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2009年3月14日 (土)

熱海:案内図のMAZE

案内図は何のために作られるのだろうか?今回の熱海行軍の出発点となった桃山坂には大きな案内図が掲げられている。

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左下には降りたばかりの熱海駅と、そのすぐ近くにある「現在地」が示されている。上のほうには、これから向かうMOA美術館などが描かれている。案内図は目的地に観光客を案内するために設けられているらしい。

しかし案内図は持ち運べない。案内図を離れると、そこから先は記憶に頼るしかない。確かに私は案内図の写真を撮ったが、デジカメでは画像を再生しても画像が小さいからよく見えない。だからこういう案内は紙に印刷されたものがあればよく、大きな案内図はあまり必要だとは思わない。

さらに今後は各種ナビが普及してくるだろうから、このような大きな案内図の存在意義は次第に薄れてくるのではないか。

一方、本来の目的(観光客を目的地に案内する)の他に、他のミッションを担わされた案内図もあるのではないかと思った。例えば伊豆山神社の奥に設置されたハイキングコースの案内図を見よ。

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ここには確かに案内があり、情報がある。でもそれ以外に何か感じないだろうか。下のほうには若いカップルが楽しそうにハイキングしているイラストが描かれている。右上には清原元輔の短歌が紹介されている。

目的地に正確に行き着く目的だけが重要なら、このイラストも短歌も必要ないはずだ。ここには「熱海は楽しいよ」というメッセージが隠されているのではないだろうか。あるいは左上に描かれたケーブルカーのイラストにより、ケーブルカーに乗りたいという欲求を刺激して観光客にお金を落としてもらう深慮遠謀があるのかもしれない。

バス停にはこういう案内図があった。

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「湯~遊~バス」なる楽しいものがあるらしい。しかしここで疑問が生じた。この案内図は伊豆山神社の停留所に掲げられていたものだ。その停留所ではじめてこの案内図を見た人は、はじめて「湯~遊~バス」の存在を知るわけだ。これって何だかおかしくないかね?

「湯~遊~バス」というのは一種の周遊バスのようなものだろう。そうなら伊豆山神社のような途中の停留所から乗ると料金的に割高になってしまう。だってその人は既に伊豆山神社まで到達してしまっているんだから。こういうサービスは、やはり基点(例えば熱海駅とか)から乗車してはじめて「お得感」が出るはずである。

案内図の中には、上記のような「総合案内タイプ」の逆に「単一目的タイプ」も存在する。MOA美術館への方向を示したこの案内図(というか案内板)を見よ。

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「MOA美術館」という名称と一つの矢印だけで構成されているこのシンプルさ。これで私たちはどちらの方向に歩けば目的地にたどり着くかわかるのである。石垣にさりげなく取り付けられたこの清楚な案内板は、排水溝に取り付く「根性植物」のようにいとおしい。

ではこれはどうか?来宮神社の前に乱立する案内図(案内板)の群像である。

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左上には大きな交通案内図が、「俺様の地位を脅かすものなぞ何もないぞ」とばかりに鎮座している。駐車場を探すドライバーは目線を右斜め下にずらしてはじめて「来宮神社P駐車場入口」という案内板を目にする。右へ行こうと思ったら「工事中」ときたもんだ。

こうなると、案内図はMAZE(迷宮)と化してしまう。

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