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2008年7月23日 (水)

みずほフィル第14回定期演奏会

2008年7月20日(日)
みずほフィルハーモニー 第14回定期演奏会(すみだトリフォニーホール)に行った。

忘れないうちに私の感じ入った点を列挙しておきたい。記述は印象の強かった順なので演奏順とは異なる。

1.シベリウスのフルートいじめ
シベリウスの交響曲第2番ニ長調では、フルートが低音域で旋律を「吹かされる」のがかわいそうだった。同じメロディーを、様々な管楽器で順番に吹きまわすところなど、オーボエ、クラリネットと同じような音域でフルートパートが書かれている。これではフルート特有の輝かしい高い音を出せないまま、欲求不満になりそうだ。

打上げに「乱入」してフルート軍団の席に押しかけて話を聞いたら演奏者の一人はもと学生オケのピッコロ吹きだという。これでは天井から一気に地下まで突き落とされたようなものだ。しかも、私は専門的にわからないが、フルートの苦手なトリルもふんだんに盛り込まれているサービスぶり(苦笑)だったそうだ。そのような過酷な条件でフルートの二人は他の木管楽器に負けず、明瞭な音をよく出していたと思う。お疲れ様でした。

2.二次関数のクレッシェンド
同じくシベリウスの第2番。木管楽器のメロディーをティンパニーがトレモロで支える部分がある。その部分はクレッシェンドの指定がなされている。出だしはいいが、だんだんと音が大きくなると木管の音がクレッシェンドしてきたティンパニーにかき消されてそうな感じがした。

打上げ乱入の際、ティンパニー奏者にその話をしたところ、クレッシェンドの持って行き方に細心の注意を払っていたとのこと。例えばY=Xのような直線状に音を大きくしてゆくと、途中の段階でティンパニーの強い音が木管を追い越してしまう。これに対してY=
x2のように二次関数のグラフを描くようにするのだという。最初はあまり上げ幅が大きくなく、ほとんど現状維持の音を続け、そのフレーズの最後の段階でぐぐっとせりあがる感じだ。

これなら聴衆は木管のメロディーをある程度聴いて認識する。だからフレーズの最後のほうで仮に音が消されたとしても、フレーズ全体としてはメロディーも聴き、盛り上がってくるクレッシェンドも感じ取ることができるというわけだ。このように奥が深い演奏をされるのには敬服した。

3.チェロバスのハツゲン(発言、いや撥弦・・・)

これもシベリウス。第2楽章の冒頭、コントラバスが30小節近くも延々とピチカートを鳴らし続ける・・・というのは事実ではない。そう聴こえただけだが、実際はその間に3小節ほどチェロに受け渡されているのだ。しかし両楽器の鳴らすピチカートが同じ音色で、その旋律線が切れ目無く繋がっていたので、あたかもコントラバスだけが奏し続けていたかのように聴こえたのだ。この受け渡しの妙は素晴らしい。

また低弦がピチカートでアッチェレしてゆく場面もあった。これは右手の動きが大変だ。こんなのを長く続けたら、手が痙攣してしまうだろう。私の好きな「ナジャ」の最後の名文句「美とは痙攣的なものであるにちがいない。さもなくば存在しないであろう。」ではないが、それが低弦の美だと言われても困るよね。見事な演奏をありがとう。

4.「悲劇的」を和らげているのに「悲劇的」
ブラームスの「悲劇的序曲」。この冒頭は不思議だ。最初は「ちゃんと」ニ短調の主和音が鳴るが、次の和音からすぐ不思議な世界に入る。ドミナント(A, #C, E)を予想するのだが、空虚五度(A, E)が鳴るのだ。#Cを加えたほうが悲劇性が増しそうなものだが。

そしてさらに不思議なのは主要主題だ。なんとA, C, F, A・・・という旋律が奏されるのだが、これってへ長調じゃないか。和声はほとんど施されず、ティンパニーがA音のトリル、ホルンが2度ほど空虚五度を鳴らして色を添えるだけだ。このように、冒頭でニ短調が決定づけられているにもかかわらず、直ちにへ長調を遠回りしているのだ。これはあまり「悲劇的」には聴こえない。

長調か短調かあいまいな感じで始まる曲といえば、極めつけは「クラリネット五重奏曲」の冒頭だ。ただ異なるのは、こちらはロ短調のD#Fの唱和で始まる。これにAを加えたらニ長調、Hを加えたらロ短調だが、どっちつかずのあいまいな和声で勝負しているわけだ。

「悲劇的序曲」に戻ると、こちらは逆に冒頭の和音だけ短調を明瞭に出し、直後に調性をあいまいにしている。どうみても「悲劇的」を和らげているとしか思えない。不思議だ。たぶんブラームスは、あまり短調の性格を明瞭にしすぎると演歌みたいになるから、それを嫌って渋い構造にしたのではないか。そう思う。

5.ソリストの「添い寝」ならぬ「添い弾き」?
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調。世界に通用する一流ソリストを迎えての演奏で、アンケートでもこの演奏への賛辞が多かったとのこと。私はこの曲のスコアを持っていないので誤りだったら恐縮だが、第1楽章の出だしでソリストが伴奏オケと一緒に、ソリストは弾かないはずのメロディーを弾いていた(ように聴こえた)のは、なぜだろうか?一流奏者ならずとも、間違えはあり得ないから、きっとオーケストラとの一体感を増すための一種の儀式だったのだろう。

6.大入り
このホールは1,800人収容だが、なんと1,600人以上の観客が押し寄せたそうだ。厳密に言えば満席ではないだろうが、これはもう立派に「満員御礼」だ。

企業のアマチュアオーケストラという性格上、行員関係者を組織立って集客することは可能だろう。それにしても1,600人が集まるというのはすごい。またこのオケは演奏が安定しているから、リピーターが多いのだろう。あるとき聴きに来て素晴らしい演奏を聴き、また来たいという気持になる「良循環」もあるかな。そして行員関係者以外の一般のファン層も形成されつつあるに違いない。

今回はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲という有名曲に一流ソリストの演奏という要素が加わり集客の追い風になったかと思う。でもその要因が無かったとしても、同じくらいの観客動員力がこのオケにはあると思う。今後が楽しみだ。

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コメント

こんにちは。協奏曲でソリストがソリストパートの楽譜にはないオーケストラパートも一緒に弾いているケースは、外来のオーケストラで著名な一流ヴァイオリニストの出演するコンサートで何度か見た経験があります。特に、モーツァルト、ベートーヴェン、それからバロックでした。楽譜には、一緒に演奏してはいけない、とは書いてないですし、バロックの頃は、コンマスがソロパートを演奏していたケースがほとんどでしょうから、アンサンブルをやっていて、ソロのところはソロパートを弾いていた可能性のほうが大きいと想像します。ただ、そうした時でも、ソリストの音が聴衆に聴こえるほどではなかったです。このコンサートで、ソリストの方がどういう意図でされていたのかはわかりませんが、アマチュアの演奏会やまだ経験の浅い若いソリストが、いきなりソロで音をだ出すのが怖い時、数小節オケパートを一緒に弾いていることもめずらしくはありませんね。ハシビロコウ

ハシビロコウさん、古い記事へのコメントありがとうございます(感謝と笑い)。見識が深まった感じがします。

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