鎌倉:光則寺
すると「保安林」という標識が。しかしどこに保安されるべき林があるんだろう?
その標識から少し歩いたところに寺の門がある。その前に立派な梅があったが、これが保安林ではないよね。
その一方の、対になっている門柱には「行時山」と彫られている。
なるほど、光速(光則)で時間を越える(行時)という意味か。これはタイムマシンでも設置されているのかな。
案内板を写真に撮り、後から読めばいいやといい加減に眺めて先に進んだ。ところがなんと愛する宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩碑が記述されているではないか。しまった見るチャンスを逸した。ここにはまた後日来よう。
光則寺の境内は石碑を中心に巨大な箱庭のような造園がなされている。奥に本堂がちょっぴり見える。
わが中年探偵団は恐怖を払いのけて土牢を目指し階段を上る。
途中にはこんな墓が「帰ったほうがいいんじゃないか?」と脅してくるが、怯まないで先を進む。
風雨に晒されて表面が削り取られており、読みづらい。何て書いてあるかわからない分、恐怖感が増すが、それでも先を急ぐ。
中を覗く。手前の小灯篭だけがフラッシュを浴びて白光りしているのが何ともおどろおどろしい雰囲気を醸成している。
ここに幽閉された日朗上人は強い怨念のオーラを放ったことであろう。
その証拠に、付近の樹木に異変が起こっていた。この裂けた傷口を見よ。
この木には巨大な瘤が取りつき、ふた目と見られない醜い容貌にさせられていた。
それに追い討ちをかけるように、心ない来訪者によるイタズラ書き(彫り)をされた木も悲しみの叫びをあげていた。
根に奇形が起こり、エドガー・アラン・ポーの世界を彷彿とさせる光景にも出会った。
いったいこの寺には救いがあるのか、と思い来た坂道を下る。すると、これまでの陰鬱な気分がすっ飛んでしまう嬉しいものに出会った。
困った時は下を見よ。石畳が見事な抽象絵画になっているではないか。
これは素晴らしい。今回の小旅行で最高の掘り出し物だ。
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