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2009年8月26日 (水)

音楽の現在

「サントリー音楽財団創設40周年記念 サマーフェスティバル2009」の一環としての「音楽の現在」(サントリーホール 大ホール)に行った。室内楽を一緒に楽しんでいる仲間の「港のヨーコ」さんと「上様」のお二人のご厚意によりチケットをまわしてもらったのだ。ありがとうございました。

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★サルヴァトーレ・シャリーノ作曲「リコーダーとオーケストラのための4つのアダージョ」
独奏リコーダーの扱いがどうもしっくりこなかった。尺八のような吹き方をしており、音の流れも数値的分析を許さない東洋的な感じで奏していた。それならリコーダーでなく、最初から尺八など東洋の楽器を用い、「ノヴェンバー・ステップス」のように和・洋のせめぎあいを表現した方がすっきりしたと思ったのだ。

独奏者はアルトとソプラノのリコーダーを持ち替えていた。ソプラノはともかくアルト・リコーダーの音は低くて小さいので、いくら弱奏してくれていてもオーケストラの音量には消されがちであった。このあたりも再考の余地があるのではないか。あるいはオーケストラではなく室内管弦楽の編成に縮小したほうがいい響きが得られるのでは?

★オーガスタ・リード・トーマス作曲「ヴァイオリン協奏曲《楽園の曲芸師》」
簡素なモチーフをいろいろ組合わせていく感じがした。それならベートーヴェンばりの主題労作に近いという事になってしまうが、あまり面白くなかった。その理由として、素材があまりにも単純であるという点がまずあげられる。それから素材の組み合わせ方が奥ゆかしいというか、少しづつ音を重ねたりぶつけたりする程度に留まっていた点だ。

少し面白かったのは、独奏ヴァイオリンと他の高音楽器とで掛留を生じさせた箇所だ。独奏ヴァイオリンの動きは見ていればわかるが、掛留の「相方」がわからない。例えば相手はリピエーノのヴァイオリンかな?と思ってヴァイオリン群を見ると休みだったり・・・という具合である。どうやら相棒はフルートだったらしい。フルートの高音はヴァイオリンに似た響きがすることがあるので、それを聴き間違えたのだろう。

また曲の後半で、それまで無調に近い響きが続いていた中で、低音楽器を主体に突如三和音のカデンツが鳴り始めて目が覚めた。2,3音目で独奏ヴァイオリンが非和声音を奏でてすぐ無調的な響きに戻ったが、一瞬何が起きたのかと思った。これは作曲者が仕組んだ目覚ましだったのだろうか?

★ルーク・ベッドフォード作曲「オーケストラのための《花輪》」
一言でいうと「ミニマル・ミュージック」だ。それもドミナントの和音が延々と続くので飽きてしまう。時折、非和声音が鳴るのだが、それとてドミナントの7,9,11などの和音の構成音と聞こえてしまう感じだ。(第11音は主音だ!)

また、各パートでは分奏があった。例えばチェロパートは、ソロと他メンバが分かれて弾くなどである。しかし音型は単純なものが多く、その組み合わせもさほど複雑ではなかったので、分奏の意義が感じられなかった。単純な構成を見かけ上複雑にしているように思えてならない。

★ペーター・エトベシュ作曲「2台ピアノとオーケストラのための協奏曲」
バルトークのような「古典的な現代曲」で聴きやすかった。そのため4曲の中では最も楽しめたが、そう言うと他の3人の作曲家から文句がきそうだ。つまり「そんなものでいいなら私たちだって書ける」というような・・・。

ここで「現代でもハ長調で音楽が書ける」というバルトークの言葉を思い出した。これは終りのない課題かもしれない。

以上、辛口評論を書いてしまった。作曲のことになると自分のことを棚に上げて、ついアラ探しをしたくなる。これはあまり健全ではないので今後自粛しよう。

なお楽器の演奏については、私は専門的なことはわからないので、みんな良かったという感想にとどめておきたい。特にパーカッションが上手なような感じがした。速いパッセージを独奏ヴァイオリンにぴったり寄り添って奏していたから。

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