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2008年5月16日 (金)

佐伯祐三展

2008年5月16日(金)
「佐伯祐三展」(そごう美術館:横浜)へ行った。また「国展」報告シリーズに割り込んでしまったが、感動の賞味期限が来る前に書いておきたかったのだ。

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佐伯祐三は抽象好みの私が例外的に信奉する具象画家だ。昔から個展などで作品に親しんできたが、いつ観ても感動するし新しい発見がある。

今回の展示で心を動かされたのは「工場」だ。

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これは佐伯の他の作品とは違う。しかし感銘を受ける。どのような点がユニークで、特殊なのかを考えてみた。
1. 代表作によく用いられる画面を引き締める赤が姿を消している。
2. いったん完成させた堅固な構成を、意図的に崩しているように見える。
3. 油絵なのだが、パピエ・コレのようにがらくたを貼り合わせたような感じがする。
これは最近ラウシェンバーグの訃報を聞いたので、そのせいかもしれない。

まだまだあるかもしれないが、上記のような特異性がこの作品を際立たせている。そしてそこから感動が生まれる。しかしこの作品が発するオーラは、どちらかというと「負のエネルギー」だ。観る人を暗いムードに引きずりこむ。ただ、その力が強大なので逆らえないのだ。

あまり暗くなりすぎてもいけない。気分を変えよう。「人形」は以前も観たことがあり「綺麗な女性だなあ」と感心していた。しかし、モデルが人形だということは今回まで知らなかった。そうか、この美女は人間界には存在しなかったのか。佐伯の別の側面に触れることができる作品だ。

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「煉瓦焼」は強烈な印象を残す。ここでは得意の赤が要所を押さえ、鮮やかだが抑制された表現で味わい深い作品だ。緑、青の配置も画面全体を楽しいものにしてくれる。佐伯の傑作のひとつだろう。

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そごう美術館は、ブリジストン美術館同様、夜8時まで開いていてくれるので助かる。いつもありがとうございます。

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コメント

中学生だった私が一番初めに見に行った絵画展が、どっかのデパートでの佐伯雄三展でした。絵画の世界へと私を誘ってくれた、懐かしい恋人作家です。

KYOUさんコメントありがとうございました。

そうでしたか。現在では「浮遊術」ができるアーティストが恋人ですよね。また藤野に遊びに行きたいです。

ご案内をいただいたので、佐伯祐三展に行きました。岡鹿之助展に続いて佐伯祐三展を観に行けたのはなんと幸せなことだろうと思いました。生年が同じ1898年ということもポイントですが、実になにもかも正反対の作家なのですから。同じ時にパリにもいた、でも交流なかった様子、その個性からお互い関心を持たなくても当然でしょう。佐伯は1928年に没した。鹿之助は1978 年まで生きた。早い時期から自分のトーンを固めてしまった鹿之助。長命だった鹿之助に対して、想像するに自分の作風を作り出す前に死んでしまった佐伯、まるで芸術家の対照的な二つのタイプのよう。佐伯が好んだ、広告等、文字、彩りへの関心はアブストラクトへの強い才能を感じもする、コラージュの感覚を感じました。描かれている建物の、不動感、重量感、陰を内包する暗さへ、その文字がいささか控えめながらそうした物体感を拭っていくように思えたのですが。死の年の作品、「納屋」「煉瓦焼き」、泊まっていたモランのホテルの「カフェ・レストラン」に、やっと佐伯のたどり着いた画風が感じられました。「工場」、「モランの教会」のゆがんだ構図には、僕はゴッホを感じていました。生き急いだ鹿之助、僕は28年という没年に、同じく死の病のプレッシャーの中で作曲したシューベルトを連想していました。

ハシビロコウさん、コメントありがとうございました。

「アブストラクトへの強い才能」および「コラージュの感覚」のキーワードを示して下さいましたね。たぶんこれらの要素があるために、佐伯作品は抽象好みの私にもインパクトを与えてくれるのでしょう。

これからも感想を沢山聞かせてください。

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