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2009年4月28日 (火)

ヴィデオを待ちながら

「ヴィデオを待ちながら 映像・60年代から今日へ」(東京国立近代美術館)に行った。

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予想通りコンセプチュアルな作品が並んでいた。私はもともとコンセプチュアル・アートを好まなかったのだが、自分の殻を破ろうと思い最近はあえて苦手な分野に踏み込むことが多い。しかし残念ながら、今回の展示作品は面白いと思わなかった。

映像・音声自体はほとんど意味がないか、面白味がないものばかりだ。勿論それにコンセプトが込められていて作品が成立しているわけだが、そのコンセプトが何か理屈っぽく素直に楽しめなかったのだ。

これに比べて、同じくコンセプト主体の赤瀬川源平 大先生の「トマソン」は文句なく楽しい。どちらも映像・画像自体は何の特徴もなく、それにコンセプトが添えられているという点で共通している。それなのに、赤瀬川先生の手にかかったものは面白く、今回の展示作品はつまらなかったのだ。

赤瀬川作品は主に写真だが、動画と静止画の差はこの場合はあまり関係ないだろう。この差異はどこから出てくるのだろうか?たぶん赤瀬川先生は非常に筆が立つので、文学としての面白さが際立ち、それが画像の地味さをカバーしているのだろう。いやカバーするどころか、極論を言えば文学だけで成立しているのかもしれない。

以上のように今回の展覧会はあまり面白いものに遭遇できなかったが、唯一充分に楽しめたのはロバート・スミッソンの「スパイラル・ジェッティ」だ。チラシ裏面にも紹介されている。

Photo

この螺旋型造形物は有名な作品なので、以前から本の図版などで知っていた。そしてなぜかずっと気になる作品であり続けた。この作品が持つ独特のオーラが私に合っていたのだろうか。

以前からこの作品の形が美しいと思っていたし、それだけ(見て美しいというだけ)で評価していた。そして今回の展覧会ではこの作品にまつわるビデオ作品を観たら、作品にまつわるコンセプチュアルなことを説明していた。

そしてなぜか、その説明は「うるさく」感じなかったのである。つまり面白かったというわけだ。他の作品のコンセプトがつまらなかったのに、なぜこの作品だけ面白いと感じたのだろうか?

それはたぶん作品固有のもの(見た美しさ)を先に味わい、後からコンセプトに触れたからだろうと推測する。つまり、ハナからコンセプトをぶつけられると「引いて」しまうが、先に見てくれで楽しんでおき、事後にコンセプトで厚みをつけてもらうと素直に入ってゆけるというわけだ。

これは私にとって非常に重要なことだ。今後のコンセプチュアルな作品に接する際、私なりにその作品を「より楽しく味わう」ための「手法」になるだろうから。そういう意味で、この新しい「手法」を教えてくれたスミッソンに敬意を表したい。また同時に、この展覧会に行った収穫が1つあったという「救い」も嬉しかった。

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