平和への躍動
「平和への躍動」(王子ホール)へ行った。
ニューヨーク在住の若手作曲家スタン・グリル氏の作品ばかりを紹介するコンサートということで、「ステレオタイプの現代音楽」(主として調性が無い音楽)を予想していた。しかし予想に反して、紹介された曲はすべて調性音楽であった。若干の味付け(古典音楽には登場しない不協和音など)がなされていたが、根底には機能和声が流れていたのだ。
もちろん調性音楽だからダメだとかいいとかいう議論はナンセンスだということはわかっている。もう何十年も前にバルトークは「現在でもハ長調で音楽が書ける」と言ったが、その言葉は今日までそのまま生きている。ただ、現代の作曲家の作品と聞くと、先入観で調性が無い音楽だと勝手に予想してしまうだけなのだ。
今回紹介されたグリルの音楽は、弦楽合奏(一部弦楽四重奏)を機軸に組み立てられている。そしてそれはバロック時代に量産された合奏協奏曲に似ていた。例えば、先行する声部と追いかける声部との間の「模倣」などがその表れである。厳密なフーガではないが、冒頭の模倣で緻密なポリフォニーの雰囲気を出すやり方はバロック時代の当時盛んに行われていた。そのような感じがするのである。あるいはイギリスのコンソートミュージックにも近いものもあったように感じた。
また6拍子の曲においては、一部の声部で3拍子を鳴らしてポリリズムにする、いわゆる「ヘミオラ」が鳴っていたが、これもバロック音楽を彷彿とさせる。今回の演奏では、ヘミオラがアクセントを強く弾くことで強調されていた。
またソプラノと弦楽四重奏のために書かれた「こどもへ」の3曲目「間奏曲Ⅰ」では第1ヴァイオリンとチェロが旋律と対旋律を奏し、他の声部がなだらかな伴奏を付けていた。これはバロック音楽で高音楽器と通奏低音との「額縁形式」の関係に類似している。
ただし調性感はバロック音楽とはだいぶ異なる。三和音を軸にはしているが、七の和音・九の和音を多用し、奥行きを持たせている。そして若干「現代音楽」だということを感じさせる。
旋律はどうだろうか。基本モチーフは三和音の分散形(例えば、ド・ミ・ソ)と音階(例えば、ドレミファ)の2要素が多用されていたと思った。旋律の冒頭でまずこれらの基本要素が鳴り、徐々に展開してゆくのだ。ただし分散和音は模倣に適さない(バッハの音楽の捧げ物の主要主題があまりにも有名だが)ので、音階要素と使い分けされていたようだが。
あれっと思ったのは弦楽合奏のために書かれた「モテット」だ。三部形式だが、中間部でアメリカのカントリーミュージック的なメロディーが流れたのだ。これはアイブズの弦楽四重奏曲第1番におけるカントリーミュージックの取り入れ方に似ていた。
モテットというと宗教曲だ。作曲者グリルは「宗教曲は高尚で固い」という先入観を打破するために、あえて庶民的な要素を含有させることによって親しみやすさを増す工夫を凝たしたのであろうか。そのあたりは定かではない。
もう1つ気がついたのは「こどもへ」の最終曲「後奏曲」の終わり方だ。第2ヴァイオリンが第1ヴァイオリンよりずっと高い音域で奏していたのだ。このあたりは作曲者の頭に、常識(第1ヴァイオリンのほうが第2ヴァイオリンより高い音を弾く)に捉われない自由さがあったように思えた。
このように様々な点について考える機会を得たので、今後のために良い刺激(また作曲に励まなくちゃ、という気持を喚起させられた)となり有意義だった。
« 第22回プロムナード・コンサート | トップページ | ヴェーグ2009展 »
初めてコメントさせていただきます。
実は私はStanの友達なのですが、この間日本にいってコンサートをした、と聞きびっくりしました。
なかなかユニークな音楽のようですね。
レビューをしていただいてありがとうございました。雰囲気がつたわってきました。
投稿: shopping-us | 2009年6月 1日 (月) 23時59分
コメントありがとうございました。ニックネームは、最初に見たとき「Shopping with us.」だと思いました。よく読むと「us」はアメリカのU.S.らしいですね。私は田舎で恥ずかしいですがハワイのホノルルに4年半いました。
投稿: ジョヴァンニ | 2009年6月 2日 (火) 08時35分