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2008年7月31日 (木)

今日の英語:ホッチキスの針

ホッチキスの針って英語で何て言うか?

ホッチキスは発明者の名前=会社名で、英語では「Stapler」だよね。それはそうと、その針は何て言うんだろう?

針だから「Needle」か?本当かなあ。何か怪しい。

子供の頃、ホッチキスをピストルに見立てて、ガチャガチャ針を飛ばして遊んでいた。(もったいない!)当時は針ではなく「たま」と呼んでいた。銃から打つ弾丸をイメージしていたんだね。じゃあ「Bullet」か?そりゃあ違うだろう。

使用目的から推してみよう。書類を綴じる物なのだが、糸は違うと思う。では「Wire」か?確かに針金みたいだけど、違うだろうなあ。

困ったのでMAX社の英語サイトを見た。そしたら何てことない。ホッチキス(Stapler)の針は「Staple」だった。なあんだ。

なお辞書を引いたらStapleには「主要産物」という別の意味もあった。金属を加工した製品だから、そういうのが得意な地域では本当に主要産物(製品)になりそうだ。この辺の奇妙な符合は面白い。

2008年7月30日 (水)

時事俳句:イチローの偉業

   夏芝に三千本の白い筋

時事俳句:野菜卸値の急落

茄子(ナス)の卸値が急落したそうだ。


   夏野菜徒歩で買わねば高くつく


ガソリン高と混ぜたんだけど、何か説明調でイマイチだな。じゃあこれでどうだ!

  
   去年より精霊棚の牛が増え


若い人から意味不明と言われそうだな。それに爪楊枝を使うから反エコにもなるし。うーむ、時事俳句(川柳)は難しい・・・けど面白い。

2008年7月27日 (日)

夏の宵のコンサート

2008年7月26日(土)
横浜山手西洋館の各館では「夏の宵のコンサート」が行われている。

_2008_

誰が名付けたか知らないが、この「夏の宵のコンサート」というネーミングは良く出来ていると思う。「宵」とはまだ日が沈まない時間帯を意味する。開演もほとんどの場合16時に設定されている。すると、案内を読んだ人は次のように考える。

「16時から始まると、長くても2時間だろうからコンサートは18時までに終る。夏だからその時間はまだ明るい。コンサートが終ってから横浜山手地区を散策して生ビール一杯やるのもよい(宵)。その後、中華街へなだれ込んで紹興酒に繋げるのもよい(宵)。適度に酔い(宵)がまわって良い(宵)気持で帰宅できる、とまあこんな具合だ。そして私たちも実際その通りになったのだが(笑)。

午前中はみなとみらいホールの練習室で最後の練習。石川町に移動して「La MAIS」で昼食。この写真は本文とは関係がありませんかもしれませんし関係があるかもしれませんがその点はあまり深く考えないで下されば幸いですとだけ書いておきます。

Lamais 

石川町駅から急坂を登ると「イタリア山庭園」入口の門標が出迎えてくれる。

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もう片方の門標は「ブラフ18番館」と「外交官の家」があることを示し、その下にはコンサートの案内板が添えられていた。

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階段を上がって一息つくと、そこにもコンサートの案内看板が。夜空をイメージして洒落ている。

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ブラフ18番館の裏手にまわって全景を撮る。いつ見ても美しい。

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中に入ると、廊下の突き当たりに「本日の演奏者 トリオレヴリー」という看板が出ている。「ピアノとピアノトリオ」という表現は一見難しいけど、前半がピアノ独奏。後半がピアノ三重奏という意味だよ。

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プログラムも仲間の「じゅんちゃん」が作ってくれた。

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ベートーヴェンのピアノ三重奏曲は作品1だから大した曲じゃないと思いきや、なかなかどうして、後年のベートーヴェンらしさを感じさせる佳品だった。小品2曲(アンダルシア、私のお父さん)を経て「ボレロ」を演奏した。原曲は長いのでカット版だが、裏板を叩くなどの演出が結構受けていたのでよかった。頼まれないのにアンコールでゴセックの「ガヴォット」。

山手地区を歩き「山手十番館」で一休み。演奏のあとの生ビールはまた格別。

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打上げは例によって「大新園」。高校のクラスメートも2名加わった。

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ビールのあと紹興酒。すると爆竹の音とともに店の目の前の通りを龍が通過。何事かと思ったら「関帝廟」の祭だという。偶然だが面白いものにめぐり合えて良かった。

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気分が乗ったのでさらに「Athens」に行き、久しぶりに松ヤニのワインを飲んだ。美味しかったなあ。

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2008年7月25日 (金)

時事俳句:東北の地震

季語を探すのに苦労した作

   名無しとは何だと怒る鯰(なまず)かな

「せっかく予知してやったのに・・・」

2008年7月24日 (木)

ブログ記念日

今日は7月24日。ジョヴァンニッキの誕生日だ。2年経ったのかな?あれ、忘れてしまった。こんな調子だから、逆に長続きするんだろう。

2008年7月23日 (水)

みずほフィル第14回定期演奏会

2008年7月20日(日)
みずほフィルハーモニー 第14回定期演奏会(すみだトリフォニーホール)に行った。

忘れないうちに私の感じ入った点を列挙しておきたい。記述は印象の強かった順なので演奏順とは異なる。

1.シベリウスのフルートいじめ
シベリウスの交響曲第2番ニ長調では、フルートが低音域で旋律を「吹かされる」のがかわいそうだった。同じメロディーを、様々な管楽器で順番に吹きまわすところなど、オーボエ、クラリネットと同じような音域でフルートパートが書かれている。これではフルート特有の輝かしい高い音を出せないまま、欲求不満になりそうだ。

打上げに「乱入」してフルート軍団の席に押しかけて話を聞いたら演奏者の一人はもと学生オケのピッコロ吹きだという。これでは天井から一気に地下まで突き落とされたようなものだ。しかも、私は専門的にわからないが、フルートの苦手なトリルもふんだんに盛り込まれているサービスぶり(苦笑)だったそうだ。そのような過酷な条件でフルートの二人は他の木管楽器に負けず、明瞭な音をよく出していたと思う。お疲れ様でした。

2.二次関数のクレッシェンド
同じくシベリウスの第2番。木管楽器のメロディーをティンパニーがトレモロで支える部分がある。その部分はクレッシェンドの指定がなされている。出だしはいいが、だんだんと音が大きくなると木管の音がクレッシェンドしてきたティンパニーにかき消されてそうな感じがした。

打上げ乱入の際、ティンパニー奏者にその話をしたところ、クレッシェンドの持って行き方に細心の注意を払っていたとのこと。例えばY=Xのような直線状に音を大きくしてゆくと、途中の段階でティンパニーの強い音が木管を追い越してしまう。これに対してY=
x2のように二次関数のグラフを描くようにするのだという。最初はあまり上げ幅が大きくなく、ほとんど現状維持の音を続け、そのフレーズの最後の段階でぐぐっとせりあがる感じだ。

これなら聴衆は木管のメロディーをある程度聴いて認識する。だからフレーズの最後のほうで仮に音が消されたとしても、フレーズ全体としてはメロディーも聴き、盛り上がってくるクレッシェンドも感じ取ることができるというわけだ。このように奥が深い演奏をされるのには敬服した。

3.チェロバスのハツゲン(発言、いや撥弦・・・)

これもシベリウス。第2楽章の冒頭、コントラバスが30小節近くも延々とピチカートを鳴らし続ける・・・というのは事実ではない。そう聴こえただけだが、実際はその間に3小節ほどチェロに受け渡されているのだ。しかし両楽器の鳴らすピチカートが同じ音色で、その旋律線が切れ目無く繋がっていたので、あたかもコントラバスだけが奏し続けていたかのように聴こえたのだ。この受け渡しの妙は素晴らしい。

また低弦がピチカートでアッチェレしてゆく場面もあった。これは右手の動きが大変だ。こんなのを長く続けたら、手が痙攣してしまうだろう。私の好きな「ナジャ」の最後の名文句「美とは痙攣的なものであるにちがいない。さもなくば存在しないであろう。」ではないが、それが低弦の美だと言われても困るよね。見事な演奏をありがとう。

4.「悲劇的」を和らげているのに「悲劇的」
ブラームスの「悲劇的序曲」。この冒頭は不思議だ。最初は「ちゃんと」ニ短調の主和音が鳴るが、次の和音からすぐ不思議な世界に入る。ドミナント(A, #C, E)を予想するのだが、空虚五度(A, E)が鳴るのだ。#Cを加えたほうが悲劇性が増しそうなものだが。

そしてさらに不思議なのは主要主題だ。なんとA, C, F, A・・・という旋律が奏されるのだが、これってへ長調じゃないか。和声はほとんど施されず、ティンパニーがA音のトリル、ホルンが2度ほど空虚五度を鳴らして色を添えるだけだ。このように、冒頭でニ短調が決定づけられているにもかかわらず、直ちにへ長調を遠回りしているのだ。これはあまり「悲劇的」には聴こえない。

長調か短調かあいまいな感じで始まる曲といえば、極めつけは「クラリネット五重奏曲」の冒頭だ。ただ異なるのは、こちらはロ短調のD#Fの唱和で始まる。これにAを加えたらニ長調、Hを加えたらロ短調だが、どっちつかずのあいまいな和声で勝負しているわけだ。

「悲劇的序曲」に戻ると、こちらは逆に冒頭の和音だけ短調を明瞭に出し、直後に調性をあいまいにしている。どうみても「悲劇的」を和らげているとしか思えない。不思議だ。たぶんブラームスは、あまり短調の性格を明瞭にしすぎると演歌みたいになるから、それを嫌って渋い構造にしたのではないか。そう思う。

5.ソリストの「添い寝」ならぬ「添い弾き」?
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調。世界に通用する一流ソリストを迎えての演奏で、アンケートでもこの演奏への賛辞が多かったとのこと。私はこの曲のスコアを持っていないので誤りだったら恐縮だが、第1楽章の出だしでソリストが伴奏オケと一緒に、ソリストは弾かないはずのメロディーを弾いていた(ように聴こえた)のは、なぜだろうか?一流奏者ならずとも、間違えはあり得ないから、きっとオーケストラとの一体感を増すための一種の儀式だったのだろう。

6.大入り
このホールは1,800人収容だが、なんと1,600人以上の観客が押し寄せたそうだ。厳密に言えば満席ではないだろうが、これはもう立派に「満員御礼」だ。

企業のアマチュアオーケストラという性格上、行員関係者を組織立って集客することは可能だろう。それにしても1,600人が集まるというのはすごい。またこのオケは演奏が安定しているから、リピーターが多いのだろう。あるとき聴きに来て素晴らしい演奏を聴き、また来たいという気持になる「良循環」もあるかな。そして行員関係者以外の一般のファン層も形成されつつあるに違いない。

今回はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲という有名曲に一流ソリストの演奏という要素が加わり集客の追い風になったかと思う。でもその要因が無かったとしても、同じくらいの観客動員力がこのオケにはあると思う。今後が楽しみだ。

2008年7月22日 (火)

ロシア・アヴァンギャルド

2008年7月20日(日)
「青春のロシア・アヴァンギャルド シャガールからマレーヴィチまで」(Bunkamura ザ・ミュージアム)に行った。

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抽象芸術の創生において、ロシアのアーティストの功績は非常に大きいと思っていた。だからマレーヴィチを中心とした一連の活動を掘り下げて観ることができればと期待した。しかしそういう目的に対しては、この展覧会は期待外れだった。

展示作品のなかには、私の大好きな抽象構成の作品が見られた。しかしそれらの作品は、ほとんどみなピカソとブラックに代表されるキュビズムの逆輸入だった。私が期待していたのは、キュビズムに先立ちロシアのアーティストが独自に開発し、発展させた抽象作品群だったのだが・・・。

つまりロシアが先鞭をつけ、それらに触発されたであろうピカソやブラックがキュビズムを打ち出し、それがもう一度ロシアに逆輸入で伝わったという順番を体感したかったのだ。そうしないと、ロシアの(当時の)先進性がぼやけてしまうからだ。まあ逆に言えば、それほどフランス発のキュビズムが強力だったとも言えるだろう。現に、そういう私もフランス発キュビズム教に入信してしまっているから。

2008年7月20日 (日)

ティーラウンジ AGORA

JR田町駅から慶応義塾大学に向かう途中に「建築会館」があり、その一角にティーラウンジ「AGORA」がある。

この喫茶店のすごいところは、ル・コルビジェの弟子である吉阪隆正の今はなき「自邸」の模型が飾られていることだ。厨房・レジ近くの三角形状のテーブルにその模型はある。私はそのテーブルに陣取り、間近から自邸の模型を観察し、ケーキセット(500円ナリ)をいただくという贅沢を味わった。コーヒーもおかわりでき、1杯1杯挽きなおしというきめ細かいサービスが嬉しかった。

ところで「AGORA」ってどういう意味だろう?古代ギリシャ語で「市民が集う広場」とかいう意味の言葉らしい。なるほど、ここは確かにコーヒーを飲む場所なのだが、それより本質的には人が集まる場所なのだ。

暑い夏。ホットコーヒーは体をさらに熱くするが、このティーラウンジ全体の清涼感で体温が下がった感じがした。

2008年7月16日 (水)

散歩もの

2008年7月16日(水)
久しぶりにF君と会った。酒が飲めないF君と会うという事はつまり食事をするという事でありそれはつまり私だけ酒を飲むという事でありそれはつまり最初は同等に議論しているがそのうち私だけロレツが回らなくなり思考回路が爆睡し何から何までF君の言いなりになるという事でありそれはつまりF君の講釈をそっくりそのまま小さい頭脳の隙間に流し込むという事である。ああ疲れた。

F君から「散歩もの」(久住昌之・谷口ジロー)という本をもらった。これは一見マンガでありいや劇画かもしれずいやその中間かもしれず何というかよくジャンルがわからない本なのである。

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読んでみると一見路上観察のDNAを継承しているようでありそれではハイ・レッド・センターの末裔かと思いきやそうとも言い切れない味わいがありでは建築探偵の方に近いかというといや逆に離れてしまったようでありでは藤子・A・不二雄の「笑うせぇるすまん」のように現実から突然異空間に放り出されるのかと思いきやそうではなく現実世界にとどまりつつもちょっと異質な体験をするようなものである。

私はこれまでマンガは手塚治虫と水木しげるしか読まないと公言してきたのであるがそれを知っているF君が今回このような本を私に差し出したのは私のかたくなな趣味に対する挑戦というかいや私の固い頭を柔らかくするための薬というかそのような目的であったのかと今になって思う。

この本は面白く味わいがあった。手塚治虫と水木しげる以外で面白いと思ったマンガはこれが初めてである。(というのは実はウソなのだが・・・)。

時事俳句:一斉休漁

また時事俳句。

   魚にも夏休なるものがあり

ひねり無しの直球。最近の拙作「散水車走らず烏賊釣船も出ず」のほうがまだましだったか?

2008年7月15日 (火)

対決 巨匠たちの日本美術

「対決 巨匠たちの日本美術」(東京国立博物館 平成館)に行った。若冲に尽きるかと思っていたが、意外な展開になり自分でも驚いた。

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同期の仲間と3人で観た後、一杯やりながら対決の票読みゴッコをした。これが楽しかったんだな。3人の意見が一致した場合もあるし、票が割れた場合もあった。満場一致は、狩野永徳vs長谷川等伯対決における等伯、円山応挙vs長沢芦雪対決における芦雪だった。

自分が混乱したのは、伊藤若冲vs曽我蕭白の対決だ。蕭白のことを殆ど知らず、これまでの鑑賞体験から圧倒的に若冲だと思っていたら、なかなかどうして対等の勝負だった。そして決め手となったのは蕭白の「寒山拾得図屏風」だ。この迫力に負けて、とうとう私は蕭白に寝返ってしまった。

これには伏線がある。私は幼い頃から工芸家の祖父が色紙に描く絵が好きだったが、特に「寒山拾得」はなぜか好みだった。その影響が出たことは否めない。それにしても、この作品の持つオーラはすごい。若冲に匹敵する画家がいるなんて信じられなかった。

インパクトを受けた作品を列挙しておこう。(展示順)
雪村周継「呂洞賓図」:奇想万歳!
狩野永徳「檜図屏風」:ダイナミズムを感じた。
長谷川等伯「松林図屏風」:不思議流。
俵屋宗達「扇面散屏風」:構成感が好ましく見えた。
伊藤若冲「石灯籠図屏風」:点描に先進性を感じた。
曽我蕭白「寒山拾得図屏風」:上記のとおり。
長沢芦雪「虎図襖」:たかが写実。されど写実。恐れ入った。
長沢芦雪「山姥」:うー、すごい。
富岡鉄斎「妙義山・瀞八丁図屏風」:劇画的で面白い。

2008年7月13日 (日)

移動した哲学者

今日はいつもの定点観測地点から移動し、別の観測地点に行った。そこで思索をめぐらす哲学者の勇姿。

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この哲学者さんは常に2つペアの遊具がある観測地点を好むようだ。(何を馬鹿なことを。自分が好きで連れてくだけじゃないか!)

これらの遊具は手前がぞうさん。奥がモーモーさんだ。理由はわからないが、像は水色に、牛はオレンジ色に塗られている。どちらも自然の色とは異なる。

これは問題ではないか。何事も素直に頭に入れる幼少の子供たちが、これらの動物の色を誤って覚えてしまうかもしれない。

昔、動物園に像がいないのが寂しいという子供たちの声に政府までが動かされ、像が輸入されたという話がある。現在は贅沢なもので、各地で像の姿を拝むことができる。だから像に関しては問題ないかもしれない。

むしろ問題なのは牛だ。昔は身近に牛がいたものだが、最近はめっきり減っている。また動物園にもあまり牛がいない。像などの珍しい動物に比べ、庶民的だからという理由だろうか。しかし、むしろ庶民的であるはずの牛のほうが、手のとどかない所にいそうなのだ。

月島三部作

2008年7月12日(土)
音楽仲間が月島の「ピアノアートサロン」に集まった。練習のような、内輪コンサートのような、そんな感じの演奏を行ったのだ。

最初のグループは♪ショスタコーヴィッチのピアノ五重奏曲。チェロパートが難しく、私にはとても弾けない代物だ。今回は仲間でピカ一のチェロの名手Oさんがいたので、実現したのだ。難曲に取り組む姿勢は尊敬に値する。

次はブラームスのピアノ四重奏曲ト短調。これは難しいのだがショスタコーヴィッチほどではないので私がチェロを弾いた。うーむ、やっぱり難しい・・・。

最後はバッハの「音楽の捧げ物」よりトリオソナタ。チェロは名手Oさんと私で半分づつ弾いた。

私は以上のプログラムとは別に、手土産代わりに場所にちなんだ「月島三部作」を作曲して持ってきた。みんなに弾いてもらった結果、お笑い狙いの「月島酔景」はまあまあ受けたかな。

<月島三部作>
♪つきしまにつきました(集まった7名ための七重奏曲)
♪風雅な月島(弦楽三重奏のためのフーガ)
♪月島酔景(弦楽四重奏のための酔っ払い描写音楽)

打上げは向い側にある「月島亭」。生ビールで練習の疲れを癒したあとワインで盛り上がる。食べ物も美味しい。そしてなぜか途中から焼酎ボトルが出てくる。

「上様」と奥様の「港のヨーコ」さん、そして私の三人は、さらに月島のメインストリートへ。祭の日だったので前へ進むのが大変なほどの人出だった。子供たちの眼が輝いていたのが印象的だったなあ。以前に私が「発見」して隠れ家的に利用していた某居酒屋に行きたかったが、雑誌かウェブで紹介されてしまったらしく満員だ。ここはもうダメかな。空いていた別の店に入りカウンターで日本酒を楽しんだ。充実した一日になり良かった。

2008年7月12日 (土)

エミリー・ウングワレー展

2008年7月11日(金)
「アボリジニが生んだ天才画家 エミリー・ウングワレー展」(国立新美術館)に行った。

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今回は記事を書きづらい。帰り間際に購入した絵葉書は素敵だったのだが、作品そのものはあまりいいと思わなかったからだ。

私は抽象作品が大好きだし、抽象作品こそ図版ではなく実物を観るべきだという強い意識を持っている。先日も、同級生の植物画家・松本千鶴の個展を観に行った際に「ジョヴァンニ君、絵葉書ばかり見ないで本物を観てちょうだい」と言われたばかりだ。

それなのになぜ絵葉書のほうがいいと感じたのだろうか?実は今回の展覧会を観て、私の観賞眼がだいぶ偏っているなと認識したのだ。そして今まで掘り下げていなかったことが見えてきたように思えた。

少々脱線するが、先日バウハウスの展覧会を観た。大好きな対象で喜んで楽しめたのだが、ふと今回のエミリーの作品とバウハウスに接するときの私の状況が似ているなと思った。

友人・知人にバウハウスの魅力を説いても、おおかた冷ややかな反応しか返ってこないことが多い。これまでその理由がわからなかった。そして今回エミリー作品に接して、その背景がわかってきたのである。

先にバウハウスのことから掘り下げてみる。バウハウスには私が大好きなクレー、カンディンスキーが教鞭を取っていた。「あんな学校で学んだら楽しいだろうなあ」というのが私の想いだ。そしてバウハウスを主体とした展覧会があると、その「命」の後ろ盾で最上の喜びとして接してきたのだ。作品鑑賞の「前提条件」というか「準備」というか、そんな感じのものがあったのだ。

これに対してクレー、カンディンスキーなどをさほど好まない人にとっては、バウハウスは単なる美術学校にすぎない。そしてその展覧会にバウハウスに在学中の生徒たちの作品が加わったら、技術の未熟さゆえに敬意が削がれるのだろうと思った。

ご本尊のクレー本人の作品にしても、仕上げが雑に見え、色調も渋くて暗い。その背後にある「造形思考」などはどこかに吹っ飛んでしまうのだろう。これがバウハウス支持派からすると悔しいことなのだ。

そして今回のエミリーに戻る。エミリー作品を本来あるべき形で鑑賞するためには、オーストラリアのエミリーが在住した地区に住み、生活し、エミリーの創作を見ることが必要だろう。しかしそれは多くの人にとって叶わないことだ。

でも間接的にでもエミリーの生き様に同調し、理解し、愛すれば、それが作品鑑賞の「前提条件」というか「準備」になるのだろう。

これに対して、私はエミリーを単に抽象画家の一人として敬意を持って観賞しようとした。これが裏目に出たというか、作品だけに相対するという態度は、このようなアーティストとその作品には相応しくないのだろう。それを認識したのだ。

それでやっとわかった。絵葉書にしてしまえば、原初的、呪術的、生活的な人間エミリーが薄まり、抽象構成だけが全面に出てくる。そしてそれらの中で自分の感性に合った作品を眺めたら、いいと感じるのは当然だ。

エミリーの個展がまたあるのなら、次回はバウハウスに対してと同様の愛情をもって、あらためて観賞してみたい。今回は抽象構成だけを強引に搾り取って観賞した形になってしまった。道を外れたと思うが、長い目でみたらよい勉強になったと思った。

2008年7月11日 (金)

時事俳句:教育委員会

作曲の筆は進まないのに五七五ばかり思いつくなあ。


   金色(こんじき)の道を教へる道おしへ


「道を教える」を教師になぞらえたんだけど・・・。

2008年7月10日 (木)

時事俳句:サミット閉幕

このところ時事俳句(川柳)を作ることが増えたな。


   閣僚を帰らせ閑古鳥を飼い


ちゃんと季語もあるし、頭韻を踏んでるし、時事の話題も組み込んであるし・・・。でも技巧だけで人を感動させることはできるかな?

実はこれ、作曲にも当てはまることなんだ。自戒を込めて。

デザイナーさんの仕事場

音楽ライター・ハシビロコウさんの導きで彼が知っているデザイナーさんの仕事場を訪ねる機会を得た。現代作家の版画を見せてもらえるという。場所は都内某所の高級マンション。その某階に仕事場はあった。看板などは無く、普通の住居同様「○○○号室」という表示があるだけだ。

中に入ると、白壁に架けられた20を超える作品群が出迎えてくれた。版画が多いが、ドローイングや写真も混じっている。その制作技法は多岐にわたる。「銅版画」「リトグラフ」「シルクスクリーン」など馴染みある技法が半数近くを占めていたが、なかには「木版リトグラフ」など珍しいものも潜んでいた。

一群の作品の中で唯一既知のアーティストがいた。菅井汲だ。どこかで観たことがある大きめの版画が真ん中あたりに据えられて存在感のオーラを放っていた。他の作家は名前を知らなかったが、作品はみな水準が高いように思えた。

私が最も気に入ったのは池上勇夫の「GEN原5」と同じ作家の「Gi妓」だ。黒を基調として鮮やかな赤が乗っている。西洋的な洒落た抽象構成であり、かつ和風の味付けがなされた線が縦横に延びる。しっとりしていながら、秘めたる情熱もありそうな、深みのある2作品だ。手に入るものなら自宅にぜひ飾りたいという気持にさせられる。

それとは別に佐久間嘉明の「FILTER 89-D」はデュシャンを想わせるオブジェ構成で面白かった。もう一つ今井雅洋の「影」はマグリットばりの幻想を味わえて楽しい。これら2作品はダダ、シュールの残像のようで、あまり大きな声で「好きだ」と言えない。少々気恥ずかしい感じがするのだ。でも自分の気持ちに正直に、率直に言えばこれら2作品は大好きだし、欲しいなという気も起きて来る。

また、とくだあきらの「View07-Cors」も良かったし、その他の作品も決してつまらないというわけではない。河井宣行の「Y-1」「Y-2」はアクリルボードに四角い形を並べただけの単純な作品だ。これはハシビロコウさんの解説によると部屋の間取りを表現したものだとか。縦横に沢山並べると面白いだろうなと思った。 一方ハシビロコウさんは筆塚稔尚の「遊-2」に注目したとのこと。筆塚作品は、和紙という東洋・自然的な基盤に鋼鉄のような線という西洋・工業的な要素を重ねたという感じで面白かった。

辞去した後は、再びハシビロコウさんの導きでこんどは某所の某スナックへ。無事消毒を果たして楽しかった一夜は終わった。

2008年7月 6日 (日)

Afternoon Concert

2008年7月6日(日)
Afternoon Concert」(横浜市イギリス館)という名の発表会でチェロを弾いた。ピアノトリオの仲間「よいこ」さんのお弟子さん達の発表会なのだが、ヴァイオリンとチェロで伴奏を付けたりしたのだ。

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この趣向は成果があったと思う。例えば今までピアノ独奏しか弾いたことがなかったお弟子さんが、アンサンブルって面白いなと思うなど・・・。こういう眼に見えないところに結構重要なことが詰まっているような気がする。

最後は「一種の模範演奏」としてトリオレヴリーのメンバーでドヴォルジャークのピアノ三重奏曲第3番へ短調より第1楽章を演奏した。フラットが多いと弦を押さえる回数が多く、手がつりそうになるのが怖いが、今日はなんとか持ちこたえたので良かった。

昔の職場の仲間も応援に来てくれて嬉しかった。暑いなか来てくれてありがとう。終演後は中華街で打上げ。このために暑いなか演奏してるんだよ!

カルロ・ザウリ展

2008年7月4日(金)「イタリア現代陶芸の巨匠 カルロ・ザウリ展」(東京国立近代美術館)に行った。金曜日は20:00まで開館なので有難い。

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正直なところこのアーティストは知らなかったのだが、実際に作品を観て驚いた。こんなに素晴らしい作品を創る芸術家を今までどうして知らなかったのかと。多くの作品が広いスペースの中にゆったりと配置してあり、楽しめた。いやあ、こんなに面白い展覧会は久しぶりだ。

私好みの抽象作品が多かったのだが、以外に初期の具象ものも良かった。赤い色が主体の展示No.14の「レリーフ」はザウリが20代最後の作品だが、好感が持てた。描かれた海産物が活き活きとしており、形の具合もいい。デッサンがしっかりしている人なのだろう。

抽象ものだと、展示No.28の「大きい壺」なんかいいなあ。すっきりした形状と色彩のなかに味わいの深さを感じさせる。既に巨匠の域に達しているかのようなたたずまいだ。しかし、これがなんと30代の半ばに造ったというのだから驚きだ。

感の内部の二重構造になっており、深淵を感じさせる。有機物特有の複雑な形態を抽象的な形状の外部構造が覆っているとでも表現しようか。さすがにこれは50才前後の作品だった。 こういう企画展は大歓迎なので、今後も継続して楽しい展覧会を創造して欲しいな。

2008年7月 5日 (土)

時事俳句:現在の首相・・・

時事俳句を作った。

   潅木(かんぼく)が守る小さき泉かな

うーむ。

2008年7月 2日 (水)

時事俳句:原油高

7月に入った。値上げだ。

   散水車走らず烏賊釣船も出ず ・・・。

季語がダブってしまったけど、許してね。

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