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2008年8月30日 (土)

良山泊を終えて

藤野では良い山に泊まった。まさに良山泊(りょうざんぱく)だ。私たちをこの忘れられない体験に誘(いざな)ってくれたのは、良山界と俗世界との結節点・藤野駅である。

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この藤野駅の看板を見よ。外側にはアクリル板に描かれた「藤野駅」という文字。そして内側にはバックライトで補強された同じ文字が存在を強調している。一つより二つのほうが頼もしいし、また味わいも増すからであろうか。



思えばこの「一対」という便利な構成技法は、滞在した「繭や」の入口を守護する凧と仮面をはじめ、天文学的な数の類例が、あらゆるジャンルに点在している。文学におけるほんの一例を挙げれば、「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。」(三好達治)という衝撃的な作品が記憶に新しい。

そして、この一対の駅名表示板はもう一つの重要な構成技法をも纏(まと)っている。それは「入れ子」だ。澁澤龍彦は「胡桃(くるみ)の中の世界」でその魅力を集大成してくれた。このように、藤野では駅看板でさえアートの尖兵としての役割を担わされているのだ。

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看板といえば、駅前にはスクールバスの発着を示す表示板が設置されている。この文字板にはメッセージが込められているのがおわかりだろうか?藤野という地名に並んでエレベータの会社名が明記されているが、それがあやしい。

藤野駅にはエレベータが無く、向こう側のプラットフォームに渡るには階段を上り下りしなければならない。年長者にはつらいところだ。では、この看板は駅にエレベータを設置して欲しいという村民の願望が込められているのだろうか?

いや別の解釈もある。このようにエレベータが無く、その有難みが体感できる場所だからこそ、利用者の起点で物事を発想することができる。だからそこにエレベータの会社があり、人々に愛されるエレベータ造りに注力できると考えられたのかもしれない。

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駅前にはもう一つ重要な看板がある。それは駅付近の案内図だ。この図を見てまず不可思議な思いにさせられるのは、相模湖の位置だ。あれっ、おかしいな。高尾を出た列車は相模湖駅、藤野駅という順番に停車する。この図は上が北だから相模湖は右側にありそうなものだが、左側にある。それなら藤野駅のほうが相模湖駅より湖に近いではないか。

このミステリーは広域の地形図を見ればたちどころに解ける。相模湖は東西に長く広がっており、両駅の南方に横たわっているのだ。なあんだ。でもこれは知らない人に話すと結構イケるネタだと思うがどうだろうか。

私の考えはひねくれているだろうか?そうかもしれない。しかし、私としては「ひねくれ思考」も結構面白いじゃん(神奈川弁)と感じて戴きたいのだ。例えば駅前の樹木をとくと見て戴きたい。

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これはひねくれた木だ。地面近くではボーイスカウトが習得する縄結びのようにからまり合っている。そういえば私はイタリアンレストランでワインのお供にカラマリを賞味するのが大好きだ。あの烏賊(いか)がからまったような姿は真の食欲をそそる。

樹木に話を戻すと、この木は下方では二本の樹が生えており、それがからまり成長して、途中で一本にマージしているのだ。レグルスだったか、「別れても末には逢わんとぞ思ふ」という言葉があったな。

これは何だろうか?

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この美しい作品は藤野在住のアーティストの手になるものに相違ない。と言いたいところだが事実は少々異なる。これは藤野の山に存在するであろう磁場に引き寄せられて集まってくる登山家の作品だ。しかも手ではなく、足で描いたものだ。

「良山泊」の二日間は雨天だった。藤野の山を楽しんだ登山家はキャラバンシューズに藤野の泥を記念に付着させて駅に戻ってくる。折りしも雨が降っており、靴に付いた泥はバス待合場のコンクリートの通路上に着床したというわけだ。藤野は雨も泥もアート化する浄化装置のようなものなのか。

そして駅前の家並みが面白い。

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向こう三軒隣が「新 新」の如く並んでいる。その形式はメヌエットかスケルツォのようだ。真ん中に鎮座するトリオに該当する旧家は、都会の駅前では考えられない古風なたたずまいだ。

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そしてその右上には丸窓が!そう、「繭や」の入口で強烈な存在感を示したあの丸窓がここにもあるのだ!円形が象徴するシュールな世界は、ここ駅前から山中の「繭や」まで見えない磁力線で繋がっているのだ。

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駅前広場から坂を下ったところには、誠にユニークな「シーゲル堂」がある。楽器を鳴らし、歌をうたい、踊る楽しさを描いた看板が楽しい。しかし今日は休みなのかシャッターが下ろされていた。そこに向かってシャッターを切る理不尽さ!

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そして遠くの山肌に目を転じると、そこにはラブレターが。藤野最大の野外アートだ。いやもっと大きい作品がある。それはアートの村・藤野全体だ。私たちが滞在したのは、この山をも包含してしまう巨大なアートの心が凝縮したアート村だったのだ。別れはいつも辛い。でも、ここには磁場がある。その磁力により、私たちの邂逅は約束されているのだ。

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コメント

なんか、悪い物、たべたぁ?

ヘソマガリガンジィさん、コメントありがとうございました。

そうです、どうも何か良からぬ物を食した結果、脳の一部が機能を停止し、他の部分は異常な興奮状態になり、もう大変です。藤野の妖気に触れたためでしょうか。

実はね今日「上原Hiromi&熊谷kazunori」ナマで見ちゃった聴いちゃったぁ。

藤野にいでもまんずみれねからなぁ…と、本日豪雨の中KYOUは山を下りたのです。

あぁぁ・・都会の毒もらっちゃったぁ!

下界の俗人は仙人の棲む良山にあこがれ、雲の上にあるアートの貴人は形而上的時間に食傷して山を下りる。

うーむ、神々の物語は、とどのつまり地球社会の縮図なんじゃな。そう言えば女神KYOUも常人以上に人間的情感を秘めておられるようじゃ。

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