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2008年9月28日(日)
「音楽の福袋 ジョイント・コンサート 合唱?合掌? お寺でオペラ!! Vol.3」(本覚寺ホール:台東区松が谷)に行った。高校の同級生ベルテノーレ君(ニックネーム)がテノールで出演した。オペラのアリアが主体だが、ピアノソロでジャズも演奏された。
住宅街のなかにこの小さな寺はある。
この寺では蝦蟇(がま)を拝んでいるのか。
親ガマの上に子ガマ、子ガマの上に孫ガマ。
狐もいる。ガマと狐は仲がいいのであろうか。
コンサートは本堂で行われる。
お寺の本堂で西洋のクラシック音楽とジャズが鳴り響くのは、異文化の並置・対立の要素があって面白い。例えばコンサート開始の合図としては寺の鐘が鳴らされる。
本堂内は正面に仏様、左手にステンドグラスがある。
コンサートはこのステンドグラスを背にしてステージが組まれた。名機ベーゼンドルファーが鎮座している。
オペラでは小道具としてよく花が使われるが、「お寺なので菊の花です」というジョークも飛び出し、楽しい。
全部で16のステージがあり、作曲家もヴェルディ、ロッシーニ、プッチーニ(以上イタリア)、モーツアルト(オーストリー)、グノー、ベルリオーズ(以上フランス)など多様だ。歌われる言語もイタリア語、ドイツ語、フランス語と多彩になる。
またピアノソロでガーシュウィン(アメリカ)のジャズも口直し的に演奏されたが、これが名演だった。
友人のベルテノーレ君は6つのステージに登場したが、彼の十八番(だと思う)「誰も寝てはならぬ」(オペラ「トゥーランドット」より)が熱唱でよかった。
最後の「リゴレット」からの曲では、最初二重唱で途中から四重唱になり演奏者全員のアンサンブルを聴かせてくれた。アンコールは一番若いバリトンをたてた形で演奏された。
全体的に、聴き手のことをよく考え、飽きないように、面白いようにと工夫して戴いたのがよく伝わってくるコンサートだった。
終演後、本堂を出る。境内の敷石には落ち葉が。
門を出てコンサートの案内を振り返る。
外に出ると、舗道にも落ち葉が。秋だなあ。
2008年9月27日(土)
「BankART LifeⅡ 都市に棲む~心ある機械たち」のうち未見の2会場をまわった。
BankART Miniでは松田直樹の作品を観た。針金であろうか、細い紐状のものを編んだハットとステッキが面白かった。向こう側が透けて見え、そこの空気に自由が与えられたような感じになる。盛り土が巨大な顔となるように細工した作品の写真は面白かった。
ぴおシティでは高橋永次郎の作品を観た。パソコンのキーボードにロボットの鳥がとまって首と嘴(くちばし)を動かしているだけなのだが、何となくユーモラスで心がなごむ。「心ある機械たち」のキャッチフレーズ通りだ。
いずれも午後7時まで開催してくれるのが有難い。勤めを終えてから観にまわってもギリギリ間に合うからである。
2008年9月26日(金)
木下牧子 作品展3 [室内楽の夜](津田ホール)に行った。現在活躍している作曲家の作品、しかも大好きな室内楽なので楽しめた。
本来私はポリフォニー嗜好なので、声部間のからみが明瞭にわかる作りを好む。そういう意味で今回のコンサートでは冒頭のピアノ組曲「夢の回路」が最もすんなり楽しめた。しかしそれとは逆行するようだが、声部が不明瞭な全体としての響きの美しさも味わった。これがで私の狭い視野を広げてくれたという意味で、今回のコンサートの最大の収穫ではなかったかと思う。
ピアノのための「夢の回路」
[Ⅰ] 四度積み上げ和音など、不協和な和音の連鎖が続いた後、小休止の際に協和音が鳴っていた。これはフレーズの完結性を示すための措置であろうか。響きが綺麗だった。
[Ⅱ] 同音連打、意図的にずらしたリズム、時々多調の響きなどがミックスされ、先住民の音楽やジャズを連想させる。時々ぷつっと切れて仕切り直しをするが、これは木下牧子の特徴の一つだろう。音素材の組み合わせが面白く、飽きないで聴けた。
ソプラノ、ハープ、ヴィヴラフォン、チェロのための「ヴォカリーズ」
ハープとヴィヴラフォンの音が溶け合って茫洋な感じを出し、その上に器楽的に扱われたソプラノが明瞭な響きを聴かせる。チェロはその中間で、和音で曖昧な響きの中に入り込んだと思うと、ピチカートで明確に音を刻んだり、さらにはバッハ等のフーガで使われる模倣のようにソプラノのフレーズを追いかけたりする。時々、ハープとヴィヴラフォンが同じことをする。そんな作りだ。
自由な三部形式で、中間部は長三和音が主導的になり、明るい響きに変わる。そこで聴こえる旋律は多分に古典的である。その古めかしそうなメロディーに近代和声の味付けがされているという感じだった。最後にチェロが朗々とメロディを回想して終る。
美しい曲だった。
クラリネット、ヴァイオリン、ピアノのための「ねじれていく風景」
[Ⅰ] ソナタ形式かと思ったが、自由な三部形式と呼んだほうがよいかもしれない。上行音階をモチーフとし、そのモチーフが姿をいろいろ変えて繰り返される。音階をテーマにして曲を練り上げるというのは、授業で課題制作をやっているようだ。作曲家として、このような制約を自分自身に課し、気のきいた作品に仕立て上げるというのは一種の快感であろう。
[Ⅱ] これも三部形式かな。一つの楽器がメロディーを奏で、他の楽器がトリルやアルペッジョでお供するという作りになっていた。
[Ⅲ] 主としてピアノによる硬質の旋律と、他楽器による柔らかい旋律を対比させ、発展させていった感じだ。
全体的に律動感にあふれる好曲だった。
フルートとパーカッションのための「夜はすべてのガラスである」
自由な三部形式だと思う。フルートと打楽器という溶け合いそうにない組み合わせなので、なんとなく空虚な感じが漂い、東洋的な雰囲気が醸し出された。フルートの特殊奏法が尺八を連想させたからであろうか。フレーズとフレーズに挟まれた「間」も日本的情緒を出していた。
個性に満ちた曲だった。
パーカッション・アンサンブルのための「ふるえる月」
開始後間もなく、ダブルベースの弓でヴィヴラフォンの鍵盤をこすって倍音を出していたが、他の音から浮いて美しく映えて聴こえた。3つの音で構成される動機を各楽器でぐるぐる回しながら積み上げていく作りに見えた。(あるいは3つではなく、4つか5つかもしれないが)。ヴィヴラフォン3台にマリンバが加わった響きは素晴らしい。
ずばり、響きの美しい曲だった。
パーカッション・ソロ+アンサンブルのための「打楽器コンチェルト」
[Ⅰ] ここでもぷっつり切れる特徴が出ていた。拍子木をだんだん速く打ってゆくような打鍵を、音を変えながら各楽器で受け渡してゆくところがあった。これは聴き方を変えると、メロディーの1音1音を違う楽器で奏してゆくとも考えられる。
[Ⅱ] 全編、不協和音が鳴り続けるのだが、不思議な透明感がある。どんな和音を使っているのか興味がある。
[Ⅲ] 荒々しいリズムと民族的な音階にジャズの要素を混ぜたような曲だ。全楽器が鳴ったり、ソロが活躍する部分があったりして、バロック音楽の「合奏協奏曲」の要素を感じ、楽しく聴けた。
演奏する楽しみ、聴く楽しみの両面を意識した作品だと思う。
以上、さすがに気鋭の作曲家だけあって、どの作品も聴いて楽しく、参考になる点も多かった。
2008年9月23日(火)
「21美術展」(かなっくホール:東神奈川)に行った。
お目当ては日本画家・神崎憲子の作品。今回は2作品が展示されていた。
「ほわんほわん」は風船あるいはしゃぼん玉がいくつか浮いているような絵で、抽象画ともとれる。明るい色彩で観る人を和ませる絵だ。
「子供と鯨」はボートに乗った男の子と女の子が、海の中をゆったり泳ぐ鯨を見て喜んでいる絵だ。ボートは透明で、水面下を泳ぐ鯨の姿がはっきりと見える仕掛けになっている。波はきらきら輝いていたが、これは岩絵の具の特長とのこと。日本画のアドバンテージと言えそうだ。
2作品を観て、日本画と洋画の区別がますます難しくなってきたことを感じた。日本画にも抽象画があるし、西洋的な題材を描いた絵もある。神崎憲子は一つの作風に凝り固まることなく、様々なタイプの絵に挑戦している。そして日本画・洋画のボーダーも越えて創作しているようだ。
次回は11月末から12月にかけて東京都美術館で開催されると聞いた。楽しみだ。
2008年9月22日(月)
「BankART LifeⅡ 都市に棲む~心ある機械たち」(BankART1929 Yokohama:横浜馬車道)に行った。もう一つの会場(BankART Mini)は時間がなかったので後日の楽しみとした。
会場には「心ある機械」がいっぱいいた。素人好みのようだが、ヤノベケンジの起き上がる巨大なロボットが面白かった。また田中信太郎の電気仕掛けの棒でピアノの鍵盤を弱々しく叩く作品も虚ろな感じがよく出ていた。
最も感心したのは川瀬浩介の作品だ。パチンコ玉が打ち出され、飛び跳ねながらチャイムの鍵盤の上を順番に叩いていくという簡単な仕組みだ。しかし正確に3つの鍵盤に当たって跳ねてゆくその精密さには驚かざるを得ない。ちょっと(小数点以下何ミリという世界)ずれただけでも成功しないだろう。
この展覧会は、F君と初めて一緒に観た記念すべきイベントだ。私の記憶からは消えるかもしれないが、ジョヴァンニッキには永遠に刻まれて私の記憶の代わりをすることであろう。
2008年9月21日(日)
「田村能里子展」(日本橋高島屋)に入った。
「大本山天龍寺塔頭宝厳院本堂再建襖絵完成記念」ということで襖絵を前面に出した展示だった。しかし私は襖絵よりタブローの方が見たかったので、奥へ進んで油絵を中心に観た。
田村能里子の描く女性は素敵だ。これは「風の足音」の絵葉書。
まず目を奪われるのは美しい色彩だ。朱色(のような色だが名称がわからない)を基調に同系統の色に微妙な変化をつけてまとめている。左上と右下には青が配置されているが、うるさくないのが不思議だ。女性の姿も柔らかく美しい。
これは「Away from chaos」の絵葉書。
大胆な絵だ。女性像の上のほうに、左右に濁った赤色の雲みたいなものが横切る。少し左上には窓枠であろうか、外の青い空と建物が見える。カーテンは鮮やかな黄色。こんな派手な色を並べているのに、シックな感じがする。もしかして田村能里子は「色彩の魔術師」かもしれない。他にそのような定評を得ている画家は何人かいると思うが、田村能里子も加えたい。
今回の展覧会でこの画家がますます好きになった。行ってよかった。
「ジム・ハサウェイ展」(GALLAERY CN:藤沢)に行った。
「ENODEN ART #3」と称して、10人のアーティストが江ノ電沿線各地で個展を同時開催するという企画の一環だ。興味本位で行ったのだが、作品が素晴らしくて驚いた。
作者は西洋人で当初油絵を描いていたが、墨絵に魅せられて転向したという。その情報で、西洋的・論理的な構造の上に、東洋的・有機的な形状が乗っかっているような絵を描くというイメージを持った。
しかし実際には構成も東洋的というか、感覚で配置しているようだった。それではまるで根っからの東洋人みたいじゃないか。この点に強く感心した。
縦横に交差した直線、円弧を描く曲線などが自由に組み合わされており、それらの太さも様々だ。細い線は竹ヒゴを使って引くのだそうだ。また物体などの表面は薄い色から濃い色までグラデュエーションが効いて味わい深い。
江ノ電であろう、電車を描きこんだ作品が多い。電車というと墨絵の題材に相応しくないように思うが、この人にかかると何の違和感もなく絵の中におさまっていた。擬人化とは異なるが、電車に生命が吹き込まれて、活き活きとしていた。
淡く彩色されていた作品もあったが、モノクロームのいわゆる墨絵作品が多かった。形態もタブロー、掛軸など多彩である。なかには「Three Days Tattoo」と称して小さなかわいい刺青作品もあった。
こんな素晴らしい墨絵作家がいたとは知らなかった。しかも西洋人で。今後が楽しみだ。
この植物を見よ。
画面右手から左の方に伸びた樹の枝が、途中で何らかの要因により下方へ向きを変えた。そしていったん真下を向いたのだが、円弧を描くようにまた上方へと向かってきた。そしてついに垂直に上へ向かって伸び続けるに至った。何という根性であろうか。
新橋駅を出発した「ゆりかもめ」が東京港を渡るために架けられたレインボーブリッジに接近する。すると電車はいったんあさっての方向に向かって進む。初めての乗客は不安になるが、ゆりかもめは円弧を描きながら向きを変え、同時に高さも増して橋を渡ってゆく。
最初、ゆりかもめは直進している。これは一次元の運動だ。次にループを描くように動くので、これは一見二次元の運動に見える。しかし同時に高度も上げているから、実際には三次元の運動である。一次元から一気に三次元に達するこの円環運動は、誠に美しく、誠に楽しい。
ひるがえって軽井沢の「根性樹木」はどうであろうか。円弧を描いた後、この枝は2つが隣接する格好になるから厳密には三次元だ。しかし2つがくっついているので、大まかに見たら二次元的であろう。しかし、根性樹木はゆりかもめと大きく異なる点がある。
それは、ゆりかもめの円環がほぼ水平であるのに対し、根性樹木の円環は縦になっていることである。水平の場合と異なり、縦の場合は重力なるものが働く。従って途中から垂直に上に伸びる場合は、重力に打ち勝つ必要がある。見かけだけでなく、力のうえでも「根性」が必要なのだ。
根性樹木よ、以上のようなくだらない思考で頭を刺激する材料を提供してくれてありがとう。このご恩は一生忘れないよ。
夏に軽井沢に行き、その報告をする予定だったが、東横架線跡壁画の緊急報告に夢中になり時期を逸してしまった。少々遅れたが報告しておこう。
建築家・吉阪隆正の軽井沢の別荘に(ご家族の厚意に甘え)居候させてもらい付近を散策したところ、素晴らしいものに遭遇した。「5人の建築家 織り成す美しいハーモニー」というキャッチフレーズを掲げたボードがあり、その一角に個性あふれる住居が5棟並んでいたのだ。
建築家5人とディベロッパーとのコラボレーションであろう。現代的な企画で興味が沸いたが、真っ先に感じ入ったのはその洒落た建築物だ。
エントランスから入る。
この門からしてアートになっている。コンクリート打ちっぱなしの建材2つをそのまま地面に立て、煉瓦の帯を施した姿は立派な屋外彫刻作品だ。
この作品は、床と屋根が同じような厚さの巨大な板で作られているように見える。
それらの「板」が並行に重ねられた姿はル・コルビジェのドミノ工法を想起させる。ほぼ前面にめぐらされた透明ガラスの窓(兼壁面)が外光をたっぷり取り入れて明るい。すっきりしたその形態は、回りの有機物(木々など)とよくマッチしている。こんな別荘に住めたらいいな。
この作品はピロティが目立つ。
やはりル・コルビジェの影響が色濃いようだ。でも上部の造りは独創的だ。屋根と壁が斜めに接し、単純でありながら多角形のような複雑性も兼ね備えている。そのため見ていると一種のリズムというか動きを感じる。よく見ると正方形の窓のサイズと位置が微妙にずれている。それがまた深い味わいを出している。楽しい作品だ。
この作品は建物全体を二つにパカっと割ったような形状をしている。
ほぼ直角に折られた二つの部分には、大きな窓が並び相互に顔を合わせることができる。それが家族のコミュニケーションを促進するようだ。これがぴったり合わさっていたら、逆にそこは壁が置かれ、かえって意思疎通が阻害される。この住居建築はそのような効用があると考えた。
この他にも2軒あり、全部で5軒の斬新な住居建築が並んでいる。これらの作品に本当に5世帯が入居し、生活を始めたらどうなるだろうか。理想郷のようなコミュニティーになりそうだ。
通常「番外」というと「正式採用には漏れたがチャームポイントがあるので捨てるに忍びなく没を逃れた」というイメージがある。しかし、ここに紹介する「番外」たちはみな立派な作品ばかりである。
ではなぜ選に漏れたかというと、型通りの分類に当てはまらなかったり、うっかり見逃したり、あえて見送って最後に紹介しようという意図があったり、様々な理由による。それは紹介する作品をご覧になれば納得いただけると思う。
これは、な、なんと写真だ。
この作品を観た途端に夢中でシャッターを切った。しかしその後ブログに記そうと思ったら、はたと困った。思い描いた分類のどこにも当てはまらないからだ。「写真たち」というジャンルを設定すればすんなり収まるのだろうが、あいにく写真らしい作品はこれ一つだけだ。たった1作品で1つの分類項目を設けるのはちょっと大げさになる。というわけで「番外」になってしまったのだ。
この作品は魅力的だ。これはどこの街だろうか。人力車が見えるのでアジアのどこかの都市なのか。しかし魅力を形成しているのは、被写体が地理的にどこかということではない。全体構成だ。右上にはモノクロームの原作に後から化学的に加えられたと思われる色彩(赤)が、右下には手作業で塗られたように見える色(緑)がある。おなじみ補色関係だ。
そして全体の配置・構成の見事さ。四角と丸の幾何学的図形の重なりが、被写体の人力車の有する形態(本体の四角と車輪の丸)に呼応している。「壁画」中、異色の傑作だ。
この作品は「人物たち」というジャンルを設けていれば当てはまった。
しかしジョヴァンニの趣味で人物に関しては「美女たち」という女性だけの分類は作り、男性は無視してしまった。そのためこの作品が宙に浮いたというわけ。ごめんなさい。漫画チックというか、ほとんど漫画なのだが全体のバランスが良く、秀作だと思う。緑の地に青を浮きたたせているあたりは地味だが美しい。
これは人ではなく神様だ。
「魔物たち」という分類を設けたが、七福神を魔物と一緒にしたら失礼だよね。しかしほのぼのとした神様たちだなあ。神がこんなに大らかなら信者たちも信心深さの追求にあまりキリキリしなくて済みそうだな。よく見ると、七福神が乗っている船も猫か何かの化身のようだ。
「動物たち」というジャンルを設けたが、この作品を含めなかった。
これは「鼠のマウス」という洒落を絵にしたものだろうか。それで「冗談たち」という分類を考えたのだが、票が集まらないまま置き忘れてきたというわけ。それにしても下部に描かれた看板の見事なこと。本物の板が鋲で打ちつけられているようだ。「トランプ・ルイユ」(だまし絵)の一種かな。
これは動物とも人間ともいえる。
夫婦喧嘩を描写したものだろうか。対峙した男女がそれぞれ鰐(わに)の面をすっぽりかぶって睨み合っている。描き方と人物の表情からして外国人アーティストらしく見える。風刺なのか、寓話などのテキストがあるのかわからないが、目を引く作品だ。
人物という概念を超えた作品もある。
大きな手が示しているのは神の言葉であろうか。そして指先には宇宙の星々が光輝いている。上部には緑色の真ん中に赤い星が。ここでも補色関係の効果が用いられている。与えられた区画を下にはみ出し、出っ張った帯状部分までを使って描かれているのが印象的だ。
「建物たち」というジャンルも設けず、次の作品の紹介が後にまわってしまった。
何ということない建物の並び。でも楽しい。よくできた絵本の1ページのようだ。そしてここにも赤~緑~橙(だいだい)という補色の並びが。こう多いと、表現手法の頻度ナンバーワンに認可したくなる。
メッセージ系では次の作品が番外だ。
美しいのだが、メッセージが読み取れない。逆に、その不可思議さが気に入ったので分類困難の名作ということで、あえて番外に置いたのだ。ここにも補色・・・。もう飽きたからよそう。そのメッセージは、もしかしたら「永遠」という願いなのかもしれない。
そして壁画たちは帝国を築く。
壁画が取り壊されても、そのスピリットは「大未来帝国」に継承され、永続する。するとそのオーラはアーティスト、自治体の関係者などに浸透し、いつか新たな壁画誕生に寄与することだろう。
「小川登美子&石坂典子 Piano Duo Recital ~2台ピアノの夕べ~」(杉並公会堂 小ホール)に行った。
ブラームスのへ短調は通常ピアノ五重奏で演奏される曲で、私も仲間と演奏したことがあったので2台ピアノとの演奏差異がどうなるか興味を持って聴いた。素晴らしい演奏で楽しかった。
今回は「このジャンルに関して今後楽しんでゆこうという」トリガーを与えてもらったコンサートだった。2台ピアノの分野は次のような理由で馴染みが薄いと思う。
♪一般にあまり知られていない
私も何か例を挙げてみろと言われると厳しいものがある。
♪そもそも曲が少ない
現代では結構書かれてきているが・・・(石坂さんのスピーチより)
♪演奏が難しい
ソロと異なり2人のアンサンブルになる。
本番で互いのしぐさ等が見えにくい(石坂さんのスピーチより)
♪練習・本番の演奏環境が未整備
練習会場でもともと2台ピアノが設置してある場所が少ない。
本番ホールに2台ピアノがあっても機種が違うと音色などが違う。
(ひどい場合)2台の調律が合ってない場合がある。
以上のような「障壁」を乗り越えてのコンサートだったので、その努力に拍手を送りたい。また今後この分野も積極的にウォッチしてゆこうと思った。(私もピアノを少し弾くが、下手なのでとても2台ピアノを自分で演奏するというレベルではない)。
壁画の周囲にも面白いものがいっぱいあった。
案内地図にもアートの落書き。
ジョルジュ・マチューの一気描きみたいな筆致だ。勢いがあるね。
その隣りの案内地図にも、当然落書き。
文字を読むというか「見る」と「ここいらへんにアートがありますよ」というメッセージに見えてくる。何語でも構わない。
周囲には重々しい扉も。
「電気室」という表示が落書きに押されて小さく縮こまっている。かわいそうなぐらいだ。これは既に廃線となっているこの区間に電気を供給していた設備の跡か。それともまだ現役のJR根岸線への電力供給なのか。それならこの扉はまだ使われているはずだが、完全に落書きのキャンバスと化している。
舗道から道を折れ、ガード下での風景。
ここでは絵より文字が支配する世界らしい。よく見ると、それらの文字は繰り返し描かれている。低速とはいえ車が通る道なので、その動線を暗示したものであろうか。
「立ち入り禁止」の看板があった。
支柱にもしっかり落書きがあった。これは面白い。手前に飛び出して見える。眼が「\」の字マークになったおじさんの顔が目立つ。
そして壁画の裏側に出る。そこには線路脇の柵があった。
もう電車は来ないのに「危険ですよ」というメッセージを体を張って伝えようと頑張っている。その姿を「あはれ」に思う。これは日本人的感情だろうか。もちろんここにも文字中心の落書きが。
そして「壁画の裏の壁画」を見る。
文字だけでなく絵があった。何やら不可思議な人体が描かれている。下の「U」の字状の影は描かれたものだろうか。だとすると結構達者なアーティストだろう。本物の影みたいで、何か怖い。
これら愛すべき「周囲たち」も取り壊されてしまうのか。残念だ。
壁画には側近たちがいる。
「桜木町 ON THE WALL」というのは壁画制作のイベント宣言であろうか。
少し斜めにしたりしてアートらしい構成を見せている。
大きくて画像に収まらなかったので左右に分けて写した。
2007年というと去年じゃないか。その時に来るべきだったが、まあ仕方がない。
壁画の後ろを振り返ると、そこにはバス停のベンチが。
さすが壁画に対峙するだけあって、入念に描き込まれている。似顔絵、メッセージ、宣伝みたいなものまでが猥雑に並べたてられ、エントロピー増大エネルギーが放射されている。
こっちも。
似ているがちょっと違う。別のベンチだよ。雑然としていながら、さすがアーティストの仕事。貼られた紙の配置に構成感を感じる。
このベンチは向きが逆で壁画によりかかっている。
壁画の華やかさにベンチの騒々しさが加わり、お祭騒ぎのようだ。よく見るとこれらのベンチには同じ絵の張り紙が結構ある。並べ方が違うので個性が出て面白いが。
この壁画がある区間には屋根が続いている。雁木造りのようだ。その屋根を支えている支柱にも、もちろんアートが施されている。
漫画の登場人物らしき人物が見える。上の吹き出しの中は何と書いてあるのだろうか。横目で壁画を睨んでいる姿が面白い。
1キロの壁画を往復して見ているうちに暗くなってしまった。
これは「UDON」(うどん)と読むのだろうか。黒地に白で描かれた大きな文字が迫力満点だ。
横浜能楽堂の碑があった。
雑多な壁画の中にこういう古風な物体がある新鮮に見えて不思議だ。
さすがアートの街。壁画の側近たちまでアートとしての価値を備えていた。
大好きな抽象がまだ残っていた。
抽象絵画にもいろいろあるが、自然物を組み合わせてゆくうちに抽象的構成美が生まれる場合がある。
この作品あたりが該当しそうだ。一見、植物の弦(つる)が壁をつたって延びてゆく様に見える。モノトーンで統一され、形状は抽象化が進められているので上品さがある。しかしその中に自然物の発するオーラも感じられる。面白い作品だ。
構成されるのは自然物ばかりではない。
これはスパナのような工具などを組合わせたものであろうか。構成物のモデルがあるとしたら、それは明らかに人工物だ。金属製の部品がぎっしり組み合わされたような感じだ。殆どが赤色。その背後にさりげなく置かれた緑。ここにも補色関係の効果が活用されている。
自然物と人工物の中間みたいなものもあった。
これは掘り出された恐竜の骨を並べ直したようにも見えるし、壊れたマネキンの骨格のジョイントをいったん外し、もう一度嵌めなおす作業の途中にも見える。何となくユーモラスで楽しめる。
もはや物ではなく抽象的形態を構成したものもある。
この作品は三角形状の形を組合わせている。あいにく風雨に晒(さら)されて剥げ落ちが目立つが、それも見方によっては作品の渋みを増しているとも思える。赤と黒、この組み合わせは洒落ている。人々に永遠に愛される色のカップルだろう。
組み合わせが進むと、縦横無尽に配置が進み、一見ごちゃごちゃした感じになる。
ギョロっとした丸い目を持つ動物を描いた布(または紙)をずたずたに引き裂き、それらを再構築したような作品に見える。目移りして落ち着きがない作品に見えるが、なかなかどうして立派な構成だと思う。無彩色のなかに巧みに配置された水色の部分がばらばらな画面に秩序を与えている。
さらに進むとサイケデリックになる。
この作品は一見ペンキを無造作にばらまいたように見えるが、よく見ると沢山の棒状のものが輪を形成し、作品に重心や方向性をもたらしていることがわかる。左下のピカっと光る星のようなものが控えめに配置されているあたりがにくい。愛すべき作品だ。
最後に再び落ち着きを取り戻したくなった。
この作品はもしかすると漫画を模した人間の顔を描いたものかもしれない。しかしその邪念を振り払うと、そこには静寂がある。赤い興奮する色で描かれているのに、である。不思議な二重、三重構造を持った作品に見えてしかたがない。(作者の意図は違うかもしれないが)
こうして壁画の中に抽象を見つけ、満足して帰った。
壁画には音波も飛び交っている。
さすがアートの街。ピアノに合わせて歌手が喉を自慢する。
人は黒いシルエットで描かれているが、歌手の唇だけ赤く塗られているのが楽しい。青い床はブルーノートを象徴しているのか。するとこの音楽はジャズかな?
やっぱりジャズらしい。
ウッドベースがいるのでジャズだろう。管楽器2つは何だろう?サックスにしてはデカいな。小さいほうはコルネット?それともこれはトランペットを描いたのか?まあ何でもいいや。楽しければ。
音波は楽音だけとは限らない。
工事現場なのか、上から沢山の金属部品が降ってくる。キーン、ガッシャーンなどの騒音が聞こえてきそうだ。でもこの絵は構成が面白いな。
部品を組み立てると機械になる。
これは大きな歯車だ。金属がきしむ音が聞こえる。でも下に緑、上に赤という補色を配置したあるので、洒落たアートになっている。その間は水色の緩衝地帯。なかなかの色使いだよね。
機械といえば、これは奇怪な機械だ。
上部に描かれたのは時計みたいなものか?回りながらカチカチという音を発しているみたいだ。そしてその下には青いうねりが。海や川の象徴みたいにも見える。不思議な作品だ。
これは鋭い音波を発している。
異端の科学者テスラが造ったコイルで発した閃光のようだ。まぶしいなあ。これも青と緑が主体の絵だ。このどちらかというと寒色に近い色相で、こんなサイケデリックな表現を出せるんだから、この作者は天才かもしれない。 以上、音にもいろいろあるの巻おわり。
2008年9月7日(日)
「ライオネル・ファイニンガー展 光の結晶」(横須賀美術館)に行った。
学生の頃、近代美術史の本にファイニンガーの作品が載っていて、一目で惚れ込み、それ以来最も好きな画家の一人になった。しかしン?十年の間、日本で一度も個展が開催されず、もう一生この作家の作品をまとめて観る機会は無いのかなと思っていた。それだけに今回の展覧会開催は本当に嬉しかった。
そして実際に観たファイニンガー作品は期待をまったく裏切らず、素晴らしかった。キュビズム命の私は、もちろんキュビズムで描かれた作品を最も楽しんだ。また、他の手法であっても小気味よい直線が活かされた作品が好ましく感じられた。
なかでも特に良かったのはチラシの表紙で紹介されている「街にそびえる教会」だ。この作品および私がなぜファイニンガーが好きかということについては、カタログに後藤文子さんが書かれた解説がすべてを物語っているので、そのポイントを列挙してみる。(言い回しは変えてあります。)
1.音楽とファイニンガー
ファイニンガーはピアノ、ハルモニウム(パイプオルガンを小規模にしたような楽器)、ヴァイオリンを演奏しただけでなく、作曲にも手を染めた。フーガのような対位法を好んだ。
2.音楽と絵画の共鳴
対位法における多声部の進行を、絵画で表現してみた。透明な色面が少しずつ色調を変えて重層的に重なりあいながら画面にリズムをもたらしている。
以上のような要素が、この「街にそびえる教会」に結実している。そして、音楽ではフーガなど対位法技法を好み、絵画ではキュビズム命の私がファイニンガーのファンになるのは当然というわけだ。
ファイニンガーにかかると、ただの河口を描いた絵が崇高なる風景に昇華する(チラシ裏に紹介された「レガ川河口Ⅲ」)。
ただのビル群も芸術的香りが高い異世界の風景に一変する(同じくチラシ裏に紹介された「マンハッタンⅡ」)。
素晴らしい展覧会だった。会期中に行けて本当によかった。
2008年9月6日(土)
「午後の室内楽」(横浜市イギリス館)にチェロで出演した。プログラムの絵はジョヴァンニが描いたペン画だよ。
今回は曲目に凝ってみた。
コダーイ 弦楽四重奏曲第1番ハ短調
ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第3番ハ短調
ハイドン 弦楽四重奏曲第47番へ短調
コダーイの第1番は、プロの演奏会でも取り上げられることが少ないレアものだ。一般的に第2番が名曲に数えられているが、私はこの第1番のほうが名曲に相応しい内容を持っていると思う。全体は循環形式となっているし、第2楽章(緩徐楽章)の中間部に2つのフーガを配置するなど、形式・構成に意欲的なものを感じさせる。
ベートーヴェンのトリオは若書きで作曲技法的にはあまり注目する部分がない。しかし後年のベートーヴェンを彷彿をさせるところがあり、捨てがたい曲だ。
ハイドンの47番は、ハイドンの室内楽のなかで私が最も好む曲だ。憂いを帯びた旋律が全編を支配し、ドイツ的ロマンがにじみ出ている。終楽章が二重フーガというのもしびれる。
なお友人でドイツの歌劇団で指揮や音楽監督をしているM君がおしのびで来てくれた。ちょっとやりにくかった。
1キロ壁画には魔物も棲んでいる。
闇の帝王が夜の異界を支配している。
牙を備えた口から溢れ出てくる霧状の白いものを見よ。何という描写力だろうか。闇の帝王の姿は現実とかけ離れているので描かれたものとわかるが、この煙状のものは一瞬本物かと思うほどだ。
この魔力を帯びた煙を浴び、置物の達磨も妖怪に変化(へんげ)する。
右側には、たった今この達磨が吸い込んだであろう煙の断片が漂っている。左下には血の滴りも見える。いや、これは塗料の吹きつけの際にできたペンキの汚れだろう。そう言ってしまうと、とたんに幻想世界から現実に引き戻されてしまう。すみません。
これは何だろう?
魔法の煙を浴びた岩が変形して蛇の妖怪が誕生したところだろうか。砕け散った岩の破片がそれぞれ別の妖怪となり、それらがからみ合っている。
するとそこに突然美女が現れた。
「美女たち」で紹介しなかった作品だ。それもそのはず、彼女の背後にはぴったり寄り添うように骸骨の悪魔が控えている。彼女はそれに気づかないのか、それとも無視しているのか、微笑を浮かべている。左上に浮遊している天使からは天上の音楽で祝福すら受けているようだ。善悪が呉越同舟して、複雑な感情を呼ぶ作品だ。
この作品の右側に「月の女、白獅子と共に」という文字が読める。
この白獅子は崇高な顔立ちをしている。月の女を守るに相応しい器量だ。赤いものは身にまとった礼服であろうか。何やら怪しい物語が語られそうな場面である。
読売新聞の記事で紹介された作品の左側にいるのがこの悪魔だ。
様々な動物が合体したようなそのいでたちはグロテスクだが、笑顔は以外に愛嬌がある。名状しがたい妖異の中にユーモアが滲み出て、それがこの作品を奥深いものにしている。
この壁画は、何と多様な作品で構成されていることだろうか。
この「コンクリートの長城」には動物と人間(美女)だけでなく、植物も群生している。
まるで地面から生えているかのような、実物そっくりの葉。
緑と赤、この古くから重用される補色関係はいつの時代も鮮やかで美しい。赤い帯の上にまた緑、そして左側には青を配置し、色彩的構成にも配慮が行き届いている。楽しい。
すると、こんどは本物の植物が・・・。
これはすごい。舗道のタイルのわずかな隙間から芽を出し、成長した「根性植物」だ。これは路上観察の格好のテーマとなる。今後、他の場所でいくつか探してシリーズ化しよう。
しかし、ここでは本物より人間の手になる作品のほうが迫力を持っている。この奇怪な植物を見よ。地底から弦(つる)を伸ばし獲物を捕食する食虫植物の進化した姿のようだ。
不思議な植物はまだある。
いや、これは植物ではないかもしれない。野菜のような物が横に、そして縦に並置されている。コンポジションになっているのだが、なんとも不安定だ。それが心象風景のように心を揺さぶる。
気味悪いものを並べてしまった。もっと美しいものを探そう。
これは、美しい花だ。黒く塗られた背景に映えるその姿は花火のようにも見える。からみあう曲線もまた構成美を感じさせ、美しい。
もっと豪華な花束があった。
シンメトリーで、幾何学的文様として味わうことができるが、有機的な暖かさも持ち合わせている。
これは美しいものを見つけた。
この薄暗い架線跡にスポットライトが当てられ、そこだけが真夏の太陽の下のように輝いている感じだ。壁画中、もっとも明るい作品の一つだ。
歩き疲れたが、この美しい花模様を見て元気を取り戻した。
「壁画」のなかには美しい女性の姿も見られた。仮に「美人壁画」という名称を付けておこう。
ベッドにまどろむ女性。
フラッシュに反応したのか薄目を開けた様子。良い夢を見ていたのだろうか。起こしてしまってごめんね。赤い色調で統一されているが、下のほうに青が施されている。派手な色調の組み合わせに思えるが、不思議と静けさが漂う。作者の技術力なのだろう。
メイクを終えて、ちょっと首をかしげたポーズを取る美女。
綺麗だなあ。背景の水滴は本物だろうか、それとも描き込まれたものだろうか?美人壁画を見たときは小雨が降っていた。しかし壁画の前は雁木のように屋根が続いているので、濡れることはない。やはり描かれた水滴のようだ。素晴らしい描写力だ。
こ、これはのっぺらぼうだ!
でも美人に見える。東洋人だと思うが、髪のなびく感じがエキゾチックで日本人ではないように感じる。右のほうに見える幾何学的で尖った形状のものとの対比が面白い。薄紫で地味な色調だが、麗しい側面も見え隠れしている。
舞妓さんだろうか、和風美人の登場だ。
黒い線のイタズラ書きが口元まで達して痛々しいが、このような仕打ちは壁画の宿命なのだろうか。おしろいを塗った顔の周囲は、白っぽい背景になっている。その効果で、白い顔が際立ちすぎるのが防止されている。顔だけでなく、全体の色彩バランスに配慮が行き届いた作品だと思う。
この帽子の美女を見よ。
写実の巧みさに恐れ入る。両方の腕など、そのふくよかな感じが伝わってくるではないか。一方、上部には装飾的な文様、下部には幾何学的な形状のものが配置され、彼女はそれらのサンドイッチになっている。具象と抽象の統合で面白い。
私は1キロにわたる壁画を往復して見たので疲れたが、美人壁画も疲れを感じるらしい。薔薇の香りに包まれ、美女は再び床に横になる。
先ほど紹介した「まどろみ」を描いた同じ作者の作品であろう。赤中心の世界の下を青が支えている。
壁画の美女たちは、歩き疲れを癒してくれた。ありがとう。そして作者にもエールを送りたい。
読売新聞の記事に写真が載っていた作品は、悪魔の鳥を描写したものであろうか。♪幻想画的な作品だ。壁画には、その他にも動物が活写されていた。
地上をうろうろする蛙は鳥の格好の餌となる。しかしここに描かれたのは、まあなんとおおらかな蛙であろうか。自らが捕食される危険を全く意識せず、逆に自分の食事を楽しんでいる。そう読み解くと、この「いただきまーす」という言葉は悲劇的にすら聞こえる。♪漫画的な作品である。
蛙の次に餌食となるのは蛇。しかしこの一対の蛇も、拿捕される危険より自分たちの愛の語らいを優先させている。牧歌的な雰囲気で、作風的には♪装飾的だ。
蛇の実物は少々怖いが、もっと怖ろしいものが壁画に棲息していた。この猛獣は愛するホラー小説家ラヴクラフトの描くモンスターを戯画化したものに見えるが、違うかもしれない。♪写実的な作品もこの壁画にはあったのだ。
猛獣に襲われると、縞馬の群れは仲間同士頭を突き合わせて円形となり、全員で後足を蹴って守りの体勢に入る。どことなく池田満寿夫を連想させる。少しポップで、♪版画的作品だ。
ポップアートをその源流とするかのような作品がある。「BUNNY ROSE」という文字が鮮やかな兎が飛び跳ねていて、♪イラスト的作品だ。
最後に、この鯉も写実的だが、♪日本画的と呼んだほうがその繊細さに相応しいであろう。
このように、壁画には様々な生き物が、様々な様式によって描かれ、私たちの眼を楽しませてくれた。
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