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2009年1月18日 (日)

寺田由美 パーカッションアンサンブル

2009年1月14日(水)
寺田由美 パーカッションアンサンブル「ドライブ」の「ニューイヤーコンサート2009」(みなとみらいホール・小ホール)に行った。

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最近は展覧会通いが優先でコンサートにほとんど行かなくなった。家族・親戚や友人が出演する場合を除き、進んでお金を払って行こうと思うコンサートは作曲家の新作発表など現代曲に限られている。 今回はそれらに当てはまらないもので、例外中の例外だ。

足を運ぼうと思ったトリガーは(いかにもオジサン的で恥ずかしいが)4人の美しい演奏者を見たかったのだ。チラシを見たらわかるでしょ?では共演の男性2人はどうでもいいかというと、いやそういうわけでも・・・この話は苦しくなるので止めよう。

実際に演奏を聴いてみたら、いろいろ収穫があった。ああよかった。これで、単に美女を拝んで帰ったわけでなく、価値を持ち帰ることができたのだ。

収穫の一つは、♪<持続する低音>が聴こえたことだ。誠に恥ずかしいが、私はマリンバの機能・性能などを知らず、どのマリンバも切れ切れの音しか鳴らせないと思っていたのだ。しかし随所でズーンと伸びる低音を聴いたのだ。

一緒に行った会社社長のМ君もなぜ音が伸びるのかと不思議がっていた。彼は技術者で、マリンバの形態を見ただけでその構造と機能をある程度読み取ることができると言っていた。その彼も、この持続低音に関してはお手上げの様子だった。いったいどのような仕組みでこの持続低音が出るのだろうか?調べてみたい。

もう一つの収穫は、♪<マリンバ・アンサンブルへの編曲>に関してだ。この6人のグループの素晴らしいところだと思ったのは、演奏した9曲中、半分近い4曲をメンバーが編曲していることだ。(天明さおりと土井吉弘がそれぞれ2曲づつ編曲を担当していた。)その結果、このグループは単に既存の曲を取り上げて演奏しているのではなく、編曲という創作行為を伴って芸術活動を進めているわけだ。

マリンバ・アンサンブルにおける編曲のポイントはどういうところにあるのかと考えようとしてみたが、マリンバそのものをよく知らないので明快な答えを出せなかった。例えば先に書いた「持続する低音」の上に鋭い高音を乗せ、バランスを取りながら構成してゆくというような感じで成り立たせているのだろう。具体的にもっと深いところを知りたい。

実は以前私は妻に頼まれて、声楽曲の伴奏パートをピアノとマリンバ用に編曲したことがあったのだ。そしてそれは小さなコンサートで一応音になった。しかしもともとマリンバについて深い知識がなかったので、自分でもいい出来だとは思っていない。演奏して下さったマリンバ奏者と妻には悪いが、実力が及ばなかったので容赦してもらいたい。その編曲作業の前に今回のようなコンサートを聴いていたら、若干出来が違ったかなと思う。

また最後に演奏されたダリウス・ミョーの「スカラムーシュ」は妻が2台ピアノで演奏したことがあり、今回マリンバ編曲で全く違う響きを聴いて新鮮な印象を持った。

3つ目の収穫は、♪<演奏者の動き>に関してだ。プログラムの1曲目、ヨハン・シュトラウスの「常動曲」では文字通りメロディーが休まず鳴っているわけだが、演奏者は一つのフレーズ毎に隣りの楽器に移るというローテーションを披露していた。客席から見ると、6人がくるくる回って鬼ごっこをしているようだ。

また打鍵楽器特有のトレモロ奏法など、他の楽器と異なる身体の動きが豊かで、それだけでも視覚的効果があるようだ。

これらを総合すると、パーカッションのアンサンブルは他の編成、例えば私がやっている弦楽四重奏などと比較して、この「見てくれ効果」を伴っている分だけ観客を楽しませる要素が多いことになる。羨ましいと思うと同時に、きびきびした動作でもって演奏しないと面白さが半減してしまうだろうなとも思った。

リーダーの寺田由美のベテランの味、編曲も担当した天明さおりの知的な演奏、同じく編曲も担当した土屋吉弘(高校の後輩だった)のトーク、もう一人の男性 東桂樹の達者なドラムス、堅実な演奏の内田真裕子、可憐な感じの斎藤祥子というように、メンバーはみな個性豊かだったと思う。ゲストのクラリネット奏者 坂本和彦氏は温厚な人柄を感じさせるものがあった。今後も聴きたいグループだ。

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コメント

パーカッション・アンサンブルへの編曲というのは、なかなか楽しい世界に思えますね。音色が豊富にある、ということにも視覚的な感触があるます。

ハシビロコウさん、こんにちは。豊富な音色を「視覚的な感触」と感じられたのは音楽ライターらしいですね。

パーカッション奏者の動作は、どこか舞踏家に似たものがあり、3分の1ぐらいは「身体芸術」として成り立っているのではないかと思います。

そこにハシビロウコウさんが言われた色彩感覚が加わると、美術的側面も付加され、さらに厚みを増しますね。

身体表現がある、というのは、僕もパーカッショニストの演奏を聴いていて感じたことがあります。むしろ、演奏のために身体を動かしている、のではなくて、身体表現、運動の流れの中で音が発せられる、というパフォーマンスにさえ思いました。

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