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2008年11月13日 (木)

ワイエス 創造への道程

「アンドリュー・ワイエス 創造への道程(みち)」(Bunkamura ザ・ミュージアム)に行った。

Photo

これまでは「クリスティーナの世界」や「決闘」など名作だけ集中的に鑑賞してきた感がある。それに対して今回は若い頃の作品から近作までが順に展示されていたので、流れがわかってよかった。

今回感じ入ったポイントを一つ挙げるとすると、「描く対象の絞込み」であろうか。今回は展示されなかったが、「決闘」がいい例だ。漁師が大魚を釣ろうとする。大魚は不覚にも口に引っ掛けてしまった釣り針を外して逃れようとする。つまり漁師と大魚は「釣具」を媒介にして「決闘」という相互作用を行うわけだ。

この作品の場合主役は「決闘」であり、漁師でも大魚でもない。そのため、習作で描かれていた漁師などが順次消去され、最終的に完成した作品は大岩に立てかけた釣具だけが残されているという作品である。

今回の展覧会でも同様の作品があった。
「火打石」では鳥が消されていた。

「松ぼっくり男爵」では松ぼっくりを拾う女性が消されていた。
「卵の計量器」では計る人間が消されていた。

描く対象を絞り込むにあたっては、結構深い考えを必要とする。「松ぼっくり男爵」の場合、このニックネームで呼ばれる男性を主役にするなら彼の姿を描くべきだろう。しかし完成した作品では鉄のヘルメットに詰められた松ぼっくりだけが残されている。

主人公がドイツから米国への移民の際に移植した松とヘルメットという「周辺物」によって、その中心人物を浮かび上がらせるという手法はかなり高度なものに感じてしまう。

また、これはおまけのような話だが「747」という作品では、7時47分という時刻と、その瞬間に上空を飛ぶボーイング747との裏の関連性を暗示している。生真面目にみえるワイエスも、こんなユーモアを前面に出した作品を描いたのかと感心した。

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