品を観る機会があったが、今回の展覧会は頭の中に点在している記憶と印象を集大成することができ、とても有意義だった。裏表が酷似するチラシも魅力に溢れていた。

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美術館での企画上の分類に沿って感想を書き留めておこう。

1 連鎖するイメージ-黒の詩情

♪李 禹煥(リ ウファン)
「FROM LINE」の小気味いい線刻に魅力を感じた。大きな刷毛でズズっと描くコンセプチュアルな絵画もいいが、こういう版画作品における線のリズムはもっといいなあ。一味違うリ ウファンを観た。

♪中林 忠良(なかばやし ただよし)
版画集「剥離される日々」は3カ月ほど前に町田市国際版画美術館での個展で観たばかりだった。その幻想的な魅力を反芻することができた。

♪柄澤 齊(からさわ ひとし)
いま最も畏怖の念にかられる作家だ。「燭罪領<七つの大罪による>」のいくつかは鎌倉での個展でも観た。「肖像 Part 1」もしかり。今回は特に XⅦ「天正少年使節」が印象に残った。いずれにしてもこの作家の緻密な幻想は恐るべき世界だ。

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2 連鎖するイメージ-色彩の詩情

♪黒崎 彰(くろさき あきら)
彩色された木版画集「中国」は横尾忠則のポスターにそっくりで、てっきり横尾作品だと思った。

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3 詩画集-言葉と版画

♪木村 茂(きむら しげる)
銅版画集「木 林 そして森」の異様な世界に引き込まれてしまった。一見、樹木を写実的に描いているように見えるが、それらが異界の生命を宿したかのように変容する。小さな長方形の中にシュールな、奇妙な世界が繰り広げられる。

♪秀島 由己男(ひでしま ゆきお)
版画集「彼岸花」は多少俗っぽい感じがしたが、シュール的な味わいがあり、棄てがたい存在だった。

♪深沢 幸雄(ふかざわ ゆきお)
彩色された銅版画集『宮沢賢治「春と修羅」より』は素晴らしかった。民話調のものもあるが、シュールで不思議なタッチの作品が多かった。

♪野中ユリ(のなか ゆり)
彩色版画「イリュミナシオン-大洪水の後/神秘/花々/野蛮」はインパクトの強い作品群だった。

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2009年9月27日 (日)

特別展 黄金の都シカン

「特別展 黄金の都シカン」(国立科学博物館)に行った。

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上野にはよく足を運ぶが、国立科学博物館を訪れることは非常に少なかった。同館の企画展に行くのは、なんと35年前(1974年)の「科学者レオナルド・ダ・ヴィンチ展」以来になる(ジョヴァンニ・スキアリ展覧会データベースより)。美術館にはよく行くが、博物館は敬遠してきたということか。

ここで気になることを思い出した。日本語では「美術館」と「博物館」を区別するが、英語ではどちらも「ミュージアム」で同一だということ。日本において博物館の人気が美術館に押されがちなのは、実はこのような文化や言語上の根本的な特質がからんでいるように思えてならない。

試みに「国立科学博物館」を「ナショナル・サイエンス・ミュージアム」とそのまま英語に置き換えてみると、たったこれだけの操作でずいぶん印象が変わる。今回の展覧会は宣伝の効果で盛況だったようだが、さらにネーミングの改変によって集客力が向上すると考える。上記のことは、実は展覧会を観終わった後で感じたものだ。

なお同館の正式な英語呼称は「National Museum of Nature and Science」であり、これを逆に日本語に直訳すると「国立自然・科学博物館」となる。英語では「自然」という文言が加わり、より実体に近くなる。でも現在の呼称「国立科学博物館」のほうが短く引き締まって響く。いろいろ難しいなあ。

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さて展覧会の印象だが、入場した時は、いつもの癖で「美術館」に行ったと思いこみ、展示物を「美しい」とか「構成感を感じる」などという視点で観始めてしまった。例えばこの金杯の紋様は人間の顔を象っているが、横に並んだ二人の顔で一つの眼を共有するなど造形上の工夫が凝らされていた。

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このように展示物を純粋に「美術品」という視点でまずは観てしまったのだ。

ところが「3Dシアター」でロロ神殿の発掘を推進した島田教授の信念を知ると、展示物はその「出土品」であり貴重な「考古学上の史料」だということを再認識することになった。

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しかし史料だからといって、美術品としての価値が損なわれることはない。いやむしろそんな昔に作られたものが、こんなに美しいのかと驚く。「博物館」での展示物観賞は、この「史料」と「美術品」という両側面から捉えて味わうと深みが増すような気がした。そうすることにより、来館したところは「博物館」ではなく「ミュージアム」という空気になってくる。

展示方法は、来場者の立場に立って考えられていたと思う。横に並んだ展示物は適度な距離を置いて設置されており、比較的ゆったりと観ることができた。

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展示のしかたには課題も残ったと思う。例えば展示室の中央に置かれた「神輿」を観賞しようとすると、壁面に架けられたビデオ映像が視野に入ってくるので落ち着かないというような点である。

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逆に、限られたスペースの中に異なるメディア(出土品の現物、ヴィデオ映像、説明パネルなど)をバランスよく配置し、来場者の様々なニーズに広角的に対応できるようになっていた点は素晴らしいと思った。

これらは相反的な要因であり「あちらが立てばこちらが立たず」的な難しさがあるだろう。企画スタッフの苦労がうかがえた。

最後に思ったことは、「3Dシアター」を冒頭で観るように順路を設定すればよかったのに、ということである。そうでないと私のようにまず美術品の鑑賞だという一種の先入観で観始める可能性があるからだ。

最初にシアターを観ておけば、この発掘が世紀の大発見であるということと、埋葬のあり方などを通してこの都の文化的背景をまず頭に入れることができる。そうした上で個々の出土品を観ると、その深度が全然違うものになる。

建物の構造とか、入場者の制御(3D用眼鏡の配布などを含め)の難しさなど、阻害要因が多数あったかと思うが、これは素直な感想だ。

なお今回は「一日ブログ記者」という企画に乗らせて戴きました。ありがとうございます。私の場合、写真が下手であるのと、美術に対する専門知識がないという事情がありましたが、楽しませて戴きました。スタッフの皆様も親切で感じよかったので、その点にも感謝いたします。

2009年9月23日 (水)

オータムコンサート

「オータムコンサート」(雑司が谷音楽堂)に出演した。

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初めての場所だったが、清楚なたたずまいで閑静な住宅街によく溶け込んでいた。

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ホールの床はピカピカに磨かれたフローリングで、背後に積まれた煉瓦の壁が反響版の代わりになっている。そのため音がきれいに響く。

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2階席もあり、そこから見下ろす眺めと音響効果は抜群だ。

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私は久々の新作「弦楽六重奏の為のフーガ」を間に合わせ「世界初演」(言い過ぎなので「雑司が谷初演」に訂正)を果たした。ストレッタ、反行などフーガの基本的な技術を取り入れているが、最も注力したのは拡大・縮小だ。これはその主要部分。

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上から4段目(第2ヴィオラ)が基本となる音価(付点四分音符で始まる)のフーガ主題を弾く。これに対しヴァイオリン2本は2分の1縮小(付点八分音符で始まる)を奏する。同様に第1チェロは2倍拡大、第1ヴィオラと第2チェロは4倍拡大に設定している。全体で4種類の音価によるフーガ主題が重なりながら鳴るしかけだ。

楽譜を見て戴くと上記の構成がヴィジュアルに理解しやすいと思うが、音だけを聴くと最初の第2チェロの音が単なるロングトーンに聴こえてしまうかな。作曲の意図を聴き手に伝える難しさだと思う。バッハのフーガでも事情は同じだと思うが、巨匠の作品の場合は弾き手も聴き手も楽譜を研究することが多いから成立するのだろうか。このあたりが今後の課題になった。

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記録性を高めるために演奏曲目を列記する。
♪ジョヴァンニ作曲「弦楽六重奏の為のフーガ」
♪ドヴォルジャーク作曲「ピアノ五重奏曲」
♪ルクー作曲「ピアノ四重奏曲」より第1楽章
♪ブラームス作曲「弦楽六重奏曲 第2番」

演奏者は本名は書かないけど、後で関係者が見てわかるようにしておく。
♪上様:Vl.
♪某オケのヴィオラトップ:Vl.とVa.持替え
♪某オケのコンサートマスター:Vl.とVa.持替え
♪じゅんちゃん:Va.
♪名人:Vc(特に2曲目の演奏が秀逸).
♪ジョヴァンニ:Vc.
♪よいこ:Pf.
♪港のヨーコ:Pf

来場者の皆様、応援ありがとうございました。出演者各位、お疲れ様でした。特に上様、会場と打上げの両方のご手配に感謝いたします。

2009年9月21日 (月)

松本千鶴植物画展

「松本千鶴植物画展」(ハスキーズ・ギャラリー:茅ヶ崎)に行った。画集「草花に想いをよせて」出版記念イベントだ。写真は絵葉書になった「アジサイ:隅田の花火」。

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90余点の作品がずらりと並んで壮観だった。一見同じような絵に見えるが、個々の作品をじっと眺めると、描かれた草花の個性がそのまま作品の個性となって表出されていた。

作品の対象となった草花は地味なものが多く、道端で見かけても何も感じずに見過ごしてしまいそうだ。しかし松本千鶴にかかると、そのような草花が生気をみなぎらせて魅力を発散し始める。これはもう錬金術と呼んでもいいのではないか。

2009年9月20日 (日)

ジャパン・クラシカ 第2回演奏会

「ジャパン・クラシカ 第2回演奏会」(ティアラこうとう 大ホール)に行った。

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プログラムは指揮者が決めたのだろうか、それとも団員による選曲委員会で決めたのであろうか?どちらかわからないと「選曲評論家」(あるいは「曲順評論家」)の私としては意見を書きにくく、激辛の筆が鈍ってしまう(笑)。ドイツ在住の増田宏昭がタクトを振るから、3曲すべてドイツ人作曲家の作品を並べたのは順当なところだろう。

冒頭の「ウィンザーの陽気な女房」は、ドイツ人といっても、イタリアで学んだニコライのラテン気質が少し混ざったような軽めの作品だ。まずはこれで観客に親しみを持たせるという意味で、妥当だと思う。

2曲目はシューマンのピアノ協奏曲だった。ドイツ人作曲家だが三大Bに比べると構築性が弱い。逆にロマン性が高いから1曲目を受け継いで、聞き手の関心をそらさないという意図だろう。良いのではないか。

最後はブラームスの交響曲第1番。演奏者にとっては最も面白く、楽しい作品だろう。逆に観客にとっては渋い作品なので、「受け」を取りにくい。最後に「受け」て盛り上がるためにはシューマンの交響曲と曲順を入れ替えるのが安直な方法だろう。そうせず、難渋な曲を3曲目に置いたからには、「受けにくい」というハンディを乗り越える必要がある。これは演奏の巧みさもさることながら、演奏者の情熱を伝えるのも必要だろう。

そして、それは見事に満たされていたと感じた。演奏者を観察していたら、特に終楽章の後半になって嬉々とした表情で演奏していたメンバーが多数見られた。観客そっちのけで、自らが夢中になっているふうにも見えた。でもこれはお客様を無視するということにはなく、その熱意が客席にも届くので、結果的に聴き手を刺激し、観客を巻き込んで盛り上げることになったと思う。

アンコールは同じくブラームスの「ハンガリー舞曲第1番」。良い選曲だと思った。ブラームスという同じ作曲家の流れがあり、かつ曲の性格は全く異なり親しみやすさを前面に出しているから。

実は私は基本的には室内楽愛好家だが、オーケストラ曲の中ではブラームスの交響曲4曲が好みだ。室内楽の楽しさと同等の喜びをもたらしてくれるからだ。

某アマチュアオーケストラにエキストラで出演した際、私と同じ趣味の弦楽器奏者とめぐり合うことができた。彼も基本的には室内楽が好きだが、所属する管弦楽団については「ブラームスだけ演奏するオーケストラ」でいいんだと言う。今年の定演は1番。来年は2番。さ来年は3番。その翌年は4番。そしてその次の年は1番に戻る、というサイクルだ。

聴衆は飽きるという反論が出そうだが、彼の説によると4年も経つと忘れるから大丈夫だということになる。これはかなりの極論だが、私の趣味にずばり合致していて嬉しかった。

増田さんとジャパン・クラシカさん、今後上記のようにブラームスを続けませんか?ついでに自分の趣味でいうと、フランクのニ短調、ベートーヴェンの第3番あたりを混ぜてもいいですが・・・。

2009年9月15日 (火)

半券の復権11: 杉本博司「歴史の歴史」 

F君と会った際、「最近、切手や絵葉書のシリーズを書いてませんね」と言われた。記録を見たら、その通りだった。

切手って楽しい:2007年7月に第6回で中断
チラシらしさ:2007年7月に第4回で中断
絵葉書の世界:2007年10月に第10回で中断
半券の復権:2008年1月に第10回で中断

所蔵数は結構あるのだが、インパクトがあるものは結構少ないのでなかなか記事を書けないのだ。でもあまり間があくといけないので、この辺で復権させよう。というわけで、まずは「半券の復権」から。

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この2枚の半券は両方とも「杉本博司 歴史の歴史」展のものだ。左は私が行った国立国際美術館(大阪)、右はF君からもらった金沢21世紀美術館のもの。

これらは同じデザイナー(又は会社)に依頼したのであろう。文字のフォントとレイアウトが似ている。その基盤の上に、全く異なる写真が添えられている。

左の大阪の半券はインパクトがある。鮮やかなプラズマの閃光の下では目をむいた男神が挑んでくる。

これに対して右の金沢の半券は対照的に静寂を感じさせる。黒地は同じだが、闇の中から宝石の青い光が鮮明に浮かびあがる。

「動と静」という違いはあるが、どちらも人を引き寄せる魅力を持っている。過去の記事にも書いたが、半券というのはチラシと異なり「釣った魚に餌をやる」的なものだから、地味でもよいはずである。しかし、そこに注力することによって、来場者の評価も高まり、美術館に対する信頼感も強まるのかな、とも思う。

半券はチラシと異なりサイズが小さいので紛失しやすい。私は最近行った展覧会のチラシをクリヤファイルに収め、そこに半券も一緒に入れておく。こうするとなくならないし、後で反芻する楽しみの一助となる。

半券は小さいが、魅力は大きい。

2009年9月13日 (日)

江の島で聴く、オペラ名場面

オペラ ピアチェーレ 第4回本公演 オペラガラコンサート「江の島で聴く、オペラ名場面」(かながわ女性センターホール)に行った。

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本来なら得意の「選曲評」を書くところなのだが、私はカンケーシャの一人なので怖くて書けない。抜粋とはいえ「夕鶴」の主要部分(全体の3分の2程度)をまとまって聴けたのが良かった、というコメントにとどめておこう。

♪團伊久磨作曲「夕鶴」(抜粋)
それにしても團伊久磨は素晴らしい作曲家だ。このオペラ「夕鶴」は1951年(個人的に大切な年。理由は秘密。)に完成したのだが、古典的手法の中に全音音階など近代的な技法を巧みに織り交ぜて構成している。今回はピアノ伴奏なのでオリジナルの響きはわからなかったが、オーケストレーションもきっと見事なのだろう。

登場人物の性格については予備知識が無かったのだが、真摯な愛を貫こうとする「つう」と、天真爛漫な「与ひょう」という設定かな。そして悪人たちにそそのかされ、与ひょうが変わってしまうという筋書きであろう。ただ与ひょうは金に目がくらんでも生来の憎めない性格が持続していたので、つうとしても振り切ることができずにずるずると与ひょうとの生活を続けてしまったという感じがした。

そして「もし与ひょうが悪意をむき出しにするようになっていたら、つうもきっぱり与ひょうと別れて早く楽になれたのに」などと感情移入してしまった。これは右近史江(つう)と藤田卓也(与ひょう)の素晴らしい演奏と迫真の演技の証拠だろう。

♪ヴェルディ作曲「椿姫」より「乾杯の歌」、「私の胸の中にどんなに生き生きと」
「乾杯の歌」が始まったら、アルフレード役の藤田卓也が前曲の与ひょう役から一転、ヨーロッパの社交界に登場した。その切り替えが見事だった。

♪ヴェルディ作曲「ファルスタッフ」より「アリーチェ、メグ、ナンネッタ」、「光り輝くアリーチェよ!」
私はイタリア語が全くわからないので漫然と聴いていたが、「アリーチェ、メグ、ナンネッタ」の二人の婦人がラブレターを見せ合うシーンで「同じなのね」というような言葉を聞いてはっとした。これはもちろん空耳なのだが、イタリア語で偶然それに近い言葉が歌われたのだろう。オペラや歌曲の中の「空耳特集」というのも面白いかと余計なことを考えてしまった。
「光り輝くアリーチェよ!」では女性歌手のテンポの速いやりとりが絶妙だった。

♪ヨハン・シュトラウス作曲「こうもり」より「雷鳴と稲妻」、「アデーレのクープレ」、「杯をあげろ」、「ワルツ」
台本の扱いと演出面ではヴェルディにかなわないヨハン・シュトラウスが、楽曲構成のほうで頑張って聴きごたえのある作品を産み出しているという感じがした。
早河明子は終始華やかなオーラを放っていた。またゲスト出演のヒロコ・バレエスタジオの方々の踊りは機敏な動きで見事だった。

♪アンコールはレハールの「メリー・ウィドウ・ワルツ」。観客も一緒に歌う場があったので、歌詞カードがあると良かったな。

2009年9月11日 (金)

宇野亜喜良60年代ポスター展

連夜の展覧会通いとなったが、「宇野亜喜良60年代ポスター展」(ポスターハリスギャラリー:渋谷)に行った。

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前日の「銀座界隈隈ガヤガヤ青春ショー」会場にさりげなく招待券が置いてあったので、迷わずゲットしておいたのだ。入場料は300円なのでさほど高くはないが、私にとってはこの半券そのものが気に入ってしまったのだ。最近「半券の復権」の記事から遠ざかっていたが、本来なら真っ先にこのシリーズに登場してよいレベルの出来だ。

会場は、宇野の「退廃」に寺山修司の「アングラ」を混ぜてごった煮にしたような強烈なオーラに満ちていた。宇野作のポスターに包囲されると、普通の世界に戻れないような囚われの身になってしまう。

ハシビロコウさんとF君への絵葉書を探したが、4月に八王子の夢美術館で開催された「氾濫するイメージ」展の際、たまたま今回の半券と同じ作品の絵葉書を送っていたことを思い出した。そこで重複を避けるために、少し趣向の異なるものをゲットした。

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これはシュール寄りの作品だ。白黒にしてさらに細かい線で描くと、柄澤齊の木口木版画みたいだ。

2日間にわたり60年代のアーティストが放つ熱気に触れ、すっかりレトロモードに入ってしまった。明日は久しぶりにトリオ・レヴリーの練習だ。修練モードに切り替えなければ・・・。

銀座界隈隈ガヤガヤ青春ショー

「銀座界隈隈ガヤガヤ青春ショー」(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)に行った。

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4日前に「驚異の部屋へようこそ」を観に町田市立国際版画美術館に行った際、チラシを見つけたのだ。灘本唯人・宇野亜喜良・和田誠・横尾忠則というそうそうたるメンバー4人の名前が並んでいるだけで、もうこの展覧会には行くしかないと思った。

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横尾忠則については、事前準備として日記を読んだ。ちくま文庫の「いわゆる画家宣言」と「365日の自画像」だ。既に読了している2冊だったので、パラパラと拾い読みし、横尾作品に対する親和性を高めておいた。これが功を奏したのか、会場で横尾作品に接した際、「懐かしい」という特殊な感傷をおぼえた。

和田誠は後輩の湯村輝彦の娘さん(こよみちゃん)のために「こよみのこよみ」という歌を作詞・作曲し、湯村と共に絵を添えて12の歌集にした。1月から12月まで1曲づつ季節にちなんだ楽しい歌が並んでいるのだ。その本を持っているが、和田の優しさとセンスの良さがにじみ出ており、それが私の和田誠に対するイメージの原点となった。そして今回の展示も期待通りの楽しさだった。

4人の中で灘本唯人だけは名前を良く知らなかった。しかし作品を観たら、「ああ、あれか」とすぐわかる。個性溢れる素晴らしいアーティストだと思う。

これらの巨匠の中でも、ドローイングの技術がずば抜けて達者なのは宇野亜喜良だろう。地下の展示室に葉書大のペン画が並んでいたが、あまりの素晴らしさにしばし見とれてしまった。渋谷では宇野のポスターを展示する別の企画があり、その招待券が置いてあったので、翌日も宇野作品に出会うことになった。

2009年9月 8日 (火)

松本千鶴植物画集

「草花に想いをよせて 松本千鶴植物画集」をゲットした。

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どのページをめくっても、身近な草花が控え目に描かれているだけだ。でもそこには単に清楚だとか地味などという感覚を超えたオーラが感じられる。この静寂の中にあるアートの力!

2009年9月 6日 (日)

驚異の部屋へようこそ!展

「版画がつくる 驚異の部屋へようこそ!展」(町田市立国際版画美術館)に行った。

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幻想的な版画ということで、大好きなグランヴィルやジャック・カロがあるだろうなと思い、その通りに両作家の作品に出会えたのは嬉しかった。その他にも未知の作家の作品が展示されていたので、楽しみの拡がりを体感できて良かった。

グランヴィルについては「建築の結晶化」とか「夢の変容」など幻想性が強い作品が好みだったのだが、今回の展示では風刺ものが中心だった。それに対してジャック・カロは期待通り「聖アントニウスの誘惑」。言うことなし。

学芸員のトークを途中から聴いたのだが、「エジプト誌」に関する説明が示唆に富んでいた。あのナポレオンが考古学者に加え、絵描きを何十人も引き連れてエジプトを調査し、膨大な書誌に編纂したそうだ。大変貴重な資料だったわけだ。

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敬意を表して、ハシビロコウさんとF君に宛てる絵葉書は「王家の谷の墳墓壁画」。

大倉山の意思ある植物たち

「大倉山記念館」にピアノ四重奏と弦楽六重奏の練習に行った。駅から急坂を登ると、そこには「意思」を持つ植物群が棲息していた。

まずは坂の途中でちょっと一休みという場を提供してくれるハナミズキ。

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この植物は「サービス精神」と「一貫性」を身上としている。赤い花を咲かせ、赤い実を結ぶのだが、花も実も持ち合わせが無い場合は赤い葉っぱがピンチヒッターに立つ。この見事なサービスと一貫性!

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英語では「dogwood」と呼ばれるそうだ。犬を連れて散歩する人に対しても気遣いを忘れないようで頼もしい。(実際の語源は違います)。

坂を上りきると記念館が姿を表すのだが、周りの樹木が額縁のように取り囲み、絵画作品のように仕立ててくれる。アンリ・ルソー描く森の情景のようではないか。

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そして樹木は外敵が現れると身を挺して記念館を守護する。この死角を無くそうとする植物の動きを見よ。

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周囲を固める植物群の中には竹林もある。しかし良く見ると竹とペアを組んでいるように他の樹木が並んで立っている。ハイブリッドの布陣を敷くことにより、優美さの中に強靭さを潜ませているのだ。

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地面に目を転じると、均等に撒かれた木の実が全ての石タイルを埋め尽くしている。これは殺傷力は無いが威嚇を目的とした地雷である。踏まれると花火のような音を出して侵入者を退散させる。(実際にはそんな音は出ません。)

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裏門も樹木たちに守られている。「精神文化研究」は大切に継承してゆかねば。

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正門玄関にたどり着くと、そこにはさりげなく置かれたような一対の実が。彼らは来訪者のアート魂を検証するための門衛なのだ。

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丸みを帯びた形状は、背後の円柱の曲線と呼応する。自らは直線で構成された保田侃の彫刻作品のような石の上に鎮座している。直線と曲線の織り成す構成感、そしてその丸さを継承してゆこうとする円形の紋様!

そしてその色彩は右に見える緑のドアに同調し、さらに下の赤との補色関係により引き締まっている。これらの背景として石の白さがある。

これらの守護神たちの保護により大倉山記念館はその威容を保っているのだ。

2009年9月 4日 (金)

ミヒャエル・ゾーヴァ展

「描かれた不思議な世界 ミヒャエル・ゾーヴァ展」(そごう美術館)の初日に行った。おなじみF君から招待券をもらっていたのだ。F君いつもありがとう。

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ゾーヴァの絵は分類すると幻想絵画に属するかと思う。そこで同じ分野の巨匠ダリの作品と比較してみた。

ダリは、長い作品名を付けたり、二重像など手の込んだ仕掛けをして作品を複雑化している。これに対してゾーヴァは「豚が飛ぶ」など一目でわかる明瞭さと共に、1作品・1テーマという簡潔さを貫いている。また描写のテクニックを比べると、ダリのほうが圧倒的に優れている。

これだけの条件で比較すれば、ダリのほうが「濃い」幻想の世界に誘ってくれる、という結論になる。一方ゾーヴァは、ダリのような強烈さは持ち合わせていないが、裏表がない素直な表現により、フフっと含み笑いをして楽しめる作品を提供してくれていると思った。

最近、展覧会に行くと最も気に入った絵葉書を3枚買うという習慣がついた。1枚は保管用、そして2枚はお世話になっているF君とライターのハシビロコウさんに送るためだ。

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今回は販売していた絵葉書の種類が多く迷ったが、微差ながら最も印象深かったものを選んだ。ゾーヴァらしいさりげない幻想風景である。

2009年9月 1日 (火)

利根山光人とマヤ・アステカの拓本

過日になるが「利根山光人とマヤ・アステカの拓本」(世田谷美術館)を観た。

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「メキシコ20世紀絵画展」の「B面」展示会として2階の展示室で開催されていたのだが、なかなかどうして、素晴らしい展示内容だった。

大きな拓本は高さ何メートルにも達した。オリジナルのレリーフが水平の床に彫られていたのなら、時間さえかければ比較的容易に拓本が採集できたと思う。しかし垂直の壁に彫られた作品の拓本はどのようにして採拓したのであろうか?脚立などに乗ったりしながら、驚くべき努力で成し遂げたことだろう。

別室で拓本の体験コーナーがあったので同行の妻(仮名ジョアンナ)と一緒に試みてみた。私の選んだのは「センテオトル」というトウモロコシの神の図。

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この神様の名前は「先手劣る」と読める。これは私のペンネーム「序盤に隙あり」にぴったり呼応する。つまり序盤に隙があるから先手より後手のほうが有利という話に発展するのだ。

また興味が尽きないのは、版権の関係で図を載せられないが、メキシコのチアパス州の北部パレンケにある古代の墓の拓本だ。これは以前何かの本で読んだのだが、ロケットとそれを操縦する男のように見えるのだ。この種の古代文明の話は信じてはいないが、話としては面白い。

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