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2009年4月30日 (木)

ヘインズ フルートを愛用する笛吹き達のアンサンブル

「アンサンブル・アノー ~多彩な音色の輪~ ヘインズ フルートを愛用する笛吹き達のアンサンブル」(DACスペースDo:新大久保)に行った。

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フルート4本の四重奏を中心に、三重奏、二重奏を織り交ぜたプログラムだった。この分野は知らない作曲家と曲ばかりで、唯一既知だったのはドビュッシーの「小組曲」(編曲版)だった。

達者なメンバーばかりで、難しい曲もアンサンブルが乱れず立派な演奏だった。曲によってパートを入れ替えて演奏していたが、誰がどこのパートにまわっても同等のクォリティーを打ち出しているようで素晴らしかった。

また演奏だけでなく、トークも練習の裏話など興味深い内容だった。例えばダマーズのフルート四重奏曲は演奏を聴いているとすっきり理解しやすい感じがするのだが、合わせ演奏が大変難しいということを「述懐」していた。こういう話はなかなか聞く機会がない。

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会場となったDACスペースDoの建物はなかなか凝った造りで興味が沸いた。

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近くには壁を這う「根性植物」が。コンサートに爽やかな色を添えてくれた。

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氾濫するイメージ

「氾濫するイメージ 反芸術以後の印刷メディアと美術  1960’s – 70’s」(八王子夢美術館)に行った。

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印象深かったこと等を列挙してみよう。

1.粟津と横尾のポスター
この二人のポスターの大家は、どちらも美術学校は出ていない。粟津潔は独学だし、横尾忠則は通信教育で挿絵を習った程度だ。従って二人とも、いわゆる石膏デッサン等はあまり訓練したことがないと推測される。しかし二人の創作活動は、そのようなハンディを全く感じさせない。むしろ旧来の手法にとらわれないという自由度の高さが逆に長所となっているようだ。

ただ両者を比較すると、デッサン力においては粟津に分があるようだ。例えば粟津の、ほとんど線だけで描かれた作品を見よ。対象の形がくっきりと現れ、立体感が表出される。これに対して横尾はアイデアの豊かさで作品全体としての価値を保っているようだ。

2.赤瀬川源平の偽千円札
話はよく聞いていたが、実際の偽千円冊とその仲間のオブジェ達に出会えたのは嬉しかった。こんなことで罪になるとは、当時はアートが理解されない社会だったんだな。「こんな物は芸術ではない」という議論ならまだよいが、犯人扱いするとはひどい時代だ。片面単色刷りなんだから偽札に見えるはずがないじゃないか。

3.木村恒久のフォトモンタージュ
木村の作品は、どうもマッド・アマノとダブる。どちらかというと木村が芸術性を保持した上に風刺を乗せているのに対し、マッド・アマノはストレートに毒をぶつけてくる感じだ。いまあらためて木村作品を観ても、色あせてないのはさすがだと思った。

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他には、宇野亜喜良の一味違う女性像、タイガー立石のエッシャー的不思議世界も楽しんだ。

先日も見た「廃屋」はまだ同じ状態を保持していた。

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2009年4月28日 (火)

ヴィデオを待ちながら

「ヴィデオを待ちながら 映像・60年代から今日へ」(東京国立近代美術館)に行った。

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予想通りコンセプチュアルな作品が並んでいた。私はもともとコンセプチュアル・アートを好まなかったのだが、自分の殻を破ろうと思い最近はあえて苦手な分野に踏み込むことが多い。しかし残念ながら、今回の展示作品は面白いと思わなかった。

映像・音声自体はほとんど意味がないか、面白味がないものばかりだ。勿論それにコンセプトが込められていて作品が成立しているわけだが、そのコンセプトが何か理屈っぽく素直に楽しめなかったのだ。

これに比べて、同じくコンセプト主体の赤瀬川源平 大先生の「トマソン」は文句なく楽しい。どちらも映像・画像自体は何の特徴もなく、それにコンセプトが添えられているという点で共通している。それなのに、赤瀬川先生の手にかかったものは面白く、今回の展示作品はつまらなかったのだ。

赤瀬川作品は主に写真だが、動画と静止画の差はこの場合はあまり関係ないだろう。この差異はどこから出てくるのだろうか?たぶん赤瀬川先生は非常に筆が立つので、文学としての面白さが際立ち、それが画像の地味さをカバーしているのだろう。いやカバーするどころか、極論を言えば文学だけで成立しているのかもしれない。

以上のように今回の展覧会はあまり面白いものに遭遇できなかったが、唯一充分に楽しめたのはロバート・スミッソンの「スパイラル・ジェッティ」だ。チラシ裏面にも紹介されている。

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この螺旋型造形物は有名な作品なので、以前から本の図版などで知っていた。そしてなぜかずっと気になる作品であり続けた。この作品が持つ独特のオーラが私に合っていたのだろうか。

以前からこの作品の形が美しいと思っていたし、それだけ(見て美しいというだけ)で評価していた。そして今回の展覧会ではこの作品にまつわるビデオ作品を観たら、作品にまつわるコンセプチュアルなことを説明していた。

そしてなぜか、その説明は「うるさく」感じなかったのである。つまり面白かったというわけだ。他の作品のコンセプトがつまらなかったのに、なぜこの作品だけ面白いと感じたのだろうか?

それはたぶん作品固有のもの(見た美しさ)を先に味わい、後からコンセプトに触れたからだろうと推測する。つまり、ハナからコンセプトをぶつけられると「引いて」しまうが、先に見てくれで楽しんでおき、事後にコンセプトで厚みをつけてもらうと素直に入ってゆけるというわけだ。

これは私にとって非常に重要なことだ。今後のコンセプチュアルな作品に接する際、私なりにその作品を「より楽しく味わう」ための「手法」になるだろうから。そういう意味で、この新しい「手法」を教えてくれたスミッソンに敬意を表したい。また同時に、この展覧会に行った収穫が1つあったという「救い」も嬉しかった。

2009年4月26日 (日)

台湾の心・台湾の情

「台湾の心・台湾の情 廖修平・江明賢 二人展」(渋谷区松涛美術館)に行った。台湾の代表的な現代アーティストはどんな作品を作るんだろうという興味があったからだ。

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私の趣味に合っていたのは廖修平のデザイン的な作品だった。
例えばチラシ裏面に紹介されている「園中雅聚#9」は、7本の瓶の並列構成にマティス風の色面構成を沿えた楽しい作品だ。

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同じくチラシ裏面の「太陽節」は暦を題材とした作品だ。題名や作品中の文字とも絵柄ともつかない形象に季節が暗示されるが、そのまま純粋抽象としても観賞に耐える佳品だ。

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やはりチラシ裏面にある「木頭人86-2」はマネキンのような人形を鋏などの日常品と重ね合わせてコンポジションにしたものだ。ユーモラスで楽しい。

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これに対して、江明賢は具象作家で最初は興味が薄かったが、チラシ表の下に紹介された寺の絵など、線刻の美しさに感心した。

2009年4月20日 (月)

八千代少年少女合唱団

八千代少年少女合唱団 第32回定期演奏会(八千代市 市民会館 大ホール)に行った。

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友人の作詞家 いるる いちろう氏の作詞、友人の作曲家 大橋美智子さんの作曲による新曲・児童合唱組曲「まほうのとき」を聴くのが目的だった。

8つの曲から成る組曲だが、子供達は「真剣モード」という勇ましい曲が好きだったようだ。そして作曲者側の配慮としては、次の静かなバラード調の曲の冒頭にピアノによる静かで長い前奏を置いたことだ。これにより、「真剣モード」で覚醒していた子供たち、観客に徐々に鎮静作用を引き起こし、バラードを聴く準備ができるという設計だ。

演奏評を書かないポリシーだが、子供達の演奏があまりにも上手だったので、そのことを言及しておこう。

わたしの植物図鑑

「わたしの植物図鑑 ~加藤あきさんのスケッチ帳より~」(平塚市博物館)に行った。

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52歳で植物画を描き始め生涯を全うされるまでの35年間に約3千枚の絵を遺されたという。これは驚異的な数字だ。単純に割り算しても、1週間に1.5枚の絵を描いたことになる。

数字だけでなく、その内容に圧倒された。正直なところもっと上手な画家はいくらでもいそうなのだ。しかし、一つ一つの植物に愛情を注ぎ、つぶさに観察し、絵に具体的な説明文を添えて1つの作品を完成させているところは、他人の追随を許さないという感じがした。

同時開催で、植物画家・松本千鶴のお弟子さん達の作品が同博物館の2階に展示されていた。率直なところ師匠を凌ぐ作品はなかったが、個性がきらりと光る作者が何人かいて楽しかった。

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2009年4月18日 (土)

蛙の絵

ハワイに住んでいた頃、妻が英会話クラスの弁論大会のために「七匹のカエル」という創作童話を作った。その中に登場する「いつも寝ているカエル」を描いたのがこれだ。

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これを日本の両親に見せようと、自分で自分の絵を葉書に模写したのがこれ。

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葉書の文面には「オリジナルより出来が悪くなってしまいました」と書いてある。これはたぶん葉書のスペースが限られていたので、足の部分が寸詰まりになったからだろう。確かにオリジナルのほうが伸び伸びとしている。

当時はこのようによくペン画を描いていたのだが、帰国後は音楽三昧で絵の創作は自然消滅してしまった。(そしてその後ブログにはまったら作曲の筆も止まってしまった)。また絵画制作をきちんとやり直そうかな。

2009年4月17日 (金)

鎌倉:大仏殿

小旅行の最後に辿りついたのは国宝・鎌倉大仏だ。

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この参拝券の写真は不思議だ。目線が大仏様の中心(胸のあたり)に水平に当たっている。ということは、普通の人間の背丈では撮れない写真ということになる。三脚でも立てて撮影したのだろうか。

大仏と呼んでいるが、ここは高徳院というお寺なのだ。

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この案内板は以外にパっとしない。左上にはトイレが赤字で強調されている。しかしある意味でこれは参拝者のためを思った配慮なのかもしれない。参拝者にとっては、どこに何があるという事より、トイレはどこかのほうがサバイバルに必要な情報だからだ。

国宝ともなると石碑もおおぶりで立派だ。

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そして石碑の周囲には垣根が巡らされ、2,3本の樹木も植えられている。この石碑だけで一つの空間を形成している。さすが国宝を擁するお寺だ。

この境内には大仏様の放射する説法ビームが飛び交っているらしい。この参拝者を見よ。

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大仏様の「お導き」に従って、左右に散ることなく、脇目もふらず整然と行進している。

しかし奇妙なことに、大仏様からある一定の距離以内に接近すると、参拝者は突然クモの子のように散らばってしまう。

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これはどういうことなのか。大仏様のビームは遠くに照準を合わせているので、近いところに来るとビームが頭の上を通り越して影響がなくなるとでもいうのか。

熱力学第3の法則により、エントロピーは常に増大する、なるほど、大仏様の近くでは熱力学の法則の実地検証ができるように仕組まれていたのか。

旅の仕上げに、料金20円也を支払って大仏様の中に「侵入」させてもらう。すると驚いた。大仏様のお腹の中には漆黒の深い穴があり、奈落の底につながっていたのだ・・・

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というのは嘘で、この写真は大仏様のお腹の中から逆に上を見上げて撮ったんだよ。穴になっているところが首の部分かな。なかなか迫力がある。今回の旅のハイライトだ。

名残惜しかったが、「大仏前」停留所からバスで藤沢へ戻る。

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今後の課題を若干残したが、いい小旅行だった。

2009年4月16日 (木)

鎌倉:光則寺

次は光則寺に向かう。電柱に案内が貼られている。

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すると「保安林」という標識が。しかしどこに保安されるべき林があるんだろう?

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その標識から少し歩いたところに寺の門がある。その前に立派な梅があったが、これが保安林ではないよね。

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光則寺の門柱に名前が彫られている。

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その一方の、対になっている門柱には「行時山」と彫られている。

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なるほど、光速(光則)で時間を越える(行時)という意味か。これはタイムマシンでも設置されているのかな。

案内板を写真に撮り、後から読めばいいやといい加減に眺めて先に進んだ。ところがなんと愛する宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩碑が記述されているではないか。しまった見るチャンスを逸した。ここにはまた後日来よう。

光則寺の境内は石碑を中心に巨大な箱庭のような造園がなされている。奥に本堂がちょっぴり見える。

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このロータリー状の一角に有名なカイドウが植えられている。

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「市指定天然記念物」という標識が立てられている。

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少し進むと小さな案内が。

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わが中年探偵団は恐怖を払いのけて土牢を目指し階段を上る。

途中にはこんな墓が「帰ったほうがいいんじゃないか?」と脅してくるが、怯まないで先を進む。

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こんな石碑も。

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風雨に晒されて表面が削り取られており、読みづらい。何て書いてあるかわからない分、恐怖感が増すが、それでも先を急ぐ。

すると、あったあった土牢だ。

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入口にはささやかなお供え物が。

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中を覗く。手前の小灯篭だけがフラッシュを浴びて白光りしているのが何ともおどろおどろしい雰囲気を醸成している。

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ここに幽閉された日朗上人は強い怨念のオーラを放ったことであろう。

その証拠に、付近の樹木に異変が起こっていた。この裂けた傷口を見よ。

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この木には巨大な瘤が取りつき、ふた目と見られない醜い容貌にさせられていた。

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それに追い討ちをかけるように、心ない来訪者によるイタズラ書き(彫り)をされた木も悲しみの叫びをあげていた。

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根に奇形が起こり、エドガー・アラン・ポーの世界を彷彿とさせる光景にも出会った。

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いったいこの寺には救いがあるのか、と思い来た坂道を下る。すると、これまでの陰鬱な気分がすっ飛んでしまう嬉しいものに出会った。

困った時は下を見よ。石畳が見事な抽象絵画になっているではないか。

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これは素晴らしい。今回の小旅行で最高の掘り出し物だ。

鎌倉:長谷寺

入山券300円也を購入して長谷寺へ。

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この長谷寺は注意しないと不利益を被ることになりそうだ。まずいきなり木瓜(ボケ)と言われるとハッと我に返る。

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これはまずい。もっと緊張してつけ入る隙を与えないようにしなきゃ。私のハンドルネーム(序盤に隙あり)は名前だけで沢山だ。

こんどは「トンビに注意」の看板。

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もう一つ。

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意味が理解できない人のために「あなたの食べ物狙ってます」とご丁寧に解題してくれている。これはちょっと複雑な気持になってしまう。

「放生池」の鯉も同様だ。

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最初は遠くを泳いでいたのに・・・

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私が水際に近づいたら、群れの中の一匹が接近してきた。

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もっと近くまで来た。

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警戒心なぞまるで感じられない。昨今流行りのセキュリティはどうなってるんだ。また私が餌を惜しみなく与える馬鹿な人間に見えたのかとも思う。

花壇にある三脚禁止の立て札が気になって、ふとその背後を見たら巨大な赤い花が。

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なんだこれは!肝っ玉がすわっている人間かどうかテストされているみたいだ。

気になり出すと何でも気になる。この黄梅もそうだ。

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「おうばい」とご丁寧にふりがながふってあるところがまた私の精神に突き刺さる。確かに私は漢字が苦手だが、黄梅ぐらい読めらあ。

すると、こんな木に出会った。

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「まあまあ、そう絡みなさんな」と言わんばかりに枝が絡み合っている。だいぶ前にお客様を連れてシカゴに出張に行った際、自由時間にイタリア料理店に入った。まず酒のつまみに何かというので「カラマリ」を頼んだら、これが絶品。あっいけない。脱線してしまった。

石灯籠はすっきりしてるので大丈夫だろうと思った。

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しかしよく見ると、周囲に干支の動物がぎっしり彫られていた。「全部言えますか?」と試されているようで、何とも落ち着かない。石灯籠、お前もか。

不動明王は怖い顔をして睨んでいるし。

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ふれ愛観音は女性ばかり丁寧に応対し、私なんぞは相手にしてくれないし。

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少々被害妄想になっているから、美しい木立を眺めて癒されようと思った。

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すると怖ろしいものを発見してしまった。一番左の木の上のほうを見よ。薄笑いを浮かべた人間の顔が・・・。こりゃあもう限りなくビョーキだ。

やっとのことで境内の外へ逃げたら、そこには瘤を持った巨木が最後のとどめとばかり仁王立ちしていた。

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皆さん、長谷寺に行くなら事前に心身を鍛えておきましょう。

鎌倉:御霊神社

何の変哲もない江ノ電の踏切。しかしこの踏切が御霊神社の境内とこの世とを隔てる結界となっているのだ。

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境内に足を踏み入れて後を振り返ると、いま通過したばかりの踏切に江ノ電が。

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先に訪れた成就院では西と東の門に菱形の布袋を止め具で固定した結界が張られていた。これに対して御霊神社では鉄道という文明の利器を結界に流用しているのか。しかも設備投資は自前でなくて良い。今どきこんなおいしい話は珍しい。

御霊神社の由来について案内板が立てられている。

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祭られている是政公は私の住む鵠沼を含め湘南一帯を開拓した領主さまだと書かれている。これは偉い方だ。非礼の無いようにしなければ。しかし先に踏切を結界に流用したと悪口を書いてしまったから、祟りがあるかもしれない。

お詫びを兼ねて本堂にお参りを。

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それでも足りないかもしれないので、他にゴマをするネタを探した。すると「弓立の松」があった。これは中が空洞の、松の巨木の一部である。

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説明板には、是政公が弓を立てかけられたと書かれている。

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是政公お疲れ様です。しかし切られた松なら日本じゅうに転がっていただろうから、それに適当な逸話をくっつけて由緒ある名物に仕立てあげたんじゃないか、と同行の仲間が言った。こら、せっかく是政公に陳謝し始めたのに、元の木阿弥ではないか!

他には「袂石」、「手玉石」と呼ばれる石が祭られていた。

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袂石は十六貫(約60キロ)。これを是政公は袂に入れていたというから、大変な力持ちだったのだろう。是政さま、すごいですね。尊敬します。

あっ綺麗な桜が咲いている。

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と思ったが、これは「緋桃」だ。抑制された中間色のピンクが美しい。

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この巨木は何だ。いかにも社を守っているようだ。

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これはタブノキで、推定樹齢は350年を数えるという。「かながわの名木100選」に含まれる重鎮だ。

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御霊神社を後に長谷寺に向かう。その道は「御霊小路」と呼ばれていた。

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2009年4月15日 (水)

鎌倉:力餅屋

私たちは、やはり「花より団子」派のようだ。すぐ近くの交差点にある鎌倉名物「権五郎力餅」に立ち寄る。先ほどのポストがすぐ左に見える。これがソナタ形式の提示部。

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真ん中には店舗があり、これが展開部。屋根の上の古色蒼然とした看板、「七福神」の旗、「力餅屋」と書かれた暖簾、おまけに店の前にある石碑などが主題の展開を思わせる。

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この石碑には「御霊社鎌倉権五郎景正」と書かれている。次に向かう「御霊神社」へ向かう角ですよと表示しているようだ。

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そして店の右には赤い車が。これを再現部と見立てよう。停車している車はいずれ立ち去るであろうから、この「にわかソナタ形式」は期間(というか時間)限定でしか機能しない脆弱な形式だ。

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鎌倉:星の井

成就院の「東の結界」から長い階段を下りる。

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下界にたどり着いたら、道路を右斜め向こう側に横断する。そして少し歩くと「鎌倉十井」の一つ「星の井」がある。

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昔そのあたりは木が生い茂り、暗闇を形成していた。そしてこの井戸の水面(みなも)には夜空の星が映ったという伝承があるそうだ。そういえばシューベルトの歌曲に「水面の歌」というのがあったな。26歳の作曲者が4月に作った名作だ。同じ季節というのが何とも嬉しい。

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しかしこのロマンチックな井戸も厳重に蓋をされ、案内板に囲まれてしまうと、もはやその面影はない。ひたすら想像の世界に身を委ねるしかない。

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次のスポットとの間に「なかぐろ」の役割を担うかのように郵便ポストがおられた。期待に違わず、ちゃんと円筒形で出迎えてくれたのは偉い。拍手を送ろう。

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2009年4月14日 (火)

鎌倉:成就院

「根性植物」の塀沿いに少し行くと案内板があった。

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「あなた方は右の極楽寺から来たんですよ。ここは成就院です。そしてあなた方は次に御霊神社に向かうんでしょう?」と言いたげだ。ご親切なことだ。

階段を上り「西結界」の門をくぐると成就院だ。

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境内に入ると「成就院境内」という看板が。ここは本当に親切なんだな。ちょっとしつこくてうるさいが・・・。

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でもここはかの弘法大師様ゆかりの地なのじゃぞ。説明にそう書いてござる。

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はいわかりました。

すると比較的近くで鶯が鳴き始めた。でもちょっと歌の音程が悪かったので「この鶯下手だな」と言った。そしたら、まるでそれを聞いたかのようにひっちゃきになって鳴きだした。鶯をムキにさせてしまったのだろうか。

成就院から見下ろした景色。電柱と電線が無かったら絶景なのにな。

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往きと反対側の門をくぐる。そこはもちろん「東結界」だ。

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鎌倉:上杉憲方の墓

極楽寺を後にし、極楽寺坂を少し歩くと「上杉憲方墓」という碑が道路脇に立っている。

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石碑が単騎で立っているだけに見えるので、墓の存在を知らなければ通り過ぎてしまうだろう。まるで人の家に侵入するかのように階段を上り、塀沿いの狭い通路を抜けると、そこは霊場であった。

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説明が板に書かれている。風雨に晒され、あちこち変色しているので絵巻物のように見えてしまう。

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あまりよく手入れされてないようで雑草は伸び放題、苔は生え放題といった感じだ。でもそれがかえってクラシックないい雰囲気を醸し出している。

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極楽寺坂に戻り成就院に向かうところにまた「根性植物」が。

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鎌倉:極楽寺

極楽寺駅のすぐ裏手にあるのが極楽寺。忍性菩薩が開山したという案内板が日英対訳で書かれているが、なぜか英語のほうが内容が詳しい。日本では普通は逆なんだが、不思議だ。ふうん、極楽寺は当初私の住む藤沢にあり、鎌倉に移転したのか。

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この極楽寺は境内での写真撮影と写生を禁じている。門の前は暗く、無理矢理写真を撮るとこうなってしまう。石柱に彫られた「極楽寺」という文字が読めるだろうか。

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写真を残せず残念だが、さほど広くない境内には「八重一重咲き分け桜」、「製薬鉢」など見所がぎっしりだ。「見ざる・聞かざる・言わざる」ならぬ「見ない坊さん・聞かない坊さん・言わない坊さん」が彫られた石碑もあった。人が逆に猿の真似をするようで、哀しいながらも滑稽だった。

境内が撮影禁止なので腹いせに下を向いて写真を撮った。さすが鎌倉。マンホールの蓋まで工芸品的なたたずまいを見せている。

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でもなんとか寺の写真を残したい。そのためには困難を恐れず突き進むしかない。というわけで、「この先行き止まり」の看板を無視して魔界に突入する。

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すると「案ずるより産むが易し」というわけで、寺の裏門から寺院の姿を捉えることができた。2本の樹が狛犬のように裏門を警備する姿は何とも凛々しい。

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鎌倉:極楽寺駅界隈

2009年4月12日(日)
鎌倉散策に行った。極楽寺から大仏殿までの半日コースを歩いたのだ。

今回の「小さな旅」の基点となったのは江ノ電の「極楽寺」駅だ。さすが観光地。駅名の看板が4カ国語表示になっている。写真の下手なジョヴァンニが、焚かなくていいフラッシュを焚いたものだから自分が写り込んでいる。

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改札を抜けて駅舎を振り返ると、屋根の上に桜が影を落とし、黒と朱で描かれた書のような線が見える。出発点でいきなりこれだけの佳品を見せられ、あらためて鎌倉の奥深さを知った。

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駅入口には期待を裏切らず、円筒形タイプの郵便ポストが鎮座。圧倒的な存在感を示している。

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以上を集大成したのが次の写真。駅舎と屋根、桜、郵便ポストという「風景3点セット」がそろい踏みだ。屋根の上にある緑の看板と郵便ポストの赤が補色関係にあり、この出発地点の風景を強固なものにしている。

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さらに手前には黄色い横断旗、右上には青い交通標識、右下には鮮やかな白のガードレールまで集合し、ここはもう色彩の展示室だ。

線路沿いに少し歩くと、先ほどの桜に呼応して「桜橋」が江ノ電の上を跨いでいる。この欄干の赤は先ほどの郵便ポストとどこかで繋がっているのか。

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橋に平行して線路を越えている太いパイプには早速「根性植物」が。いつ滑り落ちるかという危うい場所でこのような唐草模様を見せてくれる植物のサービス精神に脱帽。

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橋を渡ったところには8羽のミミズクが「ようこそ極楽寺へ」と出迎えてくれた。最初の観光スポット・極楽寺はすぐ隣だ。

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2009年4月12日 (日)

室内楽練習の合間に

みなとみらいホール練習室で弦楽三重奏とピアノ四重奏の「過酷な」練習を行った。休憩時間に中庭でホッと一息。

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2009年4月 9日 (木)

佐藤和彦 陶展

2009年4月8日(水)
「佐藤和彦 陶展」(ギャラリー田中:銀座)に行った。

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地元(藤沢市)で知り合ったアーティストだが、既に巨匠の風格がある。作品は円熟味があり、しかも若々しい。観ていて楽しくなる。

案内はがき(上の写真)の「青釉金彩壺」は上部に活け花のための口がある。こんな洒落た花器に花を活けたら部屋が明るくなるだろうな。

東洋風と西洋風がミックスしたような文様と肌触りは独特のものだ。次の展覧会にまた期待してしまった。

2009年4月 4日 (土)

花見 in 砧公園

砧公園で花見を楽しんだ。

砧公園の入口は花見客でごった返していた。その人混みに押されて倒れそうな看板は、大きな樹に支えられているように見える。いや、押されて倒壊しそうなのは樹木のほうで、看板がそれを支えているのか。

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公園入口の前にはサルスベリの樹がある。手造りの表示板が楽しい。

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でもサルスベリそのものはもっと楽しい。この樹皮に表出した抽象絵画の美しさを見よ。

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入口から公園に入ると、こんどはケヤキの表示板が。これはもっとカラフルだ。

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ケヤキもサルスベリに負けじと「樹皮絵画」を具現させている。これは帽子か長靴か。

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こちらも美しい。ロベール・ドローネーの円環構成を想起させる。

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その横には加山又造描く一面の花が(てなわけないか)。

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私は「植物音痴」だ。花の名前を知らない。黄色い花を見たら菜の花だと思ってしまう。これは菜の花に違いない。菜の花に決めた。なぜならまた山村暮鳥の「いちめんのなのはな」を思い出してしまったからだ。

真実には3種類ある。1.「科学的真実」、2.「文学的真実」、そして3.「なりゆき上の真実」だ。この場合は「なりゆき上の真実」に当てはまる。誰が何と言おうと、これは「いちめんのなのはな」でなければならないのだ。

あっいけない。花見に来たのに、桜以外のことばかり書いてしまった。すぐ本筋から外れる悪い癖だ。

それでは頭を切り替えて、まずは大きな桜の雄姿から。桜の花に隠れてシルエットだけ見えるのは、「20世紀少年」の「巨大ロボット」か。

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垂れ下がる枝にすがりつくように咲いている桜の花。

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近くで見る桜も美しい。

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花見をするには場所と酒と肴が要る。「ここに決めた」というスポットの芝生の緑に持参した丹沢の地酒「松みどり」を設置する。

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やがて花見プロジェクトチームのメンバーが集結し、「松みどり」を軸として豪華な肴が乱舞する。エントロピーは常に増大するのだ。

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そして遠方に眼を転じると、そこにはNHKが。あれっ、ここは渋谷に近かったっけ?

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そんなジョークも飛び出したのだが、一瞬本当に渋谷の近くなのかという考えが頭をよぎったので、笑えなくなった。後で調べたら、これはNHK技術研究所だった。

お後があんまりよろしくないが、楽しい花見は収束に向かったのであった。

2009年4月 2日 (木)

橋の上の船・道の上の橋

ここは橋の上である。
橋の上の船。Ship on bridge.

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ここは道の上である。
道の上の橋。Bridge on road.

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2009年4月 1日 (水)

歴史の天使(写真展)

2009年3月31日(火)
「歴史の天使 アイ・ラヴ・アート10 写真展」(ワタリウム美術館:神宮前)に行った。

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今回展示された20人のアーティストによる写真作品のなかでは、ロバート・メイプルソープの作品から最も強い印象を受けた。しかし、元来私はメイプルソープが嫌いだ。

いつだったか北海道に旅行した際、ある美術館に立ち寄った。そこでは常設展の他にメイプルソープの特別展示も企画されていた。義理の両親からこの企画展は面白いかと聞かれて、私は即座に「つまらないから常設展だけにしたほうがいいですよ」と言ったことを覚えている。そんな私がなぜ嫌いのはずのメイプルソープ作品に心を動かされてのだろうか?

今回の展示では、「得意の」ヌードではなく花を撮影した作品が主に展示されていた。この花がなんとも艶かしいのだ。ジョージア・オキーフが描く巨大な花弁を思い起こして欲しい。ちょうどそのような感じの写真なのだ。そしてそれが観る者を圧倒するオーラを発しているのだ。

花にしろ人体にしろ、メイプルソープの作品はみな「造形的」に見える。もしその造形物が無機物で構成されていたら、キュビズムの絵画のように好感を持って美しく思うだろう。これに対してメイプルソープの写真は「有機物」であり、それも極めつけの「生命の躍動がある有機物なのだ。これが観る人を圧倒するのではないだろうか?

ヘルムート・ニュートンの妖艶な女性像も捨てがたいが、「生」の根源から発する放射線の威力においてメイプルソープに並ぶ者はいない。そんな発見をした展覧会だった。

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